出会って10年、なぜ2人はまだ隣に座るのか
ラブグラフは、全国のカメラマンとお客さんをつなぐ出張撮影サービスです。共同創業者の駒下純兵さんと村田あつみさんは、ミクシィへのM&Aを経た今も一緒に働いています。
収録前、ホストの高木信平さんは、空いているスペースがいくつもあるのに2人がわざわざ隣同士に座って仕事をしている姿を見て、仲の良さに驚いたと話します。長く一緒にいると、普通は「もういいよ」という空気になりがちだからです。
一緒にやり始めて10年目になるという2人の関係を、駒下さんは「夫婦みたい」と表現します。一方で村田さんは、その仲の良さには意識的な部分もあると明かしました。
なんか会いたくない人と毎日会うの嫌だから、(駒下を)好きであろうみたいな風にめっちゃ努力してて。
駒下さんによれば、自分からご飯に誘うことはあまりないものの、話すべきことがあると感じたときは村田さんの方から「今日ご飯行こう」と声をかけてくれるそうです。
駒下さんは、2人が喧嘩もたくさんして、お互いの腹の立つところまで話し尽くしてきたと振り返ります。今この言葉を言ったら相手がどう思うかも、なんとなくわかる関係だといいます。
お互いのなんかムカつくこととか、多分今これ言った時、相手がどう思ってんやろなっていうのもなんか何となくわかるし、それをお互い多分わかってると思うんで。
村田さんが「親よりわかって(る)」と添えると、駒下さんもそれに同意していました。
関西のカメラ小僧と、起業に憧れたデザイナー
自己紹介で駒下さんは、世の中では「コマゲ」と呼ばれていると笑いを誘いつつ、事業の中身を説明しました。ラブグラフには日本全国で1000人ほどのカメラマンがいて、現地のカメラマンと現地のお客さんをつないでいます。去年の3月にミクシィにM&Aされ、現在はその中で事業を続けています。
村田さんはCCOで、「あんみつ」と呼ばれています。収録の2日前がちょうどラブグラフの8周年でした。当時20歳の「ただのカメラ小僧」だった駒下さんと出会い、学生デザイナーだった村田さんがサイトを作り、駒下さんが写真を撮る形で立ち上げたといいます。
高木さんが、当時の関西では学生起業家は珍しかったのではと尋ねると、駒下さんは東京に比べてかなり少なかったと答えています。ただ、駒下さん自身は起業が流行っているから始めたわけではありませんでした。
起業に憧れていたのは村田さんの方でした。きっかけは、東京のスタートアップ、MERYの存在です。
私は東京の起業家に憧れてて、MERYの綾太郎さんが好きで、インスタとかフォローしてて。
仲良しのメンバーでなんか世界変えるぞみたいな。あのテンションに憧れて私もやりたいなって思って。ちょうどいいの来たわみたいな感じで。
村田さんが駒下さんに声をかけたのは2013年末です。その後、MERYがDMMにM&Aされたのを見て衝撃を受け、起業を決心したと語っています。村田さんによれば、それは2014年のことでした。
とはいえ、当時の2人は友達ではありませんでした。駒下さんいわく「会ったことない相互フォロー」の関係です。2人は関西の美男美女スナップサイト「美学生図鑑」に関わっており、村田さんはそのサイトを作ったデザイナー、駒下さんは大勢いるカメラマンの1人でした。
でも僕からすると運営の人みたいな。僕はモブカメラマンやったんで。
戦場カメラマンを目指した青年が、カップル写真にたどり着くまで
駒下さんがスナップサイトでカメラマンをしていたのは、カメラが好きで腕を磨きたかったからです。Instagramも出たてで、写真を撮る機会やカメラマンのコミュニティが今ほどなかった当時、腕を上げる手段はそれくらいしかなかったといいます。
ただ、綺麗な人を撮り続けて写真がうまくなり、フォロワーが増えても、駒下さんは「世の中のためになっているのか」という疑問を抱えていました。
僕が最初はそれこそ美男美女みたいな撮るカメラマンずっとやってたんですけど、可愛い子撮っててもなんかしゃあないなみたいな気がしてきて。
駒下さんが最初に目指したのは、戦場カメラマンでした。しかし、世の中に戦争の写真はたくさんあるのに戦争は止まっていない、という現実に行き当たります。写真で悲しい現実は伝えられても、世の中を変えるムーブメントまで持っていくのは難しいかもしれない、と考えたそうです。
