ヘルシンキ出張で見つけた、20年前のルーツ
青木さんは最近、フィンランドのヘルシンキに1週間ほど滞在していました。メインの目的は、大きな取引先との取り組みに向けて先方の本社を訪ね、人間関係をしっかり作ることだったといいます。
ヘルシンキ出張の背景には、会社の節目もありました。今年はクラシコム創業20周年、来年は「北欧、暮らしの道具店」開店20周年にあたり、青木さんは北欧というビジネスのルーツを確かめ直し、関連コンテンツの取材も行ったそうです。
青木さんにとってヘルシンキは何度目かの訪問ですが、旅行が苦手なこともあり、回数は意外と少ないといいます。今回はGoogleマップで店を探し、配車サービスのBoltで移動できる便利さに驚いたと話しています。
前は本当に買い付けのために行ってたんで、いかに効率よく買い回るかしか考えられなくて。
お金的な余裕もなかったんで。だから、「あ、ちゃんと街を見てなかったな」っていうことに気づきましたね、今回ね。
青木さんにとってヘルシンキ滞在のハイライトは、初訪問の夜の思い出の場所でした。店が早く閉まりマクドナルドしか開いておらず、メニューが読めないまま一番安そうなものを頼んだら、大人2人で子ども用セットを2つ注文していたといいます。
おもちゃ付きのセットを怪訝な顔で渡されたそのマクドナルドを今回探し当て、中に入って記憶がよみがえったことが、青木さんにとって一番の出来事だったそうです。
一方、今井さんがヘルシンキを訪れた際の思い出は、船で15分ほどのロンナ島です。ほぼサウナだけの小さな島で、地元の人たちが強い酒を瓶で回し飲みしていたといいます。
体の作りが違うから、何度か回ってきて、最後の方(酒は)飲むふりしてます。
「自走」の意味は、実は人によって違う?
今回のテーマ「知らないなりに考えるってどういうこと?」のきっかけは、青木さんのFacebookのメモです。問われたことに答えを出せる人でも、問いを立てるのはまた別の能力で難しい、という内容でした。
今井さんは、誰かに質問してもっともらしい答えが返ってきたとき、そのまま受け取ってしまうことはよくあると指摘します。「この場合はどうでしょう」と仮説を立て、物事を構造的に見る力とは何かを話したい、というのが今回の出発点です。
青木さんはまず、考えずに「了解事項」として流通している言葉が多いと話します。例として挙げたのが、クラシコムで半年ごとに社員への期待を決めるキャリブレーション ── 本来は計器の目盛りを合わせる「較正」の意味。人事では、評価者ごとの基準のずれを会議などですり合わせる取り組みを指しますで、各部門が書く役割定義の統一感を青木さんが最後にチェックしているそうです。
役割定義の中でよく使われるのが「自走できる」という言葉です。青木さんによれば、枠組みが決まっていれば渡されたものを自分で回せることを自走と考える人もいれば、枠組みそのものを更新できて初めて自走だと考える人もいます。
決められた枠組みの中で、渡されたものを自分で回せること
枠組みそのものを見直し、更新するところまでできること
部門ごとに「自走」の意味が違えば評価が混乱するため、青木さんはその定義を揃える作業をしているといいます。「今日暑いよね」の「暑い」が人によって何度以上か違うように、人はそれぞれ違う前提で生きている、と青木さんは話します。
それを揃えるためには、どちらかが、もしかしたらそうかもっていうことに気づいて、相手に「どういう意味ですか?」って尋ねるところからしか、調整のしようがないじゃん。
青木さんは、本当は合意できていないかもしれない言葉に気づいて問うことが大事だとしつつ、「自走大事ですよね」と普通に使っているうちは、なかなか疑えないとも話しています。
「経営者視点」と「当事者意識」は同じ言葉?
