働き方改革はポピュリズム政策だったのか
速水健朗さんはこの回の冒頭で、この7〜8年の働き方改革を「一種のポピュリズム政策だったのではないか」と問題提起します。
速水さんによれば、残業をいかに減らすかは国民的な関心事でした。そこに「ブラック企業」という言葉が登場し、時間外まで働かせる企業を社会悪とみなす熱狂が加速したといいます。
(ブラック企業を)全体がこれをね、社会悪に設定して、国民の不満のはけ口になったところってあるじゃないですか。
速水さんが注目するのは、メディアの現場の人たちの態度です。アベノミクスやアベノマスクには批判的な立場が多数派だったのに、安倍政権の重点政策だった働き方改革には、ほとんど無批判に乗っていったように見えるといいます。
速水さんは、働き方の「ホワイト化」という国民的な欲望が、若い人たちの労働意識を強く規定したと考えています。「会社が怖い」「労働が怖い」という共通意識は、ブラック企業という言葉に象徴されるポピュリズム的な政策と結びついているという見立てです。
残業問題への関心
残業をいかに減らすかが国民的な関心事になる
「ブラック企業」の登場
時間外まで働かせる企業が社会悪として設定され、熱狂が加速する
ホワイト化への欲望
メディアの現場もほぼ無批判に乗っていく
若者の労働意識
「会社怖い」「労働って怖い」という共通意識が生まれる
トレンディドラマの私用電話と「電話恐怖症」
速水さんの中学時代はトレンディドラマの全盛期でした。登場人物の多くはサラリーマンで、仕事も楽しそうにこなし、仕事後の時間も楽しいものとして描かれていたといいます。
速水さんが特に印象に残っているのは、トレンディドラマの登場人物がオフィスの電話でずっと私用電話をしていることです。『男女7人夏物語』や映画『私をスキーに連れてって』でも、携帯電話がない時代に、同僚がいる横で私用電話をかけるのが当たり前でした。
一方で今は、電話恐怖症 ── 電話をかけたり受けたりすることに強い不安や苦手意識を感じる状態。若い世代の職場での悩みとして近年よく話題になりますという本が去年ごろに出て、若者が会社を辞める理由の1つに電話対応への恐怖が挙げられているといいます。
速水さん自身も電話恐怖症の当事者で、電話はミュートが当たり前、ほぼ出ないと話します。
全く他人事じゃなくて、僕も電話怖いんですよ。電話って、まあ、そもそもミュートにしてるのがね、当たり前で、そもそもほぼ出ない。
電話恐怖勢からすると、トレンディドラマって「なんじゃこりゃ」っていうね、あの、不思議なものに見えると思いますよ。
「5時まで男」より「5時から男」が愛された時代
速水さんは次に、アフターファイブという言葉に目を向けます。速水さんの推測では、この言い方はバブルのころに定着したものです。
速水さんによれば、アフターファイブは今でいうワークライフバランスと同じに見えて、役割がまったく違います。かつてのアフターファイブは仕事の延長で飲み会をする時間で、今は完全にプライベートに切り替える時間だからです。
バブル期には、高田純次さんが出演するCMの「5時まで男と5時から男」というキャッチコピーがありました。
仕事に熱心だが、会社の飲み会では静かな男
飲み会が始まると急に元気になる宴会部長的な男
高田純次さんが演じていたことからもわかるように、人気だったのは「5時から男」だと速水さんは言います。現代では支持されないだろうと断りながらも、ある時期まで共有されていた常識があったと振り返ります。
明るくて、楽しくて、えー、私生活でも魅力がある人間っていうのは、仕事ができなくても愛されるのであるっていうようなこと、ある時期までは多分共有されていた。
速水さんによれば、日本のフィクションでは「5時から男」が圧倒的に優位に描かれてきました。仕事をしていないようで、実は宴会などで活躍する人が会社や社会を回しているという物語が、エンターテインメント作品にたくさんあったといいます。
植木等『日本無責任時代』のスチャラカ社員
速水さんが代表例として挙げるのが、植木等さん主演の『日本無責任時代』です。速水さんの記憶では、クレージーキャッツ ── 植木等さんらが所属したジャズバンド兼コメディグループ。1960年代に映画やテレビで国民的な人気を集めましたの映画で、1962年の作品です。
速水さんは、植木等さんを高田純次さんの系譜のご先祖様のようなコメディ役者と位置づけます。主人公は当時の言葉でいう「スチャラカ社員」で、仕事はほぼせず、昼間は軽薄なことを言っているだけです。
ところが『日本無責任時代』の主人公は、アフターファイブになると本領を発揮します。夜のバーの女性たちがもたらす情報や夜の世渡り術で社内で出世し、取引相手をお色気接待で落として大型契約を取り付けていきます。
速水さんは、『島耕作』や『釣りバカ日誌』のような国民的なサラリーマンものの原型がここにあると見ています。仕事ではない場所で本領を発揮し、それを仕事に転用するというパターンです。
松田優作『甦る金狼』の昼と夜の二面性
もう1作として速水さんが挙げるのが、大藪春彦 ── ハードボイルド小説やアクション小説で知られる作家。暴力と銃器描写を特徴とする作品を多く残しました原作で、松田優作さんが1970年代に主演した『甦る金狼』です。
『甦る金狼』の主人公もサラリーマンです。昼間は大企業グループの目立たない平社員で、眼鏡をかけた気弱な男として過ごしています。
しかし『甦る金狼』の主人公は、会社から帰ると夜な夜なボクシングジムで体を鍛え、別の人格になっていきます。手始めに、社員だけが知る給料日の情報を使って、自分の会社の給料を強奪します。
速水さんは、映画版は三億円事件 ── 1968年に東京都府中市で起きた現金輸送車強奪事件。犯人が捕まらないまま時効となり、多くの作品の題材になりましたを知ったうえで演出しているのではないかと話しますが、うろ覚えだとも断っています。
