リセットできない10年を、乙武洋匡はどう捉えているか
番組は、昼間のメディアや会議室では話せないような価値観や葛藤に踏み込み、ゲストが今抱えている問いを一緒に掘り下げていくスタイルで進みます。冒頭、高木さんは乙武さんに対して率直な印象を伝えます。
乙武さんはメディアにずっと出ていて、世の中から晒されているから、思ってもないのに人前で泣けちゃう人というイメージもあるんですよ。
高木さんにとって乙武さんは特別な存在です。自身も障害があり、子どもの頃に『五体不満足』を読んで「こんなに明るく生きている人がいるんだ」と感じたと語ります。参院選出馬前にはクリエイティブ制作で準備に関わっていた矢先に、あのスキャンダルが起きたという経緯もありました。
乙武さんは、両手両足がほぼない先天性四肢欠損として生まれ、普通教育を受けて育ちました。大学在学中に出版した『五体不満足』は600万部を超え、戦後日本4位のベストセラーになったと振り返ります。
一位が黒柳徹子さんのトットちゃん。二位が松下幸之助さんの道をひらく。三位がハリー・ポッターと賢者の石。の次。
スポーツライター、小学校教員、教育委員などを経て、40歳で参院選に出馬しようとした矢先にスキャンダルが起き、そこから10年、一般的には燻っているように見える時期が続いたと本人は語ります。この10年で最も痛感したことを、乙武さんはこう表現します。
よく人生を「リセットする」という言い方が流行っているけど、リセットはできない。起こったことは全て引きずったまま晒されながら生きていくしかない。
だからこそ、リセットしたい状態の前に戻ろうとしても意味がなく、起こった上で何ができるんだろうを考えてきた10年だったと話します。政治への挑戦は、出馬できたのが2回、出られなかったのが1回で、いずれも結果は出せませんでした。
知名度に頼る空中戦をやめ、地域の現場へ
乙武さんは今年4月で50歳を迎えました。初めて選挙に出ようとした40歳のスキャンダルからちょうど10年。50代をどう生きるかを相当考えたと言います。
目標は政治家になることではなく、境遇によって選択肢が少ない人でも自分の人生を自分で決められる社会にすること。その最大の手段として10年間政治にこだわってきましたが、次の10年もこの道を進むのか悩んだと語ります。
結果また何も得られませんでした、社会に効果的な働きかけができませんでしたという十年になる覚悟でも、まだチャレンジするのか。
それでも「まだ目指す」と舵を切りました。50代の情熱をかけたいと思えるものが、政治以上には見つからなかったからです。ただし、同じやり方の繰り返しには進歩がないとも感じていました。
2回の選挙の反省点は、正直に言えば知名度に頼った選挙をしてきたこと。しかしその知名度が通用しないと痛感し、同じような知名度に頼る選挙をしても結果は出ないと考えるようになります。
そこで、これまで自分に一番向いていないと思っていた「とにかく地域を回る」小さな選挙区のやり方に切り替えました。15歳から長く暮らす新宿への愛着を軸に、まずはベースを作ろうとしています。
毎週末お餅をついて、これからの季節は毎週末盆踊りに行って、平日はこども食堂に行く。この半年はずっとそうしている。
40年変わらない日本社会への焦燥感
高木さんは、政策だけなら役人でよく、政治はもっと身体的で現場のあるものではないかと問いかけます。お祭りへの参加も、「この人は自分たちのことをわかってくれている」という実感につながるからこそ意味があるのではないか、という見方です。
一方で乙武さんは、現場を回る気持ち良さに酔いしれ、現場の声しか反映しなくなる政治家ばかりになる怖さも指摘します。今の日本の課題を、乙武さんはこう俯瞰します。
今の日本の一番の課題は少子化で、人口ピラミッドが逆三角形になって現役世代の負担が強まっている。でもそれは今の政治というより、過去の政治のせいだと思う。
将来を見越して子育て政策に力を入れるべきだったのに、当時は票にならないという理由で、地域から上がる声に寄り添いすぎた結果が今だ、という認識です。
