ミュージシャン評伝映画で、カレン・カーペンターの枠はなぜ空いている?
ここ10年ほど、ミュージシャンの伝記映画が次々に作られています。速水健朗さんは、『ボヘミアン・ラプソディ』あたりを起点に、アレサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストン、エルヴィスの作品を挙げます。最近ではティモシー・シャラメがボブ・ディランを演じた作品もあります。
(ボブ・ディランの映画は)見に行くかどうか迷ってるところなんですけど、何せ僕がボブ・ディラン大嫌いなので。
ただ速水さんは、ディランが嫌いだから見に行かないわけではなく、映画としては強い関心があるといいます。そのうえで、ミュージシャンの評伝映画はそろそろネタが切れてきたのではないかと感じたそうです。
カレン・カーペンターの枠ってまだ空いてるじゃないですか。作ってたりするんでしょうか?わかんないけど。
速水さんが子どもの頃、家で最も聞かされていた音楽がカーペンターズでした。ところが高校生くらいになると、いわゆる音楽通的な聞き方をするようになり、カーペンターズを聞かなくなったといいます。
速水さんは、自分や親が好きだったものと、そうでない音楽を選別するようになったと振り返ります。こうした経験は多くの人にあるのではないか、と問いかけています。
「音楽通から蔑まれてきた」カーペンターズという扱い
当時のカーペンターズの扱われ方を示す資料として、速水さんは村上春樹のエッセイを引用します。収録先は『なつかしの八十年代』という単行本です。
村上春樹のエッセイには「ずっと昔からカーペンターズといえば人畜無害の健全バンドとして、音楽通からは一貫して蔑まれてきた」と書かれています。初出は、カレン・カーペンターが亡くなった1983年ごろとみられます。
単行本は1987年に出ていて、速水さんは発売直後に買いました。リアルタイムで買った最初の村上春樹の本かもしれず、当時から手元に残る数少ない1冊だといいます。
速水さんは、カーペンターズは村上春樹が書いた通りの扱いを受けてきたと見ています。耳障りのいい、大衆的すぎるポップスは音楽通から遠ざけられるという構図で、B'zと同じだという例えも出ています。
速水さんは、同時期に収録した別の回でサイレントマジョリティーとニクソンについて話していました。そこで触れた「機械工の夫を持つオハイオ州デイトンの47歳のカトリック主婦」という架空の人物像が、カーペンターズのファン層とも重なるかもしれない、と考えたそうです。
提供曲と自作曲、2つの顔を持つカーペンターズ
番組の途中で速水さんは自己紹介を入れます。所属するトークユニット「団地団」は、日本橋高島屋の4階資料館で「団地と映画展」を監修しています。会期は3月から8月24日ごろまでで、前年の12月から2月にかけて6人のチームで準備に力を注いできたそうです。
話はカーペンターズに戻ります。速水さんによれば、カーペンターズに再評価の時期があったとすれば、それはバカラックやロジャー・ニコルスといったソングライターが書いたヒット曲の側からでした。
一方でカーペンターズには、リチャード・カーペンター自身が作曲した曲を歌うシンガーソングライターのデュオという側面もあります。速水さんは、自作曲とポップス歌手としての提供曲の両方を歌う竹内まりやにも似た構図だと説明し、竹内まりやはカレンから強い影響を受けていると思う、と付け加えます。
バカラックやロジャー・ニコルスらのソングライターチームが書いたヒット曲。再評価の対象になってきた
「Yesterday Once More」「Top of the World」などリチャード自身が作った上位ヒット曲。ソフトロックの文脈ではやや下に見られがち
速水さんが注目するのは、「Yesterday Once More」や「Top of the World」のような最上位のヒット曲が、実はカーペンターズ自身の作だという点です。こうした自作曲の評価がないわけではないものの、ソフトロックという枠で語られるときには少し下に見られる気がする、と話しています。
なぜ評伝映画は「1973年5月前後」を切り取るべきか
速水さんは、最近の評伝映画は人物の一生を描くより、ある時期だけを切り取って注視する作りが多いと指摘します。アレサ・フランクリンの映画は、ヒット前後から教会でのコンサートに至るまでの短い期間に焦点を当てていました。エルヴィスの映画も、初期の話を挟みつつ、主にラスベガスのステージに立つところが中心でした。
そこで速水さんが選ぶのが、1973年5月前後です。興味深いエピソードがこの時期に集中しているからだといいます。
