プロレスとアイドルが交差する場所からの入り口
番組のホスト・川邊健太郎さんは、もともとプロレス好きでありながら、近年はハロプロにも熱中していると語ります。
その中で、アイドル出身者が女子プロレスに参入していることを知り、いつか話を聞きたいと思っていたと明かします。
結構女子プロレスにアイドルの人が参入してるっていう話を聞いたことがあったんですよ。それがアップアップガールズプロレスっていうのは最近知って。
念願かなって迎えたゲストが、アップアップガールズ(プロレス)でチャンピオンにもなった渡辺未詩さんです。
まだ26歳ながら、アイドルを目指してプロレスラーになり、チャンピオンにまで至った経緯を、じっくり聞いていきます。
埼玉の「普通の家庭」で芽生えたアイドルへの憧れ
未詩さんは26歳、埼玉県出身です。特別なエピソードもない普通の家庭に育ったと振り返ります。
家族にアイドル好きの文化はなかったものの、未詩さん自身は物心ついた頃からアイドルが好きだったと言います。
最初に触れたのはモーニング娘。が流行っていた時代で、ミニモニ。のグッズを無意識に持っていたような記憶があるそうです。
小学生の頃には月島きらり(きらりんレボリューション)を好きになりますが、当時はまだハロプロという枠組みを意識してはいなかったと話します。
見ることとなりたいことは別のはずですが、未詩さんは早い段階から「なりたい」と思っていたと言います。
転機は小学5年生の頃、AKB48が流行し、みんなで真似するうちに、気づけば自分だけが本気でなりたいと思っていたと振り返ります。
みんなでハマって、みんなで真似して、気づいたら私だけなりたいと思ってたみたいな。
ソフトボールが作った、望まない筋肉質な体
中学では、ほぼ消去法でソフトボール部に入ります。きっかけは意外なところにありました。
当時のAKB48メンバーが出演した映画に触発され、「高校で野球部のマネージャーになりたい」と考え、ルールが近いソフトボールを選んだと言います。
ところが結局、高校までソフトボールを続けてしまいます。細いアイドルに憧れていた本人にとって、それは望まない結果でした。
すごい、自分の意思とは違う、やりたいこととは違う筋肉質な体になってしまったっていう。
雨の日には室内でも筋トレを重ね、逃げられない環境だったと語ります。当時の未詩さんにとって、筋肉はコンプレックスでしかありませんでした。
プライベートではAKB48の大島優子さん、そして指原莉乃さんを推し、プロレスには一切触れずに過ごしていました。
もう何にも触れることなく生きてました。
在宅オタとして極めた、オーディションへの挑戦
ライブに行ける家庭ではなかったため、未詩さんはYouTubeやホームページを毎日チェックする「在宅オタ」を極めていったと言います。
学校では、手を挙げる勇気がある時とない時があり、文化祭で目立つこともなかったと振り返ります。ただ、アイドル好きであることはクラスに広く知れ渡っていました。
最初にオーディションを受けたのは中学3年生の頃。AKB48のドラフト2期生のオーディションが始まりでした。
こっそり応募し、書類すら通らない日々が続きます。それでも辛くはなかったと言います。理由は少し複雑でした。
親や友達にアイドルになりたいと言えなかったため、通ってしまえば都内へ行く事情を打ち明けねばならず、むしろ通らない方が普段通りでいられたのです。
もし通っちゃったら、都内に行くって時点で言わなきゃいけないから。
それでも、書類が通ったかどうかメールは更新しながら確認し続けていたと語ります。
アイドルを目指した理由について、未詩さんは、努力して輝く同年代の女の子の姿に憧れたからだと話します。
努力して輝いてる女の子が素敵、なりたいってなりました。
AKB48、坂道シリーズ、ハロプロと、大きなオーディションには一通り応募したと振り返ります。メジャーからライブアイドルまで、起きている時間はずっとアイドルを調べていたそうです。
初めてのステージと、配信オーディションで味わった悔しさ
最初に世に出たのは、ライブアイドルの候補生としてでした。所属したのは、ぺこさん・りゅうちぇるさんと同系統の事務所のアイドル部門にあたるグループだと説明されています。
初めてステージに立ったのは高校2年生の時。パフォーマンスではなく挨拶や自己アピール程度でしたが、深く感動したと言います。
初めて世に出たというか、初めてステージに立ったのがそこでだったので。
