『およげ!たいやきくん』は脱サラソングだった?
対談後編の入り口は、伏見瞬さんが会社を辞めて独立したという近況です。速水健朗さんは、これは「脱サラ」と呼べる出来事だと切り出します。
伏見さんは退職の際、別の部署の先輩から「聞いた?トラバーユするんでしょ?」と声をかけられて驚いたそうです。速水さんによれば、トラバーユは脱サラという言葉がいったん廃れたあと、昭和の後期に置き換わった言葉で、速水さんの世代の言葉だといいます。
で、俺が生まれた頃にって、子供の頃に脱サラブームが来てるんですよ。
(ベビーブーム世代は)学生運動に挫折したんだけど、で、髪切って会社員になるわけじゃん。
速水さんの見立てでは、高度成長期が終わり、学生運動に挫折して会社員になった世代が「サラリーマンはつらい」と感じていた70年代半ばに、脱サラブームが起きました。そのころ流行した子ども向けの歌『およげ!たいやきくん』こそ、脱サラソングだというのです。
伏見さんも「そうとしか聞き取れない」と応じ、独立したばかりの今の自分は、店のおじさんと喧嘩して海に飛び込んだあたりだと話します。速水さんは、自由に海を泳ぐ最初のうちは楽しいのだと重ねます。
なんか沈んだ沈没船とかが俺の遊び場で、たまにはサメにもいじめられるけど、まあそれも自由のうちだと。
速水さんは歌の結末を、お腹のあんこが溶けて長生きできない話だと思い込んでいたそうです。しかし2人で聴き直すと、腹を空かせたたいやきくんがエビに食いつき、それが釣り竿だったというオチでした。
毎日焼かれる
網の上で焼かれる毎日が嫌になる。会社員生活のつらさに重なる
海へ飛び出す
店のおじさんと喧嘩して海へ。伏見さんは今の自分がここだと話す
自由を楽しむ
沈没船を遊び場に、サメにいじめられるのも自由のうち
釣られる
腹が減ってエビに食いつくと、それは釣り竿だった
伏見さんは、お金がなくなって株やネズミ講のようなものに手を出し騙される、というのが脱サラのアナロジーで言うオチだと笑います。速水さんは、本物の魚なら人生経験でわかるはずの罠に、経験値のないたいやきくんは引っかかったのだとまとめます。
結局網の上で暮らすしかなかったっていう悲しい歌だよね。
同じトラックなのに別の曲?子門真人版と生田敬太郎版
伏見さんが、この日の元々のテーマは「日本人はなんでフォークが好きなのか」だったと思い出させます。伏見さんによれば『およげ!たいやきくん』は今も日本で一番売れたシングルで、速水さんは1975年の作品だと確認しています。
速水さんが『およげ!たいやきくん』をフォークの話として持ち出した理由は、レコード化の経緯にあります。もともと子ども番組で流れていたのはフォーク歌手の生田敬太郎さんの歌唱でした。
これをレコード化する時に、レコード会社の問題で、この歌手は、あのレコード出す会社とさ、所属ってあったから出せないってなって、子門真人が急遽呼ばれて歌ったんですよ。
速水さんの説明では、生田敬太郎さん版がオリジナルで、市販されたレコードが子門真人さん版です。2人は聴き比べて、おそらくトラックはほぼ同じなのに、まったく違う曲に聞こえることに驚いたといいます。
伏見さんは、子門真人さんのどこから出ているかわからないバリトンの粘り気が、全体のリズムをバックビートに聞こえさせ、レゲエのような裏打ち感を誘発していると分析します。一方の生田敬太郎さん版は頭打ちに聞こえ、冒頭のストリングスも含めて70年代フォークの雰囲気だそうです。
子ども番組で流れた歌唱。頭打ちに聞こえ、ストリングスも含めて70年代半ばのフォークそのもの
粘りのあるバリトンで裏打ちに聞こえる。速水さんはバリー・ホワイト風、伏見さんはレゲエやブルース感と評する
速水さんは、かぐや姫の『神田川』もバックトラックだけ聴くとストリングス中心で、フォークとしては珍しいと指摘します。フォークはいろいろなものを吸収するジャンルで、同時期のフィラデルフィア・ソウル ── 1970年代にフィラデルフィアで発展したソウルミュージック。ストリングスを多用した華やかで洗練されたアレンジが特徴ですのストリングス感が混ざっているため、歌い方次第でどちらにも聞こえるのだと考えています。