今井さんは、言葉の意味がずれる問題の裏返しとして、同じことを求めているのに言い方だけが違うケースもあると話します。例に挙げたのは、2000年代のビジネスシーンでよく聞かれた「経営者視点」という言葉です。
今井さんによれば、「社員も経営者視点を持とう」という経営者に都合のいい言葉は、2010年代には「圧倒的当事者意識」に置き換わったように感じるといいます。どちらも、会社の経営に対して当事者意識を持とうという意味だったのではないか、という見立てです。
2000年代: 「経営者視点を持とう」
2010年代: 「圧倒的当事者意識」
青木さんはこれを受け、経営者視点や当事者意識が「どこまでなのか」も人によって違うと応じます。そして、意味が違うかもしれないという違和感に気づくことが、最初の一歩だと話します。
知らないっていうことを知らないと、知らないことを考えられないんだよね。
青木さんの考えでは、言葉の意味が確定していないと気づきさえすれば、「君はどう思う?俺はこう思う、じゃあこの辺にしよう」と擦り合わせるのに大した技術はいりません。
むずかしいのは「知らないと思っていない知らないこと」
今井さんが「どうやったら気づけるのか」と問うと、青木さんは知らないことには大きさがあると答えます。たとえばツドイに製薬会社からオウンドメディアの依頼が来たら、製薬会社のことを知らないと自覚できるので、業界を調べたり人に話を聞いたりするはずです。
だけど、知らないと思ってない知らないことがね、山ほどある。これがね、むずいよな。
青木さんは、多くの人は「自分は知らないことだらけ」と自覚しているものの、知っていると思っていることの中にこそ大量の知らないことがあると話します。その例えが「細胞は宇宙」という言い方や、心臓の仕組みを考えすぎて不安になる人の話です。
ただし青木さんは、意識を向けていない知らないことがあるのは、幸せに生きるためには健全だとも言います。「自走って何だろう」と考えている人のほうが、むしろ不幸せではあるというのです。
それでも、そうした人にしかできない貢献があり、求められる世の中になってきているかもしれないと青木さんは考えます。自覚している「わからないこと」は調べればわかるため、わからないことを他の人よりわかっている人のほうが、問いを立てられるからです。
自覚している知らないこと
製薬業界のように、知らないと意識できる
調べる・聞く
意識できれば、調査やインタビューで補える
自覚していない知らないこと
「自走」のように知っているつもりの言葉に潜み、考える機会そのものを阻む
企画は「ちょいずらし」が面白い?絶対領域という名前
青木さんは、企画では全然違う視点よりも「ちょいずらし」がいいという意見について、今井さんに問いかけます。今井さんはそう思うとしたうえで、自身の持論を紹介します。
まだ認識されていないものに名前をつける時は、みんながよく知ってる言葉をつけた方がいい。
今井さんが例に挙げたのは、オタク文化の言葉「絶対領域 ── アニメや漫画のキャラクターで、短いスカートとニーハイソックスの間に見える太ももの部分を指す俗語。2000年代にオタク文化で広まった言葉です」です。スカートの裾とニーハイソックスの間の肌の部分を指し、名前のなかったものにみんなが知る言葉をあてた点で、いいネーミングだと評価しています。
一方、同じ状態のニーハイの部分を指す言葉もあったものの、数学か哲学のような難しい言葉が使われていて全く普及しなかったといいます。今井さんは、新しいものほど絶対領域のような名前をつけようと意識しているそうです。
みんなが知っている言葉で名づけ、広く普及した
数学か哲学のような言葉を使い、全く普及しなかった
今井さんは、自分たちが企画したイベント「Podcast Weekend」も同じ考えで名づけたと話します。ポッドキャスターが集まる文学フリマ ── 文学作品の展示即売会。プロ・アマ問わず、自分で作った本や冊子を出展者が直接販売するイベントとして各地で開かれていますのようなイベントで、「ポッドキャスターたちが週末にやっている何か」が伝わることを重視したそうです。
全部が未知だと伝わんないってのはすっごいありますね。
青木さんは、わかるとわからないの両方を視野に入れているからこそ、そうしたネーミングができるのだとまとめます。
「北欧、暮らしの道具店」はなぜわかりやすさに振ったのか
今井さんは、「北欧、暮らしの道具店」も同じ意味でいい名前だと話します。類例の少ない中で新しいことを始めるとき、「ヘルシンキなんとか」のような名前だったら伝わりにくかったのではないか、という見方です。
