ヒップホップの「四大要素」は今いくつある?
ヒップホップには、ラップ、DJ(ビート)、ブレイクダンス、グラフィティという「四大要素」があるとよく言われます。速水さんによれば、ラッパー向けの教科書のような本でも、まず「この4つを絶対忘れるな」と書かれているそうです。
ところが今のWikipediaを見ると、ヒップホップには「9つの重要要素」があると書かれていて、要素が増えているといいます。増えたのはファッションや起業家精神などです。
速水さんは、ヒップホップの起業家精神を「DIY」のことだと捉えます。スタジオがなくてもラジカセで録音し、カセットテープのデザインまで仲間内で作る。そうした手持ちの機材で全部自分たちで作る精神は、ヒップホップ特有のものだと話しています。
一方で速水さんは、増えた要素どうしに整合性があるかは疑問だとも言います。そもそも、ヒップホップの中心にいるラッパーとDJは、方法論がかなり違うからです。
自分のリアルな言葉を紡ぐことが役割
他人の音をサンプリングしてつなぎ、よそから持ってくるほど美学として高いとされる
ラッパーとDJの役割とか方法論っていうのがね、これ大きい乖離があるんですよね。ただ、この何か乖離がある部分っていうのがヒップホップの魅力なんですけど。
テイ・トウワとQティップ、サンプリング許可の行方
速水さんはまず、1990年代後半のテイ・トウワさんのエピソードを紹介します。ある日、Qティップ ── アメリカのヒップホップグループ、A Tribe Called Questの中心メンバー。トラック制作とラップの両方を手がけることで知られますから「お前の曲を俺の新曲でサンプリングして使いたい」と連絡が来て、テイ・トウワさんはもちろんOKと返したそうです。
テイ・トウワさんとQティップは、二人が有名になる前の1980年代から仲がよく、テイ・トウワさんはQティップを「Qちゃん」と呼ぶ間柄だといいます。
テイ・トウワさんが冗談で「君の曲を使っていい?」と聞き返すと、Qティップからの返事はありませんでした。速水さんは、Qティップが意地悪だったのではなく、A Tribe Called Questほどになると権利関係はレーベルや音楽出版社に厳しく管理されていて、個人の判断で「いいよ」とは言えないからだと説明しています。
ヒップホップでは、DJとラッパーを別々の人が担当する分業が多いと速水さんは言います。Qティップはラッパーもやる例外的な存在で、カニエ・ウェストもそれに近いものの、基本は分業で、どちらになるかで性格もかなり違うそうです。
イノベーター理論はヒップホップをどう説明したか
速水さんは「圧倒的にDJの方に興味がある」と前置きし、最近読んだ本として、エヴェレット・ロジャーズのイノベーター理論 ── 新しい技術や製品が社会に広がる過程を、採用の早さで利用者をいくつかの層に分けて説明する理論。普及学の古典とされますを取り上げます。
速水さんが意外だったのは、イノベーター理論が1962年と思っていたより古い時代に書かれ、しかも農業の分野で、化学肥料を率先して使った農家と最後まで躊躇した農家を比べた研究から生まれていたことです。アーリーアダプターやレイトマジョリティ、ラガードといった区分もそこから来ています。
速水さんは、その後レイチェル・カーソンらが登場して農薬の危険が語られるようになると、率先して使った人たちのほうが「ちょっとやばい人たち」になる、と皮肉を込めて話しています。1962年の文脈には、まだそうした見方はなかったということです。
エヴェレット・ロジャーズは2003年に改訂版を出し、インターネットや携帯電話の話を交えて理論を論じ直しています。その中でヒップホップも事例として扱われているそうです。
一部のコミュニティ
ニューヨークの先進的な人々がラップという新しい手法を取り入れ、最初は反感も伴った
アーリーアダプター
「これは新しい音楽だ」と受け入れる人たちが現れる
メジャー化
スヌープ・ドギー・ドッグやエミネムが登場し、広くメジャーな音楽になる
サンプリングは本当に「リスペクト」なのか?
