ゴリゴリのビジネスから北欧の世界観へ、本当に大転換だったのか
クラシコムの青木耕平さんは、起業当初は雑貨屋になるつもりがまったくありませんでした。ホストのたかぎしんぺいさんは、そこから「北欧暮らしの道具店」に至る道筋は、外から見ると大転換に見えると切り出します。
見えないですよね。もう雑貨屋になる気もさらさらなかったんで。
ただ青木さん自身は、ゴリゴリのビジネスの雰囲気の人たちが好きだったわけではないと話します。むしろ、自分が居心地のいい場所でビジネスをやりたいからこそ起業したといいます。
青木さんには、経営に近づくことだけが目的で、ほかはどうでもいいと思っていた時期が一定期間ありました。それでも、自分でやるからには好きな会社にし、好きな人たちを集めて仕事をしようという感覚はもともと持っていたそうです。
インテリアや洋服、カルチャーの雰囲気など、北欧暮らしの道具店の世界観に近いものは、青木さんがもともと好きだったものでした。付き合っていた人たちも、そうした文化圏の人ばかりだったといいます。
むしろもともとのものに一回ちょっと遠くに、外国に修行行って戻ってきたぐらいの感覚ですよね。
食べるために始めたせどり
最初の事業がうまくいかなくなったとき、青木さんにはすでに子どもがいました。生活費を稼ぐため、まずはヤフオクなどで身の回りのものを売り始めます。
本好きだった青木さんが、持っていた本をAmazonで売ると7万円になりました。この7万円をそのままブックオフでの仕入れに回せば、14万円になるのではないか。そう考えて試すと、本当にそうなったといいます。
それをぐるぐるやってるうちに、3ヶ月でとりあえず当座のお金はそれで稼げるようになっちゃったんですよ。
たかぎさんが「せどり」と言うと、青木さんは「まさにせどり」と応じます。一生せどりを続けるつもりはなくても、当座の生活に困らなくなったことで、考える時間や試行錯誤する時間が生まれました。
終わりのセレモニーだったスウェーデン行きは、どう変わったのか
その頃、青木さんの妹さんは北欧旅行から帰ってきたばかりでした。妹さんは、私たちにとって理想の世界があったと話していたそうです。
青木さんは、起業に協力させた妹さんに申し訳ない気持ちを抱えていました。そこで、会社に残っていた100万円ほどを使い、最後にパッと終わりにしようと、2人でのスウェーデン行きを提案します。
このまま行っても、もうキャッシュアウトはもう目に見えてるわけじゃないですか。
このスウェーデン行きは、前向きな挑戦ではありませんでした。たかぎさんが「葬式とは言わないけれども」と言いかけると、青木さんは「そういうセレモニーですよね」と答えます。行き先はストックホルムでした。
「交通費ぐらい取り返せないの?」
出発までの3週間ほどで、青木さんは元気を取り戻していきます。毎日せどりで体を動かし、よく寝て、よく食べていたからです。
元気になると、青木さんは家庭も子どももあるのに、なぜ妹とスウェーデンに行くのかと疑問を持ち始めます。
せめてちょっとこれ、交通費ぐらい取り返せる何かないの?みたいな。
青木さんの問いかけに、妹さんは北欧のヴィンテージ食器の話をします。日本ではみんなが探しているのに、なかなか手に入らないといいます。そこで2人は、行ってみて見つかったら買ってこようと決めました。
現地では、蚤の市やセカンドハンドの店を回って食器を探しました。この宝探しが、2人にとって面白すぎたといいます。
結局探して、それ全部梱包して、郵便局までふぐふぐ言いながら持ってって、肉体労働を延々やって、もうあと寝るだけみたいな。
ただ、事前の調査が足りず、国際便で送った食器の半分以上が割れてしまいます。本来はヤフオクで売って旅行代を取り返すつもりでしたが、利益はもう出ないと分かっていました。
それならば、残った食器を何かの経験に使おうと考え、青木さんは以前から研究していた通販ビジネスに目を向けます。こうして一度ECサイトを作ってみようと始めたのが、極楽商店でした。
作りかけのECサイトに、なぜ注文が入ったのか
当時はSNSもなく、あったのはmixi ── 2004年に始まった日本のSNS。2000年代後半には国内で最も広く使われたSNSの一つでしたくらいでした。それでも青木さんは、オープン後のことを「また運がいい」と振り返ります。
北欧のヴィンテージ食器は、人気があるのに国内には入ってきていない商品でした。そのため、お客さんの側が探し回っていたのです。
青木さんたちは、誰も来ないと思っていました。そのため、メンテナンスモードにせず、公開したままECサイトを作っていました。すると、作っている途中なのに、ときどき注文が入ってきたといいます。
青木さんたちは、開店予定日を伝えてメルマガ登録を案内し、50人ほどにメルマガを送りました。すると、出品した商品の6割ほどがオープン当日に売れたそうです。
50人に送ったら、いきなりなんか初月初日に何か20〜30万ぐらい売上が立って、これは何かあるっしょってなって。
ここで青木さんは、商品を売り切ったら終わりにするという考えをやめ、何が起きているのかを真剣に考え始めます。
たかぎさんが、北欧のヴィンテージ食器はニッチだと思わなかったかと聞きます。青木さんは、賢い人たちの悪いところだとして、ニッチという言葉の捉え方に疑問を投げかけます。
これは本当に賢い人たちの悪いとこだなと思うんだけど、ニッチっていくらなの?って思いません?
