大型作品づくりは、なぜ「スポーツ」に似ているのか
後編は、大型作品の制作の話から始まります。高木さんは、大型作品ほど「何を思いつくか」より「どう実現するか」のほうが難しく、普段から大きな環境で鍛えておく必要があるのではないかと寒川さんに尋ねます。
寒川さんはこれに同意し、身体感覚はすぐに失われるので、制作は「結構スポーツみたいだ」と話します。競技場に出ていないと感覚を忘れてしまい、作品をどの高さに置けばよいかといった判断もわからなくなるといいます。
寒川さんによると、キャンバスや油絵、壁は、比喩ではなく実際に動くそうです。たとえば壁が重すぎると反って歪み、絶対に平行なはずのものが平行に見えなくなります。
寒川さんは、こうした「いつもと違う」理由を体験を通して蓄積しておかないと、なぜそうなったのかがわからないと語ります。大型作品の制作には、アスリートのような日々の積み重ねが欠かせないということです。
寒川さんは美術全般について、作品は人間とは別の時間を持つ、ある意味で自然そのもののような存在を相手にしていると考えています。そうした感覚で日常的に制作していると、目の動き方や物への接し方まで変わってくるそうです。
寒川さんは、この感覚によって物事の見方がかなりフラットになってきたとも話します。昔は面白くなかった作品が、5年後に見たらめちゃくちゃ面白く感じることが実際にあるといいます。
寒川さんはこれを「人生だな」と表現します。5年の間に価値観が激変することもあるので、そのときピンとこなかった友人や出会った人も、自分の中から消え去るわけではありません。相手が変わることも、自分が変わることもあり、作品は自分の変化に気づかせてくれるものの一つだと寒川さんは考えています。
作品は「歴史と自分が出会うこと」から生まれる
高木さんは次に、寒川さんが作品をどのように考えて作るのかを尋ねます。寒川さんによると、美術館で発表するような作品で、制作期間が3年未満のシリーズはほぼないそうです。
寒川さんは、自分の作品づくりには「歴史」と「自分が出会うこと(巡り合わせ)」という2つのキーワードがありそうだと話します。
1つ目の「歴史」とは、200年後や300年後にこの作品は残っているだろうか、あるいは300年前にこの作品があったら自分はどう見ただろうか、と考えることです。寒川さんはこれを「究極のある意味客観的な見方」と表現しています。
寒川さんは、作品を200年前のものとして見る、という視点も挙げます。200年前の作品が残っているなら、誰かが何かを語り継ぎたかったという意味があるはずで、目の前の作品にもそれがあるのかを考えるのだといいます。
2つ目の「巡り合わせ」は、世の中のすべての事象や情報に接することはできない、という前提から来ています。どんな環境で誰が周りにいるかは定義しきれないので、寒川さんは一つひとつの出来事を覚えておくようにしています。
寒川さんによると、そのとき面白くないと思ったことが、見方を変えればいつか面白くなる、ということをよく覚えておくそうです。記録するのかと高木さんに聞かれると、寒川さんは記憶することとメモすることの両方を組み合わせていると答えます。
寒川さんはこのやり方を、偶然の面白い出来事が200年前や200年後とつながる瞬間を「待っている」状態だと説明しています。
巡り合わせを覚える
面白くなかった出来事も、記憶とメモで残しておく
歴史の視点で見る
200年後に残るか、200年前の作品ならどう見えるかを考える
つながる瞬間を待つ
偶然の出来事と長い時間軸が結びつき、作品になる
具体的なモチーフより、なぜ抽象なのか
高木さんは、具体的なモチーフで知られるアーティストが多いなかで、寒川さんの作品はテーマも捉え方も抽象的だと指摘します。そして、その抽象性は意識して選んでいるのか、200年単位で考えるプロセスから自然にそうなるのかを尋ねます。
寒川さんは、まだ自分の中で理論になってはいないと前置きしつつ、抽象性が現代にとってものすごく重要だと確信し始めていると答えます。