伏見さんはさらに、ブルースとフォークは白人と黒人の音楽としてはっきり分かれていそうで、楽曲構造自体はそれほど離れていないという説があり、子門真人版はその証明のようだと話します。
童謡とフォークの相性、そして90年代のフォーク復活
速水さんは、脱サラはレールに敷かれた人生への反発であり、それはフォークがもともと持っているものだと話します。そのうえで、童謡とフォークは実は相性がいいのではないかと投げかけます。
伏見さんも同意し、フォークっぽい音楽をやると曲が童謡に流れていくところがあると語ります。スピッツやブルーハーツのメロディが童謡っぽいのも、フォーク感があるからではないかというのが伏見さんの考えです。
速水さんは、フォーク感の中身として、土着性や民衆性、そしてスリーコードのシンプルさを挙げます。中央線や、野口五郎さんの『私鉄沿線』のような日本版のローカルな土着性が、歌謡曲にも取り込まれていたといいます。
1970年代生まれの速水さんにとって、吉田拓郎さんのフォーク全盛期はリアルタイムではありませんでした。ニューミュージックの時代に育った速水さんが「フォークの逆襲」を感じたのは、90年前後のフジテレビのドラマで流れたCHAGE and ASKAの『YAH YAH YAH』だったそうです。
バブルの最中にフォークが帰ってきたってのはちょっと衝撃だったんだよね、俺はね。
当時、同世代はCHAGE and ASKAをフォークだと思わずに聴いていたため、速水さんは一人で「なんでフォークなの?」と言っていた気がするといいます。その後ゆずが登場したとき、90年代にはフォーク時代が復刻していると強く感じたそうです。
小室哲哉は実はフォーク?J-POPが複雑になった理由
90年代のフォーク復活について、伏見さんは欠かせない存在として意外な名前を挙げます。小室哲哉さんです。
伏見さんは2025年に招待されてTM NETWORKのライブに行き、衝撃を受けたといいます。世界が壊れるようなコンセプトのプログレ曲のあと、メンバーの地元と思われる府中あたりの写真を並べた映像とともに、宇都宮隆さんがフォークソングを歌ったのだそうです。
伏見さんによれば、trfやglobeの曲は今聴くと低音が弱く、踊れるダンスミュージックというよりフォークソングです。globeの『FACE』は長渕剛さんの曲にしか聞こえないと伏見さんが口ずさむと、速水さんは井上陽水さんを感じたと返しました。
伏見さんの見立てでは、小室さんの音楽はフォークとプログレが根にあり、肉体性のないダンスミュージックが後から混ざって、あの独特の小室ワールドになっています。速水さんは「いい意味でいびつな取り合わせ」と応じ、あの転調がなければフォークかもしれないと付け加えます。
伏見さんの仮説はさらに広がります。90年代のJ-POPがAメロ・Bメロ・サビ・Cメロ・ブリッジ・転調とアメリカのポップスに比べて複雑なのは、当時のプロデューサーがみんなプログレ好きだったからではないか、というものです。
| 人物 | 関わりとして挙がったもの | プログレとの接点 |
|---|---|---|
| 小室哲哉 | TM NETWORK、trf、globe | プログレ曲を作る |
| 小林武史 | 90年代のプロデューサー | プログレ好き |
| 佐久間正英 | GLAY、JUDY AND MARY | [[四人囃子::1970年代から活動した日本のプログレッシブ・ロックバンド。日本のプログレの草分け的存在として知られています]]のベーシスト |
| 笹路正徳 | スピッツ | プログレバンドをやっていた |
伏見さんによれば、尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』や沢田研二さんの『勝手にしやがれ』のように、それ以前の歌謡曲は実はシンプルでした。速水さんはむしろR&B、マーヴィン・ゲイだと応じます。
そこにフォークとプログレ、歌謡曲譲りのブラックミュージックのテイストが混ざり、J-POPという「キメラ的」な謎ジャンルが生まれたというのが伏見さんの見立てです。一番変なのに一番売れた小室さんがフォークだったことこそ、フォークの再来だったのではないかと語ります。
