ホテルの次はなぜ農業・人材・教育だったのか?
山形県庄内地方でホテル事業から始めたヤマガタデザインは、いまや教育、農業、人材と多岐にわたる事業を手がけています。ホストの高木慎平さんは、どういう思考回路でそこまで事業が広がったのかを山中大介さんに尋ねました。
山中さんの答えは、人生も事業展開も会社経営も「天の時、地の利、人の和 ── 中国の思想家・孟子の言葉に由来する考え方。物事の成否には、時機・地理的条件・人の団結の3つが関わるとされ、日本でも広く知られています」で決まるというものです。山中さん自身はこれを儒教の教えとして紹介しています。
なかでも山中さんが重視するのが天の時です。ホテルを始めた当初、ヤマガタデザインは地域から「めちゃめちゃうさんくさいチーム」と思われ続け、今も地域の半分ぐらいはそう思っているはずだと山中さんは笑います。
それでもホテルが少しずつ形になり、評価や既成事実が増えるにつれて、地域からの相談や機会が増えていきました。山中さんは、自分たちが「これをやりたい」と発信することは大事だとしつつ、地域や社会から求められていなければ事業は絶対うまくいかないと語ります。
ホテルを形にする
うさんくさいと思われながらも、目に見える形をつくっていく
既成事実が増える
評価や実績が積み上がる
相談が集まる
地域の農家や企業から課題が持ち込まれる
事業が生まれる
求められた課題に応える形で、農業や人材紹介を始める
農業部門は、地域の農家から「農業が苦しい」という話を受けて参入したものです。この農業部門は、週刊ダイヤモンドの「儲かる農業」特集ランキング2022で1位になったと山中さんは紹介しています。
ただ、農業は農地をゼロから借りたり買ったりする必要があり、信頼がなければ始められません。山中さんが結果として住むことになった村の組合長さんが昔から応援してくれていて、「ここに住むなら農地を貸す」という話が出たことが参入のきっかけになりました。
人材紹介業も同じ流れで生まれています。ヤマガタデザインは過去にいろいろな地域のコンペに出て、全部予選で負けたそうですが、そこで知り合った地元企業と仲良くなり、採用に困っているという話を聞きました。
地元企業がヤマガタデザインと組んだ理由として挙げたのは、「若くて創造性があって、実行力もある人材がうちにはいない」ということでした。山中さんは、その企業を助けるために一緒に採用をやろうとサービスを作り始めたといい、事業展開は「そんなようなことの連続」だと振り返ります。
高木さんは、ホテルが外の人を呼ぶ呼び水であると同時に、地域の中の課題が集まってくる場にもなっていると整理しました。山中さんも、ホテルが多くの方々から機会をいただくきっかけになったことは大きいと応じています。
山形出身ではない山中さんは、なぜ地域の重鎮に信頼されたのか?