寒川さんがそう考える背景には、人の可能性を強く信じる気持ちがあります。人はそれぞれ長い時間をかけて人生を歩んでいるので、そのポテンシャルは簡単には測れないというのです。
そこで寒川さんは、大きなメッセージで人を動かそうとするよりも、一人ひとりの中にある可能性を引き出したほうが、大きな動きになるだろうと話します。
寒川さんは、はっきりしたものの欠点が見えてきているとも指摘します。明確で強いメッセージは、必ずしもよい結果を生むとは限らないからです。
寒川さんは東京都現代美術館での展覧会で「想像力」を掲げました。これからの世代を考えると、想像する力を引き出すことのほうが重要ではないかと寒川さんは語ります。
寒川さんは、想像する力をより多くの人が持てば、差別のような問題も解決に向かうのではないかと考えています。戦争まで言えるかはわからないとしつつ、想像する機能が人に「デフォルトでつけば」多くの問題はなくなっていくのではないか、という見方です。
高木さんが「具体だと、それが答えになっちゃう」と応じると、寒川さんも同意します。メッセージが書いてあれば、それに対してどう思うかでしかなく、その先はなかなか見いだせないというのです。
答えが示され、受け手はそれにどう思うかで止まりやすい
受け手が考え、自分を投影し、想像する余地が生まれる
寒川さんは、ウクライナやコロナをめぐる最近の流れを見て、何かを変えなければいけないと強く感じているそうです。社会の法律を変えるような話ではないものの、いろいろな人がいろいろなやり方で取り組む必要があり、現代美術はそのなかでも貴重な領域だと考えています。
寒川さんは、自分の知らない人がいると知ることも想像力に含まれると話します。思いもよらない考え方をする人の存在は、はっきりしたメッセージの下では出にくいものの、抽象性が高まれば見えてくることがある、というのが寒川さんの考えです。
「想像する力」は日本の古い文脈につながるのか
高木さんは、アートでは作品をどの系譜に置くかという文脈が大事だという印象があると話します。例として挙げたのが、浮世絵やアニメの延長線上に作品を位置づけた村上隆 ── 日本を代表する現代美術家。日本の平面性やサブカルチャーを取り込んだ作品と、それを理論化した「スーパーフラット」の提唱で国際的に知られますさんのスーパーフラット ── 村上隆さんが2000年前後に提唱した概念。日本画や浮世絵、アニメに共通する平面的な表現と、階層のない日本社会のあり方を重ねて論じたものですです。
寒川さんは、自分が掲げる「想像する力」について、まだ誰もやっていないと思うと前置きしたうえで、かなり古いところまで遡れば日本古来の文脈があるのではないかと考えているそうです。
寒川さんは村上さんのスーパーフラットを高く評価します。自分で編み出した概念なので強度があり、「フラット化された組織」のように今でも通用する言葉が多いと話します。高木さんも、しかもキャッチーだと応じています。
寒川さんにとって「想像する力」は、実は長い話になりそうな一つのテーマだといいます。物語でも体験でも、美術であってもなくても、どこでも重要になる可能性を感じているそうです。
高木さんは、多くのアートのコンセプトが動物や色彩、形状といったモチーフや技法に向かうのに対し、寒川さんの「想像する力」は見る人、体験する側に寄っていると指摘します。
寒川さんはその視点はなかったとしつつ、日本の伝統的なものには受け手に委ねる部分、つまり想像の余地が多いのではないかと話します。想像が喚起されやすいメディアの例として能も挙げ、もともと自分にもそうした考え方があり、それはもっと昔からあったのかもしれないと語ります。
なぜ絵画は何百年も続いているのか
寒川さんは、他の作家の作品が若い頃にはまったく理解できなかったのに、20代を過ぎて急に一番いい作品に見えた経験を振り返ります。
