フジテレビから消えた450億円は、どこへ流れたのか
速水健朗さんはこの半年ほど、雑誌やラジオ局の関係者から「最近ちょっとしたバブルになっている」という話をよく耳にするといいます。具体的な数字や規模はまったくわからないとしたうえで、背景にあるのはフジテレビをめぐる一連の問題、いわゆる中居問題だと受け止めています。
速水さんの見立ては、企業の広告予算は年間ごとに決められているため、フジテレビから広告を取り下げた企業の予算は別の媒体にスライドしているはずだ、というものです。フジテレビが失った広告収入は、推定で450億円ほどになると速水さんは考えています。
これなんかね、徳川埋蔵金みたいな話ですけど、その出向(広告費)がどこに向かってるんだと。
広告費の行方は多くの人が気にしているはずなのに、「実は」という具体的な話はほとんど表に出てこない、と速水さんは指摘します。速水さん自身も数か所の知り合いから話を聞き、「ちょっとしたバブルだね」と受け止めているそうです。
崩壊寸前の職業になったライター
速水健朗さんは最近、自分がライターを名乗っていいのか迷っているといいます。物書きであり本も書いているものの、ライターという職業が、うまくいっていない職業の代表になりすぎていると感じているからです。
ライターのギャランティー、いわゆる薄給問題はSNSで盛り上がっていました。速水さんは、何年も前から繰り返されてきた話ではあるものの、年々切実さが増しているのは間違いないと語ります。
ここで速水さんは、冒頭のフジテレビの話とライターの話をつなげます。既存のメディア業界は基本的に広告で収益を上げていて、雑誌も売上の中で広告の比重が大きかったからです。
速水さんによれば、雑誌広告の市場規模はおよそ1000億円で、それもこの10年で半減した数字です。ラジオ広告もおよそ1000億円の市場だといいます。
雑誌やラジオの広告市場の半分ほどにあたる額が、どこかにポンと増えている可能性がある、という話になります。速水さんはこれを「すごい夢がある話」としつつ、あくまで思考実験として考えてほしいと前置きしています。
5大全国紙が1紙も潰れないのはなぜ異常なのか
フジテレビの広告費の話から速水健朗さんが思いついたのは、新聞業界の人がよく口にする話です。日本には大手の5大全国紙があり、部数は減り続けているにもかかわらず、1紙たりとも潰れていません。
速水さんは「潰れてざまあみろ」という話ではないと断ったうえで、これはちょっと異常な事態でもあると見ています。部数が減るなかで5紙が生き残るため、競争はどんどん苦しくなっているからです。
実際に新聞紙、大手の全国紙が1紙潰れたら何が起こるか。これ、残った4社の経営が楽になるっていうことなんですよ。
新聞業界では、人口1億人の規模で5紙は多すぎる、と昔から言われてきたそうです。誰もが新聞を読んでいた60〜80年代ごろまでは5紙が適正だったかもしれず、新聞を読むことは日本人の一般常識だった、と速水さんは振り返ります。
新聞が1紙潰れれば、その1紙分の読者と広告収入が分散してほかの媒体にスライドし、適正な競争に近づくのではないか、という考え方です。速水さんは、本当かどうかはわからないものの、確かにそうなることは間違いないだろうと話します。
ただ、自分たちの媒体が潰れるのは困るので、新聞業界はある種のデスゲーム状態になっていると速水さんは表現します。どこか1紙が潰れれば自分たちは10年、ひょっとしたら20年延命できるかもしれない、という話が業界ではずっと語られているそうです。
ライターのギャラは、なぜ上がらないのか?
