グラミー賞で、なぜビリー・アイリッシュの発言ばかりが話題になるのか
速水健朗さんはこの回を、「みんな政治のことが好きすぎるだろう」という感想から始めます。きっかけは月曜日の朝に行われたグラミー賞の授賞式でした。
日本ではWOWOWが授賞式を放映してきましたが、速水さんによると、来年からはCBS制作ではなくなるらしく、放映権がほかへ移る可能性があります。ここ十数年見てきた座組がなくなるのは少し寂しい、と速水さんは話します。
速水さんが気になったのは、ニュース番組やSNSでの取り上げられ方です。注目が集まったのは、ビリー・アイリッシュがスピーチで「ICE(移民税関捜査局)」に向けて放った言葉ばかりでした。
歌ってないビリーアイリッシュにしか注目がいかねえんだっていう、結局みんな音楽がそんなに好きではなくて、政治だけが好きなんだなっていうことに寂しさを覚えたり。
速水さんはビリー・アイリッシュの発言そのものを否定しているわけではありません。授賞式全体がそうしたムードだったので、それくらいは言うだろう、という受け止めです。
速水さんが注目したのは、冒頭の「APT.」のパフォーマンスでした。コールに近い曲を大きくアレンジしてロック調で格好よく演じ、その中でロゼがブルーノ・マーズにキスをします。
なんて破廉恥な。しかもね、カラード同士が。これはあえて言ってる言葉だよ。
今回もロゼはアジア系初の受賞を逃し、韓国の人たちは怒っていると速水さんは話します。白人が優遇されるような政治的な場で、あえてそのパフォーマンスを見せることのほうが、ずっと政治的で難しいことをしている、というのが速水さんの見方です。
別にね、あのアイスファックっていうことがさ、ありふれてるとかダメだとかって言うつもりは全くないよ。ただ中身見て喋ろうぜっていう感じ。
サブリナ・カーペンターのステージについても、速水さんは政治と呼応した演出だと読みます。1950年代を舞台に、客室乗務員に扮したサブリナのもとへ、さまざまな職業・人種の人が空港に集まって踊る構成で、移民が集まる空港というモチーフだと速水さんは見ています。
「人文ウォッチ」はカニエ・ウェストをどう扱ったのか
速水さんは1月25日、阿佐ヶ谷ロフトで「宇野維正presents これはコンテンツ過剰接続ではない」というイベントを開催しました。映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんとともに、YouTubeチャンネル「コンテンツ過剰接続」の二人を迎え撃つ形のイベントです。
イベントの前に宇野さんがこのポッドキャストに出演した回は、速水さんの日常で「面白かった」という感想が多く届いたそうです。ただ、多くの人が覚えていたのは中年男二人がマクドナルドを食べた話だけだった、と速水さんは笑います。
このイベントを、言論が運営するYouTubeチャンネル「人文ウォッチ」が取り上げました。同じ回でカニエ・ウェストの謝罪というニュースも扱われていて、速水さんは二つの話題が接続されていると受け止めています。
「人文ウォッチ」は、上田さんと山内さんというアラサー世代の二人が、人文系で何が起きているかをニュース解説のように紹介する人気番組で、速水さんもよく見ているそうです。そこでのカニエは「Yeに改名した人」「裸の女を連れ回してるやつ」といった程度の紹介でした。
速水さんは、この扱いを自分の人文への関心の薄さと重ねて語ります。
俺もおそらく人文とかってそのくらいの程度の、さ、関心しかないので、「はいはい、アーレントって、ああ、凡庸な悪の人ね」みたいな感じ。
アーレント ── ハンナ・アーレント。ドイツ出身の政治哲学者で、ナチスの官僚アイヒマンの裁判を論じた著作で「悪の凡庸さ」という概念を示したことで知られていますの研究者から見れば「そこからかよ」となる、と速水さんは続けます。人文・批評の界隈とポップカルチャーは本来つながっているのに、お互いに関心が薄すぎるという問題です。
速水さんは、この問題を「紅白でちゃんみなを初めて知った批評家問題」とも呼びます。イベントでも扱ったこのテーマが伝わっていないと感じたことが、「人文系のためのカニエ・ウェスト入門」を語ろうと思った理由でした。
なぜカニエを「世界を把握するのに5、6番目に大事」と言えるのか