青木さんによれば、当時先行していた店はフィンランド語やスウェーデン語、英語っぽい名前が多く、「何々のお店○○」とタグラインと店名を並べる書き方が主流でした。そこで、タグライン自体を店名にしたほうが手っ取り早いと考えたそうです。
青木さんは、Googleの検索結果には基本的に店名しか出ないため、タグラインがそのまま店名になっていれば、表示された時点で何の場所かがわかると説明します。今井さんが無印良品を挙げると、青木さんも素晴らしいネーミングだと応じました。
知識がないと、問いは出ない
青木さんは、絶対領域の反対側のように難しい名前をつけてしまうのは、「こういうことをするとこうなる」という一般論のあるあるを知らないからではないかと話します。しくじった経験や事例を知っていれば、初めてのケースでも「こうなりそうだから別のパターンも考えよう」という問いが出るからです。
ところが、知識を「解」にばかり使っていて、知識はあるのに問い慣れていない人もいると青木さんは言います。その理由について青木さんは、知識を抽象化していないからではないかと考えています。
抽象化の例として青木さんが挙げるのが「経営は子育てみたいなもの」という表現です。手間がかかる、ドライな関係だけでなく愛情も必要、時間がかかるので待たなければならない、といった要素がぎゅっとまとめられているといいます。
抽象化してアナロジーで結びつけずに知識を入れているだけだと、必要な場面でその知識が出てこない、と青木さんは話します。編集や企画は、子育てと経営のように一見離れたものをくっつけて考える仕事だといいます。
一方で、実務レベルの仕事ではむしろ「余計なことをするな」とされやすい、と青木さんは指摘します。会計の実務者なら、とにかく正確に仕訳や計算処理をしてほしいと言われるかもしれません。マネジメントやリーダーになって他部署も見る必要が出てくる30歳くらいまで、アナロジーはあまり求められないというのが青木さんの見方です。
「勉強してからテストを受ける」だけでは足りない理由
青木さんは、アナロジーを鍛える機会が少ない理由を、学生時代から一貫して「勉強してからテストを受ける」順番にあると考えています。
実はこのアナロジー的な頭の使い方をしないといけないのって、勉強してないのにテストを受けなきゃいけない時なの。
英語や国語のように、勉強したことがそのまま出るわけではない教科では、「ここはこうだからこうじゃない?」とアナロジーでなんとかしている場面がある、と青木さんは話します。ただ、その割合は絶対的に少ないといいます。
現実の世界では「この知識を入れたらこれに役立つ」が通用する範囲に限界がある、と青木さんは続けます。手持ちの知識だけでやりくりするとき、「これが子育てだとしたら」と全然違う経験を引っ張り出すことになり、素人として事に向かう経験が抽象化と結びつけの力を鍛えるのではないかという考えです。
入れた知識を、入れた目的どおりに使う。訓練の機会は多い
手持ちの知識を抽象化して総動員し、アナロジーでやりくりする。訓練の機会は少ない
抽象化した状態での、「あ、これ進研ゼミで見たやつだ」をできないといけない。
青木さんは、順調に勉強し、教育体制の整った会社に入って知識を積み上げていく人には、完全な素人として事に向かう機会が、力を鍛えられるほどには多くないのかもしれない、と話します。ただし青木さん自身はその経験がないので、わからないとも付け加えています。
プロジェクトの見積もりを、なぜみんな信じてしまうのか
青木さんにとって、目の前のことをそのまま受け止めず一度疑うのは自然な疑問だといいます。よくある例が、オフィスづくりやシステム構築のように数ヶ月から1年かかるプロジェクトで、担当者が出してきた期間をみんなが強く信用してしまうことです。
青木さんによれば、多くの人は見積もりの期間を守らせるためにチェックや指導を頑張ろうとします。それも大事だとしながら、青木さんの感覚は違うといいます。
半年って言ってきたら、まあ8ヶ月で来れば御の字だな。それはもう何の根拠もないよ。
今井さんが「大体2、3倍かかる」と応じると、青木さんは、半年の予定が1年かかっても困るけれど、それでも大丈夫なようにしておかないと危ないと話します。周りがスケジュールは押すかもしれない程度に考えている中、青木さんは100パーセント押すと思っているそうです。