乙武さん自身は、これまで地域を回らず理念ベースで「未来の日本はこうあるべきだ」しか語れていなかったと振り返ります。地域を回り始めて今を生きる人の思いを知り、ようやくバランスが取れてくると感じる一方で、今度は目の前の声に引っ張られすぎる危うさも自覚しています。
将来を見越して20年後30年後に必要な布石を打つ。地域を回る前の乙武さんが語れていた視点。
今を生きる人の暮らしと声に寄り添う。地域を回り始めて得た視点。強くなりすぎると未来を見落とす危うさもある。
重度の障害を抱えながら、なぜテーマを持ち続けるのか
高木さんは、乙武さんが早くから知名度を得て、社会的には苦労していない立ち位置にいるようにも見えると指摘します。それでも厳しい状況の中でテーマを持ち続ける理由が気になる、と問いかけます。
乙武さんが4年経っても残っていると語るのは、選挙の街頭演説で出会った、障害児を育てる母親の訴えです。
うちの子は障害があって普通教育を受けさせたい。教育委員会や学校に交渉したら許可は下りたけど、親が常に付き添うことが条件とされる。
乙武さん自身も40年前、普通教育を受ける際に親の付き添いが条件でした。前例もなく知見もなかった当時は、それが最大限の譲歩だったと理解し、感謝もしていると言います。
問題は、共働きや一人親世帯が増えた今も、同じ条件が変わっていないことです。乙武さんはこれを憤りに近い感情で受け止めています。
高木さんは、乙武さんがこれだけ発信してきたのに社会が変わらない悔しさもあったのではと尋ねます。乙武さんは自分の影響力を過信していないとしつつ、40年経っても障害者福祉や教育への価値観が進歩していないことへの驚愕だと語ります。
「乙武の代わり」が出てこなかった10年
乙武さんは、スキャンダル後にメディアに出られなかった時期、ある期待を抱いていたと明かします。芸能界のハーフタレント枠でベッキーさんが不在の間に他のタレントが頭角を現したように、自分がいなくなれば代わりの人が出てくるのではないか、という期待です。
乙武しかいないのは健全ではない。僕は障害者全体を代表できるとも思っていないし、いろんな人がいろんな意見を持って出てくる方が健全だと思っていた。
しかし、代わりに出てくる人は全然現れませんでした。ここで高木さんが、当時ショックを受けた出来事を打ち明けます。
そのスキャンダルがあった時に、一番クレームがあったのって障害を持ってる方々の団体とかで、僕はすごいショックを受けたんですよ。
高木さんはその背景を、障害者が社会にどう受け入れられるかという期待が乙武さん一人に集中していたからだと読み解きます。「素敵なことを言っても現実は変わらない、乙武さんだから特別なんでしょ」という複雑な感情が向けられていたのではないか、という見立てです。
本来コアファンであるべき人たちが石を投げてくるような構造に固定化されていて、戦いづらいに決まっている、と高木さんは指摘します。
AmazingOTO誕生。「日本人は乙武に慣れすぎた」
話題は、乙武さんが取り組む海外向けショート動画「AmazingOTO」に移ります。きっかけは、去年の年明けごろに若者から持ちかけられた提案でした。
いいけどなんで?って言ったら、いや、もう日本人は乙武さんに慣れすぎちゃったんですと。
五体不満足で有名になった、不倫で叩かれた、政治活動をしているといった余計な情報を一切知らない外国人に向けて、非言語でポジティブな姿を見せたい、という企画意図でした。かつて『五体不満足』が書籍で与えた衝撃を、今はショート動画で外国人に届けられるという発想です。
半信半疑で始めたところ、1ヶ月ほどで1億回再生される動画が出て、1年ちょっとで総フォロワー数は約200万人に達しました。ただ、乙武さんにとって重要なのはバズること自体ではありません。
自分の意思を剥ぎ取るっていうことをテーマにしている。何をやりたいとか何はやりたくないとかを捨てて、若い子がこうやった方がいいと思うことに全て身を任せてみる。