ここから速水さんは、本に書かれていない自分の考えを語ります。Qティップらがデビューしてメジャーレコードと契約した1980年代末、ヒップホップのビートはファンクやジャズを元ネタにして作られていました。
ヒップホップ史では、これは先鋭的な音楽を作ってきた先人へのリスペクトとして説明されます。しかし速水さんは、その説明には「ちょっとダウトというか、嘘が混じっている」とずっと思っていたそうです。
むしろね、見向きもされなくなった音楽、もう80年代の末においてのジャズってもう括弧点点点がつくような分野だったし。
速水さんは、ジェームス・ブラウンが『ロッキー4』の音楽をやっていた頃のファンクもかなりダサいものになっていたと見ています。古くなり、見捨てられた音楽を使う目新しさは、必ずしも尊敬の念ではないというのが速水さんの考えです。
その例として挙げられるのが、カニエ・ウェストの最初期の曲です。チャカ・カーンの曲を早回しでサンプリングしていて、許可は取っていたのでチャカ・カーンにはお金が入ったものの、早回しとは聞いていないと少し怒っていたといいます。
速水さんは、事前に曲を聴かせてもらい「早回しなら使わせない」と言われていたら、その曲はお蔵入りしていたかもしれないと指摘します。既存の音を意外性のある使い方をするから面白いのであり、リスペクトが何割かあるとしても、それだけではないところが重要だという見方です。
リバイバルには「一度廃れること」が必要?
速水さんは、先週行った伊藤賀敏さんの新刊刊行イベントで、藤原ヒロシさんとの対談を聞いてきたと話します。そこで印象に残ったのが、リバイバルについての発言でした。
藤原ヒロシさんの話は、リバイバルが続く今の時代でも、一旦廃れるという前提がなければリバイバルは起きない、というものです。
速水さんは自分の世代の体験で補足します。1970年代の歌謡曲は1980年代末には一旦廃れ、カラオケボックスがブームになった1990年代頭の高校時代には、70年代の歌謡曲を歌う人は全然いなかったそうです。歌われていたのはBeing系やシャ乱Qなどで、歌謡曲はその後リバイバルし、今も続いています。
評価される
ある時代に人気を得る
廃れる
次の時代には「ないこと」になる
再発見
評価がゼロになったことで、以前とは違う部分にスポットが当たる
速水さんは、藤原ヒロシさん自身はどの時代でも重要人物とされてきた人なので「あんた廃れたことないでしょ」とツッコみつつも、いつの時代も評価され続けるものより、一旦評価がゼロになったもののほうが違う部分にスポットが当たることはある、と納得したそうです。
コピー機メーカーXeroxがカット・アンド・ペーストを生んだ1973年
速水さんは、元ネタを自由に切り貼りして使えるものにする発想は、コンピューターやデジタルの特性でもあると話を広げます。原稿用紙に手書きしていた時代には、テキストの一部を切り取って別の場所に貼り付けることは簡単ではありませんでした。
物書きになった瞬間からコンピューターの時代だった速水さんにとって、カット・アンド・ペーストは誰もが自然に身につけている操作です。ただしスマホの時代になると、インターフェースの特性からコピー・アンド・ペーストがしづらく、みんなスクショになっていったとも話しています。
コピー・アンド・ペーストは、クリップボード ── コピーしたデータを一時的に保存しておくメモリ領域。アプリをまたいでデータを受け渡すための仕組みとして、現在のパソコンやスマホにも備わっていますに一時的にデータを保存し、アプリの壁を越えて別のアプリで利用する機能です。速水さんによれば、これは1973年、速水さんが生まれた年に生まれています。
