スライ・ストーンからロバータ・フラックまで、2025年に去った音楽家たち
2025年の終わりが近づくなか、速水健朗さんはこの年に亡くなったミュージシャンの名前を挙げるところから話を始めます。スライ・ストーン、ブライアン・ウィルソン、ラロ・シフリン、ロイ・エアーズ、ロバータ・フラックといった名前です。
スライ・ストーンとブライアン・ウィルソンについて、速水さんは「60年代末か70年代に死んでいてもおかしくなかった」人たちだと話します。若くして人生のピークを味わい、ドラッグにもやられながら、天才すぎて最後の作品のようなものを当時残していた、という見立てです。
まあ生きてるだけで丸儲けっていう人生だったんじゃないかっていうね。
速水さんはブライアン・ウィルソンのライブにこの10年で2回ほど足を運び、幻のアルバム『スマイル』を完成させるツアーにも行ったそうです。ただ今振り返ると、その一連のお祭りは少し虚しくなっているとも語ります。
そんなにスマイルっていうのが僕らがなんか祭り上げるほどのものだったのかっていう、ちょっとね、感じとかもあり。
速水さんの結論は、ブライアン・ウィルソンは結局『ペットサウンズ』を超えることはなかった、というものです。
ジャズファンクが一番好きだという速水さんにとって、映画『ダーティハリー』『ミッション・インポッシブル』の音楽で知られるラロ・シフリンとロイ・エアーズは、70年代のジャズファンクを象徴する存在だったといいます。
サム&デイヴのサムことサミュエル・ムーアも2025年に亡くなりました。代表曲「Hold On, I'm Comin'」は、日本ではバラエティ番組『恋のからさわぎ』のエンディングなどで長く使われてきた曲です。
俺は未だにHOLD ON I'M COMINGがめちゃめちゃかっこいい曲で、恋のからさわぎってそれで終わるのかよっていうね。
速水さんは、この曲をアイザック・ヘイズ ── アメリカのソウル歌手・作曲家。スタックス・レコードで多くのヒット曲を手がけ、映画『黒いジャガー』のテーマでも知られますが作っていたことを後から知り、それもかっこいいと感じたそうです。
ロバータ・フラックの「Killing Me Softly」は、70年代にネスカフェ エクセラのCMソングとして使われていました。日曜の朝によく流れていたコーヒーのCMは、日本人のライフスタイルにコーヒーを持ち込もうとするものだったと速水さんは振り返ります。
ただし日本のCMでは商品名を歌う替え歌になっていたため、多くの人が「ネスカフェ」と歌ってしまう曲になりました。速水さんは、ロバータ・フラック本人ではなく、そっくりな歌手が歌っていたのだろうと推測しています。
ネスカフェのCMで歌っていたのは誰?80代で叱られるダイアナ・ロス
80年代になると、ネスカフェ エクセラのCMソングは、ダイアナ・ロスの「マホガニーのテーマ(Do You Know Where You're Going To)」に変わります。速水さんは、ダイアナ・ロスという存在を知る前から、この曲をコーヒーのCMとして知っていたといいます。
このCMも「エクセラ」と商品名を歌う替え歌でした。速水さんは、ダイアナ・ロス本人ではなく、ダイアナ・ロス風のゴーストシンガーが歌っていたのだろうと見ています。
いわゆる外国人ミュージシャンの歌。これはどうやって作ってたんだろうっていうね。あの、調べてもちょっと決定的な情報が出てこないんですよね。
速水さんは著書『タイアップの歌謡史』を書いた際にCM業界の人たちを取材したそうですが、この点について決定的な情報は出てこなかったと話しています。
ダイアナ・ロスの近況について、速水さんはまず存命で80代だと確認します。15、6歳から歌い、シュープリームスのボーカルからソロへと続くキャリアはビートルズより長く、ロネッツと同じ時代から活躍してきました。
ほんとダイアナ・ロスはなんかシーラカンスみたいなところがあるというかね、生ける化石というかね。
ところが2025年のダイアナ・ロスは、イギリスツアーで空席が目立ち、パフォーマンスの衰えも批判されたといいます。速水さんは「80代、パフォーマンス劣るし」と擁護し、日本のファンのほうが優しいから客席も埋まるのではないかと話します。
さらに2025年夏には、豪華客船のコンサートをドタキャンしたことでも怒られていたそうです。速水さんによれば、クルーズ船は世界中でエンターテインメント産業と結びついていて、日本でも演歌歌手を多く抱える夢グループがクルーズ船ツアーを手がけています。
ダイアナ・ロスは一緒にツアーをするっていうはずだったらしいのね。それをドタキャンして怒られてたりとか。いや、80代になってまだ怒られるんだっていうね。
ナンバーワン16曲なのに、なぜ「正当な歌手」と見なされないのか