企画と撮影を担うのは22歳の男性です。カメラの前で踊る、シャワーを浴びながら体をくねらせるといった、以前の自分なら絶対にやりたくなかった表現も、若い子の感性に任せています。それを実践できていることが、バズる以上に自分の今後の人生にとって価値があると乙武さんは語ります。
高木さんは、AmazingOTOに乙武さんの明るさやポップさが理屈を超えて出ていると評価します。この障害に一般的に持たれるイメージやラベルに対して、軽やかに「こんなのもありだよ」と示す才能がグローバルでも証明された、という見方です。
40代のしんどさと、グローバル×ドローカルの両輪
乙武さんは今の活動を、海外向け発信というグローバルと、新宿区というドローカルの両極端を両方やれているのが面白いと語ります。どちらも未経験の挑戦です。
40代は正直しんどかったと言います。スキャンダルの有無にかかわらず、一定の地位や名声を得た同世代の多くがミドルクライシスに悩んでいたと振り返ります。
三十代までに一定のことをやり遂げて名声を得て、でもまだ人生半分以上あるみたいだけど、どうすんだ?とみんな悩んでいた。
乙武さんはそこをふぶり切れたと感じています。町会のお祭りでは、身体的に神輿は担げないため、神輿を乗せる台である「馬台」を運ぶ役割を任され、車椅子を右手で運転しながら左肩に担ぎ、子ども神輿の後をついて回りました。
町会長にお前これ運べと言われて、うすと。地域の役に立ってんだなという実感は、ここまで得ようともしてこなかったものだけど。
以前は「社会のためにこれをしなきゃ」「どう見られなきゃいけない」という縛りが強かったのが、今は手前に楽しさがあってやれている状態に変わったと言います。社会のためになればいいという方向性は変わらないものの、優先順位が変わったのです。
転機になったリディラバ安部の痛烈な一言
高木さんは、40代の乙武さんが理屈的になっていたと分析します。難しい顔をした人には揚げ足を取りたくなるが、楽しそうにしている人にはそう思えなくなる、という指摘です。
この10年で一番刺さっている言葉として、乙武さんはリディラバの安部さんと飲んでいたときの一言を挙げます。
あんだけのスキャンダルがあって、みんなから嫌われて、みんなに好かれなきゃいけない商売やろうとしてるって、めっちゃ痛い人だよって言われて。
その痛々しさを自覚も表現もせず、まだ綺麗事を言おうとしている、と指摘されたのです。「痛いのはわかっているけど政治をやりたいんだ、頼むよ」という見せ方ができない限りしんどい、という言葉でした。
乙武さんは、自分をよく見せたい気持ちが人一倍強い理由を、障害由来もあると語ります。クラスでみんなから「すごいな」と思われることでヒエラルキーを高め、弱みを見せたら転げ落ちる恐怖があったのではないか、という自己分析です。
障害というタグを外すと、政治の戦い方はどう変わるか
高木さんは、政治で持つテーマを障害やリベラルに閉じる必要はないのではないかと提案します。乙武さんの価値は「こんな人もいるんだ」というシグナルの最大例であり、そのタグを外せば動きやすくなるのではないか、という見立てです。
乙武さんも、新宿区内の活動では右だ左だというラベルで動いていないと応じます。そのうえで、現実的な課題はどの選挙に挑戦するかだと語ります。
多くの人は国政を期待するものの、乙武さんはむしろ国政から距離を置いた方が楽かもしれないと考え始めています。理由は、都政の面白さにあります。
国政は憲法、外交安全保障、原発みたいにイデオロギーに引っ張られる。でも俺の価値はそこにはあまりない。
乙武さんは、賛成反対を一票加えることより、これまで語られてこなかった課題を提示し「それ知らなかった、どうしようか」という視点を示すことに自分の価値があると考えています。そのため、イデオロギーから離れやすい都政や区政の方が実践を積めると感じています。
ブランドとしてのスタンス。身体感覚で選ぶ政治
高木さんは、ダイバーシティという水平的テーマは「どの政党でもいい」という印象になりやすく、それが一番嫌われやすいと指摘します。ブランドはスタンスを決め、やらないことをはっきりさせることだからです。