これは因果な話だなと思ったのが、1973年ってヒップホップと同じ年に生まれているんですよ。
しかも発明したのはAppleでもIBMでもなく、コピー機の巨大メーカーであるXeroxでした。速水さんは、コピー機屋さんがコピー・アンド・ペーストを発明したという点を面白がっています。
舞台はXeroxのパロアルト研究所 ── Xeroxがアメリカ西海岸に設けた研究所。マウスやGUIなど、パーソナルコンピューターの基礎となる技術を数多く生み出したことで知られますです。マウスもここで生まれ、Adobeの創業者もここの出身で、パーソナルコンピューターの歴史のスタート地点のような研究所だと速水さんは説明します。
コピー・アンド・ペーストの発明者とされるのはラリー・テスラーです。ただ速水さんが調べたところ、似たアイデアは多くの開発者が実装しており、ラリー・テスラーが生んだのは「クリップボード」という一時保存の方式やネーミングだったようです。
このポッドキャストもコピー・アンド・ペーストで作られている
速水さんは、この番組自体もコピー・アンド・ペーストで作っていると明かします。収録はスタジオではなく自分の部屋で、音楽制作ソフトのLogic Proにマイクをつなげて行っているそうです。
20分ほどのポッドキャストには、おそらく100箇所ぐらいの編集ポイントがあるといいます。「えーと」をカットしたり、つながりが悪いところに「で」をコピー・アンド・ペーストで持っていったり、前回の「評価登録お願いします」を貼り付けたりしているそうです。
なんか今もこうやってずっと喋ってるわけではなくて、ポイントポイントで切りながらめちゃめちゃ編集しながら作ってるんですよ。
ヒップホップの6つ目の要素は「カット・アンド・ペースト」
話はヒップホップの要素に戻ります。速水さんは、5つ目のファッションもDIYの精神も正しいと認めたうえで、6つ目として「カット・アンド・ペースト」という概念を加えてもいいのではないかと提案します。
速水さんがその根拠に挙げるのが、ヒップホップとテクノロジーの関係です。ロックンロールがエイトビートやエレキギターから生まれたとすれば、ヒップホップはダイレクトドライブ方式の2台のターンテーブルから生まれた、よりテクノロジーが生み出した音楽だといいます。
その途中から、デジタルサンプラーのMPCが登場します。速水さんの手元には、大島純さんが書いた『MPC IMPACT』書名表記という、テクノロジーの歴史とヒップホップの視点から書かれた本があるそうです。速水さんは、AKAIやRolandなど日本製の機材が大きな役割を果たしたことにも触れています。
速水さんが好きなDJは、QティップとDJプレミア ── ヒップホップデュオ、Gang Starrのトラックメイカー。細かく刻んだサンプルを組み直す手法で知られるプロデューサーですの二人です。DJプレミアは1966年、Qティップは1970年か71年ぐらいの生まれで、速水さんより少し上の世代にあたります。
2台のターンテーブルでレコードをつなぐ
1980年代後半に普及したMPCなどのサンプラーで、既存の音楽を切り貼りする
二人はレコードコレクターであり、ターンテーブルからMPCへ移ったデジタル移行期のアーティストでもあります。速水さんは、ヒップホップの歴史はクール・ハークやアフリカ・バンバータから語られがちだとしつつ、一番重要な時期はデジタル移行期だと考えています。
QティップとDJプレミア、切り貼りの流儀はどう違う?