青木さんによれば、ニッチ市場でも数百億円規模はあります。青木さんたちにとっては、その規模で十分で、何の問題もないという考えです。
四国の「彩」をヒントにした、北欧バイヤーの仕組みとは?
手応えを得た青木さんは、仕入れが自然に入ってくる構造づくりに取り組みます。必要な量を確保するために、自分たちが毎年北欧へ通う方法は諦めました。
ヒントになったのは、テレビで見た四国の山あいの町の彩 ── 徳島県上勝町の「いろどり」事業。高齢者が料理に添える葉や花を集めて出荷する仕組みで知られていますでした。おばあちゃんたちが葉っぱを取ってきて納品し、お金を受け取る仕組みが、青木さんの頭に残っていたといいます。
2回目の渡航の前に、青木さんは1回目で知り合った人に、バイヤーをやりたい人を集めておいてほしいと頼みます。マニュアルと評価システム、報酬の仕組みを作って現地で面接し、その場で5〜6人を採用しました。
たかぎさんが「バイマ ── 海外在住の個人バイヤーが現地の商品を出品し、日本の購入者に販売する日本のソーシャルショッピングサービスBUYMAみたい」と言うと、青木さんは「ミニバイマみたいな仕組み」と答えます。このバイヤーの仕組みには、次の3つのルールがありました。
予算は成績順
評価の高い人から希望額を割り当てる。下位の人は残った予算だけになる
報酬は粗利の2割
送った商品が売れた分だけ報酬になるので、早く売れる人気商品を探すようになる
破損分は他の商品の原価に
割れると報酬が減るので、丁寧に梱包して送るようになる
結果
売れ筋を丁寧に送ることが、自然なインセンティブとして働く
最終的に、北欧3カ国ほどにバイヤーを何人も置きました。届いた食器を洗って出荷するだけの会社だった時期が、1年半ほどあったそうです。
仕組みを考える力はどこから来たのか
たかぎさんが、こうした仕組みを考える力はどこで養われたのかと聞きます。青木さんは、動いてみたらなんとかなるという感覚と、相手が得をする話にできるかを常に考える習慣を挙げます。
あんまり自分はすごく魅力的で人気者で、いろんな人に支持してもらえる人間だという感覚を持ってないので、どうやったら相手の役に立って、その上で協力を引き出せるかなっていうのを考えるじゃないですか。
当時の北欧では、現地の人と結婚した日本人が仕事を見つけにくいという事情もありました。青木さんのバイヤーの仕組みは、空いた時間に楽しい買い物をして送るとお金になり、月ごとに参加するかどうかも自由に選べるものでした。そのため、相手にとっても良い話だったと青木さんは考えています。
また青木さんは、派遣の仕事やトラックの運転、ITベンチャー、会社経営、音楽など、さまざまな場所にいた経験から、視点が多かったのかもしれないと話します。仕事をしている人特有の濃い一次情報を聞くのも好きだそうです。
常になんか楽にやろうとか思ってるから、そうすると仕組みで何とかしようっていうのは、もうごく自然とそうなっちゃうっていうか。
売上が伸びるほど借金が増える。楽天全盛期のEC運営で何が起きたか
ヴィンテージ食器から新品の商品へ移ると、勝負の軸は供給から別のところへ変わります。現行品を扱えば、ほかの店でも売っている商品を売ることになるからです。
しかもクラシコムは定価販売を続けているため、どこでも買える商品を市場で一番高い価格で売る勝負になります。そこで青木さんは、自分は根が素直だと言いつつ、eコマースの薄い本に書いてあることを全部やるところから始めました。
時代は楽天の全盛期で、クラシコムも楽天に出店していた時期があります。リスティング広告は担当者をつけて1万キーワードほど回し、アフィリエイトなどさまざまな広告も試したといいます。
それでもちろんやったから伸びるんですけど、利益全然残らないと。
さらに、事業が大きくなると在庫や売掛金が増え、運転資金も膨らみます。青木さんは年商1億〜2億円の段階で、このままでは借金だけが増えていくと気づきました。
広告で集客
リスティングやアフィリエイトで売上のトップラインは伸びる
利益が残らない
