若者とおばさんが殺し合う小説『昭和歌謡大全集』とは?
村上龍の小説『昭和歌謡大全集』は、若者たちのカラオケグループと中年女性たちのカラオケグループが、互いにメンバーを1人ずつ殺していくという荒唐無稽な物語です。
『昭和歌謡大全集』の若者グループは、イシハラ、ヤノ、ノブエといったカタカナ名の20代で、いつもノブエのアパートに集まって昔の歌謡曲を歌っています。対するおばさんグループは「ミドリ会」と呼ばれ、全員がミドリというファーストネームを持つ40歳前後の女性たちです。
速水さんによれば、『昭和歌謡大全集』は松田翔太主演で映画化もされた作品ですが、同じ1994年に出た『五分後の世界』などに比べると、村上龍の代表作として挙げられることは多くないといいます。
僕はすごいね、1位か2位、オールタイムベストの中のにしてもいいぐらい大好きな小説で。
1994年当時、速水さんは20歳で、一番小説を読んでいた時期でした。好きな作家は断トツで村上龍だったといいます。
これね、1994年3月の発売で、発売日当日に下北沢の書店で買っているっていうのまで覚えてます。
ノブエという名前は誰から取られたのか
速水さんは、『昭和歌謡大全集』が山田風太郎の甲賀忍法帖 ── 山田風太郎の忍法帖シリーズ第1作。伊賀と甲賀の忍者が10人ずつ選ばれ、互いに殺し合う設定で知られ、後の多くのバトル作品に影響を与えましたの方式を下敷きにしていると説明します。伊賀と甲賀の忍者10人ずつが1人ずつ殺し合う構図を、現代の若者とおばさんに置き換えたのが『昭和歌謡大全集』だという見立てです。
そのうえで速水さんは、登場人物ノブエの名前の由来が、東京FMで村上春樹の番組村上RADIOを手がけたプロデューサー、延江浩さんだと明かします。この事実は、ラジオ業界の人たちでもほとんど知らないといいます。
速水さんが延江さんに初めて会ったのは、自分のラジオ番組のゲストとしてでした。延江さんの著書『愛国とノーサイド』は、70年代のいわゆるシティポップの担い手たちが東京生まれの私立高校出身者だったことなどを描いた本で、速水さんが延江さんの本で最も繰り返し読んでいる代表作だそうです。
7、8年前、速水さんは東京FMの夜のニュース番組「タイムライン」で著者インタビューの枠を担当していました。『愛国とノーサイド』を読んだ直後に著者を呼ぼうとディレクターに提案すると、意外な展開になります。
そしたらそのディレクターが「あ、はいはいはい、延江さんですね」って言って、そのままね、下のフロアからその延江さんを呼んできて。
延江さんは東京FMの社員だったのです。速水さんはそれをまったく知らなかったといいます。その後、速水さんは朝の番組「クロノス」の金曜日を担当しますが、延江さんはそのクロノスのプロデューサーでもありました。
「のぶりん」という呼び名は、クロノスに出演していた高島アリエさんがそう呼んでいたのを、速水さんも真似したものだそうです。
10年越しで気づいた「ノブエ=のぶりん」
速水さんは「タイムライン」から約10年、東京FMのレギュラー出演者でした。その間、延江さんは数々の番組を企画して賞を取り、速水さんとは年に1回ほど局内でばったり会う関係だったといいます。
速水さんの番組の打ち上げに延江さんが来てくれたり、局内のレストラン「ジェットストリーム」で他の出演者と飲んだりしたこともあったそうです。延江さんは15歳ほど年上で、友達というより「仲良しのスタッフぐらいの関係」だったと振り返ります。
『昭和歌謡大全集』のヤノやイシハラの名前も、新潮社や幻冬舎の担当編集者から取られています。当時の村上龍が周囲の親しい人の名前をいたずら感覚で使ったもので、人物像を似せているわけではないと速水さんは説明します。
イシハラやヤノにモデルがいることは知っていた速水さんですが、ノブエが誰なのかはわからずにいました。延江さんと知り合って2、3年経ったある日、突然気づいたといいます。
あれ?ノブエってのぶりんじゃん」って急に気が付いた。
速水さんが延江さん本人にLINEで確かめると、「ああ、そうなんだよ」と返事が来ました。幻冬舎の文庫版『昭和歌謡大全集』には延江さん自身が後書きを書いていて、当時の村上龍との付き合いがつづられています。
何もない殺し合いが描いた1994年の日本
速水さんは、1994年の日本を「イージーモード」の時代だったと表現します。バブルは崩壊していたものの、一般には「はじけてよかったね」程度の受け止めで、大不況が続く意識も、日本が下り坂に差し掛かっているという感覚もなかったといいます。
そんなこと村上龍ぐらいしか本当思ってなかったんですよね。
『昭和歌謡大全集』の若者たちは、夢中になるものがコンピューターとナイフという20代で、速水さんは今の言葉でいえば「弱者男性」に近い層だと見ます。一方の中年女性たちは、高度成長期をぬくぬくと生き、子育ても一段落した悠々自適の40歳前後です。
20代。夢中になるものはコンピューターとナイフ。今でいう弱者男性に近い層
40歳前後。高度成長期をぬくぬく生き、子育ても一段落して悠々自適
速水さんは、この2つの層には殺し合う理由がまったくないと指摘します。伊賀と甲賀の忍者には掟や競争、悲しい物語が背後にありますが、『昭和歌謡大全集』の殺し合いには何もありません。
