パソコン誌の編集者はどこから始まった?
速水健朗さんは、ポッドキャストを毎週更新するようになって聴かれ方が少し伸びてきたことをきっかけに、自分のライターとしてのキャリアを初めてまとめて話すことにしました。興味のない人は聴かなくていい、という前置き付きです。
(ライター・編集者としての仕事は)本当にWikipediaとかでもあるんですけど、僕しか知らないんですよ。なので、ちょっと手早くいきますよ。
速水さんは21歳から29歳ごろまで、アスキー ── パソコン雑誌やソフトウェアで知られた出版社。『週刊アスキー』などを発行し、日本のパソコン文化を支えましたで主に雑誌を作っていました。担当したのは『KPX』『ICON』、そして1997年に再創刊された『週刊アスキー』です。
アスキー最後の2〜3年は、インターネットラジオの社内ベンチャーの立ち上げに携わりました。速水さん自身は、それを「早すぎたインターネットラジオ」と振り返っています。
この企画がうまくいかずに会社を離れたあとも、速水さんはフリーとしてアスキーに関わり続けました。2002年ごろはまだ雑誌が好調で、インターネットの専門誌がいくつも創刊されていた時代です。
2000年代の速水さんは、専門誌での業界分析やブログの事例紹介などを手がけるライターでした。ウェブメディアの運営も自分で手がけていたといいます。
「ごたんだ6」の名前と、グラビアアイドルの番組
速水さんのTwitterのアカウント名「ごたんだ6」は、ブログ時代に使っていたはてなダイアリー ── はてなが提供していたブログサービス。2000年代の日本のブログ文化を代表する場の一つで、現在ははてなブログに移行していますのIDから来ています。さらにさかのぼると、そのIDの由来は2000年ごろに出演していたテレビ番組にあります。
その番組は、グラビアアイドルと麻雀を扱うCS局「モンド21」で放送されていたゲーム番組です。速水さんは仕事の延長で出演することになり、金髪のかつらに眼鏡と白衣という姿で、初期のファミコンゲームを解説する「五反田教授」という博士役を演じました。
(五反田教授という名前は)まあその撮影場所が五反田だったっていうだけの話なんですけど。
この番組の初代アシスタントは栗生みくさんで、当時モンド21で抜群の人気がありました。その人気もあって、五反田教授のコーナーは独立した特番として何度も作られたといいます。
さらに、このコーナーの2代目アシスタントは小倉優子さん、3代目は若槻千夏さんでした。2人とも出演中にブレイクして卒業していったそうです。
一応出身番組みたいなことでいうと、僕が送り出している形。
コーナーは「ゲーマーズグルーヴ」という番組から独立した「五反田教授のゲーム考古学研究所」だったと記憶されています。2人の公式プロフィールには残っていないだろう、と速水さんは話しています。
攻殻機動隊の解説は、なぜ「いい仕事」だったのか
2002年ごろにフリーになった速水さんが、重要だった仕事として挙げるのが『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の関連書籍です。神山健治監督のこのシリーズでは、DVDのオフィシャルログが2冊出ていて、速水さんはそのうち1冊の解説を担当しました。
速水さんの解説は、アニメそのものよりも作品の背景を掘り下げる内容でした。作品のベースになっているグリコ・森永事件 ── 1984〜85年に起きた食品企業への脅迫事件。犯人が報道機関へ挑戦状を送りつけ、劇場型犯罪の代表例とされます。未解決のまま時効を迎えましたを手がかりに、その現代版としての劇場型犯罪を解説しています。
昭和の事件史とテクノロジーが結びつく題材だったため、速水さんは自分の関心にも合う、とてもいい仕事だったと振り返っています。
同じころ、速水さんは『ボウリング・フォー・コロンバイン』や『アトミック・カフェ』といった映画のパンフレット編集も手がけていました。これは同じ編集プロダクションのチームに入れてもらっていた仕事だそうです。
匿名のアルファブロガーが、名前を出してしまった日
2003年ごろからブログブームが来ます。速水さんは「犬にかぶらせろ」というブログを運営していて、アルファブロガーとして表彰されたこともありました。
アルファブロガーは、まだ「インフルエンサー」という言葉がなかったころに使われた呼び名です。速水さんによると、はあちゅうさんもアルファブロガーのコンテストでグランプリをとっていて、速水さん自身も別の年に何かの賞を受けたといいます。
速水さんは本名を出さずにブログを書いていたので、当時のブログ仲間からは「犬カブさん」と呼ばれていました。そのブログは事情があって、今は残っていません。
アルファブロガーつってもそんなに別に影響力はなかったと思うんですけど、自分のライターとしてのきっかけは当然ブログで。
転機は2005年ごろ、雑誌『ユリイカ』のブログ特集でした。速水さんは匿名のブロガーとして参加したのに、編集のミスで「速水健朗」という本名が載ってしまいます。偶然名前が出てしまったことが、自分の本を出すきっかけになりました。
名前が出たことをきっかけに、速水さんは本を書き始めます。初期の3冊は、それぞれ違う方向の仕事へつながっていきました。