速水さんは、A Tribe Called Questのドキュメンタリーで見た話として、ファーストアルバム制作時のエピソードを紹介します。Qティップはテイ・トウワさんの家で、テイ・トウワさんのレコードを元に「この曲のこれちょっとサンプリングして」という感じで作業していたそうです。
A Tribe Called Questのファーストは、ルー・リードやスティービー・ワンダーなど、誰でも知っていて誰でも持っているようなレコードのフレーズでビートを作っています。速水さんは、それが初期Qティップの特徴だと話します。
一方のDJプレミアは、「どっから持ってきたの?」と思うような音源を使います。小鳥のさえずりや牧師の説教のレコードのバックトラックなどを切り刻む「チョップ」という手法で、速水さんはこれを完全にカット・アンド・ペーストの手法だと捉えています。
ルー・リードやスティービー・ワンダーなど、誰でも持っている有名なレコードのフレーズを使う
小鳥のさえずりや牧師の説教など、マニアックで音楽とは限らない素材を切り刻む
二人のやり方は違っても、どちらも単純なリスペクトではないサンプリングだと速水さんは言います。二人ともレコードマニアで機材オタクであり、Qティップは日本の機材雑誌の増刊で特集され、デスクトップミュージックのマニアにも注目されている存在だそうです。
みんなね、ヒップホップっていうとマッチョな身体性っていう感じがするかもしれないんだけど、この世代というか、この二人に関してはそういうのが希薄なんですよね。
速水さんは改めて、ライム、トラック、ダンス、グラフィティの四大要素に、ファッションや起業家精神、そしてカット・アンド・ペーストを加えてほしいとまとめます。さらに冗談めかして、7つ目には親孝行も入ってくるのではないかと付け加えています。
商品化できなかったパロアルト研究所と、革命を運んだコピー機
最後に速水さんは、Xeroxのパロアルト研究所の話に戻ります。研究所からは重要な発明が数多く生まれ、ノートパソコンの原型となるダイナブック構想 ── アラン・ケイが提唱した、子どもでも使える個人向けの携帯型コンピューターの構想。のちのノートパソコンやタブレットの原型とされますを考えたアラン・ケイもそこ出身だといいます。
それでもXeroxは、研究所の成果を一つも商品化できず、全部他に持っていかれてしまいました。速水さんによれば、コピー機メーカーとして大成功していたため、個人向けコンピューターは普及しない、普及しても大したものにはならないと考えていたからです。
結果として、そこから出てきたAppleやMicrosoftがXeroxより大きな会社に成長します。速水さんはこれをイノベーションのジレンマ ── 成功している大企業が、既存事業を優先するあまり新しい技術への対応が遅れ、新興企業に追い抜かれてしまう現象。クレイトン・クリステンセンが提唱しましたの話だとし、詳しくは掘り下げませんでした。
速水さんの周りには昔のコンピューターを持つ人はいても、コピー機を持つ人はいないそうです。古いMPCがヒップホップのサンプラーとして価値を持っているように、アンティークのコピー機にもマニアがいるのではないかと想像しています。
八十年代末のジョージ・ソロスがハンガリーに送ったコピー機。これ有名な話でね、「東欧の革命ってコピー機によって生まれた」っていう。
速水さんは、ソロスがばらまいたとされるそのコピー機がハンガリーの博物館などに残っているかもしれず、手に入れているマニアもいるかもしれない、と話を締めくくっています。
まとめ
この回で速水健朗さんは、1973年にXeroxで生まれたカット・アンド・ペーストと、同じ年に生まれたヒップホップを並べ、どちらも「自由な切り貼り」と「テクノロジー」から生まれたものとして捉え直しました。サンプリングを単なるリスペクトとして美化せず、意外性のある使い方にこそ面白さがあるという視点が全体を貫いています。
- ヒップホップの要素は四大要素から増えており、速水さんは6つ目に「カット・アンド・ペースト」を加えたいと提案している
- サンプリングは先人へのリスペクトだけでなく、廃れた音を意外な形で使う目新しさに価値があると速水さんは考えている
- カット・アンド・ペーストはコピー機メーカーXeroxのパロアルト研究所で1973年に生まれ、MacやWindowsで普及した
- QティップとDJプレミアは、ターンテーブルからMPCへのデジタル移行期を代表するDJで、素材の選び方は対照的
- Xeroxは研究所の成果を商品化できず、AppleやMicrosoftに追い抜かれるイノベーションのジレンマを経験した

