なぜ紅白を15年もツイートし続けるのか
速水健朗さんは、2026年1月10日の夜にこの回を収録しています。大晦日には、テケシュンの伏見俊さんをゲストに迎えた回の前編を公開しており、後編か中編は現在編集中だといいます。
大晦日の速水さんは、毎年まず正月用のサーモンのマリネを作ります。金沢の習慣なのか実家の習慣なのかはわからないものの、玉ねぎを剥くところから1時間ほどかかる恒例の作業です。今年はそのあとに伏見さんの回を編集し、伏見さんに「12月31日当日中に返事をよこせ」と頼んでいたそうです。
速水さんは十数年来、紅白歌合戦を熱心にツイートしてきました。ただし紅白が大好きなわけではなく、本人いわく「J-POP嫌い人間」です。妻が毎年大晦日は仕事で夜中の2時ごろまで帰らないため、一人で年を越すのが恒例になっています。
速水さんは季節の行事に関心が薄く、クリスマスに特別なものを食べることもありません。ひなあられは大好きで買いだめするものの、いつ食べるものかには興味がないといいます。
(ひな祭りは)おそらく2月2日か3月3日か5月5日のどれかなのよ。で、5月5日はさすがに子供の日だと思うんだよね。
速水さんは、関心のないものにはとことん興味が持てない人は、やがて暦を忘れていくと話します。そんな速水さんが唯一こだわるのが年越しそばで、一人でビールを飲みながら、そばとブリのしゃぶしゃぶを同時に楽しむ「そばしゃぶ」をするのが大晦日の定番です。
(紅白が)大好きすぎる、そのふりをしてツイートしてたわけ、10年前は。ただ単に暇だったから。
速水さんにとって、紅白のツイートはもともと暇つぶしを兼ねた自虐でした。それが毎年の恒例になり、好きなふりを15年ほど続けるうちに、本当に紅白が好きになってきたといいます。
速水さんの紅白への向き合い方の変化を整理すると、次のようになります。
大晦日に一人で暇だったため、紅白好きのふりをして自虐的にツイートしていた
15年ほど続けるうちに恒例となり、本当に紅白が好きになってきた
箱根駅伝と棚橋弘至の引退、ニコニコの革命とは
1月2日、速水さんはTBSラジオでアナウンサーの西川文野さんとともに、ポッドキャストをテーマにした8時間半の生放送に出演しました。
速水さんが1年で一番好きなコンテンツは箱根駅伝です。選手を事前に細かく覚えるタイプではないものの、今年はいても立ってもいられず、1月2日の朝、仕事の前に7時のスタートを見に行ったそうです。
速水さんの友人には、箱根駅伝が往路と復路で往復することを32年間生きて初めて知った人がいたといいます。速水さんはその話に、関心のないものにはとことん関心がないという自分の性分を重ねています。
1月4日には、新日本プロレスの東京ドーム大会で棚橋弘至 ── 新日本プロレスを代表するプロレスラー。団体の低迷期からエースとして人気回復を牽引し、現在は新日本プロレスの社長も務めていますが引退しました。速水さんは配信で観戦し、観客は4万6000人に達して、新日本の興行として記録的なフルハウスだったと話しています。
速水さんは10年ほど前、朝日新聞社の雑誌AERAで棚橋さんにインタビューしています。AERAが初めてプロレスラーのインタビューを載せるにあたり「この人しかいない」という人選で、速水さんにとってもAERAでの初仕事でした。
速水さんは、プロレスは殺伐とした事件が起きないと盛り上がらないジャンルだと前置きします。そのうえで、棚橋さんはリングの中の事件とは関係なく、ニコニコとポジティブな試合を見せて革命を起こすことを最後まで貫いたと評価しています。
引退セレモニーには、ライバルや先輩、後輩が集結しました。その多くはすでに新日本プロレスの所属ではありません。社長でもある棚橋さんは、自分だけが新日本を背負ってきたという顔を一つもせず、幸せそうに彼らに迎えられて引退したといいます。
本当だったらさ、新日本を継いでほしい人たちだったわけよっていうところね。
速水さんは、団体を出ていった人たちにも全開の笑顔で応える姿に、社長としての度量の広さを見ています。最後までニコニコしていること自体が、棚橋さんの革命だったという受け止め方です。
AERA出禁、本当なのか?