山中さんは山形出身ではありません。高木さんは、地域外から来た人がこれだけの額の投資を地域から集めるのは「ぶっちゃけなかなかない」として、何が地域に刺さったのかを尋ねました。
山中さんはまず、最初の爆発力の理由を天の時に求めます。当時、地域では未利用地の開発に困っており、庄内は地域の未来への危機意識が強い土地でした。サイエンスパーク ── 山形県鶴岡市にある研究開発拠点。慶應義塾大学先端生命科学研究所を中心に、バイオ系のベンチャー企業などが集まっていますは未来への希望のような存在でしたが、その開発に困っていたタイミングだったといいます。
その天の時を前提に、山中さん自身も査定されたはずだとしたうえで、一番大きかったのは「間をつないでくれた人たち」だと話します。山形銀行の石川専務をはじめ、地域の有力な方々が山中さんを強烈にバックアップし、資金を出す企業を紹介してくれたそうです。
高木さんは自身が富山で地域の仕事をしている経験から、地元出身にはベースのアドバンテージがあり、他の地域で同じことをやるのは「絶対無理だ」と感じると打ち明けます。そのうえで、地域の重鎮と山中さんがなぜ手を握れたのかを改めて問いました。
山中さんが挙げたのは、富田さんの存在です。山中さんと富田さんは「親子みたいな」関係で、富田さんが鶴岡市や地域の有力企業に山中さんを強烈に売り込んでくれたといいます。サイエンスパークは鶴岡にとって重要な戦略であり、その戦略のトップがまさに富田さんだったと高木さんとのやり取りで確認されています。
山中さんは、事業が大きくなったり広がったりするときは確実に天の時だと考えています。自分はたまたま運と縁でそこにいて、地域にとっても社会にとっても「都合がいいピース」だった、というのが山中さんの見立てです。
さらに山中さんは、どの地域にも長年の課題案件があるはずだと続けます。そこに挑む若者に対して、何人かの有力者が「彼にかけてやってみようぜ」と言える環境さえ作れれば、地域は動くのではないかというのが山中さんの考えです。ただしそのためには、挑む本人が当事者として、数人でもいいので圧倒的な信頼を得る必要があるとも話しています。
14ヘクタールで解散するはずの会社が、脱皮を続けた理由
意外なことに、山中さんは当初、サイエンスパークの14ヘクタールの開発が終わったら会社を解散するつもりでした。なんならSpiber ── 山形県鶴岡市発のバイオベンチャー。人工的にタンパク質素材を開発・生産しており、サイエンスパークを拠点としていますのビジネスデベロップメントに戻る気満々で、あくまで役割としてヤマガタデザインをやっていたといいます。
最初の不動産デベロッパーのフェーズでは、従業員は少なくてよく、人も集まりました。ところがある時、山中さんは「サイエンスパーク14ヘクタールのエリアだけを開発する箱には、優秀な人材は来ない」と気づきます。
会社自体がもっとワクワクするビジョンを描けなければ、水辺テラスでホテルのオペレーションチームを作ることすら難しい。そう気づいた山中さんは、人を集めるために、自分たちのアイデンティティを脱皮し続けるしかなかったと振り返ります。
この脱皮は、前編で語られた「エース」としての山中さん自身の変化でもありました。高木さんが、エースほどマネジメントに苦戦すると言われることを挙げると、山中さんも「あります」と認めます。
自分が点を取るエースとして走る。会社は14ヘクタールの開発を終えたら解散するつもり
人をマネジメントし、会社のビジョンを描いて人を集める経営者へ。山中さんは「大人になった」と表現する
山中さんによると、会社を立ち上げて1年目、2年目ぐらいで「これはエースでは無理だ」と強く感じたそうです。人をマネジメントしなければならず、自分自身がもっと成長しないと「絶対これやばい」と思ったことで、山中さんは自分が「大人になった」と表現しています。
岡田武史監督の「私なんてこんなもんです」が支えた成長
高木さんは、エースから経営者への転換は難しくないかと尋ねます。山中さんは、社会人になった時にも自分にビジネススキルがなく使えないことを散々思い知り、それを受け入れて壊してやり直してきたので、そうした転換は得意な方だったと答えました。
