埼玉の奥地、50年前の木工場で収録
ポッドキャスト「インサイドビジョン」は、クリエイティブディレクターで起業家の高木新平さんが、新しいカルチャーを作る起業家やクリエイターを迎えて話を聞く番組です。今回のゲストは、現代アーティストでEUGENE STUDIOの寒川裕人さんです。
高木さんは、寒川さんと京都の学生時代から知り合いでした。当時から社会を俯瞰した目線で、耐久性のあるコンセプトを考えられる稀な才能だったと紹介しています。
寒川さんは現在、東京都現代美術館 ── 東京・清澄白河にある公立美術館。戦後から現在までの国内外の現代美術を収集・展示していますで最年少の個展を開くまでに評価されています。高木さんは、現代アーティストの目線が起業家や経営者とは違う形で社会のビジョンを捉えている点に刺激を受けてきたと話します。
この回は番組初の屋外収録で、場所は埼玉の奥地にあるEUGENE STUDIOのアトリエです。建ててから50年ほどになる元木工場で、東京の気温も35度という暑い日でした。
なんか熱の溜まり方が尋常じゃない。
そうですね。(この工場では)クーラーつけたことないって言ってましたからね。
自己紹介で寒川さんは、主に現代美術に取り組み、美術館で展示をするほか、ランドスケープや建築などのプロジェクトにも活動を広げていると説明しています。
学生起業から、なぜ現代美術の本流へ進めたのか
高木さんが寒川さんと出会ったのは、10年ほど前の京都です。学生だった寒川さんはすでに会社を立ち上げており、仲間と共同生活しながらコンセプチュアルな仕事をしていました。
高木さん自身も当時はニートのような生活で、京都によく通っていたといいます。ネット選挙運動の解禁を目指す「ワンボイスキャンペーン」では、寒川さんにアートディレクションやデザインを依頼しました。
高木さんが不思議に思っていたのは、アートディレクターなどの仕事をする人がアートの領域に進もうとしても、本業そのものが現代美術になる人はあまりいないという点です。多くは本業のプラスアルファとしての自己表現にとどまると高木さんは見ています。
寒川さんの答えは、シフトしたわけではないというものでした。仕事をしていた時期も、そのやり方こそが現代美術の本当のカウンターだと考えていたといいます。
(現代美術は)なかなか歴史があるから、これぐらい大きく遠回りとは言わないけどしないと、本当の意味で新しい美術って出てこないだろうなっていう気はしていて。
当時の寒川さんは、本当の意味での現代美術をやっているのは自分だけだと思っていた時期だったと振り返ります。ただし今は現代美術も多様になり、定義付けること自体がよくないと考えるようになったとも話しています。
広告と現代美術に境目はあるのか
一緒に仕事をしていた頃について、高木さんは、寒川さんと組むと企業の仕事でも「思想を仕事にする」方向へ進み、ぐっとコンセプチュアルになっていったと語ります。
寒川さんによれば、誰かのためというより思想やコンセプトにはっきり寄っていけば、それが社会とつながる限り、やり方の違いにすぎないといいます。ある瞬間に美術になるかもしれないし、もっと大きな社会的活動になるかもしれない、という考え方です。
高木さんが、広告や映画や現代美術のあいだに明確な境目はないのかと尋ねると、寒川さんは「ちゃんと問い直せば」と条件を付けました。
何も考えずに新聞広告とかだと、多分それは新しさっていうのはないと思うんだけど、そこを問い直して構造を変える力って何かあれば、それは大きく違うものに変化する可能性があると。
寒川さんにとって、媒体の違いより大事なのは、問い直して構造を変える力があるかどうかです。文化や人の倫理観がさまざまな形で適用される以上、その方法もいろいろあり得ると考えています。
100年後に感覚を残すには何が必要か
寒川さんがずっと考えてきたのは、100年後や200年後に、その時代の感覚を残せるかどうかです。どれだけ当時面白がられても、散漫なものは残らないといいます。
そこ(今の感覚)をどう100年とか500年とかっていう規模でその残すことがもしできるならっていうことを考えてて。
その試みがうまくいき始めたのは、聖堂の頃だったと寒川さんは話します。理由を聞かれると、ずっと考えて意識していたからだと答えました。個展はそれを形にしやすいパッケージになったにすぎない、という整理です。
