「重たい仕事」を思い出すところから
今回のテーマは、以前ふたりで少し話していた「重たい仕事」です。北山さんは、途中は重い話になるかもしれないけれど、最後には「少し軽くなったな」と感じられるところまで届けたいと切り出します。
なんか重たーいまんまで終わらないので、そこは安心して。
湯浅さんも「頑張っていきましょう」と応じ、ふたりで一緒に掘り下げていく流れになりました。
湯浅さんにとって重い「請求書」
最近感じた重たい仕事を尋ねられた湯浅さんは、毎月の請求書を挙げます。お金をもらえること自体は嬉しいのに、請求するという行動が重いのだと言います。
お金をもらえるのは嬉しいし好きなんだけど、請求をするという行動が僕にとってなんか重たいんですね。
その感覚を強く実感したのが、東京から塩尻に移住してから就いた町の役割でした。順番で回ってきた広域の副支部長になり、その役割が会計だったのです。
各地区で集金されたお金が、一旦すべて自分のところに集まる。その状態が大きなストレスだったと振り返ります。
俺のものじゃない現金がここにあるというのもものすごいストレスだったんですよ。
間違いがあってはいけないという責任感もあり、「はよ納金したい」と早く手放したい気持ちだったと言います。お金をいただくためにお願いする行動そのものが、湯浅さんには重いのです。
一方、北山さんにとって請求書は重くありません。「今月もありがとうございました」という気持ちがあるため、そこまでの重さを感じないと言います。同じタスクでも、人によって重さがこれほど違うことに、ふたりは面白さを感じます。
やり始めると一瞬。なのに着手が重い
北山さんは、タスクは着手するまでが重く、始めてしまえば早く終わるのか、それとも最初から最後まで重いのかを尋ねます。湯浅さんの請求書は、作業量としては大したことはなく、取りかかってから終わるまでは短いといいます。
早いからまだこう感じづらいけど、気持ちはなんだろう、重たいままかなと思う。
作業自体はすぐ終わるのに、なぜ着手までが重いのか。北山さんにも同じ経験があり、自分の場合はプレゼン資料を作ることが重いと打ち明けます。
やり始めれば構成を考えて資料に落とし込む単純作業なのに、着手がとても重いプレゼンがある。その一方で、同じプレゼンでも全然重くないものもあると言います。
なんかプレゼンテーションの資料を作るだけが重たいんじゃなくて、なんか重たくて着手まで遅いものと、さっと着手してさっと終わるものと両方あったりするんですよね。
タスクを細かく分けても効かない理由
着手が重い仕事には、よく「タスクを細かく分けて小さくしてから始めよう」というアドバイスが向けられます。ふたりもそれを聞いたことがあると言います。
しかし北山さんは、この方法が効く仕事と効かない仕事があると感じています。たとえばプレゼン資料作りを「まず資料を開く」まで細かくしても、ダブルクリックすれば開くとわかりきっているのに、着手したくないものはしたくないのです。
もうそこまで細かくしたとて、着手したくないものは着手したくないのよ。
湯浅さんも、請求書を細かく分けるなら「作るツールを開く」になるが、それ自体が重いと同意します。特に見積書は、新しい仕事ごとに金額を計算し、その金額がどう思われるかまで考えるため、感情がへばりついていると気づきます。
そこから北山さんは、重さの正体にたどり着きます。行動をどれだけ細かく分けても、タスクに紐付いて周りにへばりついている感情や思考の癖まで含めると、全体としては重いタスクになっているのだと言います。
タスクそのもの
作業量としては小さく、始めれば短時間で終わる
へばりつく感情
嫌われたくない、がっかりさせたくないなどの気持ちが紐付く
全体として重い
感情まで含めると、細かく分けても着手が重くなる
「イヤイヤ期の自分」を抱えて仕事している
北山さんは、この状態を「自分の中のイヤイヤ期のもう一人の自分」というイメージで捉えます。スーパーでお菓子を欲しがって動かなくなる子どものような存在が、自分の中にいるという発想です。
「やらなきゃいけない」と理性で説得する大人の自分がいる一方で、理由がどうであれ嫌なものは嫌だと動きたくない自分もいる。その泣き叫ぶ子どもを抱えながら仕事に向き合っている状態だと言います。
その子供を抱えて、「嫌だ」って叫んでる子供を抱えながら仕事に向き合ってる状態。
ああ、ちょっともう片手の腕の中で「嫌だ嫌だ」言われてると。
片手しか使えず、隣でずっとネガティブな言葉を聞き続け、しかも思い通りには動いてくれない。この状態こそが「仕事が重い」ということではないか、と北山さんは整理します。湯浅さんも「だって嫌だもん」と、しっくりきた様子でした。
まず「嫌だ」に共感してあげる
では、どうすればいいのか。北山さんは、あくまで実験レベルだと前置きしつつ、一つのアプローチを提案します。私たちはこの「嫌だ」という感情を認め、どんな感情が紐付いているのかを分解し、共感してあげることが少なすぎるのではないか、というものです。
湯浅さんは、自分の感情と少し距離を置いて俯瞰して見る発想が、これまで自分にはなかったと話します。
その自分の感情を自分の、まあ、ゆったら自分とはちょっと距離を置いて見るみたいなことですか?