アルバム『Now and Then』発売
5枚目のアルバムで、初のセルフプロデュース作品
ホワイトハウスでの演奏
アルバム発売と同じ日に招かれ、「Top of the World」を演奏
アカプルコへの家族旅行
IBMの招待旅行で、リチャードと母親が大喧嘩をする
カバーだらけの『Now and Then』は手抜きではなかった
1973年の『Now and Then』は、カーペンターズの5枚目のアルバムです。すでにトップを取っていた大スターの時期の作品で、収録曲にはカバーが多く含まれています。
『Now and Then』のB面は「Yesterday Once More」から始まり、曲の歌詞の内容どおり、1950〜60年代のオールディーズやポップスのスタンダードをつなぐメドレーになっています。
普通考えれば、これってカバーばっかりやるアルバムって、新曲作ってる余裕なかったのかなっていうふうに思ってしまうんですよ。
しかし速水さんは、『Now and Then』がカーペンターズにとって最初のセルフプロデュース作品でもあると強調します。スタジオを使う時間やお金をかけられ、自分たちの意見が通るようになって最初に作ったアルバムだというのです。
カバーが多く、新曲を作る余裕がなかったアルバムに見える
初のセルフプロデュースで、昔のポップスを再現したいというマニア的な志向をようやく前面に出せたアルバム
カーペンターズは1969年ごろにデビューし、1970年にブレイクしました。当時の主流の音楽ではなく、昔のポップスを再現しようとするのは、リチャード・カーペンターのポップスマニア的な視点の表れだと速水さんは見ています。
1973年の8月には、ジョージ・ルーカス監督のアメリカン・グラフィティ ── 1973年公開のアメリカ映画。1962年の地方都市を舞台に、高校を卒業する若者たちの一夜を当時のヒット曲とともに描き、オールディーズ人気を後押ししましたが公開されて大ヒットします。当時のアメリカは10年ほど前の時代を懐かしむモードにあり、カーペンターズのヒットもその一因かもしれない、と速水さんは話します。
ニクソンはなぜカーペンターズを気に入っていたのか
速水さんの構想では、『Now and Then』の発売と同じ日に、カーペンターズはホワイトハウスに呼ばれています。この日は西ドイツの首相が訪問しており、カーペンターズは何曲かのなかで「Top of the World」を演奏しました。
世界のトップ会談ってことで、おそらくTop of the Worldを歌ってもらうためにカーペンターズを呼んだんだと思うんですよ。
カーペンターズがホワイトハウスに来たのは、これが初めてではありません。ニクソン大統領はカーペンターズを気に入っていて、本人か側近かはわからないものの、ジョークも込めてこの曲を選んだのではないか、と速水さんは推測しています。
ただし1973年5月は、ニクソンが2期目に当選したあとで、ウォーターゲート事件 ── 1972年に民主党本部への盗聴未遂が発覚し、ニクソン政権の関与と隠蔽が明らかになった政治スキャンダル。1974年にニクソンは任期途中で辞任しましたの話題がすでに出ていた微妙な時期です。ニクソンが辞職するのは翌年のことです。
速水さんによれば、ニクソンはカーペンターズに理想的なアメリカの家族像を見出していました。若者文化や反体制的なロックを嫌うニクソンにとって、当てつけの意味もあったと考えられます。
リチャードは共和党支持者で保守的な面もありましたが、さすがに政治的に利用されたという意識はあっただろう、と速水さんはみます。セールス面でも、ニクソンに褒められたことはプラスよりマイナスのほうが多かったはずだといいます。
「いい子ちゃん」の虚像と佐野元春のオーラ
カーペンターズにずっとついて回ったのが、いい子ちゃんに見えるグループという虚像と、実像とのギャップです。速水さんは、リチャードにはリチャードの、カレンにはカレンのギャップがあったと話します。
速水さんは、ポップスターの虚像と実像のギャップ自体はありふれた話だとも言います。ゆずにもあるだろうと想像で例を挙げ、ミック・ジャガーはずっとミック・ジャガーを、佐野元春はずっと佐野元春を演じているといいます。
ここで速水さんは、佐野元春を偶然見かけた体験を語ります。スポーツクラブから出てきた佐野元春は、革のスポーツバッグを片手で肩にかける持ち方をしていて、最初は「年配のかっこいい人がいる」と思ったら本人だったそうです。
いわゆるスターがスター感を出して歩いてたってかっこよくないんですよ、全然。ちゃんとね、オーラを消した上で、それでもおっと思わせる何かがあって。
