番組初のゲスト回、ヌメっと現れたカメラマンの正体
ポジティブランディングラボは、ブランディングを難しくせずポジティブに解きほぐしていく番組です。MCの平野聡さん、株式会社シードアシスト/株式会社セイ代表の片山光祐さん、ブラボーワークス株式会社代表の保呂田直行さんの3人で進めてきました。
今回は番組が始まって以来、初めてのゲスト回です。現場でブランディングに向き合う人の話を聞きたいという、以前からの企画がようやく実現しました。
ゲストはフラッシュ株式会社代表取締役の髙田崇平さん。カメラマンとして18年のキャリアを持ち、ブライダルや広告、人物撮影を手がけながら、近年は介護と写真という新しい領域を切り開いています。
FLASH株式会社の高田と申します。
独特のトーンで登場した髙田さんは、収録の距離感を測りかねている様子でした。片山さん、保呂田さんとは大学時代からの付き合いだといいます。
(真面目バージョンか)ふざけていいのかみたいな感じで。
片山さんと保呂田さんは、アメリカのオレゴン大学で髙田さんと出会ったと振り返ります。もう20年ほどの付き合いだそうです。
その時年上やと思ってたから、僕敬語で喋りかけたんですよ。
番組の3人は普段から髙田さんを「ムネさん」と呼んでいます。当の髙田さん自身は、なぜ自分が呼ばれたのか戸惑いを口にしました。
僕のブランディングってなんやろなって。まずそこからですよ。
高校で一眼レフをもらい、アメリカで写真に出会う
髙田さんとカメラの出会いは、映像関係の仕事をしていた父の影響が背景にありました。高校生のときに一眼レフをもらったのが最初だといいます。当時はまだフィルムのカメラでした。
アメリカの大学では、もともと好きだった映画を学びたいと考えていましたが、途中で写真の授業を取るようになり、面白さに気づいていきます。
日本では美大や芸大を目指して絵の塾に通っていた時期もあった髙田さんにとって、写真はシャッターを切るだけで欲しい絵が手に入る手段でした。
この写真もうシャッター切るだけで自分の欲しい絵が切り取れると。
髙田さんの絵や写真の基準は、「自分の壁に飾りたいかどうか」だといいます。欲しい絵が簡単に手に入る点に、写真の面白さを感じていました。
保呂田さんは、学生時代にオレゴンでフリーペーパーを作っていたと振り返ります。カメラが得意な髙田さんに撮影を頼んだのが、カメラマンの髙田さんに仕事を依頼した最初の出来事でした。
28歳での転身、「もう俺会社辞めるわ」という電話
髙田さんがプロのカメラマンとして活動を始めたのは28歳のとき。それまでは東京の会社で、車の試作車のようなものを作る仕事をしていました。ものづくりは好きでしたが、どこか違うと感じていたといいます。
30歳が見えてきたころ、自分の好きなことをしたいと悶々としていた髙田さん。ちょうどそのとき、保呂田さんが写真などクリエイティブ系の会社を立ち上げていました。
気軽に遊びに行った先で商品撮影の仕事があり、遊び半分でやってみたところ、髙田さんはのめり込んでいきます。
遊び半分でやってたらハマっちゃって。もう俺会社辞めるわつって。
保呂田さんは、そのときの電話をよく覚えていると話します。普段は冗談も交える明るい髙田さんが、めずらしく深刻なトーンだったといいます。
普段すごく明るいムネが、ちょっと深刻そうに「カメラやりたいねんな」っていうシリアストーンの電話を受けたんですよ。
フリーランスの父を見て育った髙田さんにとって、会社を辞めることそのものには抵抗がなかったといいます。ただ本人いわく、深く考えていたわけではありませんでした。
好きなことをやりたいっていう、ただそれだけでした。
スタートは遅く、右も左もわからないところから
会社を辞めた髙田さんですが、そこからが大変でした。スタートが遅く、やり方もわからないなか、会社として売上を立て、顧客を満足させる必要がありました。
髙田さんは、知り合いのカメラマンを紹介してもらい、いろいろな現場で修業を重ねます。ファッション誌を切り抜いてポージングを勉強するなど、手探りで学んでいきました。
週刊誌の仕事では、編集の担当者からさまざまなことを教わったといいます。髙田さんは、それが写真の全てだったと振り返ります。
いろいろと教えてもらって。もうそれが僕の全てですね。写真の。