広告費がかかり、利益はほとんど残らない
運転資金が膨らむ
事業の拡大につれて、在庫と売掛金が大きくなる
借金が増える
3年ほどで「売上5億で借金1億」になる見通しに
青木さんはこの構造に、「もうやめてえな」と思ったそうです。そこで、どうなればやめたくないかを考え、広告費ゼロで今と同じくらい伸びるなら続けたいという答えにたどり着きます。この答えが、のちのメディア化につながっていきます。
妹は歌手、青木さんはマイク
新品を扱い始めた頃のクラシコムは、一時的に北欧のものを扱う雑貨店のひとつになっていました。ただ、当時は北欧のものだけを扱う店がほとんどなく、その違いがあったため、ある程度は伸びていたといいます。
青木さんは自身の得意分野として、システムの構想力、会計のリテラシー、オペレーションの仕組み化の3つを挙げます。一方、何を仕入れるかや世界観づくりは、妹さんに任せていました。
だからもう僕らの成功要因の8割は妹の貢献。
だから妹が歌手で、僕がマイクみたいな感じですよ。マイクってただ立ってるだけで何の意味もなさないじゃないですか。
「ほぼ日」はなぜ再現できると考えたのか
メディア化の土台には、青木さんのブログがありました。青木さんは90年代半ばから個人サイトで日記を書いており、ネットのユーザーが定期的に訪れる場をつくる土地勘のようなものがあったといいます。
クラシコムのブログは人気が出ていて、多くの人から「読んでいます」と言われていました。青木さんは、日記のようなブログをメディアとして成り立つものにすれば、事業を伸ばせるのではないかと考えます。
青木さんが参考にしたのは、通販生活、ピーチジョン、ほぼ日の事例です。いずれも、コンテンツで人を集め、集まった人にものを売る形でした。広告ではなく物販でマネタイズするメディアです。
当時の周囲の人たちは「あれは糸井さん ── コピーライターの糸井重里さん。Webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を主宰し、物販を中心とした事業を展開していますだからできる」と言っていました。しかし青木さんは、カタログ通販の時代から何度も成立してきた形なので、構造的に再現性があると考えていました。
パラグライダー理論と予期せぬ成功
たかぎさんは、オウンドメディアを自走させるのは多くの人が苦戦するところだと指摘します。これに対して青木さんは、クラシコムはゼロから始めたわけではないと答えます。
青木さんが重視するのは、ドラッカー ── 経営学者ピーター・ドラッカー。著書『イノベーションと企業家精神』で、イノベーションの機会を7つに分類しましたがイノベーションの7つの機会のうち最も重要だとした「予期せぬ成功」です。ブログを書いているだけなのに褒められ、読者もアクセスも多いのに売れていない。この状態を、もっと伸ばせるという合図として受け取りました。
青木さんは、予期せぬ成功が起きていないのにオウンドメディアを始めるのは博打だと話します。クラシコムでは事前に小さなシグナルをつかみ、シグナルがなければすぐにやめるといいます。この考え方を、青木さんたちは「パラグライダー理論」と呼んでいます。
で、これないのに崖からジャンプしたら絶対ダメじゃないですか。
このとき青木さんが掲げたコンセプトは「カートボタンのある雑誌」でした。雑誌は面白さを軸にしているため、載っている商品を買おうとすると売り切れていることがあります。一方、当時のECは、売りやすさで記事を決める自動販売機のような作りでした。
青木さんは、記事作りは面白いかどうかで考え、そのうえでカートボタンを付けるという、雑誌とeコマースの中間を狙いました。丁寧に時間をかけた商品ページは初日から売れたといいます。
うまくなればうまくいく、という発想のどこが落とし穴なのか
青木さんは、結果が出ないのに頑張ることはなく、すぐにやめると話します。そのため、今まで続いているものは、最初から結果が出ていたものだといいます。とにかくガチャをたくさん引き、当たったものを伸ばすという考え方です。