そこで山中さんが紹介したのが、岡田武史 ── サッカー元日本代表監督。1998年と2010年のワールドカップで日本代表を率い、のちにJリーグクラブの経営にも携わっています監督の言葉です。日本代表監督として負けが続き、世間から激しく叩かれていた時期、記者から進退について厳しく問われた岡田さんは、「皆さん何を勘違いしているかわからないですけど、私なんてこんなもんです」と一言で返したといいます。
山中さんはこの言葉を「本当に本質的で素晴らしい」と受け止めています。人が苦しんだり成長できなかったりするのは、自分を過度に価値あるものと思い込み、自分を破壊できないからだ、というのが山中さんの解釈です。
山中さんは今も、悔しいときやうまくいかないときには「なんで俺は悩んでいるんだろう、悩んでいるなんておこがましい、そもそも自分はそんなレベルの人間じゃない」と考えるようにしているそうです。そう思えると、もっと貪欲に学んで成長できるといいます。
高木さんが「自信があるからではなく、自己を冷静に見られているということか」と確かめると、山中さんは、自分自身は何者でもないと思えることが自分の一番の特技だと答えました。
高木さんは、岡田さんがFC今治を立ち上げる際にユニフォームづくりなどを手伝っていたと明かし、岡田さんも謙虚なことを言いながら非常に大胆な構想を描く点で山中さんと似ていると話します。
山中さんは、岡田さんにとっての「自分なんて所詮こんなもんだ」は、自分が変わるための合言葉なのだろうと応じます。今の状況を真摯に受け入れて変わり、変わった暁にはもう一度大きく背伸びをして、そこでまた「自分ってこんなもんだ」と思う。その繰り返しだと山中さんは考えています。
受け入れる
うまくいかない現状を「自分なんてこんなもん」と真摯に受け止める
変わる
過度な自己評価を壊し、貪欲に学んで成長する
背伸びする
変わった後に、もう一度大胆に挑戦する
また受け入れる
挑戦の先で再び「自分ってこんなもんだ」と思い、次の変化へ
これからの舵は「社会が求めること」と「自分たちが楽しいこと」で切る
ヤマガタデザインがこれからどう変わっていくのかと問われると、山中さんは、あまり深くは考えていないと答えます。社会が自分たちを求める方向へ舵を切り、その方向は自分たちにとっても楽しくなければならない。この2つのバランスが大事なので、これからどうなるかは正直わからないといいます。
そのうえで山中さんは、地域図鑑やアイガモロボット ── 水田を自動で走行し、水を濁らせて雑草の生育を抑えるロボット。農薬に頼らない稲作を支える技術として開発されていますなど、自社の事業が各地の地方に広がっていくことに触れます。そこで一番こだわっているのは、やっている側が一番楽しいということです。
楽しさが経済性とどうつながるのかは、まだわからず言語化もできていないと山中さんは率直に認めています。それでも、関わってくれる地方のプレイヤーが楽しいと思えるサービスを提供できれば、自分たちも楽しく、いいだろうと考えているそうです。
高木さんが、楽しさをそこまで大事にする考えはどこから来ているのかを尋ねると、山中さんは「経験からかもしれない」と答えます。街づくりの現場では、最初は大義に燃えて熱くやっていた人たちが、どんどん疲弊していく姿をよく見かけるといいます。
山中さんによると、その背景には大きなパワーがかかる仕組みや、お金が回らない仕組みがあります。さらに、日本や地方では街づくりや地域づくりを苦しいものと捉え、奉仕の精神でやることが美徳だという空気を強く感じると話します。山中さんはそれを「おかしい」とし、楽しさがベースになければ絶対に続かないと言い切ります。
山中さんは、この考え方がヤマガタデザインの教育施設そらいにも通じると説明します。地方の街づくり的な発想は「勉強できる子を作る」こと、つまり与えられた問いに答えさせることですが、これからの教育は「勉強したくなる子を作る」ことだというのが山中さんの考えです。
ある問いを与え、それに答えさせる。山中さんは今の地方の街づくり的な考え方だとする
一生涯学び続けたくなるモチベーションを植え付ける。好きだから勝手に学び、成長し続ける
好きなことなら人は勝手に学び続け、ずっと成長していきます。山中さんは、街づくりも同じで、好きで楽しいからみんながやり続けるというサイクルをつくらなければ、絶対に続かないと話しています。
地方に足りないのは「好き放題やる人」なのか?