髙田さんによれば、当時のカメラマンはスタジオでバイトをして機材を覚え、プロのアシスタントを経てフリーで独立する流れが王道でした。今はInstagramからいきなりカメラマンになる人もいます。
片山さんは、当時の日本ではプロを名乗るのに厳しい修業が求められた一方、アメリカは自分でアピールして仕事を獲得し、自分のブランドを確立するやり方だったと補足します。だから髙田さんならできると疑っていなかったといいます。
汗だくで撮る「コミュニケーション力お化け」
保呂田さんは、髙田さんの強みをコミュニケーション力に見ています。撮影時の姿勢がそのまま伝わるのだといいます。
髙田さんは撮影中、雨に降られたかと思うほど汗をかくそうです。保呂田さんは、その姿が被写体に伝わる点を評価します。
このカメラマンさん、こんなに一生懸命撮ってくれるんだって。やっぱり撮られる方も本気になるカメラマンなんですよね。
平野さんも、髙田さんの打ち解けやすさに触れます。身構えずに入ってこられる空気が、聞き手をやりやすくさせるといいます。
海外案件では、英語が話せる髙田さんにバリ島の取材が回ってきました。ホテルから料理、景色、人物まで何でも撮る必要があったといいます。
バリ島取材って言ったらもうホテルから料理から景色から人物から、もう何でも撮んないといけないじゃないですか。
髙田さんは、締め切りが決まっているプレッシャーがあったからこそ、短期間で集中して取り組めたと振り返ります。できないことをただ否定せず、何とかしていく姿勢が、のちの新しい事業にもつながっていきます。
コロナ禍で仕事が止まり、介護の資格を取る
近年の髙田さんは、福祉に寄ったカメラマンを目指しています。きっかけはコロナ禍でした。
コロナ禍で撮影の仕事が完全に止まった髙田さんは、農業も試すなどいろいろ考えます。時間があったため、介護の資格を取ろうと学校に通いました。
軸足はカメラマンとして残したかった髙田さん。介護福祉と写真をつなげられないかと考え、お年寄りや体の不自由な方の写真を撮ることを模索します。
そんななか、介護のメイクを勉強していた友人の奥さんと組み、90歳を超える友人の祖母をメイクして一緒に撮影する機会が生まれました。
そうしたらそれがものすごい喜ばれて、おばあちゃんも喜んでくれたし、家族もみんな喜んでくれたし。
その反響が、髙田さんの確信につながります。「これいいな、これやな」というところに行き着いたといいます。
一方で、施設での撮影を重ねるなかで、髙田さんはボランティアとしては良くても、仕事として成り立たせる難しさも感じていました。
ライフワークとしてはいいんですけど、仕事としてはなかなかあれやなと思ったんですよね。
介護の学校で学んだことは、被写体への安心感につながると髙田さんは考えます。支え方や触り方を知っていること自体が、一つの証明になるといいます。
「証」から「照」へ。命を照らす写真という発想
髙田さんは、ボランティアにとどまらず新しいものを作りたいと考え、「照らす命」と書く「照命写真館」というサービスを始めました。
名前の由来は、光の当て方にあります。ステージでスポットライトが当たると誰もが主役に見える。そこから発想したといいます。
どんな人にでも光を当てれば主役になれるんじゃないかっていうところからですよね。
当初、髙田さんは「命の証」の意味で「証命」という字を使っていました。ある人からのアドバイスで、「命を照らす」ほうがしっくりくると気づき、「照」の字にしたといいます。
命の証を残すという意味の「証命」。記録に近い発想
命を照らすという意味の「照命」。今を輝かせる発想
髙田さんが残したいのは、遺影のような記録ではなく、今を生きる姿だといいます。特に高齢の方には、長い人生のストーリーが積み重なっています。
その一瞬切り取るっていうことが、その人の一番今輝いている瞬間っていう風に捉えてほしいなと。
髙田さんは、子どもの七五三のように、お年寄りが生きてきた証を残すことを一つの文化にできないかと考えています。結果として遺族の心に残るイメージにもなるといいます。
遺影ではなく「今生きている証」を切り取る
保呂田さんは、このサービスの肝を「遺影ではない」点に見ています。オレゴン時代の先輩が花葬儀のサービスを手がけていたことにも触れながら、その違いを語ります。
多くの高齢の方は、自分の遺影をどうしようかと考えているはずだと片山さんは言います。そのうえで、髙田さんのサービスはそこと出発点が違うと整理します。