なかなか小室のさ、解釈としては風変わりな今説だよね、これ。
伏見さんは「よく聞けばあれはかなりフォークだ」と譲らず、速水さんは「小室等から小室哲哉へ」と小室つながりで笑いを誘いました。
小室ファミリーとモータウン、世代で分かれた受け止め方
伏見さんは、小室哲哉さんは売れていた当時、半分は馬鹿にされていたと振り返ります。伏見さんの両親は小室さんを魂のこもっていない売れ線の音楽と見ていて、小学生だった伏見さんにも、いずれ消える水物のような印象があったそうです。
いわゆる小室世代の速水さんは、自著の中でずっと小室さんに触れてきたものの、「明らかに悪意を持って」書いていたと明かします。著書『1973年に生まれて』では、94年から98年ごろの小室ファミリーを、モータウンのファミリーと比較したといいます。
ベリー・ゴーディって明らかに家父長制を敷いてくるさ。
小室ファミリーもある種、その小室哲哉の歴代彼女の集団っていうさ。
速水さんは、ベリー・ゴーディ ── アメリカのレコード会社モータウンの創業者。所属アーティストを家族的に統率し、ダイアナ・ロスらを世に送り出しましたが家族を重んじ、ダイアナ・ロスを愛人とした構図と、小室ファミリーでプリンセスの座を平和に巡っていく構図を重ねています。まともに書けばかなり批判的な話なのに、多くの人が小室ファミリーを良き青春の話にしていることを面白く感じているそうです。
一方で速水さんは、80年代に登場したTM NETWORKは先進的なシンセサイザーの使い方で、音楽好きがハマる音楽だったと認めます。中学生のころは、尾崎豊さんを聴く人、TMを聴く人、速水さんのように長渕剛さんを聴く人がいて、TMを聴く人が一番先鋭的だったといいます。
ただ90年代にプロデューサーとして現れた小室さんは半ば笑いの対象で、「TK」という呼び方にも揶揄が入っていたと速水さんは考えます。そこで速水さんが重ねるのが、とんねるずの音楽を原体験とした自分自身の経験です。
俺たちの世代より上の人たちからするとコミックソングに聞こえた、多分。で、ちょっと半笑いだった。けど、その下の世代はそこにシリアスな音楽性を見出してたって感じかな。
売れ線で魂がこもっていない、水物、半笑いのコミックソングとして見ていた
シリアスな音楽性を見出し、J-POPの神様のような存在としてリスペクトする
伏見さんは、華原朋美さんの『I'm proud』のようなシリアスな曲もあったと指摘します。伏見さんより5歳下、10歳下の世代、たとえば一緒に制作もしたtofubeatsさんは、小室さんへのリスペクトを素直に示すといいます。
速水さんも、tofubeatsさんがユーロビートやバブル期のディスコものを大真面目に踊れる曲としてDJでかける中に、TKも普通に入っているのだろうと話します。伏見さんは、tofubeatsさんがコージー冨田コージー2000の曲やダウンタウン関連の曲も取り入れ、J-POPの再評価を先んじてやったと位置づけました。
速水さんは、ダウンタウンと小室さんのH Jungle with t ── ダウンタウンの浜田雅功さんと小室哲哉さんによるユニット。1995年に『WOW WAR TONIGHT』が大ヒットしましたと、テイ・トウワさんや坂本龍一さんが関わったGEISHA GIRLSが同じ95年だったことも比較に挙げますが、「どうしても悪口になる」と苦笑します。
「弱い僕」を肯定する音楽としての日本のフォークとロック
伏見さんは、小室ファミリーとベリー・ゴーディは似て非なるものだと話を戻します。ベリー・ゴーディが「パパが偉いから愛人になれ」という強いお父さんだとすれば、小室さんは逆に「弱い僕」なのだといいます。
伏見さんは、後に小室さんが逮捕された件も、好意的に見れば事務処理が苦手で騙されてしまったのではないか、という小室ファンの女性の見方を紹介します。速水さんは「5億円がうっかりの額なのか」と突っ込みつつ、伏見さんの言う、アーティストゆえの弱さを愛してほしいという恋愛観が日本的だという話に「わかってきた」と応じます。
強いお父さん。パパが偉いから愛人になれ、という家父長制