そこで駒下さんは、戦争も突き詰めれば「もっと豊かになりたい人同士の争い」だと捉え直しました。そして、SNS世代は誰かとの比較で幸せを測ってしまっている、という問題意識にたどり着きます。
なんかその誰かとの比較で持ってないものばっかり目に向けてたら、なんか人間って幸せにならへんなってところで。
駒下さんにとって写真の役割は、家族や恋人、友達、仕事仲間のように「いて当たり前」になった存在が幸せなものだと改めて伝えることでした。駒下さんは、その幸せが人から人へ連鎖していく流れを、次のように描いています。
写真で気づく
当たり前になった家族・恋人・仲間の存在が、幸せなものだと写真を通して伝わる
自分の人生を幸せだと思う
今あるものに目を向けられる人が増える
誰かに優しくする余裕
幸せだと感じた人は、他の人に優しくできる
優しさが広がる
優しくされた人がまた別の人に優しくし、世界が良くなっていく
高木さんは、20歳でここまで考えていたことに「悟りみたいな世界やん」と驚き、ウェルビーイングの本質にすでに気づいていたと受け止めていました。駒下さんはこの構想をTwitterでつぶやき、そこに反応したのが村田さんでした。
え、見て、見つけたと思って。原石的なものを、起業の種みたいなのを見つけた。
趣味の写真をウェブサービスにし、VCに「詐欺では」と疑った日
村田さんがラブグラフのコンセプトに確信を持てた理由は、自分の感覚への自信でした。カリスマではないけれど、ミーハーでマス感覚を持っているという自信だけはあったため、自分に刺さったものはみんなにも刺さると考えたそうです。
駒下さんは当初、Twitterに写真を載せたり、ブログにまとめたりする程度の活動を考えていました。それに対し、サイト制作のスキルがあった村田さんが「サイトにしてサービスとしてリリースしへん?」と提案します。サーバーはヘテムル ── GMOペパボが提供するレンタルサーバーサービス。個人や小規模なウェブサイトの公開によく使われますで借り、ドメインはムームードメインで取りました。
サービス名は最初から「ラブグラフ」です。「リア充爆発」と言われる時代に、あえて幸せを真正面から見つめてみませんか、という打ち出しで公開したところ、一晩で3万PVを集めるほど話題になりました。友達のカップルなどを15〜20組ほど撮りためてから公開し、写真がたくさん並ぶ見せ方にしたといいます。
この段階のラブグラフは、出張撮影の申し込みを受けるサービスではありませんでした。駒下さんは「メディアっぽい認識」、村田さんは「写真集みたい」と表現しています。リリースは2014年で、法人化はその約1年後です。
法人化のきっかけは、ベンチャーキャピタルからの声がけでした。村田さんはすでにリクルートの内定を持っていた時期で、MERYのつながりから、京都の学生起業家を探していたジャフコ ── 日本の老舗ベンチャーキャピタル。スタートアップに出資し、株式上場やM&Aによる成長を支援していますの担当者を紹介されます。
え、いいねみたいになったのに。え?っていうかでも会社にしてないんですよねみたいな。え?会社にしてないの?まず会社に登記、会社登記してくれる?みたいな感じで言われて。
京都大学の前のカフェでの面談を終えると、村田さんは店を出たところで「もう登記しへん?」と持ちかけ、駒下さんも「じゃあしますか」と応じました。一方の駒下さんは、会社にする意味も、出資の仕組みもよくわかっていなかったといいます。
スーツ着た人に学生で呼ばれて。なんかこれ怪しい。なんか詐欺なんじゃないかと思って。
村田さんは、MERYの事例を見ていたため「起業家といえば資金調達」と考えていました。村田さんは自分の役割を、駒下さんのやりたいことに「箱」を作ることだと捉えています。サイトを作り、株式会社という器を作るのは、デザイナーとしてブランディングが好きだったことの延長だったそうです。
依頼が3倍に増えた転機と、早くから考えていたEXIT
高木さんが、プロダクトが市場にはまったと感じたのはいつかと尋ねると、駒下さんはカザクのプランを変えたときだと答えました。自分たちがSNSを頑張らなくても、刺さるものを出せばこれほど依頼が来るのかと実感したといいます。
変化は広告の効率に表れました。村田さんによると、依頼が入るたびに流れるSlackの通知チャンネルの件数が、それまでの3倍ほどになったそうです。