棚橋さんの引退を見たあとにネガティブなことは言いたくないとしつつ、速水さんは「自分はAERA出禁らしい」という話を明かします。AERAに出入りしている人たちから「よくわからないけど、速水さんAERA出禁なんですね」と聞かされたそうです。
速水さんによると、棚橋さんのインタビューの時点ではまったく問題はありませんでした。次も仕事をしようと話していた編集者が別のトラブルを起こし、その件が何かしら間違って伝わった結果ではないかと推測しています。
ネガティブなことを吐き出しておきますが。まあこっちから願い下げですけど。
年明けの速水さんは、1月4日に東京ドーム大会を見ながら、5日に3月刊行予定の新刊のゲラを返しました。これがお正月の一番大きな仕事だったといいます。
宇野維正さんと迎え撃つ、ポッドキャストのタッグ戦
1月25日、速水さんは阿佐ヶ谷ロフトAで「宇野維正presents これはコンテンツ過剰接続ではない」と題したトークイベントに出演します。宇野維正さんとは毎年、場所を変えながらイベントを続けてきました。
このイベントは本来、もっと早く開かれる予定でした。2025年6月、イベントの段取りをやりとりしている最中に宇野さんのツイートが止まり、速水さんが連絡したところ、宇野さんが倒れていたことがわかったといいます。宇野さんが倒れた件は、復帰後の8月ごろ、速水さんのポッドキャストで3回分ほど語られています。
当日は、ポッドキャスト番組「コンテンツ過剰接続」の2人をゲストに迎えます。2人にとっては表に出るイベントのデビューで、何度も一緒にポッドキャストをしてきた速水さんと宇野さんのコンビが迎え撃つ、プロレス風に言えば「タッグ戦」です。タイトルはいつも宇野さんが考えていて、今回も秀逸だと速水さんは話しています。
11月末の打ち合わせの時点では、ヤンキー恋愛リアリティショー「ラブ上等」が配信前で、予告編で盛り上がっていた時期でした。それから1か月ほど経ち、いまはひと段落したムードだろうと速水さんは見ています。
速水さんは文化系トークラジオLifeでも「ラブ上等」に触れ、ヤンキーコンテンツとして見られているものの、よく見るとY2Kリバイバル ── 2000年前後の「Y2K」と呼ばれる時代のファッションや文化を再評価する流行。近年の若い世代を中心に広がっています、つまり平成リバイバルではないかと指摘しました。小悪魔ageha的な要素がそこにあるといいます。
速水さんによると、最初のツッパリブームは10歳ほど上の世代のものです。なめ猫は小学生のころの同時代でしたが、速水さんの世代ですらヤンキーはすでに時代遅れになりつつありました。
2000年代半ばのギャルブームや加藤ミリヤ、関東連合なども、その時点ですでにヤンキーリバイバルだったと速水さんは話します。「ラブ上等」は、ヤンキー文化とギャル文化、暴走族リバイバルが混ざった、2周目・3周目のヤンキーブームのハイブリッドだという見立てです。
紅白もM-1も、2周目は別物になる
速水さんは、紅白歌合戦も15年ほど前にTwitterでツイートし始めたころから、紅白自体が盛り上がってきたと感じています。20代のころの速水さんは、紅白を見たことがなかったそうです。
10代の速水さんにとって、大晦日に家族とテレビを見ることは一番嫌なことでした。1986年、13歳のころに少年隊が出た紅白あたりが、親と紅白を見た最後だといいます。
(紅白なんて興味ねえしっていう)俺なりのマイリトル反抗期みたいなものがあって。
箱根駅伝についても、速水さんがハマったのは柏原くん ── 柏原竜二さん。東洋大学時代に箱根駅伝の5区(山登り)で区間新記録を連発し、「山の神」と呼ばれた長距離ランナーです以降の20年ほど前からです。10代・20代のころにまったく見ていなかったイベントが、別の切り口で再評価されていると速水さんは話します。