寒川さんは、こうしたものはいきなり出てこないと強調し、過去の作家を例に挙げます。ウォーホル ── アンディ・ウォーホル。アメリカのポップアートを代表する美術家で、商業イラストレーターとして出発しましたはもともとイラストレーターで、デュシャン ── マルセル・デュシャン。既製品を作品として提示し、20世紀美術の考え方を大きく変えたフランス出身の美術家ですも油絵をがっつり描いていたといいます。
寒川さんはデュシャンについて、キュビズム ── 20世紀初頭に生まれた絵画運動。対象を複数の視点から分解・再構成して描く手法が特徴ですの描き方にたどり着くまでにもかなり時間がかかったと話しています。
寒川さん自身も、その厚みがなければどこかで息切れするという直感があったそうです。社会や人がどういう構造になっているかを、本ではなく身をもって理解できたと感じたタイミングで、個展に踏み出しました。
社会や現代の構造を知識として知る段階
さまざまな相手と大量の仕事をして、身をもって構造を理解する段階
高木さんが、仕事を始めて5、6年で個展までつながったのは早いと驚くと、寒川さんは、それだけかなりの量をやっていたからだと答えます。いろんなことをいろんなところとやった一次情報は、本とは違うといいます。
インターネットを1日5分に制限したら何が起きたのか
アーティストは見つけてもらうのを待つ存在なのか、という高木さんの問いから、話は寒川さんの「インターネット5分制限生活」に移ります。2年半ほど前に始めた、インターネットを1日5分しか見られないようにする生活です。
(インターネットは)面白いから見ちゃうじゃないですか。そしたら夜中の4時とかになっちゃうと。
寒川さんは、制作しなければならないのに時間がなくなる繰り返しに、10年ほど悩み続けていたといいます。そこで使ったのが、Appleのスクリーンタイム ── iPhoneなどでアプリや機能ごとの利用時間を確認し、制限をかけられる機能。保護者による子どもの利用管理にも使われますでした。
最初の1〜2週間は困るかと思ったものの、意外となんとかなったと寒川さんは話します。SNSでの発信もしておらず、Facebookはメッセンジャーのためだけに使っています。
始めた理由について寒川さんは、制作の邪魔だったからと答えています。ノイズの問題というより、寝不足などで自分の時間が溶けてしまう問題でした。絵画は時間をかけるほどいいわけではないが進むので、失った時間が後で惜しくなるといいます。
この言葉に高木さんは「耳が痛いね」と返し、このポッドキャストを聴いている人はもう切ったほうがいいかもしれない、と笑いを交えて応じました。
寒川さんは、5分制限には嗅覚が鋭くなる効果もあり得ると話します。限られた5分や2分で面白いものを得たいので、情報の閾値が大きく上がり、ニュースのヘッドラインから何を見るかの選択が突き詰められるといいます。
さらに寒川さんは、本当に面白い情報は友人や周りの人が伝えてくれると話します。全世界の情報を追うことはどんな人間にも不可能なので、情報を追っている人と自分とで、実はあまり変わらないのではないかと最近考えているそうです。
SNSはなぜ「未熟な代物」に見えるのか
高木さんは、SNSは自分に合った情報を取っているようで、みんなが同じ情報を見たり偏ったりして、思考を深めるには向いていないと感じていました。そのうえで、情報断捨離の実践者として寒川さんに考えを尋ねます。
寒川さんが挙げた1つ目の変化は、自分がいかに考える時間を持っていなかったかに気づいたことです。5分制限をしていても考えを深める時間は足りないので、毎日4〜5時間見ていた頃はどれほど考えていなかったのか、と気づいたといいます。
2つ目は、情報の形式そのものへの疑問です。寒川さんは、InstagramやFacebook、Twitter、タイムラインで誰かの文章を読む形式が、情報の受け取り方を大きく左右していると見ています。
それ(今のインターフェイス)が必ずしもあの発展を終えた状態かどうか分からない、結構未熟な状態なんじゃないかなっていうことは結構思っていて。
何百年と残ってきたものには、残っている理由がある
情報を受け取り処理する方法として、ベストかどうかわからない
高木さんも、SNSは凝縮度や濃縮度が極めて低いと同意します。寒川さんは、SNSで見えるのは点の話にすぎず、その人の人格を見極められるわけがないと続けました。
寒川さんは、何年後になるかはわからないとしながらも、今のSNSはいずれ「ひどいものだった」と振り返られるのではないかという予感を語ります。