だからこそ青木さんは、見積もりが出てきたらすぐに前提を質問します。たとえば、見積もりにバッファがすでに入っているのか、それともカツカツなのかを確認します。
- そもそもどういう前提で立てた見積もりなのか
- 横入りの仕事やバッファは見込まれているのか
- 何人で進めるのか
- 自社でやるのか、下請けに出すのか
青木さんは、バッファ込みの見積もりに自分がさらに余裕を見込むと二重バッファになってしまうと説明します。哲学問答のような問いではなく、限られた情報を立体的に把握するための細かい質問が本当はたくさんあるはずだ、というのが青木さんの考えです。
知らないのは大丈夫なんだけど、「なんでそんなにみんな聞かないんだろう」みたいな。
青木さんは、専門家に変な質問をするのは失礼だと思っている節さえあると話します。お題を疑わずに進めると、解決力のある人ほどあさっての方向へものすごいスピードで走り出し、止められなくなってしまうそうです。
なぜ聞く人と聞かない人がいるのか
今井さんは、自分は聞くほうの人間だと話します。新卒でWebディレクターをしていたとき、ディレクター、デザイナー、エンジニアのチームの中で、情報の非対称性が最も大きいのはエンジニアだったといいます。
今井さんによれば、エンジニアは安全に仕事を進めるために制作期間の多くを確保しようとしました。今井さんは「取りすぎでは」と感じたときに理由を一つずつ尋ね、面倒がられながらも認めてもらえたそうです。ただ、なぜ自分が聞くのかは今井さん自身にもわからないといいます。
青木さんは、聞ける理由として2つのパターンを挙げます。別のことで痛い目を見たり「あるある」を知っていたりする情報によるものと、相手の立場なら自分も同じことをするだろうという想像力によるものです。
青木さんは、こうした話を聞くと賢い人ならみんなやっていると思うかもしれないが、通常の領域から半歩でも離れると急にこの力を使わなくなる人は、非常に賢い人や実績のある人の中にもいると話します。
青木さん自身が聞けるのは、専門性が一つもないので、すべてにおいて聞く姿勢になっているからだといいます。今井さんも「青木さんは全部値段とか聞いちゃう」と同意します。
「最初からわかってました」みたいな人よりは、もしかしたらわかりが遅いかもしれないけど、やるべきことは結構ちゃんと確認してからやるから、遅く始めても結構追いつける。
歌舞伎とドリフに見る、全国ヒットの構造
青木さんは、アナロジーで考える力を教えたいのに、うまく教えられたことがないと打ち明けます。そこで今井さんは、興味と抽象化に関する最近の体験として、東海道五十三次 ── 江戸の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ東海道に置かれた53の宿場。歌川広重の浮世絵などでも知られていますが出てくる歌舞伎の話をします。
東海道ものの作品は、日本橋から京都の三条大橋を目指す東から西への展開が多いのですが、今井さんが観た演目は逆に三条大橋から始まりました。序盤に出てくる大津や草津は今井さんの地元で、いつもは寝てしまう歌舞伎に、その日は集中できたといいます。
このとき今井さんが思い出したのが、ザ・ドリフターズの「いい湯だな」です。4番まである歌詞で、北海道の登別から始まり、最後は別府へと、北から南へ温泉地が移っていくといいます。
今井さんが調べたところ、この曲は元々群馬のご当地ソングで、上州や草津など群馬の温泉が歌われていたそうです。ドリフが歌詞を全国の温泉地に変えて歌ったら大ヒットした、と今井さんは紹介しています。
群馬のご当地ソング。草津など群馬県内の温泉を歌う
ドリフ版。北海道の登別から別府まで全国の温泉地を歌い、大ヒット
今井さんは、全国的なヒットを狙うときの一つの手として、聴き手の地元に触れることがあるのではないかと考えます。こうして体験を抽象化してしまっておくと、後で使えるようになるという直近の例だといいます。
抽象化すると「ざっくり自分の中に入れられる」
青木さんは、具体的な事実を腑に落ちるまで理解するには多くの情報量が必要だと話します。「つまりこういうことでしょう」まで抽象化すれば、一度ざっくり自分の中に入れられるので、認知能力にあまりプレッシャーをかけずに済むといいます。
本質的に言うとそんなに賢くないから、抽象化する癖がついてるとも言えるなと。
青木さんは学生時代、よく喋るのに印象ほど成績が伴わないタイプだったと振り返ります。パッとつかんで理解するのは得意でも、正確性や再現性はなく、自分の能力の範囲で物事を理解するには抽象化が必要だったそうです。今井さんはこれを「ドット絵にしておく」と表現しました。