そこでふたりは、実際に問いを立ててみます。見積もりが重いのは、高すぎて仕事がなくなるのが最悪だと感じているから。特に、好きな相手ほどがっかりさせたくないという気持ちも紐付いていると、湯浅さんは言葉にしていきます。
その人のことを好きであればあるほど、なんかがっかりさせたくないじゃん。
北山さんは、その感情を否定せず「その状態で見積もり作るの大変だよね」と自分に共感することを勧めます。こうした感情を抱えながらも仕事しようとしている自分は、それだけで頑張っているのだと。
こんな感情を、仕事にね、感じながら、それでも仕事しようと思ってる自分ですよ。頑張ってるなって。
行動を変える前に、余白をつくる
私たちは重いと感じた瞬間、すぐに行動を変えようとします。ご褒美を用意する、人に相談する、金額を下げてリレーションを作るといった具合です。しかし北山さんは、最初にやるべきはそこではないと言います。
行動をすっ飛ばすと、腕の中の子どもがずっと「嫌だ」と言い続けている状態が続きます。一度あやして落ち着かせ、軽くなってから着手する。それが一つのアプローチだと言います。
「そりゃ重たいよね」と共感し、その仕事の後ろに「クライアントに満足してもらいたい」という期待を自分で背負っていたと気づく。すると、重たさと自分の間に距離ができ、少し余裕が生まれると北山さんは自身の心の変化を語ります。
余白ができると、他の行動を選べるようになります。先に休憩する、仕事が進みやすい時間帯に回す、誰かと壁打ちしてから始める。「重い仕事を一人で片付ける」一択だった状態に、選択肢が増えるのです。
湯浅さんは、嫌々の内容を理解した上で、誰かに愚痴りたいかもしれないと話します。「大変だよね」「頑張ろうぜ」と言われたら、少し気分が上がる気がすると気づきます。
言われたら、「よし、頑張るか」って、ちょっと上がるかもしれない、確かにそこで。あ、それいいな。
ご褒美や相談などの対策を先に考えるが、嫌な気持ちは抱えたまま
「そりゃ重たいよね」と認めることで距離ができ、選べる行動が増える
さらに、一度この方法で軽くなれば、2回目、3回目と「いつものパターンだ」と気づけるようになり、免疫のようなものがついていくのではないか、とふたりは話します。
話してみて、少し軽くなった
最初に「請求書が重い」「見積書が重い」と話していた湯浅さんに、北山さんは今の体感を尋ねます。
いや、あの、ちょっと軽くなったなって思ったのと、来月、月末近くなったら、ノリピーに愚痴ろうと思った。
愚痴るという選択肢ができただけでも良かった、と湯浅さんは笑います。重いままで終わらないという最初の約束どおり、話すことで少し軽くなる兆しが見えた回となりました。
最後に北山さんは、聞き手に向けてこう問いかけます。自分の中にどんなイヤイヤ期の自分がいて、それを抱えながらどう仕事を進めているか。まずは「自分、よく頑張ってるな」と思うところから始めてほしい、と締めくくります。
まとめ
仕事の重さは、タスクそのものではなく、その周りにへばりついた感情から生まれていることがあります。まずはその「嫌だ」という気持ちに気づき、共感してあげることが、重さと自分の間に余白を生む第一歩になるのかもしれません。
- 着手が重い仕事は、作業量より紐付いた感情が原因のことがある
- タスクを細かく分けても、嫌なものは嫌なまま残る
- 「イヤイヤ期の自分」を抱えて仕事している状態として捉え直す
- 行動を変える前に、まず自分の「嫌だ」に共感して余白をつくる
- 余白ができると、休憩・時間帯の調整・愚痴など選べる行動が増える