みんなボロボロのエンジンで車うまく運転できたよねっていう。
浮世離れした生活で、作品と展示はどう変わったのか
高木さんが、こうした浮世離れした生活で作品作りは変わるのかと尋ねると、寒川さんは、時間をかけられるので練度が上がると答えます。ここでの密度は絵の細かさではなく、何かしらの凝縮度のことだと補足しています。
高木さんが面白いと感じていたのは、寒川さんの個展の作り込みです。アトリエの床材を展示会場へ運び込み、来場者が座るベンチまで作り、動線も普段のやり方から変えたといいます。
高木さんの目には、展示空間全体がメディアであり、作品を構成する要素になっているように映りました。アートに詳しくないかもしれない若い人が多く訪れていたのも、直感的にそこへ反応していたからではないか、と高木さんは考えています。
センスが生き方の指標になる時代
寒川さんは、高木さんの問いかけへの答えとして「生き方の問題」から話し始めます。寒川さんの見立てでは、世代が下るにつれて、生き方の指標が究極的にはセンスにたどり着くのではないかといいます。
バブルを享受した世代
寒川さんより上の世代
間の世代
その次に続く世代
平成生まれ・Z世代
寒川さんの世代とそれより下の世代
センスが軸になる
どう成し遂げたかの美しさが問われる
お金をどう儲けるかとか、どういう生活をするかっていうその状態じゃなくて、それまでにどうやってそれを成し遂げたかみたいな。
寒川さんは、成し遂げるまでの過程が美しかったりセンスがあったりするほうがいい、という考えが軸になっていくだろうと話します。例として挙げたのは、ニューヨークのメトロポリタン美術館です。寒川さんは、もともとロスチャイルド家の私設美術館に近いものだったと説明しています。
とてつもない資本力を持ち、何でも自由に選べて何をしても許される立場になったとき、何をするかが重要になると寒川さんは考えます。寄付でもいいし、さまざまな生き方があるなかで、センスがいいということが1つの究極の形ではないか、と薄々感じているそうです。
寒川さんは、高校生や大学生の頃に上の世代を見て、もっとこうしたらかっこいいのにと感じていたといいます。その正体を考えた末に、技巧でも量でもなく、ダイヤモンドが3000個付いているから素晴らしいという話でもない、センスなのだろうと思い至ったと話します。
ホワイトペインティングが子どもにも届いた理由
寒川さんは、こうした感覚の動きを個展の展覧会で実際に見たといいます。例に挙げたのが、EUGENE STUDIOの作品「ホワイトペインティング」です。
寒川さん自身は、ホワイトペインティングを肖像画や絵画の歴史の中にある、美術史的にとても難しい作品だと思っていました。ところが実際には、子どもも含めて驚くほどすっと入っていく様子があったといいます。
これ(観客の反応)ってものすごい大きい何か変化が、まだ美術の中では多分言語化できてないし、哲学的にも多分言語化できてないのかもしれないんだけど、起きてるなと思って。
寒川さんは、その変化を簡単に言えば「見た目が全てではない」という価値観だと表現します。アフリカの話やモデルの体型の話など、見た目で評価してはいけないという至極当たり前の話が、ずっと受け継がれてきたというのが寒川さんの見方です。
その人が要は悪い顔をしてるからといって、その人が犯罪を犯すわけではない。
寒川さんは、こうした価値観が寒川さんの世代では無意識に形成されていて、ホワイトペインティングはそれに対してクリティカルな作品なのだろうと考えています。話はここで区切られ、続きは後編に持ち越されます。
まとめ
前編では、寒川裕人さんが学生起業の頃から一貫して現代美術を考え、100年単位で残る表現を目指してきたことが語られました。インターネットを1日5分に制限する生活は、制作時間だけでなく考える時間と情報への嗅覚をもたらし、その先にセンスを軸にした生き方という見立てがつながっています。
- 寒川さんは、仕事の時期も含めて「遠回り」こそが新しい現代美術への道だと考えていた
- 媒体の違いより、問い直して構造を変える力があるかどうかが表現を変えるという考え方
- スクリーンタイムのパスコードをパートナーだけが知る形で、インターネットを1日5分に制限している
- 今のSNSは、情報を受け取る形式としてまだ未熟な代物かもしれないと寒川さんは見ている
- 生き方の指標は、どう成し遂げたかという「センス」に向かっていくという見立て