期待されなかった妹がスターになってしまった一家
カーペンター兄妹は1946年と1950年ごろの生まれで、まさにベビーブーマー世代です。両親は普通のアメリカの中流家庭という印象だったと速水さんは説明します。
リチャードは子どもの頃からピアノの才能を示しました。両親は東海岸では埒が明かないと考え、リチャードが10歳になったころに一家でロサンゼルス郊外へ移住します。速水さんは、天才子役に期待をかけるようなかなりの親バカだったのだろう、と見ています。
一方、妹のカレンはお兄ちゃんについて回るだけの平凡な妹という存在でした。特に母親は、見た目も平凡で取り立てて才能もない娘には普通の人生を歩ませたいと考え、デビューが決まったときも反対していたといいます。
世に言うその母娘問題とかではなくて、お兄ちゃんに肩入れして妹に期待していなかった(のに)妹の方が実はスターになっちゃってっていう。
速水さんは脚本家の視点で、天才子役の兄、平凡な妹、親バカの両親という一家を描きます。いざデビューすると娘のほうがちやほやされてスターになってしまい、その戸惑いが一家を襲っていくという構図です。
両親は才能ある兄リチャードに期待をかけ、平凡な妹カレンには普通の人生を望んでいた
デビューすると妹カレンが大スターになり、カレン本人も母親も戸惑う
カレンには、スターであることへの耐性がなかったと速水さんは言います。カレンは1983年に拒食症で亡くなりますが、ずっとちやほやされてきたのではなく、デビューで突然大スターになったのだから戸惑って当然だ、という見方です。
大スターになってお金持ちになったあとも、カレンは贅沢なセレブ生活を好まなかったそうです。友人たちが心配して買い物や高級レストランに連れ出したほどで、引きこもりがちで、趣味はテレビドラマ、のちにはビデオを見ることだったといいます。
アカプルコの家族旅行で起きた兄と母の大喧嘩
1973年のもう1つの出来事が、IBMの招待によるメキシコ・アカプルコへの旅行です。カーペンターズと両親が招かれ、現地で少しライブもしましたが、基本は遊びの旅行でした。
このアカプルコ旅行で、リチャードと母親が大喧嘩をしたといいます。きっかけは母親が自分の扱いに不満を言ったことで、飛行機の席の話ではなく、子どもたちともっと一緒にいたかったのに別行動が多かったという不満だったようです。
リチャードは母親の不満にキレて、「何様だ」と言ったそうです。速水さんによれば、リチャードは癇癪持ちで、その後の仕事でも横暴さから人間関係で失敗しています。
この兄と母親の喧嘩にカレンはどう立ち振る舞ってどっちを庇ったのか。まあここが映画のハイライトですよね。
一見アメリカの理想に見えるカーペンター家が、互いに何への不満を抱えていたのかを描くのが、速水さんの企画の核心です。速水さんは、旅行中に喧嘩したのは事実だが、カレンの振る舞いなどは憶測交じりのフィクションとして描いてほしい、と念を押しています。
長岡秀星が描いた『Now and Then』ジャケットの不穏
『Now and Then』のジャケットは、日本が世界に誇るイラストレーター長岡秀星 ── アメリカを拠点に活躍した日本人イラストレーター。アース・ウィンド・アンド・ファイアーのアルバムジャケットなど、緻密で幻想的なSF風の作品で知られますが描いています。書き起こしでは「長岡修造」となっていますが、ここでは一般的な表記にしています。モチーフは車と家です。
速水さんは、このジャケットが裕福で幸せな家を描こうとしたのか、アメリカの影を含んでいるのか判断がつかないといいます。見方によっては、1000円ぐらいの安いレコードのジャケットにも見えなくはないそうです。
長岡秀星はアース・ウィンド・アンド・ファイアーのジャケットで、エジプトのピラミッドのようなSF的・スピリチュアルな絵を描いた人です。その人が描いた家と車は、意味深とも、意味がわからないとも言える、と速水さんは話します。
エマ・ストーン、アダム・ドライバー、ニコラス・ケイジという配役
企画の締めくくりとして、速水さんは自分なりのキャスティングを披露します。映画俳優に詳しいほうではないので、誰でも知っている役者の範囲で選んだと前置きしています。
カレン・カーペンター役はエマ・ストーンです。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』でビリー・ジーン・キングを演じたエマ・ストーンのイメージが念頭にあるといいます。
カーペンター兄妹は見た目が特別洗練されていたわけではなく、カントリー感のある親しみやすさがありました。その親しみやすさはニクソンに気に入られた理由の1つであると同時に、見た目へのコンプレックスにつながったカレンの悲劇の部分でもある、と速水さんは説明します。
