番組名と四字熟語の話
番組の名前は「考究流転ラジオ」で確定したそうです。前回は言い間違いもあって迷子になっていましたが、見直したところ「考究流転」が正しい表記だったと語られています。
この四字熟語は既存のものではなく、パーソナリティのJIntaroさんとAIが一緒に作り出したものだといいます。
話は四字熟語そのものの魅力にも及びます。四面楚歌のようにストーリーを背負った言葉もあれば、覆水盆に返らずのように文章として機能することわざもあります。
そういうすごいその意味のある、単語よりも意味があるけど、単語に収めているみたいな、洗練された感じが四字熟語にはあるなっていうふうに思ってるんですけど、伝わりますかね。
AIが動いている間の「暇」
今回の本題はAI化と時間の使い方です。JIntaroさん自身、同じ仕事にかかる時間が極端に減ったと体感している一方で、AIが処理している間の時間の使い方に困っているといいます。
たとえばClaudeAnthropic社が開発したAIアシスタント。文章生成やコーディング支援など、長時間かけて自律的に作業を進めるエージェント的な使い方もされるが裏で作業を進めている間、進捗を確認したいのでパソコンの前は離れられません。しかし、自分がやることは特にない。
Claudeがうにょうにょうにょ動いてる間、皆さん何してんですかね。僕なんかそのXとか見ちゃって、マジ無駄だなとか思ってるんですけど、あの時間って何かいいことに使えないのかなって思ってるんですけど。
別の仕事に切り替えようとしても、その仕事もAIがやってしまう。結局、Xを眺めるくらいしかやることがなくなってしまう、という状況が語られています。
生産性は誰のために上がるのか
AIによって効率が上がるのは間違いない、とJIntaroさんは整理します。人間なら3日かかる仕事を15分で終わらせられるようになったとき、残った時間をどう使うかが問題になります。
一般的には「次の仕事をやればいい」となり、結果として全体の生産性が上がります。経営者から見れば「生産性が100倍になった」と喜ばしい話です。
しかし働く人の目線では、同じ10時間労働で求められる成果物が5個から100個に増えるだけかもしれない、と指摘します。AIが手伝ってくれるとはいえ、労働から解放されるわけではないのです。
生産性が100倍になり、成果が飛躍的に増える喜ばしい変化
求められる成果物も増えるため、必ずしも楽にはなっていない
優秀な人ほど暇になるという逆説
一方で、優秀な人はAIを使いこなして1000倍の効率を出してしまう、とJIntaroさんは話します。求められるのは100倍分の成果なので、差分の900倍ぶんは余ってしまう計算です。
結局意外と暇みたいな現象も起きるのかなと思っていて。まあ結局人間に何か暇な時間っていうのは増えるのかなというふうに思ったり思わなかったりなんですけど。
その暇な時間に、いまは自分で好きなアプリを作るなど、知的な活動に時間を費やす人もいます。ただ、その活動もまたAIで効率化されていくため、暇はなくなるどころか一生続くのではないか、という見立てが示されます。
時間を「かける」ことに価値がある営み
話題はここから、AIでは代替しにくい営みへ移ります。ジムに行って走る、キャンプで焚き火をする、釣りをする、といった活動です。
これらは短時間で済ませても楽しくありません。海に着いた瞬間に魚が釣れて5分で帰るような釣りは、成立していないのと同じです。
時間がそれが短かったらあんま楽しくないじゃないですか。なんか超効率的な釣りで、なんか海に行った瞬間五分で釣れますから、五分で帰ってきましょうっていうのはなんかめちゃめちゃつまんないですよね。
キャンプや焚き火も、時間そのものを味わう行為であり、効率とは対極にあります。JIntaroさんは、こうしたアナログでネイチャー寄りの営みが、これからの人生の豊かさを決めるのではないかと語ります。
もっとも本人は、休みの日もAIをいじって過ごしているそうで、実践は追いついていないと苦笑いします。
過渡期に生まれる格差と、こぼれた人の行き先
現状はAIを使いこなせる人とそうでない人のギャップが大きい過渡期だ、とJIntaroさんは分析します。上司も部下も優秀ならバランスが取れますが、そうとは限りません。
上司がAIについてこられていない場合、部下は「100の仕事」を5分で終えて残りは暇、という状況になりえます。一方で、AIを使う前提の指示が飛んでくるのに本人が使えないと、意味の分からない仕事量に潰されてしまう人も出てくるといいます。
そのもう本人からしたら意味がわからないような仕事が降ってくるんで、まあ潰れちゃう人とかもいるだろうなとか思っているので、まあそれ潰れちゃうなっていう人たちは、キャンプ場とかで働くといいのかな。
AIから離れた人は結局、自然界のような領域に戻っていくのではないか、という半ば冗談めいた着地が示されます。
時間の価値と、AI以外の価値の出し方
これからは人によって時間の価値が変わっていくのではないか、とJIntaroさんは考えます。AIを使いこなせる人は本を読み、キャンプや釣りに行き、ワールドカップも見に行けるけれど、そうでない人は働き続けなければならない、という構図です。
AIを使えない人が別の価値を出せるといいのですが、なかなかそういう例が思いつかないと言います。そこで話題に上がるのが、寿司職人でした。
寿司職人はなぜAI化に抗えるのか
料理はロボットに任せられそうだけれど、寿司とおにぎりだけは他の料理と異質だ、とJIntaroさんは指摘します。生の食材を素手でベタベタ触っているのに、それが「良い」とされる文化があるからです。
なんかあれむしろなんかその人の手を逆に逆にこう素手でベタベタ触ってるのが良いまであると思っていて。なんかあれをロボットが金属の手で触るとなんかあんまり美味しくなさそうですよね。
握りの強さやシャリの硬さといった技術は、ロボットでも模倣できてしまうだろうと話されています。だからこそ、勝負どころは技術ではなく風情の側にあるのではないか、というのがJIntaroさんの見立てです。
握りの強さやシャリの状態などは、いずれロボットで再現可能
人が素手で握るという行為そのものに、簡単には代替できない価値がある
まとめ
AI化は効率と生産性を確実に押し上げますが、その先に残るのは「余った時間をどう扱うか」という問いです。過渡期のいま、生産性を追い続けるのか、時間を味わうフィジカルな営みへ向かうのか。寿司職人の手仕事を糸口に、両者のバランスが問い直された回でした。
- AIによる効率化は、経営側にとっての生産性向上と、働き手側の成果物増加という二つの顔を持つ
- 優秀な人ほどAIで千倍働けてしまい、逆に「暇」が生まれるという逆説がある
- キャンプや釣りのように、時間をかけること自体に価値がある営みはAI化と相性が悪い
- AI活用度の差が大きい過渡期には、こぼれ落ちる人と極端に楽になる人の格差が生じやすい
- 寿司職人の「素手で握る」という風情は、技術ではなく文化としてAI化に抗える可能性を持つ