速水さんがダイアナ・ロスの話をするのは、功績のすごさを語りたいからではありません。現存の歌手で一番過小評価されているのではないか、という仮定を確かめたいからだといいます。
速水さんが最初に挙げるダイアナ・ロスの功績は、ゲイカルチャーのアイコンであることです。新宿二丁目のドラァグクイーンが着るラメのレオタードは、ダイアナ・ロスへのコスプレだと速水さんは見ています。
ダイアナ・ロスを一番評価しているのは、あの街の人たちね。
一方で速水さんは、ダイアナ・ロスはディスコクイーン、ポップスクイーン、アイドルではあっても、アレサ・フランクリンのような正統派のブラックミュージックの歌手として評価されたことは一度もないのではないか、と話します。
ビルボード1位の数について、速水さんがシュープリームス時代、ソロ、デュエットを含めてざっと数えたところ、16曲あったそうです。ビートルズやエルヴィスに匹敵する数で、マライア・キャリーのほうが多いかもしれないものの、それはレコード会社が1位を取らせるプロモーションをしたからだと速水さんは見ています。
評価の薄さが一番はっきり出ているのは、評論家の扱いだと速水さんは指摘します。例に挙げたのは、黒人のブラックミュージック批評家ネルソン・ジョージ ── アメリカの音楽評論家・作家。ブラックミュージックやヒップホップについての著作が多く、映画やドキュメンタリーの制作も手がけていますが80年代に書いた通史『リズム・アンド・ブルースの死』です。
『リズム・アンド・ブルースの死』では、アレサ・フランクリンが最も重要な存在として描かれ、伝統を守る80年代の歌手としてアニタ・ベイカーが登場し、マイケル・ジャクソンも重要な役割で描かれています。しかしダイアナ・ロスの登場は3回ほどしかないそうです。
(ダイアナ・ロスは)その成長することがなかった、評価すべきところの薄い歌手であるっていうことしか触れられてないわけ。
速水さんがダイアナ・ロスをすごいと思うのは、20代半ばでソロになり、子育てをしながら30代半ばを越えてもスターであり続けたことです。今なら浜崎あゆみや宇多田ヒカルも越えてきた道ですが、当時は前例がありませんでした。
スターであり続けることって、もう実験でしかないわけ。
速水さんは、アレサ・フランクリンがポップスの最前線にいたのは60年代末から70年代前半ぐらいまでで、80年代にはゴッドマザー的な懐かしの歌手になっていたと比べます。
最前線は60年代末から70年代前半ぐらいまで。80年代にもヒットはあったが、ゴッドマザー的な存在になっていた
より長く第一線で活躍。映画スター、大規模なライブ動員、マイケル・ジャクソンのフックアップ、ディスコクイーンへの転身を果たした
映画スターであり、ライブ動員でも大きな数字を持ち、マイケル・ジャクソンを引き上げ、モータウン ── 1959年にデトロイトで設立されたレコード会社。シュープリームスやスティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイらを輩出し、黒人音楽をポップスとして世界に広めましたを引っ張った。速水さんは、現役のポップスターとして果たした役割ではアレサ・フランクリンよりダイアナ・ロスのほうが大きかったと考えています。
おそらく僕以外の世間の人たちからは、いやいや、評価されてるし、有名だし、なんでお前が今更擁護しなきゃいけないのかっていう話になってると思うんだけど。
いやいや、そこをさ、実は過小評価されてませんかってことを言いたい。
ビリー・ホリデイ役から幻の『ボディガード』まで、映画スターとしての顔
映画スターとしてのダイアナ・ロスの出発点は『ビリー・ホリデイ物語』でした。正統派の黒人歌手ビリー・ホリデイを、アイドルであるダイアナ・ロスが演じることはかなり叩かれたそうです。
速水さんによれば、この役をやり切ってもディーヴァとしての尊敬が上がった部分はあまりなかったかもしれないものの、女優としての評価は上がったといいます。
次の『マホガニー物語』では、ダイアナ・ロスはファッションデザイナーを演じました。モータウンのベリー・ゴーディ・ジュニアが監督し、東洋っぽい奇妙なファッションショーから始まる「ちょっとけったいな映画」ですが、自立して働く黒人女性の新しい姿を示した作品でもあると速水さんは話します。
速水さんは、ダイアナ・ロスのアイドル性と最も強く結びついたものはファッションだと考えています。来日時にコシノジュンコの東京のショップをふらっと訪れた話があるほか、2025年もメットガラに巨大なドレスで登場し、ファッショニスタとして注目されました。
続く『ウィズ』は『オズの魔法使い』の映画化で、ダイアナ・ロスはまだ子どもだったマイケル・ジャクソンをブッキングし、ブリキの役を割り振りました。マイケルとクインシー・ジョーンズが出会ったのもこの映画だったといいます。