そのうえで高木さんは、乙武さんを身体的な人だと見ています。AmazingOTOも地域活動も身体感覚のあることであり、リベラルかどうかには身体感覚がない、という見方です。
もっと乙武さんじゃなきゃできないこと、ここでやりきるんだという覚悟やスタンスが明確だと、僕そういう人って強いと思うんですよね。
乙武さんは、わかるとしつつも国政でしっくりくる党がないと本音を漏らします。高木さんは、党是に縛られにくい地域政党や自治体の方がいいのではないかと重ねます。
40年変わらない景色を変えるのは、上からか下からか
高木さんは、乙武さんのテーマを変えていくには法律や大きな予算から変わるのが早いのか、地域のモデルケースから広げるのがいいのかを問います。
早いのは上からだと思う。でも新平が言った「いい道」はボトムアップなのかな。
乙武さんは、理解が進まないまま作られたLGBT理解増進法を例に挙げます。どちらの立場からもいい法律と思われないものができてしまったのは、理解が不十分なまま「これくらいでどう?」と作ったからではないか、という見立てです。
一方で同性婚をめぐるパートナーシップ制度は、渋谷区と世田谷区から始まり、他の自治体に広がっていきました。地域の積み重ねなくいきなり国が制度化するとハレーションが大きいが、自治体の積み重ねが広がれば、時間はかかってもフィットした形で定着すると乙武さんは語ります。
高木さんは、日本はトップダウンで形は早く浸透するが文化にはなりにくいと応じ、乙武さんがやりたいのは制度よりも環境作りではないかと問いかけます。
混ざり合う場をつくる。杉山文野の巻き込み方
乙武さんは、障害者として健常者の中に飛び込んで触れ合うことが人生の核であり、社会への一番の貢献だったと振り返ります。政治への挑戦を諦めるつもりはないとしつつ、いろんな人が混ざり合う場が大事だと語ります。
その例として、仲間である杉山文野さんの手法を挙げます。G1というコミュニティのトップだった堀義人さんは、当時LGBTQへの理解があまりなかったものの、杉山さんが飲みの場で打ち解けることで変わっていったと言います。
今は昭和型と批判されるかもしれないけど、飲みニケーションで「僕元女子高生なんすよ」って言って、ガハハって一緒に飲むことで、お前面白いなと気に入ってもらった。
乙武さんは、変える力を持つ人たちを巻き込んでいったこの手法を高く評価します。議員でも政治家でもないのに大きな変化を促してきた、という点に注目しています。
高木さんは、乙武さんが行動すること自体がその状況を作ると応じます。乙武さんがいれば「他の障害を持つ人でもいられる環境なんだ」というメッセージが成立し、通った道が開けていく、という見方です。
近所のおじさんになっていく。理屈を超えるカルチャー
乙武さんは、地域を回ると出会う子どもたちの反応の変化を語ります。最初は「なんで手足ないの?」から始まり、2回3回と会ううちに近所のおじさんになっていくのです。
最初は手足のない不思議な乗り物に乗ってる人だったのが、いつもの近所のおじさんになっていく。
これが全国のあちこちで起きるといい、その先駆けになれたら、と乙武さんは語ります。高木さんは、小さいうちに乙武さんを見れば、肌の色や奇抜な格好の違いは些細に感じられるようになると応じます。
高木さんは、自身も富山県の仕事で硬い場に入ることで場が和らぐ役割を果たしていると例を挙げます。制度で受け入れる受け入れないという話ではなく、人間の感覚的なもの、カルチャーの問題だという見方です。
十を変えようとした40代から、一を積み重ねる50代へ
乙武さんは、この対話を通じて一つ言語化できたことがあると語ります。40代の自分は、自分の存在や影響力を加味して「十のことを変えるべきだ」とこだわり、そこに行き着けず一も変えられずに焦っていた、という気づきです。
十はちょっと無理そうだから、一とか今できることを楽しく取り組んで、その積み重ねでいいんじゃんみたいな心持ちになれている。
高木さんは、映画『グレイテスト・ショーマン』を引き合いに出します。多様な人々がいて「すごい」と思わせる存在が、もし「世の中をこうしなきゃいけない」と言い出したら嫌に感じるのではないか、という問いかけです。