『タイアップの歌謡史』
最初の本。CMソングの歴史をまとめた
『自分探しが止まらない』
同世代の自己啓発カルチャーを書いた。取材して書くノンフィクションの足がかりに
『ケータイ小説的。』
中森明夫さんや東浩紀さんが書評を書き、評論家的な仕事につながった
『自分探しが止まらない』は、雨宮処凛さんや赤木智弘さんが出てきて、プレカリアート ── 不安定な雇用で働く人々を指す言葉。「不安定な」と「プロレタリアート」を組み合わせた造語で、2000年代後半の日本で広まりましたやロスジェネ ── バブル崩壊後の就職氷河期に社会に出た世代を指す「ロスト・ジェネレーション」の略という言葉が広まった時代の本です。速水さんは大きく売れた本ではないとしつつ、名刺代わりになったと話しています。
『ケータイ小説的。』のタイトルは、平岡正明さんの著作をもじって編集者が付けたものです。この2冊はほぼ同時期に出ていて、2008〜2009年ごろの刊行だそうです。
新書が主要紙の書評に並んだ『ラーメンと愛国』
速水さんが自分の転機になった仕事として挙げるのは、講談社現代新書の『ラーメンと愛国』です。もとはブログで書いた冗談のような疑問から生まれた企画でした。
ラーメンは中国由来なのに、なぜ国民食になったのか。なぜ人は行列を作るのか。速水さんは、こうした疑問を真面目に本にしました。
この本が、なんか自分で言うのもなんですけど、新書なのにね、主要4紙、新聞紙の書評欄に取り上げられるっていう快挙。
速水さんにとって、『ラーメンと愛国』は代表作になりました。この本が出た前後には、テレビやラジオのコメンテーターに世代交代が起きていて、ネット世代・ブログ世代の書き手が呼ばれるようになっていました。
同じ時期に出てきたのが、友人の津田大介さんや、少し下の世代の荻上チキさんです。速水さんは、自分は津田さんや荻上さんが断った仕事をもらうくらいの立ち位置だったと話しています。
ニュースとかかわるきっかけになったのは、2012年ごろのNHK『NEWS WEB 24』です。津田さん、『僕は君たちに武器を配りたい』の瀧本哲史さん、古市憲寿さん、木村俊介さんらが、曜日違いでコメンテーターを務めていました。
速水さんは、ピーター・ティールを10年ほど前に日本へ紹介したことを瀧本さんの業績に挙げています。メディアのレギュラーでは、今も続く『文化系トークラジオ Life』から始まった仕事も大きかったそうです。
東浩紀と菊地成孔を引き合わせたのは誰か
速水さんと東浩紀さんの関係は、『週刊アスキー』での仕事から始まりました。速水さんは、東さんが清水亮さんや桜坂洋さんらと進めていた未来予測小説の企画ギートステイトで、講談社のサブ企画である毎週の座談会を担当していました。
その後、東さんの雑誌『思想地図β』の立ち上げで、速水さんはショッピングモール特集と音楽特集にかかわります。注目されたのはショッピングモール特集でしたが、速水さんは音楽特集も重要だったと考えています。
音楽特集は、菊地成孔さん、渋谷慶一郎さん、東浩紀さん、司会役の佐々木敦さんという顔ぶれでした。この座組で菊地さんを推したのは、編集を担当していた速水さんです。
東さんが音楽特集をやろうとしたのは、「批評の死」が言われ始めたころ、音楽批評はどうなっているのかという関心からでした。当時は菊地さんと大谷能生さんの著作がベストセラーになっていたことも、ブッキングの背景にあったといいます。
東さん界隈と菊地成孔界隈って全然接点がなかった。それをくっつけるみたいな趣旨って斬新だったと思うんだけど。
ちょっと思い出しておかないと、実は言い出したの速水だよねっていう奴がいないので言っておきます。
同じころ、速水さんは磯部涼さんと音楽批評についてのイベントを開いたり、複数のライターで書いた『バンド臨終図巻』の編集・執筆にかかわったりしていました。音楽雑誌『snoozer』が終わり、ストリーミングが出てくる直前の、音楽配信が変わっていった時代です。
津田さんとは「夜のプロトコル」という勉強会イベントも開いていました。テック系の人たちとカルチャー系のライターを結びつけるもので、速水さんが言い出しっぺになり、7〜8回ほど開催したそうです。
ニュースのアンカーが「向いている」と感じた理由
その後、速水さんはフジテレビがウェブチャンネル「ホウドウキョク」に力を入れていた時期に、『あしたのコンパス』で3年ほどニュースアンカーを務めました。ほかの曜日は三浦瑠麗さんや古市憲寿さんらが担当していました。
そのころには、TOKYO FMの『タイムライン』も始まっていました。速水さんは、ニュース番組の司会者の役割は、専門家にインタビューして話を聞くことだと説明しています。
僕は自分の仕事の中で割と楽しかった、向いているなと思っている仕事は割とニュースのアンカーです。
フジテレビ、『タイムライン』、スロニューと続けて、速水さんは7〜8年ほどニュースのアンカーをしていた計算になるといいます。TBSの朝の番組などでコメンテーターも務めましたが、自分はコメンテーターとしてはそれほど優秀ではなかったとも話しています。
コメンテーターには3つのタイプがある?