速水さんはまず、カニエの妻ビアンカ・センソリを「裸の女を連れ回してる」と表現するのは、センソリさんに失礼すぎると指摘します。
そのうえで速水さんは、自分はカニエ・ウェストに詳しい人間ではなく、音楽的にはほぼ無知に等しいと断ります。それでも、カニエをそこまで軽視することはできないと考えています。
自分のポッドキャストで問題意識として何かを語るのはこれまでなかったと、速水さんは緊張を口にします。この回は音楽の話を抜きにして、カニエに興味のない人に向けて語る試みです。
速水さんはカニエを、ミュージシャンやラッパーという肩書きを抜きにして「あらゆるもののサイズを変えた男」と定義します。カニエが最も評価されているジャンルは、圧倒的にファッションだというのが速水さんの考えです。
カニエ自身のブランドであるイージーの話は省き、速水さんはカニエの盟友であり「チームカニエ」といえるファッション業界のキーパーソン二人を取り上げます。オフホワイトとルイ・ヴィトンのヴァージル・アブロー、そしてヴェトモンとバレンシアガのデムナ・ヴァザリアです。
オフホワイトはなぜ「高そうに見えないのに高い」のか
オフホワイトは、ファッション好きしか知らないブランドではありません。G-DRAGONやジャスティン・ビーバーが広め、インフルエンサーブランドとしてこの10年で最も知名度を上げたブランドだと速水さんは説明します。
速水さんが例に挙げるのは、御殿場のアウトレットにあるオフホワイトのショップです。アウトレットのアディダスのスニーカーなら7、8000円くらいのイメージなのに、オフホワイトの店で手に取ると30万円ほどする、と速水さんは話します。
三十万ぐらいするんだよね。買えねえし、っていうか触れちゃダメだし、それっていうさ。
速水さんの雑なイメージでは、オフホワイトは「一見そこまで高そうではないものが、めちゃめちゃ高いブランド」です。K-POPやアイドルのファンが、インスタを見て「オフホワイトを着ている」と認識したブランドでもあります。
ヴァージル・アブローはこのオフホワイトを立ち上げた人物で、カニエの右腕でした。その後、黒人として初めてルイ・ヴィトンのアートディレクターに就任し、5年ほど前に41歳で亡くなっています。
速水さんは、アブローを死によって神格化された面もありつつ、生前から注目されていたクリエイターだと位置づけます。分野を越えて多くの人が読む書籍も出ていて、それは人文系と言っていい、と速水さんは考えています。
ヘルベチカと引用符だけで、なぜ「アブローっぽく」なるのか
アブローは洋服、スニーカー、グラフィック、ポスター、さらに空間まで、あらゆるものをデザインできる人物です。もともと建築を学んでいたことも、その幅広さにつながっています。
速水さんによると、アブローらしいグラフィックには分かりやすい特徴があります。明るい黄色や黄緑を背景に、黒いヘルベチカ ── 1957年にスイスで生まれたサンセリフ体の欧文書体。装飾の少ない中立的な形で、世界中の看板やロゴで広く使われていますの文字を置くと、それだけでアブローっぽくなるといいます。
ところがヘルベチカ自体は、日本語でいえば角ゴシックのような、誰でも使う普通のフォントです。タイトルをダブルクォーテーションで括る表現も、アブローの特徴とされますが、引用符を使うこと自体は普通のことです。
速水さんは、ありふれた要素を使うだけでその人らしくなってしまうところに、アブローの作家性の重要な部分があると見ています。アブローを知らない人がうっかりアブローっぽいデザインを作ることもありえます。
こういう作風からわかるようにさ、アブローってね、コピペを恐れない人なのね。
速水さんは、トレパク論争のような議論も、アブローを知っているかどうかで内容が変わってくるのではないかと話します。
オリジナリティは5%でいいという「アブロールール」とは
オフホワイトはNIKEやアディダスとコラボをしています。アディダスの三本線の上にオフホワイトのロゴを乗せただけのコラボ商品が30万円になっても、オフホワイトなら人は買う、と速水さんは話します。
このコラボ商品に、アブローらしさの最もコアな部分があります。アブローは、自分らしさやオリジナリティは5%だけでいいというルールを提唱していました。
