アイドルとプロレス、二重の練習生時代
渡辺さんの練習生期間は1ヶ月。アイドルとプロレス、その両方の練習生という形態だったといいます。
グループ合格の1週間後、大きなアイドルイベント「アットジャム」でステージデビューを果たします。一度だけのステージでしたが、正式なアイドルデビューでした。
その後、プロレスの練習生期間が始まります。演出としては「4人がプロレスラーになるべく修業する」という位置づけだったと振り返ります。
期間は1ヶ月で、最終的にグループに合格しました、という1週間後にアットジャムというアイドルの大きなイベントでステージデビューをさせていただいて。
用意されていたのは「アッパーキック」という戦う曲
アイドルのオーディションに合格した時点で、プロレス用の楽曲がすでに用意されていました。それが「アッパーキック」という曲でした。
ラリアットとか戦うぞとか、ロープ反動みたいな歌詞で、絶対にプロレスのことを言ってるだろうなって。
振り付けもアイドルの可愛らしいものとは違い、エクササイズのようだったといいます。
振りとかもつけてもらったら、これエクササイズじゃんみたいな。思い描いてた像とは違ったんですけど、でもステージに立てた時はすごい嬉しくて。
曲の意味はわからないまま、体力を使う曲を必死に歌ったそうです。それでもファンが声を向けてくれたことに感動したと話します。
「筋肉がつく前に逃げなきゃ」――受け入れられない自分
アイドルデビューを果たすと、社長からは「ここからはプロレスの練習をしないと立てない」と告げられます。渡辺さんは当時、騙されたような気持ちを抱えていました。
プロレスデビューしたらもう後戻りできないと思ったので、一刻でも早く、少しでも筋肉がつく前にここを逃げなきゃって。
筋肉をつけることへの抵抗が大きな理由でした。体を細くしたいという思いがあり、筋肉をつけるよう言われる現状を受け止めきれずにいたのです。
筋肉がついたらもう普通のアイドルにはなれないから、と思って。
他のオーディションも探していたといいます。今でこそアイドルが別のアイドルへ移ることは珍しくありませんが、当時はまだ一般的ではありませんでした。
東京女子プロレスに感じたアイドルとの近さ
一方で、東京女子プロレスの試合を見た時には強く惹かれてもいました。生の試合を初めて見たのはオーディション期間中の見学でした。
女の子が頑張ってる姿、輝いてる姿っていうのは同じだと思って。ここだったらなりたいって思ったんです。
会場BGMがモーニング娘。を思わせる曲だったり、入場曲にアイドル系の曲を使う選手がいたりと、アイドルに近い雰囲気を感じ取っていました。
123とか流れてたので、あ、大丈夫だ、怖くないって思って、もうすごい前のめりになってました。
ただ、筋肉はつけたくないという思いは残ったまま。プロレスそのものへのリスペクトがない状態で続けることにも、渡辺さんは引っかかりを感じていました。
リスペクトがない状態で続けるのも、それはそれで失礼だし、よくないなっていう気持ちです。
無謀なスケジュールで迎えたデビュー戦
9月から練習が始まり、わずか3〜4ヶ月後の1月4日にデビューが決まっていました。プロレス界では異例のスケジュールだったといいます。
後楽園ホールは1000人ほどが入る聖地です。渡辺さんはここに、アイドルとしての可能性を感じていました。
たくさんの人に見てもらえるアイドルになれるとは思ってなかったからこそ、プロレスに何か可能性を感じてた部分はありました。
受験勉強の時期に始めたプロレスを、渡辺さんは友達にも言えずにいました。親には最終オーディションの朝に一度止められたといいます。
プロレスラー本当になる気なの?このままだとなるけど、言ってた話と違うじゃんみたいな。
それでも渡辺さんは「絶対プロレスラーになるの」と押しのけて臨みました。親は不思議さと怒りの混じった気持ちだったようで、デビュー戦は見に来ませんでした。
カナディアンバックブリーカーで飾ったデビュー戦
デビュー戦は4人のメンバーで2対2のタッグマッチ。仲良しのアイドルユニットが、いきなり戦う形でした。
結果は渡辺さん側の勝利。決め技はカナディアンバックブリーカーでした。
練習生時代、渡辺さんは自分に力があることに気づきます。相手を肩に担ぐのが余裕だったことから、この技が選ばれました。
担いでみた時に余裕だったんですよね。逆に担げないわけないじゃんぐらいの気持ちで担げたので、カナディアンだねって。
アルゼンチンバックブリーカーは他にやっている選手がいたため、当時いなかったカナディアンが渡辺さんの技になりました。4人の中で一番インパクトのある技だったといえます。
山下実優戦――エルボーの瞬間に知った「楽しい」
デビュー直後は「楽しいかも」と感じる瞬間もありましたが、のめり込むまでには至りませんでした。好きになりきれないまま続けることに、罪悪感を抱いていたといいます。
好きじゃないのに続けてて、上手くなるわけがないって思いながら。
この半年間、渡辺さんはリングで歌うこともなく、セコンド業やチケットもぎりといった練習生の仕事に追われていました。歌から遠ざかる環境が、気持ちをさらに沈ませます。
転機は6月頃。アプガの4人がそれぞれトップの先輩とシングルマッチで戦うイベントで、渡辺さんはベルトを持つ絶対的エース・山下実優さんと対戦することになります。
火をつけたのは、タッグを組む先輩の言葉でした。音楽とプロレスを兼業で始めた渡辺瑠海さんが、記者会見で厳しい指摘をしたのです。
今のアプガ側はまだプロレスにのめり込めてない、ちょっと甘すぎるっていうのをはっきり言ってくれて、そこで完全に火がついて。
試合に向けて猛練習を重ねる一方、毎日続けていた配信では涙する場面もありました。頑張りたいのに頑張れない――そんな状態を渡辺さんは打ち明けます。
頑張りたいのに頑張れなくて、どうしたらいいかわからないっていうので、配信中泣いちゃって。
プロレスファンからは味方がいないと思い込んでいた渡辺さん。しかし配信で「頑張れ」という声をもらい、それが自信になったといいます。
迎えた山下戦は、新人のチャレンジマッチとしては異例のメインイベント。渡辺さんはボロボロになりながら全力をぶつけ、山下さんはそれを全て受け止めてくれました。
そして、意識が飛ぶほどの中で打ったエルボーに、ファンが沸きました。その瞬間、渡辺さんは初めてプロレスの楽しさを知ります。
試合後、ボロボロの状態で「アッパーキック」を歌う前に、渡辺さんはある宣言をします。
二兎を追う者は一兎をも得ずじゃなく、どっちも得て頑張りますって宣言して。
それはアイドルとプロレスの二刀流宣言でした。完全に切り替わったこの瞬間から、渡辺さんのスイッチが入ったといいます。
まとめ
筋肉への抵抗や罪悪感を抱えながら始まった渡辺未詩さんのプロレス人生は、山下実優戦のエルボーで大きく変わりました。ファンの声援と先輩の言葉が背中を押し、「楽しい」と思える瞬間へとつながっていきます。
- 渡辺さんはアイドルとプロレス両方の練習生としてキャリアを始め、当初はプロレスに抵抗を感じていた
- デビュー戦は得意技カナディアンバックブリーカーで勝利したが、のめり込むまでには半年かかった
- 先輩の厳しい指摘と配信ファンの声援が、山下実優戦への覚悟につながった
- 試合中に打ったエルボーへの歓声で、初めてプロレスの楽しさを実感した
- 試合後、渡辺さんはアイドルとプロレスの二刀流を宣言し、気持ちを切り替えた