つまりその後オフ・ザ・ウォールとね、スリラーっていう世界的な名盤っていうのは、ダイアナ・ロスがここでね、2人を合わせたことで生まれたものっていうところもあるんだよね。
撮られなかった映画もあります。のちにケヴィン・コスナーとホイットニー・ヒューストンで映画化されて大ヒットする『ボディガード』は、もともとダイアナ・ロス主演、相手役スティーブ・マックイーンで企画されていたそうです。
ダイアナ・ロスが『ボディガード』をやめた理由には諸説あり、当時忙しかった、あまり気乗りしなかったという説のほか、人種間の恋愛を描くことで黒人コミュニティから嫌われるリスクを考えたという説もあると速水さんは紹介します。ホイットニーもその点で悩んだのは確からしいといいます。
| 作品 | ダイアナ・ロスの役割 | 速水さんが語った意味 |
|---|---|---|
| ビリー・ホリデイ物語 | ビリー・ホリデイを演じる | アイドルが演じることは叩かれたが、女優としての評価は上がった |
| マホガニー物語 | ファッションデザイナー役 | 自立して働く黒人女性像を提示し、ファッションとの結びつきを示した |
| ウィズ | マイケルをブッキング | マイケルとクインシー・ジョーンズが出会うきっかけになった |
| ボディガード(幻) | 主演予定だった | 企画は流れ、のちにホイットニー・ヒューストン主演で大ヒット |
セントラルパークの40万人と、マイケルにそっくりな1983年のダイアナ
速水さんが考えるダイアナ・ロスのピークは、1983年ごろにニューヨークのセントラルパークで40万人を集めたフリーコンサートです。ニューヨーク市と組み、子どもの遊具を作る資金を集めるチャリティー目的のライブでした。
ところがこのコンサートは途中で災害級の大豪雨に見舞われます。翌日に再び開催しようとして市ともめ、機材も、基金にするはずだったグッズも全部ダメになり、大赤字だったのではないかと速水さんは話します。
これはダイアナ・ロスの83年頂点。40万人集めるライブなんて彼女にしかできないので。
当時のダイアナ・ロスは30代後半で、その年齢でトップ級の人気を持つ歌手はそれまでいなかったといいます。その2年後には「We Are The World」に参加しました。
速水さんは、西寺郷太さんが「We Are The World」についての本で、マイケル以外の参加者はあそこで一旦頂点を迎え、そこから下り坂になっていくと書いていたことに触れ、ダイアナ・ロスも例外ではなかったと話します。
さらに速水さんが驚くのは、1983年のフリーコンサートでのダイアナ・ロスの姿が、マイケル・ジャクソンにそっくりなことです。顔も動きもすべてがマイケルに見えるといいます。
マイケルが顔を改造していく中で、明らかにそうとしか思えないんだけど、ダイアナ・ロスの顔になろうとしてたんだと思うんだよね。
速水さんは、ダイアナ・ロスがマイケルに寄せたのではなく、もともとダイアナ・ロスがこういう顔と身体性を持っていて、マイケルがどんどん寄っていったのだと考えています。ポップ史最大のミステリーとして、YouTubeで1983年の映像を見てほしいと呼びかけています。
日本で愛されたダイアナ・ロスと、ロス疑惑の意外なつながり
ダイアナ・ロスは日本とも縁が深い歌手です。1990年の「If We Hold On Together」は、今井美樹主演のドラマ主題歌になり、日本でミリオン級のヒットになったと速水さんは話します。この曲のシングルヒットはおそらく日本だけだといいます。
速水さんは、ダイアナ・ロスが日本のドラマ主題歌を歌う企画が成立したのは日本人がダイアナ・ロスを好きだったからで、その前段にネスカフェのCMソングがあったと見ています。
ダイアナ・ロスはシュープリームス時代を含めて何度も来日しており、1978年には武道館で公演を行いました。この1978年の公演に、のちのロス疑惑 ── 1981年にロサンゼルスで起きた銃撃事件などをめぐり、被害者の夫・三浦和義氏の関与が疑われた一連の事件。80年代の日本で報道が過熱しましたの被害者、白石千鶴子さんが来ていたといいます。
白石千鶴子さんは、のちにロサンゼルスの砂漠で身元不明の遺体「ジェーン・ドウ」として見つかった女性です。速水さんによれば、白石さんはこの公演の前にホテルのロビーで三浦和義氏と出会って交際するようになりました。
誰が白石さんを殺したかは闇の中ですが、当時の日本中が三浦和義氏の関与を見守っていた時代があったと速水さんは振り返ります。
まあだからロスとロスつながりっていうね、あの、これはそんなに別にダジャレ以外のものではないですけど、なんか日本の来日公演と実はロス疑惑がちょっとだけつながっているっていうね。
モータウン創業者ベリー・ゴーディとの関係とは?