新聞業界の話を受けて、速水健朗さんはライターのギャラ安すぎ問題に戻ります。基本は需要と供給で価格が決まっている、というところに立ち返らないといけない、というのが速水さんの出発点です。
速水さんによれば、新聞と同じように雑誌の数はみるみる減っていて、業界が痩せ細っているのも間違いありません。その一方でライターの数は減っておらず、そのために過当競争 ── 同じ市場に企業や働き手が多すぎて、価格を下げ合うなど利益の出にくい競争が続く状態のことですが起こっていると速水さんは見ています。
雑誌の数が減る
業界が痩せ細り、仕事の総量が小さくなる
ライターの数は減らない
書き手の供給が多いまま残る
過当競争が起こる
供給過多で価格が下がる圧力がかかる
ギャラが上がらない
実態としては「下がる」より「まったく上がらない」
解決策ってそのTwitterの議論ではほぼ出てこなかったけど、ライターの数を減らせばいいっていうはっきりとした答えはあると思うんですよね。
ただし速水さんは、数は本来、市場の調整機能で自然に減っていくものだとも話します。無理やり減らせとはもちろん言えず、こうやって苦しい状況になっていくのだ、という見立てです。
コロナ禍で減ったタクシーが教えること
速水健朗さんは、自分の業界の話をしたいわけではなく、どういう状況で価格が適正化されるのかを考えたいとして、タクシー業界の例を挙げます。コロナ禍で、タクシー業界で生きていける乗務員の数は激減しました。
速水さんによれば、タクシーの乗務員が減った理由はいくつかあります。いつ復活するかわからず食えなくなったため早めに転業した人が多く、もともと高齢化していたなかで、70歳を超えていた人などが「いいタイミングだ」と廃業したケースもかなり多かったそうです。
コロナ禍が終わって客足はある程度戻ったものの、飲み会が減ったこともあり、元の市場規模を完全には取り戻していません。それでも乗務員の数が減ったことで、一人当たりの売上は明らかに増えたと速水さんは話します。
乗務員が多く、競争が厳しい
乗務員が減り、市場規模は戻りきらないものの一人当たりの売上が増えた
自動運転やAIロボットタクシーの今後は抜きにして、速水さんがここで強調するのは、そこにいるプレーヤー数で賃金は変わるという点です。業界自体が下り坂か上り坂かに関係なく、人数が絞られれば適正競争に近づくということです。
そこから速水さんは、少し皮肉めいた見方も示します。ライターが「食えない、食えない」と言っているのは、参入が減ったり脱落者が増えたりすれば自分たちのギャラが上がると知ったうえで騒いでいる可能性もある、というものです。
原稿用紙1枚1000円の論壇誌が回る理由
速水健朗さんがもう一つ挙げるのが、安い論壇誌の話です。Twitterで話題になっていたのは、詩と批評の雑誌『ユリイカ』の原稿料でした。
速水さんによれば、『ユリイカ』は世間の相場の5分の1ほど、400字詰め原稿用紙 ── 日本の原稿料の伝統的な単位で、ライターや作家への支払いは「1枚あたりいくら」で計算されることが多いです1枚1000円という価格で書かせています。20〜30枚ほどの長い原稿を書けるので重宝する人もいるものの、2〜3万円の原稿に1週間かかるなら食えない、と速水さんは話します。
なぜ安いまま回るのかについて、速水さんの答えは単純です。ここで書いている人の多くが、大学や研究機関から給料をもらっている書き手だからです。
研究者の人たち、ちょっと敵に回してしまうところがあるので、そうじゃないよね。その足元を見て出版社側が安いギャラを払っている。
速水さんの見方では、長い原稿には本来、資料費や取材費がかかります。研究途中の成果を出してもらう形なら、その費用は研究機関が出していることになり、別の財布に資料費を出させているから成立している雑誌だ、というのです。
その結果、専業で物を書いて食べている人ほど、こうした場では書けば書くほど食えなくなり、フリーの書き手は育たないと速水さんは話します。大学には公的な助成金が入っているため、民間メディアの市場で補助金を持つ人と戦うのはフェアとは言いにくく、「プチ民業圧迫」のようだとも表現しています。
noteや個人直販に夢を持ちすぎていないか?