速水さんは、M-1も同じだといいます。速水さんの世代にとって、正月に漫才師が出てくるほど嫌なことはなく、紳助・竜介もダサかったそうです。上の世代のツッパリブームと漫才ブームは重なっていて、速水さんはそれを否定して出てきたとんねるずの世代にあたります。
その漫才は、古いものになったあと2回か3回洗い直され、10年ほど前には若者が目指すものに生まれ変わり、規模も巨大になりました。速水さんは、1周目にダサかったものが2周目では違う形で再評価されると整理しています。
だからかつての目線で全部同じ、いや同じものの2週目だよねってことは全然ないっていうね。
「ラブ上等」の主題歌にglobeが使われたことも、世代によって受け止め方が違うと速水さんは指摘します。速水さん自身は「本当にやめてくれ」と思う側です。少し大人が聴いていたものとしてYMOのように遠く感じる世代もいれば、自分たちの恋愛のBGMとして青春そのものに感じる世代もいます。
速水さんが挙げた例を並べると、かつての受け止め方と現在の姿の違いが見えてきます。
| 題材 | かつて(速水さんの10代・20代) | 現在 |
|---|---|---|
| 紅白歌合戦 | 家族と見るのが嫌で、20代は見たことがなかった | Twitterとともに盛り上がり、本当に好きになった |
| 漫才・M-1 | 正月の漫才は一番嫌なもの、紳助・竜介もダサかった | 洗い直され、若者が目指す巨大な存在になった |
| ヤンキー文化 | 速水さんの世代ですら時代遅れになっていた | ギャル文化などと混ざり「ラブ上等」でリバイバル |
速水さんは、この回のテーマを「リバイバル上等」にしようと締めくくり、もう一つのイベントの話へ移ります。
西和彦はなぜ「指折り」のビジョナリーなのか
もう一つのイベントは、1月23日にゲンロンカフェで開かれる、西和彦さんと速水さんのトークイベントです。西さんは、速水さんが20代に「青春を捧げた」会社であるアスキーの創業者の一人で、速水さんが在籍した90年代には社長を務めていました。
速水さんはアルバイトから3か月ほどで契約社員になり、学生と契約社員を兼ねていました。速水さんによると、アスキーではよくあるパターンだったそうです。
日本の70年代からコンピューター系のベンチャーで、まあ成功したベンチャーの雄と呼ばれた人の中でも、1本指の1本に入る人。
速水さんは、2本指にすると孫正義さんが入る、とも補足しています。西さんに話を聞くことは、宇野維正さんらが渋谷陽一さんにインタビューするのに匹敵するとして、自分の話はせず、とにかく西さんの話をたくさん聞きたいと語ります。
速水さんが在籍していたのは1995年から2000年ごろです。当時のアスキーは雑誌や書籍の売り上げは好調でしたが、会社の経営はジェットコースターのようで、給料の遅配もあったといいます。
速水さんは、「会社は何をやっているんだ」と思っていた現場と、経営者にしか見えていなかった光景はまったく違ったはずだと考えています。西さんは人より5年、10年先を見るビジョナリーで、ある時期までビル・ゲイツ ── マイクロソフトの共同創業者。西和彦さんは同社の創業期に関わり、日本や海外でのパソコン事業で協力していましたの片腕だった人物だと速水さんは紹介しています。
週刊アスキー創刊時、社長は何と怒鳴り込んだのか
速水さんは下っ端スタッフでしたが、いくつかの重要な局面で西和彦さんと直接の接点がありました。その一つが、週刊アスキーの創刊時の出来事です。事情があって、雑誌を週刊誌として再創刊しなければならず、3か月ほどの突貫工事で作ったといいます。