ダイアナ・ロスは結婚して子どもも育てていますが、長くモータウン・レコードのオーナー、ベリー・ゴーディの愛人でもあり、彼との間にも子どもがいます。
速水さんによれば、「モータウン・ファミリー」という呼び名のとおり、モータウンは家父長制のレコード会社でした。ベリー・ゴーディは何度か結婚しながら周りにずっとガールフレンドがいて、ただしダイアナ・ロスはその中の一人ではなく、特別な一人だったといいます。
ただ、ダイアナ・ロスの前でも、彼(ベリー・ゴーディ)はずっと新しいガールフレンドをどんどん連れてくるし、ダイアナ・ロスに気を遣ったりすることはなかった。
けど、ダイアナ・ロスが結婚するっていう風になると、もう全力で阻止しようとして、その相手が誰か突き止め、嫌がらせをしみたいなことをするようなタイプの人。
ベリー・ゴーディは1929年生まれで、96歳の今も存命です。速水さんは、シュープリームス以前から音楽業界にいた世代が今も生きていることに改めて触れています。
ナイル・ロジャースより先に組み、喧嘩もした。ダイアナ・ロスの音楽的な先見性
ダイアナ・ロスの音楽性について、速水さんは60年代のモータウン・ポップス全盛期から話を始めます。モータウン・ポップスとはシュープリームスが作った音楽、という感覚だといいます。
シュープリームスも後期になると作曲家チームを入れ替え、新しいことに挑むモードに入りました。ナンバーワンヒットの「ラヴ・チャイルド」は私生児をテーマにした曲で、マーヴィン・ゲイのように社会性やショッキングなことを歌う時代に入っていったと速水さんは話します。
ただ、ダイアナ・ロス本人はこの社会派の路線をあまり好きではなかったそうです。ソロになってからは、ある程度自分でプロデュースしながら音楽性を決めていきます。
70年代後半にディスコの時代が来ると、テープで反復する単純なリズムの踊るための音楽は、それまでのバンドサウンドとは違うとしてミュージシャンたちから毛嫌いされました。それを新しい音楽として取り入れた一人がダイアナ・ロスだったといいます。
速水さんが強調するのは、ダイアナ・ロスがデヴィッド・ボウイやマドンナより早く、シックのナイル・ロジャース ── ギタリスト・プロデューサー。バンド「シック」で70年代後半のディスコを代表するヒットを生み、のちに多くの大物アーティストの作品を手がけましたを起用していたことです。1980年のアルバム『ダイアナ』で、ディスコを取り入れた音楽性をナイル・ロジャースと作りました。
ダイアナ・ロスは自分で曲は作らないものの、プロデュース能力が高く、方向性を貫くタイプだと速水さんは話します。『ダイアナ』では、ナイル・ロジャースと録音したアルバムをいったん取り上げ、別の人でバックトラックを全部作り直したそうです。
当然ナイル・ロジャースとは喧嘩になり、後に仲直りします。それでも『ダイアナ』は、ナイル・ロジャースの良さとダイアナ・ロスが通そうとした生音の部分がうまく合わさり、ディスコ時代に自分の音を見出したセルフプロデュースの成果になったと速水さんは評価しています。
80年代に入ると、ディスコをいかに捨てるかが課題になります。速水さんは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』はTOTOのメンバーなどが加わった、AORを導入したブラックミュージックだと説明します。
ダイアナ・ロスも次のアルバム『ロス』で同じことをしていて、ゲイリー・ガッツやレイ・パーカー・ジュニアのプロデュースによるAOR人脈の脱ディスコ作品を作りました。速水さんは、この83年ごろがチャートアクションで評価された最後の時代と言っていいと見ています。
60年代
シュープリームスとしてモータウン・ポップスを体現
ソロ初期