| 役 | 俳優 | 理由 |
|---|---|---|
| カレン・カーペンター | エマ・ストーン | 『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』のビリー・ジーン・キング役のイメージの延長 |
| リチャード・カーペンター | アダム・ドライバー | 有名どころでやりそうな感じ |
| ニクソン大統領 | ニコラス・ケイジ | 作品にふさわしいビッグバジェットのキャスティング |
速水さんは、この配役ではかなりのビッグバジェットになると認めつつ、カーペンターズの評伝映画ならそれにふさわしい予算で作るべきだと話します。劇中でもカーペンターズの曲をわんさかかけたいといいます。
クイーンとABBAよりもカーペンターズのヒット曲でみんなが知ってるレベルの曲の方がはるかに多いと思うんだよね。
ラストシーンは家の前のストップモーションと「Top of the World」
リチャードは車好きでフェラーリを持っていて、倹約家だったカレンもジャガーを持っていたそうです。映画は一部分を切り取る構想なので、カレンが亡くなるところまで描く必要はない、と速水さんは言います。
速水さんが考えるラストシーンは、悲劇を描かずに日常で終わるものです。レコーディングの帰りに兄妹がリチャードの赤い車でドライブし、家の前に車を止めたところでストップモーションになります。
その止め絵が、そのまま『Now and Then』のジャケットのイラストに転換するという終わり方です。少し不穏感がある画面に、明るい「Top of the World」が流れます。
自分たちは音楽の世界で成功して、家族も幸せ。一番ね、アメリカが頂点の時代を築いている。
速水さんの狙いは、成功と幸福の頂点を見せながら、それがこの先も続くのかは少し不安というニュアンスを残すことです。冒頭で語られた「理想の家族像」と、ジャケットの不穏さが、ラストで重なる構成になっています。
速水健朗さんが好きな2曲「Close to You」と「I Won't Last a Day Without You」
最後に速水さんは、好きなカーペンターズの曲として「Close to You」と「I Won't Last a Day Without You」を挙げます。本来ならあまり知られていない名曲を挙げる場面なのに、どちらもベスト盤に必ず入る2曲だと笑っています。
「Close to You」はカーペンターズがブレイクしたきっかけの曲です。バカラックの曲ですが、もともとはアレンジがうまくいかずあまり売れなかった曲を、リチャードが見つけてきてやらせてほしいと頼みました。
リチャードは「Close to You」をシャッフル ── 跳ねるようなリズムの一種。音符を均等に刻まず、長短をつけて弾むノリを出す演奏法です調にアレンジし、それがバカラックに褒められて、以後アレンジを任されるようになったそうです。バカラックの自伝に書かれている話だといいます。
「I Won't Last a Day Without You」は、宇多田ヒカルと椎名林檎がデュエットでカバーしています。2人でセッションしようという流れでこの曲になったエピソードが、速水さんはとても好きだといいます。
作詞のポール・ウィリアムズも自身のアルバムでこの曲を歌っていて、そちらもいいそうです。宇多田ヒカルと椎名林檎がポール・ウィリアムズ版を知っていた可能性もある、と速水さんは想像を広げます。番組の最後には、Spotifyのコメント欄を開放したことも告知されました。
まとめ
速水健朗さんは、カーペンターズの評伝映画を1973年5月前後に絞って企画し、理想のアメリカの家族に見えた一家の内側と、頂点の時代の不穏を描く構想を語りました。音楽通から蔑まれてきたカーペンターズを、別の視点から見直す回になっています。
- 今の評伝映画は、一番重要な場面を少しずらして切り取る視点が必要だと速水さんは考える
- 『Now and Then』はカバーが多いが、初のセルフプロデュースでリチャードのポップスマニア的志向が表れたアルバムと見られる
- ニクソンはカーペンターズに理想の家族像を見たが、その評価はセールス上むしろマイナスだったと速水さんは推測する
- 期待されなかった妹カレンがスターになった戸惑いと、アカプルコでの兄と母の喧嘩が企画の核心
- ラストは家の前のストップモーションから『Now and Then』のジャケットへ転換し、「Top of the World」で締める