速水さんは、コメンテーターの役割には2〜3種類があると整理しています。視聴者の代わりに話す素人役と、自分の専門の知見を番組に加える人、そして速水さん自身に求められていたタイプです。
| タイプ | 役割 | 速水さんが挙げた例 |
|---|---|---|
| 視聴者の代弁者 | 視聴者の側に立ち、素人役として話す | 『ゴゴスマ』の出演者 |
| 専門家 | 自分の知見で話を混ぜ返し、番組に加える | 落合陽一さん、八代弁護士 |
| コミュニケーター | 視点を出し、専門家や取材者に質問する | 速水さん自身 |
速水さんに求められていたのは、その場の議論を動かす役割でした。「こういう見方もあるんじゃないか」と示したうえで、専門性の高い人に質問を投げかけます。
僕自身はコメンテーターってコミュニケーターだと思って、まあ視点を提供する。
今もときどき出演している『ABEMA Prime』では、速水さんはゲストとのつなぎ役を務め、質問を膨らませています。この役割は自分がやりたいコメンテーター像に近く、やっていて楽しい仕事だと話しています。
本業は本を書くこと。ポッドキャストはその「プレゼン」
速水さんの今のメインの仕事は、本を書くことです。このポッドキャストも、去年すでに書籍版『これはニュースではない』として本になっています。
前書きも後書きも帯もないっていうね。「何者だよ」っていうツッコミしかない本なんですけど。
僕の初めてのエッセイ集、そして最大の自信作、そして自分の人生の中で一番部数が少ない本なので、ぜひ買ってください。
速水さんは、代表作は『ラーメンと愛国』だとしたうえで、それ以降でいちばん売れた本は『東京どこに住む?』だと話しています。ポッドキャストには、物書きとしての自分を伝え直す、リブランディングの面もあるといいます。
『東京どこに住む?』は東京論・都市論の本で、取材ものでもあります。家賃が高く部屋が狭くても、テック系の業界の人たちはなぜ都心の、人の近くに住むのか。速水さんはその理由を突き詰めて書きました。
この本の裏テーマは、東京の東と西はまったく違う都市だということです。速水さんは、日本の中の見えない分断を書くことが、ライターとしていちばんの関心事だと語っています。
最後に速水さんは、このポッドキャストを聴いて本を1冊読んでみようという人には『東京どこに住む?』を勧めたい、と話して回を締めくくりました。
まとめ
速水健朗さんのキャリアは、パソコン誌の編集から始まり、匿名ブログ、著作、ニュースのアンカーへと広がってきました。その中心には、本を書くことと、社会の見えない分断への関心があります。
- アスキーで雑誌編集に携わり、フリーとしてネット系専門誌やブログ事例の仕事をしていた
- 匿名のアルファブロガー「犬カブさん」だったが、『ユリイカ』で本名が出たことが著作への入口になった
- 『ラーメンと愛国』が代表作になり、コメンテーターやニュースアンカーの仕事につながった
- 速水さんは、コメンテーターを視点を出して専門家に問いかける「コミュニケーター」ととらえている
- 本業は本を書くことで、ライターとしていちばんの関心は『東京どこに住む?』で書いた都市の分断にある