自分たちのSNS発信や広告に頼っても、依頼数は伸び悩む
広告のコンバージョンが大きく変わり、Slackに流れる依頼数がそれまでの3倍ほどに
時期は創業から丸3〜4年が経った頃で、高木さんは2019年ごろと確認しています。駒下さんは、順風満帆ではないものの、おおむね軌道に乗っていた状態だったと振り返りました。
4〜5年目に入ると、駒下さんは上場か売却かというEXITのあり方をぼんやり考え始めます。上場した場合の時価総額と売却した場合の金額の差分などを考えるうちに、相性のいい会社があるなら売却の方が自分たちには向いていそうだと感じていたそうです。
なんかあったらそこの先にグループ会社になるみたいな選択肢が取れるような会社からの資金調達が割と未来、いろんな選択肢を増やすという意味では有効だなと思って。
こうした考えから、資金調達ではできるだけ事業会社から出資を受けるようにしたといいます。ミクシィもその位置づけで、ドコモも出資元の1社でした。ミクシィとは資本業務提携を結び、2年ほどを経て子会社になっています。駒下さんは、こうした悩みを親身に聞いてくれるVCの担当者にも何でも相談していたそうです。
「摩擦力」は、なぜ3年目の組織崩壊から生まれたのか
2人のコミュニケーションにルールはあるのか、という高木さんの質問に、2人は声をそろえて「摩擦力」と答えました。摩擦力は、ラブグラフ社内のカルチャーとして掲げてきたフィロソフィーです。
とりあえずなんか思ったことはその時に言えっていう感じで、後出しじゃんけんは後出しした方が悪いっていう。
中身は、敬意と誠意を持って、その場で本人に率直に言うということです。人を介して伝えるのはなし、後から「実はあの時さ」と言われると相手も腹が立つから、その時に言う。このカルチャーは2人の間だけでなく、会社全体に浸透しているといいます。
駒下さんは、このルールを大事にしている理由として、揉めた時期や組織崩壊を起こしかけた時期には、本人に直接言わない状態があったことを挙げています。現在のバリューは「ワンチーム」に変わっていますが、高木さんは「ざらっとした言葉の方が記憶に残る」と評し、村田さんも摩擦力を使い戻したいと考えているそうです。
その組織崩壊が起きたのは、創業3年目の2017年ごろでした。当時の社員数は20人ほどです。退職したエンジニアのブログが炎上したことが、崩れ始めのきっかけになりました。
まあ僕の何か至らなさとか、そのエンジニアに対してのそのコミュニケーションの不足とか、全ては僕に帰するなと思ってるんですけど。
そこから組織の雰囲気が悪くなり、さらに人が辞めていく悪循環に入ったと駒下さんは語っています。
めちゃめちゃこう明るいやつ、普段明るいやつが隣の人に声かけるのにSlackで「今喋りかけていいですか?」ってやってからじゃないと喋りかけないぐらいの空気の悪さみたいな。
退職ブログの炎上
不満を持って辞めたエンジニアのブログが炎上する
雰囲気の悪化
隣の人に話しかけるのにもSlackで確認するほど空気が重くなる
離職の連鎖
その時期にさらに人が辞めていく
事業とお金の停滞
事業が伸びず、会社のお金が減っていく
駒下さんは、周りの起業家を見ても3年目あたりで一度落ち目になることが多いと話します。高木さんがその時の様子を尋ねたところで、話は後編へと続いていきます。
まとめ
ラブグラフは、「誰かとの比較ではなく、今あるものに目を向ける」という駒下さんの思想と、それを形にした村田さんの行動力から生まれました。メディアとして始まり、プラン変更で依頼が3倍に増えるまで成長した一方、3年目には組織崩壊も経験しています。その経験が、思ったことをその場で本人に率直に伝える「摩擦力」のカルチャーにつながっています。
- 駒下さんは戦場カメラマンを目指した末に、当たり前の幸せを写真で伝える構想にたどり着いた
- 村田さんはMERYへの憧れから起業を志し、駒下さんの構想をウェブサービスと会社という「箱」にした
- プラン変更をきっかけに依頼数が3倍ほどに伸び、事業会社からの資金調達でEXITの選択肢を広げた
- 3年目の退職ブログ炎上から、雰囲気の悪化、離職、事業の停滞が連鎖した
- 後出しせず本人に直接言う「摩擦力」が、2人が長く一緒に続けてこられた土台になっている