この件は西さんの著書『反省記』でも触れられていますが、速水さんはその現場にいました。雑誌の編集部には現場の独立性という意識があり、上に介入されるとカチンとくるものだと速水さんは話します。
当時の編集部員は60人以上の大所帯でした。売り上げを出していたにもかかわらず『EYE-COM』が廃刊となり、週刊アスキーへの看板の掛け替えを迫られた編集長は、激しく怒っていたそうです。
(社長が怒鳴り込んできて)「表紙を変えろ。そしてエロが足らん」っていうね。
速水さんは、この怒鳴り込みの場面は本に書かれていない部分だと明かしています。週刊誌にはグラビアやエロなどの要素が必要だという「鶴の一声」で、急きょ8〜16ページほどの追加ページが必要になりました。
追加ページを担当したのは、元ミュージシャンでデスクの佐々木光則佐々木光則さんと、編集部で「窓際」だった速水さん、そして矢野矢野博康さんの3人でした。佐々木さんは90年代の渋谷系界隈でバンド「THE ROOF」として活動していた人だといいます。
社長の介入から追加ページ完成までの流れは、次のとおりです。
突貫の再創刊
事情により週刊誌として再創刊が決まり、60人以上の編集部が3か月ほどで作る
社長の介入
完成直後に西社長が「表紙を変えろ。エロが足らん」と怒鳴り込む
ページ追加
窓際だった速水さんと矢野さんらが、急きょ8〜16ページほどを担当する
矢野さんは仕事をしながらクラブイベントでDJをしており、速水さんも仕事終わりに見に行っていました。その活動が実はシンバルズで、矢野さんはのちに三森すずこさん、花澤香菜さん、南波志帆さんらを手がける大物プロデューサーになっていきます。
速水さんは、シンバルズのデビューが決まった矢野さんに呼ばれ、3人編成のライブを見に行ったといいます。矢野さんはすぐに売れたためアスキーにいた期間は短く、親しかったのは速水さんと佐々木さんくらいでした。
矢野さんの一番の思い出っていう意味では、そういうページをさ、楽しそうに作るわけよ、俺たちは。
パソコンに詳しくない「ダメな編集者」だった2人は、イレギュラーな仕事で能力を発揮するタイプでした。速水さんはこの時、用語が全部パソコン用語という「デジタル用語解説のエロ小説」を嬉々として書いたそうです。
その後、速水さんもアスキーを離れ、矢野さんとは何度かメールをやりとりした程度で一度も会っていません。それでも速水さんは、矢野さんを「ちょっと戦友」だと話しています。ゲンロンカフェのイベント内容については、改めて西和彦回をポッドキャストで収録する予定だといいます。
まとめ
速水健朗さんは、紅白歌合戦や箱根駅伝、棚橋弘至さんの引退といった年末年始の出来事を振り返りながら、かつて嫌っていたものやダサかったものが新しい形で再評価される「リバイバル」を語りました。後半では、1月の2つのイベントにまつわる裏話として、宇野維正さんとの延期イベントの経緯や、アスキー時代の西和彦さん、矢野さんとの思い出が明かされています。
- 紅白のツイートは自虐から始まり、15年続けるうちに本当に好きになったと速水さんは話す
- 棚橋弘至さんは最後までニコニコと笑顔を貫き、去った仲間も迎え入れる度量を見せて引退した
- 紅白、M-1、ヤンキー文化など、1周目にダサかったものは2周目で別物として再評価されている
- 1月25日は宇野維正さんと「コンテンツ過剰接続」の2人とのタッグ戦イベントを開催する
- 1月23日は、アスキー創業者の西和彦さんに、経営者から見えていた景色を聞くイベントを開催する