先人が作ったデザインやアディダスの歴史を重視し、その上にクリエイターは自分の要素を少しだけ乗せる。コピペは悪いことじゃないというのが、アブロー的な思想だと速水さんは説明します。
速水さんは、この考え方がサンプリングの天才であるカニエの流儀に近いと指摘します。ヒップホップでは、他人が作ったものをつなぎ合わせて再構築したトラックの上に、オリジナルの言葉としてラップを乗せることに最大の価値があります。
コピペの上にオリジナルをのっけましょうっていうのがヒップホップの思想なの。
例として挙がるのが、カニエの「Diamonds Are Forever」です。007シリーズの60年代のテーマ曲で、シャーリー・バッシーが歌った曲を、ほぼそのまま使っています。
しかもカニエは、ラップのないインストバージョンも平然とリリースしています。ほぼシャーリー・バッシーの原曲そのままです。速水さんは、アブローがカニエのやり方をそのまま別のジャンルに持ち込んでいると見ています。
アブローとカニエの原点に、なぜレム・コールハースがいるのか
ヴァージル・アブローはシカゴのイリノイ工科大学で、大学院まで建築を学んでいます。カニエのチームに入る前、アブローは大学時代に建築家レム・コールハース ── オランダ出身の建築家・建築理論家。設計事務所OMAを率い、都市や巨大建築をめぐる著作でも大きな影響を与えてきましたの門下生だったと速水さんは話します。
アブローとコールハースの対話は書籍化されています。速水さんは、アブローの原点がモダニズム建築にあり、無駄を削ぎ落とす機能主義が、装飾のないヘルベチカを使うことにもつながっていると考えています。
カニエの音楽にも同じところがあり、カニエとアブローはコールハースのモダニズム建築の薫陶を受けていると言っても過言ではない、と速水さんは話します。
速水さんはコールハースを、建築家というより建築批評家と見ています。有名な著書『錯乱のニューヨーク』は、ニューヨークの区画や超高層ビルがどのような経緯で建っていったかを語る本で、速水さんも20代のころに読んだといいます。
ただ、速水さんは読み返したとき、都市を象徴で読み解くロラン・バルト ── フランスの批評家・記号学者。広告や都市、ファッションなど日常の現象を記号として読み解く仕事で知られていますっぽい見方に、少しがっかりしたそうです。
『S,M,L,XL』が語る「コピペになる都市」とは
速水さんがより重要だと考えるのは、コールハースの評論集『S,M,L,XL』です。そこではジャンクスペースやジェネリックシティといった概念が語られています。
コールハースは、空港や商業施設のような大きな建物になると、人間が制御できない空間になっていくと論じます。一人の建築家の見栄えや使い勝手の工夫を超えるサイズのものは、集団で建てられ、作家の個性が見えなくなっていきます。
その最たるものが都市です。ジェネリックシティとは、都市がコピペのようなものばかりになっていくという話だと速水さんは説明します。
ほかの建築家は、大きな建築が匿名的になることを前提に、狭小建築のような小さな場所へ向かいました。コールハースは逆に、大きな建物をどう定義できるのかを繰り返し問い続けた、と速水さんは話します。
レディメイド
マルセル・デュシャンや、90年代のピチカート・ファイヴにつながる発想
モダン建築・都市
コールハースが論じた、コピペ化するジェネリックシティ
ヒップホップ
テクノロジーとコピーが生み出した音楽としてのカニエ
ファッション
オリジナリティ5%のアブロールール
都市がコピペになること、モダン建築がコピペになること、そしてヒップホップがテクノロジーとコピーから生まれた音楽であること。速水さんは、これらが90年代から2000年代にかけての社会、技術、都市、文化、デザインの変化に共通するテーマだと考え、そこでカニエとコールハースが接続されると話します。
こうした接続は、イベントで「コンテンツ過剰接続」の二人が行っていたことでもあります。二人はレディメイドの話から、現代のFRUITS ZIPPERのようなアイドルとは何かを論じていました。
専門家ではない速水さんは、なぜ越境にこだわるのか
速水さんは、自分の関心のあり方も同じだと話します。建築の専門家でも、音楽やデザインに詳しいわけでもなく、次に書く本もテクノロジーがテーマですが、最先端に詳しいわけではないといいます。