弱い僕。アーティストゆえの弱さを愛してほしい、という日本的な恋愛観
ここで速水さんは、この日の話に通底する共通点を言葉にします。日本のフォークの中でずっと繰り返されている男の仕草は「弱さ」ではないか、というものです。
四畳半フォークって特にそうだけど、いや、貧乏自慢なわけじゃん、割と。俺、中央線に住んでいて、銭湯に通っている髪の長い男ですよ。
伏見さんは、女性一人称で歌われる『神田川』の「ただあなたの優しさが怖かった」も、女性目線から男性の弱さを肯定していると読み解きます。そして弱さを示せる音楽として、フォークだけでなく日本のロックもあるのではないかと続けます。
伏見さんが例に挙げるのはMr.Childrenです。『innocent world』や『Tomorrow never knows』では、近しい友まで裏切った傷を背負って生きていくと歌われていて、弱さも含めて俺を認めてくれという桜井和寿ワールドは、好きな人はハマり、嫌な人はすごく嫌がるといいます。
速水さんは、洋楽を聴くとき歌詞はあまり重要ではないものの、バリー・ホワイトは「捨てないでくれ」、マーヴィン・ゲイは「優しくしてよ」と歌っていて、実は弱いのだと指摘します。伏見さんはそれを直接的な弱さとしたうえで、日本人がやると文学的な弱さになると話します。
伏見さんによれば、2000年代以降のBUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATIONも「弱い僕」を美しく描いて少年少女の心をつかんできました。伏見さんはこれを江藤淳 ── 戦後日本を代表する文芸評論家。『成熟と喪失』で、戦後の日本文学に描かれた弱い父と強い母の関係を論じましたの『成熟と喪失』の、父が弱く母が強いという話に通じると語り、速水さんは「戦後の日本とアメリカみたいな」と応じます。
逆に、レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズのように、意味のない歌詞で「お前が欲しいベイビー」と歌う強いロックは、日本ではほとんど売れないと伏見さんは考えています。文学性で売れるのが日本のロックとフォークの流れではないか、というのが伏見さんの見立てです。
スプリングスティーンはロックか、フォークか
伏見さんは、四畳半フォーク的なものは輸出可能だとして、ボン・ジョヴィの『Livin' on a Prayer』を挙げます。歌詞を直訳すると四畳半ロックだとよく言われる曲で、伏見さんはこれを完全にブルース・スプリングスティーンの子どもだと感じたそうです。
伏見さんによれば、この曲は小さな抜け出せない世界から恋人と出ようとして出られず、祈りとともに生きるという内容です。スプリングスティーンが歌った郊外の町、今でいうラストベルト ── アメリカ中西部から北東部にかけての、かつて製造業で栄え、その後衰退した工業地帯。「錆びた工業地帯」の意味ですの世界観に通じるといいます。
速水さんは、スプリングスティーンが昔から不思議だったと話します。ロックの入り口として好きだったのに、さかのぼって『ネブラスカ』を聴くとフォークだったからです。
その当時も俺はおそらくフォークに対してちょっと偏見があって、やっぱ弱い音楽で、俺はロックを聴くんだっていう16、7の頃にネブラスカを聴いて、なんじゃこりゃと思うわけ。
速水さんは同じ経験をニール・ヤングでもしたといいます。ロッキング・オンなどの批評家がやたら好きで、文章から入って聴いてみたらアコースティックギターのフォークで、がっくりしたそうです。それなのにスプリングスティーンはフォークとは言われない、と速水さんは首をかしげます。
『ネブラスカ』が一番好きなアルバムだという伏見さんは、あれはアパラチアン・フォーク ── アメリカ東部の山岳地帯アパラチアで受け継がれてきた民謡の伝統。殺人事件などを歌う物語的なバラッドを多く含みますの流れだと解説します。山奥の殺人事件を歌う「マーダーバラッド」の系譜で、カート・コバーンがレッドベリーを取り上げたのと同じ流れだといいます。