当時はSHOWROOMを使った配信オーディションが主流で、視聴者から届く「星」の数などがランキングに反映される仕組みでした。
しかし未詩さんは配信のやり方がまったくわからず、経験者のいる中で何もできないままランキング下位に沈み、悔しい思いをします。
何をしていいのかわからなくて、なんか何もできなかったんですよ。
その後も練習生として続け、毎日同じ時間に配信し、コメントを拾って話を広げる技術を身につけていきます。田舎の子供の話を大人が聞いてくれる不思議さの中で、とにかく毎日続けることの大切さに気づいたと語ります。
ホストの川邊さんは、その姿が今の自分のYouTube配信と重なると共感します。
今みうさんが話されたの、ほぼ今YouTubeで私が頑張ってやってることですからね。
「プロレス」への違和感と、推理から始まった挑戦
研修生として活動する中で、未詩さんはアップアップガールズ(プロレス)のオーディションを受けます。ただ、そこに至るまでには迷いがありました。
候補生で落ちたタイミングで、憧れのアップアップガールズ2期のオーディションがありましたが、踏み出せず応募すらできませんでした。それが後の悔しさにつながります。
もうやっぱりライブアイドル界の頂点だと。当時。
その数ヶ月後に募集されたのが「プロレス」でした。未詩さんは、可愛い方向へ進み始めた2期の様子から、プロレスと名がついていても方向性が変わるかもしれないと推理します。
プロレスってついてるけど、2期が今オーディションの感じと雰囲気が違ってるから、きっとプロレス関係なくいけるわって思って。
さらに未詩さんは、家庭で「骨が太い」「アイドルになれるわけない」と言われて育ったことから、逆にこのグループなら向いているかもしれないと感じます。
ここでホストの川邊さんは、元プロ野球選手・古田敦也さんが田中将大投手を評した際、プロとアマの違いは骨格だと語っていた逸話を紹介します。
細くなろうとしていた過去を、未詩さん自身は「無駄な努力だった」と笑って振り返ります。
今までコンプレックスだったので、その筋肉とか太い腕とかが。それが喜ばれる世界って初めて見たと思って。
「これになる」と確信させた、筋肉が喜ばれる世界
高校3年生の春、未詩さんは不退転の決意でこのオーディションに応募します。就職活動もしつつ、頭の中はどのオーディションを受けるかでいっぱいだったと言います。
もうここで受からなかったら、夏休み明けにはちゃんと就活しなきゃっていう。
応募時には、バットを握った写真などソフトボール時代の写真を載せ、スポーツ女子であることを全面的にアピールしました。
書類が通った瞬間、これまでとは違う手応えを感じたと言います。
これまでに来た連絡とは違う、あ、私これになるみたいな、気持ちにその時点でなってました。
選考では、腕を見せてほしいと言われ、筋肉が高く評価される経験をします。アイドルのオーディションではありえない反応でした。
最終審査には東京女子プロレスの当時のチャンピオン・山下さんも加わり、体力審査やマット運動、ミット蹴りなどが行われたと語られています。プロレスをまだ見たことのなかった未詩さんは、その意味がわからないまま臨んでいました。
なんでこれ蹴ったりしてんだろうみたいな。これが何になるんだっていう気持ち。
公開練習生に選ばれたのは4人。全員が最終的に合格しました。自分よりはるかに細いメンバーを見て、やはりアイドルなのだと感じつつも、デスマッチが好きというメンバーもいて、本格的なプロレスへの入り口だと実感していったと言います。
面接ではプロレスへの好意を必死にアピールし、この頃には未詩さん自身も「プロレスラーになりたい」と本気で思うようになっていました。
もうこのメンバーになりたいので、プロレスもやってみたいですっていうのはすごいアピールして。
まとめ
アイドルに憧れながらも、ソフトボールで培った筋肉をコンプレックスに感じていた渡辺未詩さん。その筋肉が才能として喜ばれる世界と出会い、迷いながらもプロレスの道へ踏み出していく原点が語られました。
- 物心ついた頃からアイドルに憧れ、中学3年から数多くのオーディションに挑み続けた。
- 望まずについたソフトボールの筋肉は、当時の未詩さんにとってコンプレックスだった。
- 配信オーディションで悔しさを味わい、毎日続けることの大切さに気づいた。
- アップアップガールズ(プロレス)のオーディションで、筋肉が初めて才能として評価された。
- プロレスを知らないまま挑んだ選考の中で、「プロレスラーになりたい」という思いが芽生えていった。