いろんな分野を越境して考えるみたいなこと。その界隈をいかに広げられるかっていうね、ちょっとゲーム性みたいなものっていうのが、まあ僕が関心のあること。
だからこそ速水さんは、音楽としてのカニエのファンとはいえなくても、カニエの周辺にいる人たちに関心を持たざるを得ないと話します。アブローを通せば、コールハースにまでつながっていくからです。
アブロールールには「クリエイターは観光客たれ」というものもあります。観光客(ツーリスト)と純粋主義者(ピュリスト)を比べ、その両方を行き来することこそがクリエイターにとって重要だという考え方です。
黒人であるアブローは、黒人文化を自分のルーツとして大事にしています。黒人文化はアフリカ回帰のような純粋主義と結びつきやすく、当事者性の時代には自分たちのアイデンティティを語ることがクリエイティブの原点にもなります。
ただ速水さんは、ヒップホップはそこで終わらないと話します。アフリカ回帰と結びつきながらも、自分たちはアフリカに行ったことがなく、それは幻の故郷だということに自覚的だからです。
常に本質主義っていうのを求めるっていうことは危険であると。
アフリカを一時的に表面的に捉える単なるツーリストだという意識が、デザインに使うための思考になる。速水さんはこれを、東浩紀 ── 日本の批評家・哲学者。著書『観光客の哲学』で、特定の共同体に属しきらない「観光客」という立場から他者との関わりを考えましたの「観光客の哲学」に非常に通じる話だと見ています。どちらが先かといえば、東浩紀さんのほうが早いと速水さんは付け加えます。
デムナはなぜビッグシルエットとダッドスニーカーを生んだのか
カニエのもう一人の盟友が、デムナ・ヴァザリアです。最近ようやくビッグシルエットのブームが終わりつつあると言われますが、ユニクロではまだワイドパンツが全盛で、一般的にはビッグシルエットの時代が続いていると速水さんは話します。
冒頭で語った「あらゆるもののサイズを変えた」という意味では、ダッドスニーカーも重要です。流行らせたのはヴェトモンというよりバレンシアガで、そのバレンシアガでもデムナが中心となり、今のファッションにつながる変化をもたらしました。
デムナはグルジア(ジョージア)出身で、両親はロシア系とグルジア系です。90年代に戦争の中で難民としてベルギーに渡り、アントワープの学校からファッションの世界に入りました。
子ども時代のグルジアは貧しく、着ている服は全部お古でした。それが今のビッグシルエットの原点だという話を、デムナはよくするそうです。速水さんは、ある程度は作られた話かもしれないとも添えています。
貧しいグルジアの子ども時代、着る服はすべて誰かのお古だった
他人の服を着るような大きなシルエットが、バレンシアガなどで世界的な流行になった
90年代のファッション業界で最も使われた言葉は、マルジェラに代表される脱構築 ── 哲学者デリダに由来する概念。既存の構造や意味を解体・ずらして捉え直す考え方で、建築やファッションにも応用されましたでした。ダッドスニーカーも「お父ちゃんのスニーカー」であり、他人が身に着けているものをあえて着ることで文脈をずらす試みだと速水さんは説明します。
同じころ、ヒップホップでもスネアを後ろにずらすような、音をずらす実験が行われていました。速水さんは、意味や文脈をずらしていく点で、ファッションとヒップホップは同じだと見ています。
カニエ・ウェストのファンは、なぜ「搾取だ」と怒っているのか
速水さんは、アブローとデムナというカニエの盟友二人がこの10年ファッションの世界で活躍したのは、ある種の必然だったと話します。ヒップホップで先に起きていた流れを、ファッションが取り入れてきたからです。
- 音楽制作でのコラボやダブルネーム
- サインやシンボルを前面に出したグッズ展開
- マーチャンダイジングへの先進性
- ストリートやギャングっぽい売りの取り入れ方
これはカニエだけでなく、盟友のジェイ・Zも同じことをしていたと速水さんは付け加えます。ファッションはこうしたものをステータスやトレンドとして取り入れた上で、ナチス崇拝などを理由にカニエを切り離しました。
本当にカニエが悪いとしか言いようがないとはいえ、その全部上澄みをかっさらった上で、ステータスとして、ね、取り入れた上で。