伏見さんによれば、1曲目の『ネブラスカ』は実際の殺人事件の犯人の一人称で歌われる曲です。速水さんは「さすが音楽評論家」と感心しつつ、15、6歳のころからロックの歌詞に興味がなかったので、最初の出だしで戸惑ったのだと振り返りました。
スプリングスティーンの「孫」たち。佐野元春、長渕剛、福山雅治
伏見さんは、スプリングスティーンはアメリカでは歌詞に重きを置く特殊なロックミュージシャンだと見ています。速水さんは、日本人には意外と理解しにくい存在なのに、日本の歌手にこれほど影響を与えた人はいないと続けます。
2人が挙げたのは、佐野元春さん、浜田省吾さん、長渕剛さん、尾崎豊さんです。Tシャツ姿でテレキャスターを弾くポーズに一発でやられつつ、それぞれ別のところに影響を受けていると速水さんは話します。
だって佐野元春と長渕剛ってさ、同時に聴いてる人たちいるけど、全く違うものを感じてる。
伏見さんはこの対比を、スプリングスティーン本人とラストベルトの人々に重ねます。スプリングスティーンは民主党支持なのに、彼が歌う世界の人々は共和党支持、つまりトランプ支持者の世界だというのです。
伏見さん自身、わかりやすく整理しすぎたアナロジーだと断ったうえで、スプリングスティーンが今の佐野元春さん、トランプが愛国の長渕さんのようだと言います。二極化できる幅と、文学性のあるかっこよさがスプリングスティーンの影響力で、日本の「弱い僕を文学的に歌う」流れに取り込みやすかったのではないか、と話しながら気づいたそうです。
速水さんは福山雅治さんを例に挙げます。浜田省吾さんや佐野元春さんの影響を受けた福山さんは、スプリングスティーンの影響を受けた日本の歌手の影響を受けた人と考えると音楽像が見えてくるといいます。
福山さんにはスプリングスティーンのロックのかっこよさと、弱い男のフォークの両方があると速水さんは指摘します。伏見さんも、泉谷しげるさんの『春夏秋冬』をカバーしていることを挙げ、福山さんは「フォークとスプリングスティーンの孫」という立ち位置で語れると応じました。
速水さんはさらに、長渕さんがスプリングスティーンの影響で日の丸を背負ったことには誤解が入っていると話します。『Born in the U.S.A.』は、ベトナムでアジア人を殺した自分たちにとってこれが祖国なのか、という自問から始まる歌だというのです。
スプリングスティーン
『Born in the U.S.A.』で星条旗を背負う。アメリカとは何かという自問から
長渕剛
その問いをおそらく誤解したまま、日の丸を掲げる
ポップミュージックの継承
正確なコピーではなく、エラーを起こしながら上のデータだけが引き継がれる
複雑化
プログレとフォークが混ざり、転調の多い謎のダンスミュージックになるような変化が生まれる
正確にデータをコピーするんじゃなくて、写メみたいな感じで、なんか上のデータだけがずっとさ、なんかちょっとエラーを起こしながら引き継がれていって、なんか複雑になっていく。
速水さんは、この「誤解の上の誤解」こそがポップミュージックのコピー・アンド・ペーストだと捉えています。
正確に受け継ぐ佐野元春と、憑依する長渕剛
伏見さんは、誤解して受け継ぐ長渕さんとは対照的に、佐野元春さんはかなり正確にスプリングスティーンを受け継ごうとした人だと話します。スプリングスティーンがフィル・スペクターやボブ・ディランを意識し、ロックの歴史の中の自分の位置に自覚的だったように、佐野さんも歴史を勉強し、パンクやエルヴィス・コステロの影響も受けながら立ち位置を獲得したといいます。
速水さんは、佐野さんが次々とやることを変えていく点もロックンローラーに必要な要素だと付け加えます。同じことをずっとやる人と、いろいろな影響を混ぜていく人とでは系統が違うという見方です。
伏見さんは、もともと繊細な歌手だった長渕さんが、売れすぎた結果として筋トレと愛国に向かったのではないかという話もあると紹介し、松本人志さんにも重なると話します。速水さんはそれを「35から体鍛えちゃう問題、三島由紀夫問題」と名づけました。
中学生のころ一番好きだったアーティストが長渕さんだという速水さんは、長渕さんは自分にとって背を向けられない存在だと語ります。そして長渕さんを、何かが降りてくる「触媒」として捉えます。
