『翻訳できない 世界のことば』とはどんな本か
今回紹介されたのは、エラ・フランシス・サンダースイギリスの作家・イラストレーター。世界各国の「翻訳できない言葉」を美しいイラストとともに紹介した作品で知られる。著、前田まゆみさん翻訳、創元社の『翻訳できない 世界のことば』です。絵本のようにすぐ読めて、とても癒される一冊だと池田さんは語ります。
この本を手に取ったきっかけは、2025年の本屋大賞全国の書店員が「いちばん売りたい本」を投票で選ぶ文学賞。話題作の起点になることが多い。を受賞した阿部暁子さんの小説『カフネ』でした。著者インタビューで、タイトルの「カフネ」がこの本からインスピレーションを得たと語られていたことが、興味の入り口になったそうです。
世界には「一語では訳せない言葉」がある
「カフネ」という言葉を知って以来、池田さんは息子さんが寝た後に髪を撫でながら、心の中で「カフネ、カフネ」と唱えるようになったといいます。以前から知っていた愛情表現の仕草が、名前を知った途端、なんでもなかった夜を特別な時間に変えたのだそうです。
この本では日本語も紹介されており、「侘び寂び」や「木漏れ日」が取り上げられています。日本人にとっては当たり前の言葉でも、世界から見れば一語では言い表せない、キラキラした奇跡のような言葉なのだといいます。
本書からはほかにもいくつかの言葉が紹介されました。
初めてその人に出会った時の、自分の目の輝き。
語れないほど幸福な恋に落ちている状態。
愛する人の髪に、そっと指をとおすしぐさ。
ページをめくるたびに「この気持ち、知ってるけど名前があったんだ」という発見があり、プレゼントにもぴったりの宝物のような本だと池田さんは勧めます。
言葉には必ず「隙間」がある
この本を読みながら、池田さんは二つのことを考えたといいます。一つ目は少し切ない話です。翻訳できない言葉が存在するということは、言葉には必ず「隙間」があるということ。人は同じ頭を持っていない以上、同じ言葉を使っても、その人が思っている気持ちにぴったり重なることは絶対にないからです。
これは外国語だけの話ではありません。同じ日本語を話す家族や同僚でも、同じ出来事を見て同じ言葉を聞いても、受け取るものは違います。誰もが自分の経験や感情の積み重ねをフィルターにして、相手の言葉を「自分なりに翻訳」してしまうのです。
どんなに仲良くなり、言葉を尽くしても、相手の頭の中を割って覗き、まったく同じ景色を見ることは構造上できない。池田さんは最近この「孤独」について考えていて、人に囲まれていても消えない孤独の正体はここにあるのではないか、と語ります。
名前をつけると感情は救われる
二つ目は希望のある話です。池田さんは、この本を「言葉に隙間があるという切なさへの、人類の抵抗」だと捉えました。カフネもティアムもホレルスケットも、同じ気持ちにはなれなくても、なんとか形にしたいと願った誰かがつくった言葉です。翻訳できない言葉は、言葉の限界の証明であると同時に、それでも言葉にしようとした人間がいた証でもあるのです。
池田さん自身、カフネという言葉を知った瞬間に、子どもを撫でる愛おしさに「形」ができたと感じたそうです。名前がつくと感情は救われる ── これが本書から得た大きな気づきです。
この話から池田さんは、槇原敬之さんの「NAME OF LOVE」を思い出します。形のない切ない気持ちに名前をつけたことで、報われない恋に救いが生まれる ── その曲もまた「形がないものに形をつけたことで救われる」話だといいます。
そして池田さんは、自身が勧める「朝にノートを書く」習慣にもこの発見をつなげます。誰も自分の内側を完全には見られないからこそ、自分の言葉で内側を形にすることが大切なのだと。
AI時代に語学を学ぶ意味
池田さんが主催するコミュニティ「アサケリ」のメンバーとの会話で、「AIがあるから英語はもう勉強する必要ないよね」と言われたという話題が出たそうです。しかしこの本を読むと、そうでもないという希望を感じたといいます。
たとえばAIは「カフネ」を「髪を撫でること」とスッと訳してくれるでしょう。しかし、その瞬間にこぼれ落ちる言葉と言葉の間の「隙間」を感じる力、人との関係性によって生まれる翻訳できない何か ── そして自分の内側を自分の言葉にしていくことは、少なくとも今のところAIには任せられない部分ではないか、と池田さんは考えます。
言葉を辞書のように置き換える。AIで十分にこなせる領域。
その言葉を使う人の感情の隙間や文化的背景を汲み取る。人間ならではの領域。
後半のコメント回答でも、この視点は深められました。リスナーからの「言語学習はその言語の文化も知れるのが楽しい」という声を受けて、池田さんは、日本語の「検討します」が地域によっては断りを意味することもあるように、言葉の背景には文化があると語ります。海外で交通事故に遭った知人が、相手が非を認めても「謝ること=非を認めて大変なことになる」という文化のため決して謝らない、というエピソードも紹介されました。こうした言葉の中の「隙間」や文化を学ぶことは、やはり今のところAIには難しいのではないか、というのが池田さんの見立てです。
自分だけの造語をつくるワーク
番組恒例の「視聴後にできる問いワーク」として、今回は「自分だけの造語で気持ちに名前をつける」ことが提案されました。ぴったりくる日本語がないなら、オリジナルの造語をつくってしまえばいい、という発想です。
例として挙げられたのが月曜の朝の気持ち。一般には「サザエさん症候群」と呼ばれますが、それだと憂鬱さが増し、サザエさんは悪くないのに嫌な気分になってしまいます。しかし月曜は憂鬱なだけでなく、「さあ始まるぞ」というリセットされた感覚もあるはずです。
そこで、たとえば「月リセ(月曜のリセット)」のように名前をつけてしまう。誰にも通じない変な名前でもいい。名前をつけた瞬間、その気持ちは自分の中で「あるもの」になり、サザエさんを悪者にせずに済むかもしれません。これこそが、一人ひとりの「カフネ」なのだと池田さんは語ります。
すぐには難しくても、「火曜日の気持ちって何かな」と考えて名前をつけてみると、ちょっと頑張ろうと思えたりする ── 翻訳できない言葉を自分でつくってみることで、世界の見え方が変わる楽しさがあると池田さんは締めくくりました。
まとめ
『翻訳できない 世界のことば』は、世界中から集めた「一語では訳せない言葉」を紹介する絵本のような一冊です。池田さんはこの本から、言葉には必ず「隙間」があるという切なさと、それでも言葉にしようとする人間の営みという希望の両方を受け取りました。
誰も自分の内側を完全には覗けないからこそ、自分の気持ちに名前をつけることが、自分を味方にする方法になる。朝のノートも、自分だけの造語づくりも、その実践です。AIが訳せる言葉の先にある「隙間を感じる力」に、この本はそっと光を当ててくれます。
- 『翻訳できない 世界のことば』は、カフネや木漏れ日など一語では訳せない言葉を集めた癒しの一冊
- 言葉には必ず「隙間」があり、それが消えない孤独の正体でもある
- 名前をつけると、形のない感情が「あるもの」になって救われる
- 隙間や文化を感じ取る翻訳は、今のところAIには任せられない人間の領域
- ぴったりの言葉がない気持ちには、自分だけの造語で名前をつけてみる