主人公は奪った金を机の下に隠したまま捜査線に上がらず、その資金で拳銃や麻薬を手に入れ、横領などの不正をしている上司や役員の弱みを握っていきます。告発ではなく脅しで株式をかすめ取っていく、かなりひどい話だといいます。
速水さんによれば、松田優作さんの演技の見どころは、昼の無能な顔と夜のハードボイルドな顔という二面性にあります。
速水さんは、『日本無責任時代』と『甦る金狼』の2本がトレンディドラマにも影響を与え、「サラリーマンも悪くない」と思わせてきたのではないかと考えています。
サラリーマンって気楽なもんだっていう、これは植木等のテーゼですけど、なんかそこに労働ってものを恐れない、何かね、規範みたいなものと結びついていた気がします。
残業ゼロの出版業界で何が変わったのか
速水さんは、植木等さんの時代が良かったと言いたいわけではないと強調します。長時間労働や公私混同は良くないという価値観が、この7〜8年の働き方改革で一気に変わったことに注目しているのです。
速水さんによれば、価値観は本来そんなに簡単には変わりません。それでも「ブラック企業」というキャッチフレーズのキャッチーさもあって急速に変化し、残業が当たり前だった出版業界でも、知り合いは「今どき残業なんてありえない」という状況で働くようになったといいます。
では残業なしで雑誌をどう作っているのか。速水さんは、複数の同業者から同時期に伝わってきた話として、職場での情報共有の浸透を紹介します。
具体的には、Slack ── ビジネス向けのチャットツール。チャンネルごとに会話や進捗を共有でき、チームでの仕事の見える化に使われますのような場所で「今こういう状況でこういう仕事をしている」と見えるようにし、誰か1人が仕事を抱え込まない体制にしたそうです。
担当者が自分のページを抱え、残業もあって当たり前
工程を透明化して共有し、誰でも引き継げて休暇も取れ、残業しない
フリーランスの速水さんから見えるのはその変化の一部です。たとえばZoomのミーティングに、直接やりとりしていない人が発言せずに参加していることがあり、仕事の分担を把握しているのだろうと感じるといいます。
共有化で編集者の仕事がつまらなくなった理由
速水さんによれば、ここ4〜5年、コロナ禍とも関係しながら共有化が急速に進むなかで、雑誌の編集者たちが「仕事がつまらなくなった」と言い始めています。
デザイナーや外部ライター、デスクと仕事を分け合うことは以前からありました。ただ、複数で作り分担するのが当たり前になると、自分の手柄が半減以下になるらしいと速水さんは話します。
速水さんは、編集者の仕事で一番重要なのは人間関係だと言います。取材を受けない飲食店でも「ずっと来てるお客さんだから断れない」となるのは、会社のお金ではなく日頃から自腹で通っているような関係があるからです。
作家との関係も同じだと速水さんは説明します。売れている小説家にいきなり頼んでも書いてもらえませんが、「売れる前から目をかけてくれていた」編集者なら優先して書く、ということがあります。
編集者の仕事って、そういう属人的、会社の中のポジションとか関係なく、自分が培ってきたものと関係してるんですよ。
速水さんは、編集者が手柄のためだけに人間関係を築いているわけではないと断ったうえで、それでも成果が成果として認められないなら腐ってしまう現場の声は「めちゃめちゃ理解できる」と話します。
アフターファイブとビフォーファイブは区別できない
速水さんは、この番組でゲストとして話したクーロン嬢 ── 以前この番組に出演し、速水健朗さんと一緒に話した人物との「場を作るのが仕事だよね」という話を思い出します。場作りは必ずうまくいくものではないので、会社の経費でできるものとは限りません。
速水さんによれば、少なくとも雑誌の編集者のような仕事では、アフターファイブとビフォーファイブの区別は基本的につきません。
九時五時でここまできっちり仕事っていうのはやっぱりね、製造業、工場労働の中で決まったものなので、現代の働き方とは本来マッチしない考え方。
それでも「時間外労働が悪」という考え方はポピュリズムに乗りやすいと速水さんは見ています。もう1つ乗りやすいのが「日本人の労働生産性は低い」という話です。
「日本の労働生産性は低い」への反論ブーム
速水さんによれば、最近は日本の労働生産性が低いという話を否定するのがブームで、売れている新書でも冒頭でそれが嘘だと書くのが流行っているそうです。
速水さんが挙げる反論は、次のようなものです。
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GoogleやAmazonの社員はどこで遊んでいるのか
速水さんは、GoogleやYahooのような会社が大事にしていることが、アフターファイブの生産性に近いと考えています。
Amazonの社員とかGoogleの社員とか、同じ会社同士で夜遊びに行くとはみんな思ってないじゃないですか。めちゃめちゃ遊びに行ってますよ。
まとめ
速水健朗さんは、働き方改革そのものを否定するのではなく、残業削減一色になったことで創造性やモチベーションが置き去りにされた点を問題にしています。
- 働き方改革は「ブラック企業」という言葉とともにポピュリズム的に進んだと速水さんは見ている
- 雑誌編集の現場では共有化で残業は減ったが、属人的な人間関係の成果が認められにくくなった
- 『日本無責任時代』と『甦る金狼』は、昼の顔と夜の顔で人生を変えるサラリーマン像を描いた
- 時間外の時間が生産性に寄与するという価値観は、別の形で取り戻す必要があると速水さんは語る