社会派路線を好まず、自分でプロデュースしながら方向を決める
1980年『ダイアナ』
ナイル・ロジャースと組み、ディスコを取り入れる
1983年ごろ『ロス』
AOR人脈で脱ディスコを図る
速水さんは、どちらが先というわけではないとしつつ、ダイアナ・ロスはマイケル・ジャクソンと同じ音楽的な方向性に同期していたと話します。そのうえで、マイケルが本来やろうとしていたのはダイアナ・ロスに寄せることだったのではないか、と考えています。
「We Are The World」で揃いのトレーナーを着た理由
1985年の「We Are The World」の収録では、スターたちが思い思いの服を着るなか、ダイアナ・ロスだけが「We Are The World」と書かれたトレーナーを着ていたと速水さんは指摘します。
収録現場には、クインシー・ジョーンズが書いた「エゴを捨てよう」という呼びかけが掲げられていました。スター同士がエゴを出し合ってもろくなことにならないから、自分を捨ててアフリカのためにやろう、という趣旨です。
あそこでね、作ったトレーナーを着てるのはケニー・ロジャースとダイアナ・ロスだけなわけ。
おじいちゃんと姉さんはちゃんとね、あの服を着てきたんだよね。
1985年の時点でもダイアナ・ロスは断然スターでした。それでもエゴを出さず、シンディ・ローパーのような下の世代を立てて、一歩後ろでコーラスに徹していたと速水さんは話します。出しゃばっている感じはなく、「ここはファミリーなんだ」という年長者の振る舞いに見えたといいます。
ディアンジェロからビヨンセへ。80歳で現役という「実験」の続き
速水さんは、2025年に亡くなったミュージシャンを振り返るつもりが、ディアンジェロまで行かずにダイアナ・ロスの話になってしまったと笑います。ディアンジェロは1974年生まれの51歳で、速水さんより1つ年下だったことにまず驚いたといいます。
速水さんは世代の物差しとして、ダイアナ・ロスは81歳で「We Are The World」のときにちょうど40歳、今のビヨンセが44歳だと並べます。ビヨンセの少し上にはネオソウルの世代やTLC、SWVがいて、ガールズグループの系譜もずっと続いてきました。
そうした系譜の原点がダイアナ・ロスであり、さらに80歳まで現役であることも彼女しか作り得ていない記録だと速水さんは話します。
速水さんは、最大級のリスペクトを込めて、今年亡くなったミュージシャンを数えながら「アンデッド」なダイアナ・ロスの話をしたと締めくくります。配信が空いたのは風邪や2冊ほどの本の仕事のためで、年明けにはTBSラジオでポッドキャスト特番を予定しており、詳細は次回伝えるとのことです。
まとめ
この回の速水健朗さんは、2025年に亡くなった音楽家を振り返る流れから、80代で今も現役のダイアナ・ロスが、その実績のわりに批評の世界で正当に評価されていないのではないかと問いかけました。映画、ファッション、ディスコへの転身、マイケル・ジャクソンとの関係、日本との縁をたどることで、「ポップスター」の一言では収まらない姿が見えてきます。
- ダイアナ・ロスはビルボード1位が16曲ありながら、『リズム・アンド・ブルースの死』では成長のない歌手としてしか触れられていない
- 30代半ば以降もスターであり続け、80歳を超えても現役でいることは、前例のない「実験」だと速水さんは見ている
- 『ウィズ』でマイケルとクインシー・ジョーンズを引き合わせ、ナイル・ロジャース起用やAOR化でも時代の方向性を先取りしていた
- 日本ではネスカフェのCMソングや今井美樹主演ドラマの主題歌で親しまれ、1978年の来日公演はロス疑惑とも接点がある
- 「We Are The World」で揃いのトレーナーを着て一歩引いた振る舞いに、速水さんはダイアナ・ロスのゆとりを感じている