乙武さんは40代の時に相手や世の中を変えようとしてたのかな。でも変えようとすると違うっていう感じがあって。
高木さんは、乙武さんはいるだけで周りが勝手に変わる存在だと語ります。『五体不満足』も、読んだ人に何かを求めたわけではなく、「自分はこんな人間です」という物語に読者が勝手に共感し、固定観念が書き換えられたのではないか、という見立てです。
政策やあるべきことを訴えて有権者を動かそう、認識を変えさせようとするムーブ自体がハマらなかった。領域は合っていたが、スタイルが合っていなかった、と高木さんは整理します。
十を変えるべきだとこだわり、社会のために・どう見られるかに縛られ、理念を前面に出して有権者を動かそうとした40代。
一や今できることを楽しく積み重ね、存在そのものが周りを変えていく。楽しさを手前に置いて挑戦する50代。
どん底期を救った、若者とワインのコミュニティ
高木さんは、40代のしんどい10年の裏に若い世代とのコミュニティがあったことが、乙武さんを支えていたのではないかと問いかけます。乙武さんは、それが本当に大きかったと認めます。
支えになっているコミュニティは2つあります。一つは当時大学生だった子たちと12年ほど続けているコミュニティ。もう一つは、暇だった時期にハマったワインを通じたコミュニティです。
下は大学生から上は五六十近い方まで、世代も職業もバラバラ、利害関係のない、ただワイン好きな仲間が集まる場を、この十年で百六十回ぐらい開催している。
これらの場が利害関係のない支えになっているから、50歳を過ぎてもゼロから挑戦できるメンタリティになっていると乙武さんは語ります。
乙武さんは、若い世代と飲む意味の変化も明かします。10年前は自分が役に立てている感覚だったのが、今はこの人たちと飲めていること自体がありがたい場に変わってきた、という実感です。
この人たちと一緒にいれた方が自分の成長になるし、停滞や衰退を防げるなっていう感覚がすごくある。
この感覚があるからこそ、AmazingOTOでも自我やエゴを捨てて若者に委ねられたのだと乙武さんは振り返ります。人に委ねられるようになったことは、自分が老いていることへの自覚とも結びついています。
五位という負けが与えた痛感と、軌道修正
高木さんは、この吹っ切れをもたらしたブレイクスルーは何だったのかと問います。乙武さんは、2年前の選挙でのコテンパンの負けを挙げます。
1回目は完全無所属で手応えもあったものの、当選は難しい選挙でした。しかし2年前は受かるだろうと思っていた選挙で、5位という結果に終わったのです。
高木さんは、サッカー日本代表がボロ負けから自分たちのスタイルを見つめ直して強くなった例を挙げ、言い訳できない負けだったからこそ軌道修正できたのだと応じます。乙武さんは、その負けと安部さんの言葉の二つが重なって、この延長線上に豊かな人生はないと思ったと語ります。
見知らぬ他者を受け入れる場としての多様性
高木さんは、メディアに出る人は5年前10年前のイメージで見られ続け、実態との時差がきついと語ります。その中でくすぶる自分を支えるものとして、乙武さんのコミュニティの存在が効いていた、という見立てです。
乙武さんは、地方局で頑張る教え子が、貴重な東京滞在の時間を自分と会うために使ってくれたことを心から嬉しかったと語ります。高木さんは、50歳が20歳から誘われる関係を作ること自体が簡単ではないと評価します。
乙武さんの価値は、障害をもう一個抽象化すると、ストレンジャーであり、見知らぬ人、よそ者みたいな存在として受け入れられる状況を作れることな気がする。
乙武さんは、ワインコミュニティには官僚も政治家もAV女優もホストもいると例を挙げます。相手の職業に関わらず「居心地いいね」と集まり、「政治家と飲むことなかった」「同じ人間だと思えた」と言ってもらえることが嬉しいと語ります。
高木さんは、俯瞰して世の中が多様かどうかより、一人ひとりが自分と違う立場の人を受け入れ、違いを認めた上で共存できるかの方が大事で、それが結果的に多様さになると整理します。