速水さんの読み解きでは、殺し合いの空洞こそが当時の日本の姿であり、何も生み出さない人たちが殺し合う構図に村上龍らしさが詰まっているといいます。
延江さんは80年代に東京FMに入り、先輩と一緒に村上龍に会いに行ったことが文庫の後書きに書かれています。のちに村上春樹の番組も手がけた延江さんは、2人の村上と仕事をした人物で、速水さんはそれだけでも名プロデューサーぶりがわかると語ります。
延江さんの死去は3日前ほどに「名プロデューサー死す」と報じられ、67歳でした。見た目が若かったため、速水さんはもう少し下だと思っていたそうです。
速水さんは「タイムライン」「東京スローニュース」「クロノス」と番組が終わるたび、企画会議で呼びたいビッグゲストを聞かれると、真っ先に村上龍の名前を挙げていました。延江さんのコネクションに期待してダメ元で打診したこともありますが、実現はしなかったといいます。
コロナ禍の生放送で起きた「訂正」騒動
ここからは「本当にここだけの話」として、2020年の出来事が語られます。速水さんはコロナ禍に始まった東京FMのニュース番組「東京スローニュース」を担当しており、番組は1年で終わりました。
「東京スローニュース」の開始直後はコロナ初期で、スタジオが入室禁止になり、速水さんは自宅から生放送していました。その時期、番組プロデューサーが病欠し、延江さんが一度だけ代理で入った日がありました。
その日、速水さんの発言が問題になり、局の偉い人が放送ルームに飛び込んできたそうです。曲の最中に、延江さんから連絡が入りました。
(延江さんから)「速水くん、さっきの発言を生放送中に訂正してくれ」っていう風に言われたんですよ。
生放送の出演者はディレクターの指示で動くのが基本で、プロデューサーが直接指示するのは普通ないことだと速水さんは説明します。上からの命令でただ事ではないとわかる一方、「現場の独立性を無視して」という反発心もなかったわけではないといいます。
背景には、テレビ朝日のアナウンサーが発熱したまま出社して炎上した件と同様のことが、東京FMでも起きたという事情がありました。局がリリースを出し、速水さんも番組で状況を話したため、上層部が放送を聞いていたのです。
社内の出来事
東京FMでも発熱した社員の出社が起き、局がリリースを出す
番組での発言
速水さんが「熱があったのに出社した社員」として状況を話す
上層部の介入
局の偉い人が放送ルームに飛び込み、代理の延江さんに訂正を指示
訂正メモ
「熱はなかったと訂正」とのメモが送られるが、速水さんは読めなかった
A4びっしりの丸文字メモが残したもの
速水さんは、延江さんが4月6日に亡くなったというニュースを見て、あの手書きメモをPCに保存したことを思い出しました。ハードディスクを探し、生放送中には読めなかったメモを初めてちゃんと読み返したといいます。
残り番組多分数十秒しかない、そのタイミングで読むものとして、A4びっしり、無理だったんですよね、そもそもね。
メモには一生懸命書き直した跡も残っていました。速水さんが驚いたのは、その文字が60代男性のイメージとは真逆の、80年代の丸っこい少女文字だったことです。
一度きりの代理だったにもかかわらず、延江さんは打ち上げにも来てくれました。そこで話したのが、直接会った最後だったのかもしれないと速水さんは振り返ります。板挟みの一件を笑い話にする機会もないまま、延江さんは亡くなりました。
「僕が知っている名プロデューサー死す」じゃない側面とかもね、なんか残せたらいいなと思ってちょっと喋ってみました。
「名プロデューサー」と「憎めない小物感」は同居する
速水さんの知る延江さんは、若いスタッフからは偉い人に見えていた一方で、いい意味での「小物感」がある人でした。偉ぶっているのに憎めない愛嬌があったといいます。
数々の実績と賞を持つ「名プロデューサー」
偉ぶっているが憎めない愛嬌があり、丸文字のメモを必死に書く人
実績のある大プロデューサーであることは確かでも、それだけで人生はまとめきれない、と速水さんは語ります。その乖離をポッドキャストで話すことが今回の試みでした。
大物と小物が同居しているって、僕はすごい村上龍の小説の登場人物っぽくて。
速水さんは、村上龍作品のあちこちに延江さんがモデルになった話があるのではないかと想像します。そして、あの生放送のトラブルを一度サシで飲みながら話したかったと語ります。
「なんであんなメモをあんなこの丸文字で書いてるんですか?」っていう風に突っ込んでたなっていう風に思います。
最後に速水さんは、村上春樹の番組のプロデューサー延江浩さんが『昭和歌謡大全集』のノブエのモデルだという事実を、今は語る人が少なくなった中で改めて伝え、回を締めくくりました。
まとめ
速水健朗さんは、愛読する『昭和歌謡大全集』の登場人物ノブエと、東京FMのプロデューサー延江浩さんとのつながりを軸に、報道の肩書きには収まらない延江さんの素顔を語りました。
- 『昭和歌謡大全集』のノブエの名前は、村上龍と親交のあった延江浩さんから取られている
- 速水さんは、理由のない殺し合いという空洞に1994年の日本の姿を読み取っている
- 延江さんは村上龍と村上春樹の両方と仕事をした名プロデューサーだった
- コロナ禍の生放送で届いたA4びっしりの丸文字メモに、偉ぶっていても憎めない人柄が表れていた