よく言うのは、うまくやるからうまくいくんじゃないと。
多くの人は、うまくいかないと自分たちが下手だからだと考え、うまくなることを課題にします。青木さんは、これを典型的にうまくいかないパターンだと話します。
その例が、ヴィンテージ食器を持ってきただけの素人が、ボロボロのECサイトで初日に6割を売ったことです。下手なのにうまくいくから続けられ、続けた結果としてうまくなります。
うまくなんないとうまくいかないやつなんて努力する価値ないんですよ。
メディア化もこの考え方の延長にありました。広告や楽天の運用は精緻にやらないと勝てず、かなりうまくなっても「言うてもこんなもんか」という結果でした。その一方で、楽しく書いていたブログは受けていたのです。
新規事業では「必要以上に頑張らないで」
青木さんは、新規事業の担当者に「必要以上に頑張らないで」と伝えています。仮説が当たっているかどうかが分からないうちに、担当者の頑張りで数字が補われると判断を誤るからです。
その後にバーンって投資しちゃったら、お前の頑張りだけだったやんみたいになったら困るじゃないですか。
仮説どおりのアプローチはしてほしいものの、必達目標のように数字を作ってこられるのは困るといいます。素人がそのくらいの取り組みでうまくいったなら、そこで全員を集めて全力で集中する、というのが青木さんのやり方です。
自転車に100回転んでも乗れないなら、学びはどこにあるのか
たかぎさんの「本当にうまくいくものは下手でもうまくいく」という言葉を受けて、青木さんは個人に宿る能力を、自転車に乗れることにたとえます。
100回転んでも乗れるようにならないけども、乗れた瞬間に全てがわかって一生忘れないんですよ。
子ども用の自転車に乗れれば、ロードバイクに乗るまではすぐだといいます。青木さんは、大事なのは小さい成功をどう見つけるかだと話します。
青木さんは、自転車にたとえて「早く転べ」と言うやり方は間違っていると考えています。実際に息子さんを最初にストライダーに乗せたところ、一度も転ばずに自転車に乗れるようになったそうです。たかぎさんも、自分の娘さんも同じだったと応じます。
10個ある仮説を1つずつ消せる。価値はあるが、せいぜいその程度
乗れた瞬間にすべてが分かり、そのゲームには一生乗れるようになる
青木さんにとっての「自転車に乗れた」瞬間は、せどりでした。本を売り買いしていただけでも、キャッシュフロー、在庫管理、顧客対応、マーケティングをひととおり経験できたといいます。
あれ以来、事業をやり続けていくことに不安を感じたこと一回もないんですよ。
青木さんによれば、せどりは三輪車くらいの規模だったかもしれません。それでも、乗れたという感覚があれば、ロードバイクになってもやることはあまり変わらないといいます。
たかぎさんは、スタートアップが大きな成功を狙い、失敗も辞さない姿勢が主流になっていると指摘します。青木さんは、小さくやるほうがむしろ早いと答えます。資金を調達したスタートアップでも上場までの平均は11〜12年ほどで、クラシコムはヴィンテージ食器を1つずつ売るところから15年で上場したそうです。
センシティブ、バルス、来た球。固執しない組織はどう作るか
クラシコムのバリューは「センシティブ、チャーミング、オルタナティブ」です。このうちセンシティブは、小さなことに気づける敏感さを大事にしようという意味だといいます。
気づかなかったら、それはどんなにその後の工程が上手、処理能力があっても、気づかないことには始まらないから。
そのため、少しでも違和感があれば何でも言ってきてほしいと社員に伝えているそうです。たかぎさんがそれを「クラシコムっぽい」と言うと、青木さんは、今と過去を大切にしているのだと答えます。
だから未来の計画など持たないですし、目標もないし、どこ行きたいもないし。
青木さんは、健やかでコンディションのいい状態を保てば、気づくべきことに気づき、それに対応できると考えています。そうしていたほうが、今は想像できないほど良いところへ世界が連れて行ってくれるのではないか、と話します。