あれはね、ほぼね、スプリングスティーンが降りてきちゃうわけですよ。ある種の触媒なので、彼は。
速水さんによれば、マキタスポーツさんも指摘しているように、長渕さんには映画『竜二』金子正次の映画『竜二』の竜二が降りてきていて、それがドラマで演じた一本筋の通ったチンピラ役につながり、歌にも出てくるといいます。
まずリュウジとスプリングスティーンが混ざってる歌手ってすごくない?っていう話でさ。
伏見さんは、長渕さんの魅力は演技ではなく「憑依」してしまう謎の触媒感にあると応じます。速水さんは、もはや宗教に近い存在になっているからこそ受けるのだと話しました。
伏見さんが長渕さんを見直すきっかけになったのは、熱烈な長渕ファンで共演もしているラッパーの般若さんでした。般若さんも一本筋の通ったアウトローを憑依させ続けることで日本語ラップでの地位を築いたと伏見さんは見ていて、長渕さんを「危ういけど何もバカにはできない」と感じるようになったそうです。
追い続けちゃうとね、本当に多分自分も憑依されてしまう。
「フォーク過剰接続」の果てに見えた、景気とポップミュージック
収録の終盤、伏見さんはこの回を「フォーク過剰接続の会」と名づけます。速水さんは、企画段階ではフォークの悪口を言うつもりだったものの、フォークが接続する領域があまりに多すぎたと振り返ります。
秋元康も小室哲哉もスプリングスティーンもフォークだって言うと、さすがに俺たち言い過ぎたなっていう感じだよね。
本当のフォークの話はあまりできていないと2人は笑います。速水さん個人のテーマは、ボブ・ディランが苦手だということでした。
速水さんによれば、ボブ・ディランが苦手なのは父親が好きだったからで、苦手という「逆影響」の形で父親から強い影響を受けていたことに、50代になって気づき始めたといいます。伏見さんも、何が嫌いかで自分のアイデンティティが決まるのはすごく感じると共感します。
伏見さんの場合、最初にハマったビジュアル系に対して、好きなようで嫌い、嫌いなようで好きというアンビバレントな感情があるそうです。ビジュアル系もフォークにしか聞こえないと言う人がいて、貧乏くささを嫌う人もいれば、そこに実存を見る人もいるといいます。
速水さんは、本当に貧乏な人は貧乏を誇らず、本当は貧乏ではないから貧乏自慢が始まるのではないかと話し、脱成長を言う人は結局金持ちだという話とフォークが結びついている気がすると語ります。
伏見さんも、バブル期に一番売れていたのはバンドブームのブルーハーツで、シティポップは景気が悪い時期に流行しバブル期には落ちていたという話を挙げます。一番景気がいい時に脱成長や環境問題を言い出すという構図にも通じるといいます。
バブル期に一番売れたのはバンドブームのブルーハーツ。脱成長や環境問題が語られ出す
シティポップが流行した。バブル期にはむしろ落ちていた
速水さんは「景気とポップミュージック」もテーマとしてありだったと振り返ります。伏見さんは、小室ファミリーがあれほど売れたのもCDバブルの時代だったからで、それがこの日の裏テーマだったのかもしれないと語り、対談は締めくくられました。
まとめ
『およげ!たいやきくん』の聴き比べから始まった対談は、日本のポップスのあちこちにフォークの痕跡を見つけていく「過剰接続」の旅になりました。2人の話から浮かぶのは、弱さを文学的に肯定する感性が、フォークを起点にJ-POPやロックへ誤解を重ねながら受け継がれてきたという見立てです。
- 『およげ!たいやきくん』は脱サラソングとして読め、生田敬太郎版と子門真人版では歌い方だけで別のジャンルに聞こえる
- 伏見さんは、小室哲哉の音楽をフォークとプログレの混合と捉え、90年代J-POPの複雑さはプログレ好きのプロデューサーに由来すると考えている
- 日本のフォークやロックに共通するのは「弱い僕」の肯定で、ミスチルやBUMP OF CHICKENにも通じるという見方が示された
- スプリングスティーンの影響は、正確に受け継ぐ佐野元春と、誤解や憑依を重ねる長渕剛という対照的な形で日本に広がったと語られた
- 景気がいい時に貧乏自慢や脱成長が語られるというねじれから、景気とポップミュージックという新たなテーマも見えてきた