一方で抽象化には弊害もあります。今井さんは独立後、サーバー担当のエンジニアに「蜂の巣と一緒ですね」と言ったところ、「雑な比喩は良くない」とたしなめられた経験を話します。青木さんも、偏見につながりやすいなどの弊害はあると認めています。
それでも青木さんは、データベースに抽象的なことしか入っていないからこそ、全然違う場面でも過去の経験を引き出しやすいのかもしれないと話します。今井さんは、物理を極めた人のように頭が良く抽象化も上手な人もいると補い、青木さんはアカデミックな専門家は両方できる気がすると応じました。
「これは良問ですね」と言える人はなぜすごいのか
青木さんは、記憶したものを引き出して解決する能力が高くても、必ずしも問えるわけではないと話します。そのうえで挙げたのが、よく見ているという高学歴YouTuberが難関大学の過去問を分析する動画です。
頻出ワードでね、「これはね、良問ですね」っていうワードがあって、俺すごく面白いなと思うわけ。
青木さんは、良問とは理にかなっていて、本当の理解度を選別できる問題を指しているのだろうと考えます。解けたかどうかではなく、問題そのものを評価できる人は自分が及びもつかないレベルだ、というのが青木さんの見方です。
青木さんは、良問かどうかを見る感覚があれば、あらゆることをつかみに行けるのではないかと話します。相談を受けたとき、相談の仕方やそこに含まれる前提が危うい、このまま答えたらかえって変な方向に行く、と気づけるのがその感覚だといいます。
青木さんによれば、良問か悪問かという議論は、簡単か難しいかの話ではありません。目的に合っていて、理解度を正しく問えて、小手先でもなく、ちょうどいい難易度かを指しているのではないかと想像しています。
難易度だけを見る評価
目的に合い、理解度を正しく選別できるかを見る評価
青木さんは、目の前の相談をいきなり解こうとせず、まず問題そのものを評価する観点を持つと、見える景色が変わりそうだと話しています。
問う力とは、悪問を良問に変えてから解く力
今井さんは、高校3年生で野球部を引退し、理系クラスで受験勉強を始めた頃の話をします。東大や京大の二次試験の数学には「円周率はなぜ3.14なのか」を証明させるような根本的な問題があり、良問集を息抜きに解いていたといいます。
解答を読んでもわからない問題を数学の先生に持っていったところ、今井さんは「お前こんなんできんでいい」と言われてしまいます。今井さんは、そのときに道を断たれたように感じたと振り返ります。
問う能力って、筋の悪い問題を良問化してから解こうとする作業なの。
青木さんは、テストで「何年度のあの問題は良問だった」と言われる以上、誰も解けない、あるいは誰でも解けるような悪問もあるはずだと話します。社会でも目の前に持ってこられる問題は良問ばかりではなく、悪問を良問に変えるために結局質問しているのかもしれない、と青木さんは考えます。
今井さんは、2人が初めて会ったときの話を持ち出します。青木さんがノリノリで「ポッドキャストやりたいんだよね、流行ってるじゃん」と言い、打ち合わせの帰り道に今井さんたちは「どうする?これ」と話していたそうです。青木さんは自ら「悪問」と笑って認めました。
お題が届く
「ポッドキャストをやりたい」のような筋の悪い問題もある
悪問だと気づく
良問とは何かを知っていれば判断できる
問いを立て直す
質問を重ねて、良問として返す
解く
整えた問いに取り組む
青木さんは、悪問を良問として返すには良問とは何かを知っている必要があり、だから良問集が大事なのだと今日整理できたと話します。今井さんが「それを自分なりに作っていくこと」とまとめると、青木さんもうなずきました。
まとめ
「知らないなりに考える」ための出発点は、知らないこと自体ではなく、知らないと気づけていないことにあります。青木さんと今井さんは、「自走」の定義や見積もり、ネーミング、良問という具体例を通じて、自分なりの良問集を作っていくことが問う力につながると語りました。
- 問題は「知らないこと」ではなく、知っているつもりの言葉に潜む「知らないと思っていない知らないこと」に気づけないこと
- 知識は解を出すだけでなく、抽象化してアナロジーで結びつけることで問いを生む
- 見積もりや相談は鵜呑みにせず、前提を細かく質問して立体的に把握する
- 問う力とは、悪問を良問に変えてから解く力であり、そのためには良問とは何かを知っておく必要がある