高木さんは、崇高なことでも誰かのためになりすぎて苦しくなっている人が多いと感じると話します。山中さんはこれに強く同意し、ヤマガタデザインが楽しんでやっている姿にムカついている地域の人も絶対いるはずだとしたうえで、そういう人たちにこそ「皆さん幸せですか?」と言いたいと語りました。
高木さんは行政に関わった経験から、自分が好き放題に発言すると「実は僕もそう思っていました」と言われるのに、本人は意見を言えない、という場面があったと紹介します。自分の意見を言うこと自体がはばかられる空気があり、それは村的なものかもしれないと高木さんは話します。
高木さんの見立てでは、地方に足りないのは、自分勝手というくらい好きなことをやりまくっている人の数です。都市部にはそういう人がまだ多いので、結果として多様性が受け入れられ、「やっていいんだ」という空気があるのではないかといいます。山中さんも「ほんとそうですね」と同意しています。
一方で高木さんは、東京でも大企業に入ると仕組みが強すぎて自分の主張はなかなかできず、だからこそ人は地方にそうした自由を求めているようにも感じると話します。山中さんは、地方に憧れを抱く人がいても、実は地方こそガチガチだったりすると応じました。
ただし山中さんは、受け入れ側の地方がそうであるのはもったいないと考えています。地方には本来可能性があり、自由に挑戦できる環境設定さえできれば人は絶対に来る。そういう環境が整ったところに人が集まる時代になっていく、というのが山中さんの見通しです。
高木さんが「そういう存在であり続けることが大事だと」とまとめると、山中さんは、日本の地方から楽しいチャレンジが生まれ続けるような役割を自分たちが担えたらいいと話しました。
とはいえ山中さんは、地方で頑張っている人として取材を受けている自分すら「すっごい斜めから見ている」と言います。もしかしたら10年後には「アフリカだ」と言っているかもしれない、と冗談めかしながらも、今は社会からそうした天の時をいただいているので、そこにベストを尽くすだけだと語っています。
エースから監督へ。山中さんは何が人を引きつけるのか?
高木さんは、前編から気になっていた山中さんの「主人公感」、メッシのようなエースとしての在り方がなぜ生まれたのかを解剖できたと振り返ります。これに対し山中さんは、エースと経営者は、相当な脱皮をしない限り絶対にイコールにはならないと考えていると強調しました。
高木さんが、経営者は一般的には監督的な存在だと補うと、山中さんはエースからの変化を認めてほしいとして「私は大人になりましたね」と笑います。高木さんも、ひたすら走りきる9番のウイングではなく、もう少し全体を見る立場になったと受け止めました。
約150人をマネジメントしていることに触れられると、山中さんは、代表の役割は基本的にモチベーションコントロールだと考え、今はそれに努めていると答えます。理想は、従業員が未来に向けて希望を持てる仕組みを作ることだといいます。
最後に高木さんは、山中さんが他の人と違うのは「世界に勝つために地方を選んでいる」点だと語ります。課題が山積し、都会にコンプレックスを感じている地方に、可能性を信じる山中さんの少年時代が重なって見えるといいます。
地域の可能性を信じてみんなを鼓舞し、それを腹から楽しんでプレイしている姿こそが人を引きつけ、今の日本の地方に最も足りない希望の形ではないか。高木さんはそこに山中さんらしさを見ています。高木さん自身、現在は山中さんと一緒にヤマガタデザインの仕事をしており、これからの展開が楽しみだと締めくくりました。
まとめ
後編では、ヤマガタデザインの事業が「天の時」に応える形で広がってきたこと、そして山中大介さんが「自分なんてこんなもん」と思えることを成長の合言葉にしてきたことが語られました。地方で続く挑戦には楽しさが欠かせず、自由に挑める環境こそが人を呼ぶというのが、山中さんの描く地方の希望です。
- 事業の広がりは天の時次第で、ホテルの実績が地域の相談を呼び、農業や人材紹介が生まれた
- 地域外の山中さんが信頼を得られたのは、富田さんら地域の有力者が強烈に後押ししたから
- 14ヘクタールで解散するはずの会社は、人を集めるためにアイデンティティを脱皮し続け、山中さんもエースから経営者へ変わった
- 岡田武史監督の「私なんてこんなもんです」は、山中さんにとって自分が変わるための合言葉になっている
- 奉仕の精神ではなく楽しさをベースにしなければ街づくりは続かず、自由に挑める環境が地方に人を呼ぶ