やめるのが早いのも、クラシコムの特徴です。プロジェクトには「バルス」を組み込んでおくよう伝えているといいます。どちらかのステークホルダーが「バルス」と言えば、その時点で全部解体できる仕組みです。
たかぎさんは、一度始めると固執してしまい、小さな成功が起きていないのに深入りすることがあると話します。これに対して青木さんは、自分でアイデアを考えていないから固執しないのだと答えます。
自分でアイデア考えてないから固執しないんですよね。来た球しか打ってないんで。
来た球を打ってうまくいけば、あとは自然にモチベーションが湧いてくるといいます。青木さんは、10個売れると思っていたら15個売れた、というような小さい成功を見つけたときに気持ちが上がる感覚が好きだそうです。
反省会はしない。予期せぬ成功を「ラッキー」と呼ぶ理由
クラシコムでは振り返りをとても重視していますが、反省会はしないといいます。失敗した場合は、リスクを限定し、損切りをして、どのくらいダメージがあるかを確認したら終わりです。
一方で、うまくいったときには、なぜうまくいったのかを全員で話し合います。成功の理由を話すのは楽しく、インサイトもたくさん出てくるそうです。ただし、作戦どおりの成功は因果関係が分かっているので、振り返る価値はないといいます。振り返る対象は、どんなに小さくても予期せぬ成功です。
青木さんによれば、社員の多くは自分への期待値が高く、最初は小さな成功で喜ばなかったといいます。青木さんが「これすげえじゃん」と言い続けるうちに、社員も小さなことを成功と呼ぶようになっていきました。
成功は社内にどんどん共有されます。グロース会議では、各チャンネルの担当者がこの1ヶ月でうまくいったことやいかなかったことを話します。根拠のない思いつきが出ても、エビデンスを問い詰める人はいないそうです。
たかぎさんは、成功の大小を価値だと思ってしまうから、小さな成功を重要ではないと感じてしまうのではないかと話します。青木さんは、成功というよりラッキーという感覚だと応じます。
青木さんは、小さなラッキーに気づける自分でいたいと話します。このポッドキャストへの出演も、何かあるかもしれないという「いい匂い」を感じて引き受けたそうです。たかぎさんの写真がニコニコしていたことも、理由のひとつだったといいます。
柔らかいのにブレない。北欧暮らしの道具店の足腰とは
最後に、たかぎさんが青木さんの印象をまとめます。たかぎさんは、青木さんが流行に流されず、自分で腹落ちしないことはやらず、やると決めたらとことんやる人だと感じたといいます。
たかぎさんは、流行りのビジネスモデルに飛びつかず、納得感を持って仕組みを積み上げる姿勢が、北欧暮らしの道具店というブレないブランドの足腰になっていると話します。
さらにたかぎさんは、力まずに予期せぬ成功をラッキーとして大切にする幸福感が、北欧暮らしの道具店の軽やかな空気感ににじみ出ていると受け止めました。
柔らかいんだけど着実で、軽やかなんだけどブレないっていう、なんかそんな不思議なバランス感覚で。
たかぎさんは、世の中では失敗がもてはやされがちだとしたうえで、成功からしか学べないという言葉を名言だと評しました。
まとめ
青木耕平さんの話は、せどりやスウェーデンでの食器の買い付けといった小さな手応えから、北欧暮らしの道具店が生まれた経緯をたどるものでした。その根底には、下手でもうまくいくことを探し、予期せぬ成功をラッキーとして大切にするという一貫した考え方があります。
- 北欧暮らしの道具店は、事業の終わりのつもりで行ったスウェーデンでのヴィンテージ食器の買い付けから始まった
- 売上が伸びても借金が増える構造に気づき、広告に頼らないメディア化へと舵を切った
- 最初の課題はうまくなることではなく、下手でもうまくいくことを探すこと
- 失敗から得られるのは仮説を消すことくらいで、学びは成功の瞬間にあると青木さんは考えている
- 小さな予期せぬ成功を「ラッキー」として拾い、振り返って共有し続けることが、クラシコムの強さを支えている