寒川さんによると、流行のものはすべて変わってしまうので、自分が変わったかどうかはわかりません。けれど作品は変わらないので、30年前はいいと思わなかった作品を30年後にすごくいいと思えたとき、その間に自分に何があったのかを考えられます。作品は自分の変化を映す鏡のような存在だということです。
高木さんはこれを受けて、ピカソやゴッホ、フェルメール、リヒターの作品が世界中で展示され続け、そのたびに人を感動させていることに触れ、その耐久性はすごいと話します。
寒川さんは、絵画は耐久性という点で、誰かが意図して作ったわけではないのに非常によくできたメディアだと考えています。理由の一つは修繕(補修)ができることです。寒川さんは、建築は修繕が難しく、車は部品が多いためどこかに欠損が起きてくると比べています。
もう一つの理由は、一瞬で全体像を把握できることです。寒川さんは、漫画や文学、映画は時間軸があるので一度に全体をつかむことはできないと話し、高木さんも「一覧性がない」と応じています。
| メディア | 耐久性・修繕 | 全体像の把握 |
|---|---|---|
| 絵画 | 修繕ができ、何百年も続いている | 一瞬で全体を捉えられる |
| 建築・車 | 建築は修繕が難しく、車は部品が多く欠損が起きる | 話題にのぼっていない |
| 漫画・文学・映画 | 話題にのぼっていない | 時間軸があり一度にはわからない |
寒川さんは、絵画は誰かが「残したい」「価値がある」と言うから残っているのではなく、人間の目と脳にとって一つのよくできた形だという、もっと根源的な理由があるのではないかと話します。絵画を描いている人も、そこまでは考えず直感で感じているのかもしれない、と寒川さんは付け加えています。
高木さんは、シンプルで凝縮されたフォーマットに長い歴史の中で多くの人が挑み続けている点を面白いと語ります。そして、こうした根本から考えているからこそ、寒川さんの作品はシンプルに見えて深みや厚みがあるのだろうと話しています。
起業家とアーティストは、時間軸がどう違うのか
収録の終わりに高木さんは、普段多く話を聞く起業家とアーティストの違いを、時間軸に見出します。起業家も世の中にインパクトを作りたいと考えていますが、高木さんの目には瞬間最大風速的なものが多く見えるそうです。
一方でアーティストは、何百年、ひいては1000年を耐えられる、影響を残すものを作ろうとしていると高木さんは話します。脳の使い方がまったく違い、筋トレのような時間になったと振り返っています。
世の中にインパクトを作るが、瞬間最大風速的なものが多い
何百年、1000年を耐え、影響を残すものを作ろうとする
高木さんは締めくくりで、情報が爆発し視点がどんどん短期的になる今だからこそ、そこから身を離して数百年のスパンで物事を捉え、長く続いてきたフォーマットに表現を込める寒川さんの目線が貴重だと語ります。
高木さんは、この目線はアーティスト以外の人にも持てる視点であり、経営者など違うジャンルの人にもヒントがあるのではないかと話しています。
まとめ
後編では、寒川裕人さんが作品を200年単位の時間軸で考え、抽象性によって受け手の「想像する力」を引き出そうとしていることが語られました。変わらない作品が自分の変化を映すという視点や、絵画というフォーマットの強さの話は、短期的な視点に偏りがちな現代に別の見方を示しています。
- 寒川さんは、大型作品の制作を身体感覚が欠かせない「スポーツ」に近いものと捉えている
- 作品づくりの軸は「歴史」と「巡り合わせ」で、200年前や200年後とつながる瞬間を待っている
- はっきりしたメッセージより、抽象性で一人ひとりの想像力を引き出すことが現代に重要だと考えている
- 絵画は修繕でき、一瞬で全体を捉えられるため、人間の目と脳にとってよくできた形だと寒川さんは話す
- 高木さんは、アーティストの長い時間軸の視点が起業家や経営者にもヒントになると締めくくった