生きている方々の命を照らしていて、たまたまそれが遺影で使われるかもしれないっていう部分が、このサービスの肝だなって思うんですよ。
片山さんは、遺影を作るサービスは数多くあるものの、照命写真は方向性が違うと指摘します。デコって撮る機能的なサービスではなく、感情に寄り添うサービスだといいます。
今生きてる証を切り取りましょうという感情的なサービス。
平野さんは、照命写真館の特徴を3つに整理して確認しました。事前アンケートで語られていた内容です。
介護資格を持つカメラマン
介護福祉を学んだカメラマンが撮ることで、被写体に安心感が生まれる
出張撮影に特化
狭い部屋でも2畳あれば撮影に行く
記念ではなく生きた証
撮影そのものが本人や家族の心のリハビリになることを目指す
ゴールデンサークル理論で照命を読み解く
ここでフレームワーク好きの片山さんが、照命写真というブランドを整理します。手がかりにするのは、サイモン・シネックが提唱したゴールデンサークル理論です。
片山さんは理論の概要を説明します。ブランドは3つの層で考えられ、内側からWhy(なぜやるのか)、How(どうやるのか)、What(何をするのか)の順に並ぶといいます。
このWhyから語り始めることで人の心が動かせるっていうことなんですよね。
片山さんは、照命写真のWhyがきわめて強いと見ています。「命のそばにいたい」「今を照らしたい」という存在理由が、仕事が減ったときの問いから生まれたといいます。
自分に問うた、誰のためにシャッターを切りたいのかっていうところが、九十歳の方と向き合った時に出てきてるのかなっていうふうに思っていて。
Howにあたるのが、介護資格を取るという選択です。片山さんは、普通のカメラマンはやらないアプローチだと言います。
保呂田さんも、この選択によって「介護×写真」という独自のポジショニングが生まれたと整理します。2畳で撮る技術や、立てない人を立って見せる工夫も、すべてHowにあたるといいます。
Whatにあたるのが、照命写真館というサービス名であり、出張撮影のパッケージであり、生きた証の写真という商品そのものです。片山さんは、Whatだけでは他の撮影サービスとの違いが伝わりにくいと指摘します。
片山さんは、髙田さんの場合はこの3層が完全に一貫していると評価します。Whyで命を照らすと言い、Howで介護を学び、Whatで照命というサービスを作った。すべてが同じ方向を向いているといいます。
解説を聞いた髙田さんは、自分の方向が間違っていなかったと感じたと話します。作り手が抱える「合っているのかな」という不安に、フレームワークが答えを返した場面でした。
そういう風に解説分析してもらうと、あ、俺間違ってなかった。
片山さんは、多くの人が新規事業をWhatから始めがちだと指摘します。しかしそれでは競合との差別化が難しく、Whyから始めることで自分だけのストーリーが生まれるといいます。
次回は「どう届けるか」。売れるけど売らない実践編へ
今回のゲスト回は、髙田さんがどんな気持ちで照命を始め、どう歩んできたかというコンテキストの共有でした。保呂田さんは、大事なのはここから先の将来性だと話します。
ここまではだってコンテキストだから。
次回からは、照命というブランドをどう届けるかという実践編に入ります。価格の伝え方やSNSの使い方など、「売れるけど売らない」といった論点も踏まえて進めていく予定です。
髙田さんにとって、届け方はまさに悩みの種でもあります。今日は楽しそうに話していた髙田さんも、次回への緊張をのぞかせていました。
次回は、ほぼアドリブチックになっていくんちゃうかなってドキドキしてて。
まとめ
コロナ禍で仕事が止まったカメラマンが、介護資格という一手を加えて「命を照らす写真」という新しい文化を目指す。その歩みは、Whyから始めるゴールデンサークル理論の教科書的な事例として読み解かれました。
- 髙田さんは28歳でカメラマンに転身し、修業を重ねてプロの道を切り開いた
- コロナ禍での介護資格取得と90歳女性の撮影が、照命写真の原点になった
- 「証命」から「照命」へ、記録ではなく今を照らすという発想に転換した
- Why・How・Whatが一貫していることが、ブランドをブレさせない強さになっている
- 次回は照命を「どう届けるか」という価格やSNSを含む実践編に入る