つながる祭りと、乙武でしか作れない景色
高木さんは、乙武さんの政治は祭り事的だと語ります。いろんな人がごちゃ混ぜになって「世の中こうしていく方がいいよね」が作られていく側の政治だ、という見方です。
高木さんは、故郷・富山の曳山祭りで曳山を押すことを「つながる」と呼ぶと紹介します。人々も土地も先祖代々も含めて一つになる感覚で、普段の利害関係を超えると語ります。
乙武さんは、その第一歩を作ってくれた町会長への感謝を語ります。神輿を担げない自分に「じゃあ馬台を担げ」と、できる役割を与えてくれたことが、まさに高木さんの言う一歩だったのです。
高木さんは、自身も小さな障害があるからこそ、過度にケアされるより普通の人としてフェアに扱われ、参加できたときに「受け入れてもらえた」と感じると語ります。
野茂英雄になりたかった。道を開くという生き方
乙武さんは、ロールモデルがいないことに苦しんできたと明かします。日本には浮かぶ人がおらず、ネルソン・マンデラやキング牧師は大きすぎて参考にならなかったと言います。
そのなかで一番のロールモデルにしてきたのは、意外にも野茂英雄だと語ります。プレーヤーとしても素晴らしかったが、後にルールが整備される道を最初に作った点に注目しています。
障害者にはこれ無理と言われても、やらせてくださいと言ってやってみたらできたとなれば、次の世代が「やりたい」と言った時の社会の景色が全然違ってくる。
だからこそ、いろんなことに挑戦して山に旗を立て、「これできるよ」と示したいと乙武さんは語ります。高木さんは、それが全部AmazingOTOのコンテンツになり、歩いた後に道ができる生き方だと応じます。
存在そのものが、新しい選択肢になる
高木さんは、多様性の話が弱者救済や再分配の議論になりがちなことに違和感を語ります。それも大事だとしつつ、「こういうのもあるんだ」という景色を広げる側面をもっと見たいと言います。
高木さんは、乙武さんが参院選に出るときのキャッチコピー「新しい選択肢」を持ち出します。世の中こうじゃなきゃダメだと訴えるより、乙武さん自体が新しい選択肢になり世界を広げていく方がいい、という見立てです。
乙武さんは、この対話を「どうストレンジャーの立場でチャレンジャーであり続けるか」という言葉に集約します。急いで何かを形にしようとしすぎず、自然体で挑戦し続ける姿を見せることが、10年後20年後に誰かを変える、と高木さんは応じます。
この十年燻っていたからこそ、今すごくフレッシュな気持ちで新しいことに取り組めている。心身ともにめっちゃ充実している。
乙武さんは、今の自分に欠けているのはアイデアだと語り、活動のスタンスは見えてきたものの「だからもっとこうやったらいい」がまだ足りないと言います。そこで二人は、乙武さんを「フリー素材」として世の中に開く発想にたどり着きます。
乙武さんはこの10年でサーフィンにも挑戦し、10年以内にドローンで空を飛ぶかもしれないと笑います。高木さんは、「何を言うか」より「誰が言うか」が重要になる時代において、アイコンになれる乙武さんは最強だと締めくくります。
まとめ
知名度に頼った選挙に負け続けた10年を経て、乙武洋匡さんは「十を変えようとする政治」から「一を積み重ね、存在そのものが周りを変えていく生き方」へと舵を切りました。理念を前面に出すのではなく、楽しさを手前に置いて挑戦し続けるスタンスへの転換が、この対話の核にあります。
- リセットはできないと痛感し、起こったことを引きずったまま何ができるかを考える10年だった
- 2年前の5位という負けと、リディラバ安部さんの痛烈な一言が、知名度頼りの空中戦から地域の地上戦へ切り替える転機になった
- AmazingOTOでは「自分の意思を剥ぎ取り」若者に委ねることで、40代の縛りから吹っ切れた
- 若者とワインの2つのコミュニティが、燻る10年を支え、ゼロから挑戦するメンタリティの基盤になった
- 野茂英雄のように道を開く存在として、乙武さん自身が「新しい選択肢」になることを目指している