一方で速水健朗さんは、10年ほど前から当たり前に語られてきた議論にも触れます。noteやYouTube、文学フリマ ── 個人や団体が自作の文学作品を直接販売する同人誌即売会です。書き起こしでは「ぶん振り」と聞こえる箇所で、表記は文学フリマのように、書き手が読み手と直接つながって中抜きなしで商売できる、という考え方です。
ダイレクトに読み手と書き手をつなぐ新しい経済だと主張する人たちに対し、速水さんはかなり疑問があるといいます。その理由は、規模の経済を無視しすぎているという点です。
速水さんによれば、メディア企業だけでなく、書店や取次、製本、印刷、製紙業といったサプライチェーン ── 原材料の調達から製造、流通、販売までの一連のつながりのことですの規模が大きいから、新書が1000円ほどで並んでいます。全体の単位が増えるほど、一個当たりの価格は安くできるからです。
noteで書くライターや独立系書店は、その大手の仕組みから抜けたオルタナティブ ── 主流に対する「もう一つの選択肢」という意味の言葉ですとして注目されています。しかし速水さんは、規模の経済抜きの本の価格はもう高くなっていると指摘します。
あれ紙(の本)が高くなってるのって原材料が高くなってるからじゃなくて、もう規模の経済が働かなくなってきているからなんですよ。
速水さんは、小さな書店を経営したい人にとっては選択肢としてありで、そういう書店は応援していいとも話します。ただ、業界全体や物書きとして、そこにあまりにも希望を持っている人が多すぎるので皮肉を言いたくなっている、という立場です。
さらに、自分の名前だけで売っていくなら、インフルエンサーと勝負しなければならないと速水さんは続けます。ネット上の振る舞いやコミュニケーション能力まで求められ、ものを書いているだけでは食べていけない状況は、すでにそうなりつつあるといいます。
書店・取次・印刷・製紙までの規模が大きく、スケールメリットで新書を1000円ほどにできる
中抜きなしで注目されるが、規模の経済が働かず価格が上がり、書き手はインフルエンサーと競うことになる
ナイキの失速と、ダイレクト販売の落とし穴
速水健朗さんはまったく関係ない業界の話として、ナイキがブランド力を落とし、業績を急落させていることに触れます。ほんの2〜3年前まで、ナイキはスニーカーブームの頂点にいました。
速水さんによれば、ナイキは小売店を通さず自社のウェブページで直売するダイレクトマーケティング ── メーカーが小売店などの仲介を通さず、消費者に直接販売や宣伝を行う手法のことですを強化しました。すると、人気モデルを回してもらえない小売店は、ほかの商品を店の中心に置いてプッシュするようになったといいます。
直販を強化
自社ウェブでの販売を強くする
小売店が離れる
人気モデルが回らず、他社商品をプッシュする
他ブランドが台頭
On、サロモン、アシックスなどが流行る土壌ができる
ナイキがジリ貧に
小売店に戻ろうとしても信頼されず、商品も売れない
その結果、Onやサロモン、アシックスのようなブランドがガンガン流行る土壌ができてしまったと速水さんは話します。ナイキはいまさら小売店と仲良くしようとしても信頼されておらず、ジリ貧になっているそうです。
速水さんは、ナイキの失速はダイレクトマーケティングだけが原因ではないと断りつつ、この10年の流行りだった直販が失敗をもたらす例として挙げています。徳川埋蔵金からタクシー、ナイキまでを使ってライターのギャラ問題を多角的に捉えようとしたものの、「見事に収拾がつかなくなっています」と笑い交じりに認めています。
本と書き手が多すぎる業界は、適正化を待てるのか
話の締めくくりとして、速水健朗さんは本の業界に必要なものを語ります。新しい人や新しい知見が入ってきてイノベーションが起こり、「こんな面白い本があるんだ」という状況は維持する必要がある、というのが前提です。
ただし速水さんは、業界が縮小しているのに出る本の点数は増えていて、それがジリ貧につながっていると指摘します。一方で、新聞が1紙減ればという話と同じように、雑誌の数は減りつつあり、安定経営になっているところもあるそうです。
そこで速水さんは、時間をかけて減っていくのを待ち、ライターの数も含めて適正な競争に近づいていくことを期待していると話します。ただ、その期待を持ち始めてから、もう10年ほど経っているといいます。
また10年待つのは結構つらいな。
いや、笑い事ではなくね。
よければ仕事ください。
まとめ
速水健朗さんは、フジテレビから消えた広告費の行方という思考実験から出発し、新聞、タクシー、論壇誌、個人直販、ナイキの例を通じて、ライターの原稿料が上がらない理由を需要と供給の観点から語りました。業界の縮小よりも、そこにいるプレーヤーの数が賃金を左右するという見方が全体を貫いています。
- フジテレビが失った推定450億円の広告費は、雑誌やラジオ広告の市場規模の半分ほどにあたり、どこかにスライドしている可能性がある
- 新聞もライターも、市場が縮むなかで数が減らないことが過当競争を生んでいると速水さんは見ている
- コロナ禍で乗務員が減ったタクシー業界では、一人当たりの売上が増えた
- 研究者が安く書く論壇誌や、規模の経済を欠いた個人直販は、専業の書き手が食べていく道になりにくい
- 速水さんは適正な競争に近づくのを10年ほど待っているが、さらに10年待つのはつらいと語った