散々ビジネスとして美味しいところを持っていき、カニエの名前で商品を作った企業が一斉に手を引いて、なかったことにした。速水さんは、それは搾取だというのが、カニエ・ウェストのファンが怒っている大前提だと説明します。
そして、この10年がカニエ・ウェストの時代だったことまで消され、「イェーって言ってる人だよね」で終わってしまう。速水さんが問題にしているのは、そこです。
ユニクロのダウンジャケットに、カニエの思想は入っているのか
速水さんは、ユニクロで売られているダウンジャケットのつなぎ目やシルエットにも、「カニエっぽいかどうか」で作られたり買われたりしているものが多いはずだと話します。スニーカーに関しては間違いなくカニエだ、とも言います。
ブルゾンの丈や膨らみ方といった上半身のサイズ感は、ラッパーたちがインスタに上げた写真で決まっていたと速水さんは考えています。その中でも圧倒的に影響が大きかったのがカニエで、速水さん自身も「これはカニエっぽい」と思って服を買っているそうです。
速水さんは、この回はアブロー中心になったものの、母親のドンダやピーター・ティールなど、ほかのキーワードからもカニエにつなげられると話します。何かを越境するシンボルとしてのカニエが伝われば、人文系の人も関心を持てるのではないか、というのがこの回の意図です。
さらに速水さんは、エプスタイン文書をめぐる騒動の中で、カニエが再評価されていることにも触れます。陰謀論者とされたカニエの名前は出てきておらず、むしろ告発していた側だったという見方が出ているそうです。
ナチスを擁護することと、エプスタインのね、エプスタイン島に行くこととね、どっちが悪いの?っていう、これ比較したらまた怒られるのかもしれないけど、まあそういうことだよね。
言及すること自体が、なぜ批評になるのか
最後に速水さんは、盛り上がっている音楽批評の議論に乗る形で、自分の立場を語ります。キーワードを接続していくのは、コンテンツ過剰接続のやり方であり、速水さんのポッドキャストのやり方でもあります。
速水さんは、コンテンツ過剰接続の二人が「批評」という言葉を避けるのは、接続にこそ価値があると考えているからだろうと見ています。一方で速水さんは、何かに言及し、掘り起こした時点でそれは批評だと考えています。
速水さんは、ちゃんみなを知らない批評家の問題も、文化系トークラジオLifeで扱った「APT.」問題も、何かを知らないことにキレているわけではないと断ります。論点は、参照のあり方です。
先行研究への言及や解釈がない論文に価値があるか、と速水さんは問いかけます。ポップカルチャーも同じで、アブローのように元々あるものに乗っているので、その時点で言及的参照であり、だからこそ価値があるという考えです。
その分野で誰もが参照すべきものを、みんなが無視しすぎている。その違和感が、この回を収録した理由だと速水さんは話します。
ただし速水さんは、これはブーメランでもあると認めます。3月に出る新刊『機械嫌い、機械音痴のテクノロジー史』では、官僚制という言葉を使いながらマックス・ウェーバー ── ドイツの社会学者。近代の官僚制を合理的な支配の典型として分析し、官僚制研究の古典とされていますに一切触れていないそうです。
これ、ちゃんみな知らない批評家問題と同じことをやってる可能性があるので、まあまあブーメランにならないように、この辺に留めておきたいと思います。
まとめ
速水さんはこの回で、カニエ・ウェストを音楽ではなく、ファッション、建築、都市、ヒップホップをつなぐ結節点として語り直しました。アブローとデムナを通して見ると、カニエはこの10年のサイズ感や「コピペ」の思想を形づくった存在として浮かび上がります。
- グラミー賞で政治的発言だけが注目される状況に、速水さんは「中身を見て喋ろう」と違和感を示した
- アブローの「オリジナリティは5%でいい」というルールは、サンプリングを重んじるカニエやヒップホップの思想と重なる
- アブローを通すと、コールハースのジェネリックシティや東浩紀の観光客の哲学にまで話がつながる
- ファッションはカニエの上澄みを取り入れた上で切り離した、というのがファンの怒りの前提だと速水さんは見ている
- 速水さんは、言及し参照すること自体が批評であり、参照すべきものを無視しすぎていることが問題だと語った




