「死ぬこと以外かすり傷」の人が、なぜ迷い始めたのか?
この回は、高木新平さんがホストを務める『インサイドビジョン』の特別編です。高木さんと箕輪厚介さんは定期的に会って語り合う間柄で、その中で「30〜40代になると一度アイデンティティクライシスを迎える」という話題が出たことが、この収録のきっかけになっています。
高木さんは、アイデンティティクライシスを「レールをはみ出して生きている人だからこそ起きるリアル」だと位置づけ、起業家のリアルの1つとして箕輪さんと本音で話すことにしたと語っています。
箕輪さんの近況は、本の制作が年に2〜3冊ほど。加えて顧問的な関わりが30〜40社あり、そのミーティングでスケジュールが埋まっているといいます。ただ、本を大量に作っていた頃のような感覚はないそうです。
そのうえで箕輪さんは、いまの自分のテーマを「中年クライシス」、つまり40代を前にした踊り場でのアイデンティティクライシスだと語ります。
あんなに死ぬこと以外かすり傷とか、はっきり言って極端かつ明解かつ、それ以外の考え方を切り捨てるみたいなスタンスだった僕が、いや、それだけでもねえだろみたいになって。
(それだけでもねえだろって)思っちゃうから、特に強く押し出す思想もなくなったって感じなんだよね。
箕輪さんは、かつては成功したい、お金が欲しい、有名になりたいと思っていたため「あの時はほんと楽だった」と振り返ります。いまはお金が欲しいとも、有名になりたいとも思わないといいます。
高木さんはこの状態を、アメリカに追いつけ追い越せと突き進んだ戦後の日本が、成熟期に入って目指す先を見失った姿にたとえました。箕輪さん自身は、小さくバイアウトした起業家の状態に近く、「第一創業期が終わった感じ」だと表現しています。
「死ぬこと以外かすり傷」と極端で明快な思想を掲げ、成功・お金・知名度をはっきり求めていた
「それだけでもねえだろ」と思うようになり、強く押し出す思想も、お金や知名度への欲もなくなった
箕輪さんは、同じように本を出してベストセラーを繰り返しても、自分にとっては意味のある仕事にならないと考えています。友人に頼まれたクライアントワークとしてなら頑張れるかもしれない、としつつも、この延長線上では40歳以降は楽しくないだろうと語ります。
だからこそ箕輪さんは、あえて「悩んでいる」「いまやりたいことがない」と周囲に言い、次のものを探しているのだといいます。ちゃんと踊り場にいないと、つまらない40代になるという感覚が、その背景にあります。
飽きと文春報道、何が熱を冷ましたのか
高木さんが「好奇心が満たされないのか」と尋ねると、箕輪さんは「単純に完全に飽きた」と答えます。飽きている以上、かつてのような熱量は出せないと考えています。
あの時は本気だったから、あの最後のアクセル踏めたけど、今ガワだけ同じようなことができても、本当には興味ないから。
箕輪さんによれば、仮に昔と同じようなことをしても「箕輪さん、なんか昔っぽいことやってんな」と見られるだけで、全身全霊で同世代を引っ張るようなムーブメントにはなりようがないといいます。
高木さんは、当時の箕輪さんは自分が編集する本が世の中にもたらす価値を信じていたのではないかと問いかけます。箕輪さんはこれを強く肯定しました。
めちゃめちゃ信じてた。だって俺が金なくて、こういう堀江さんの本とか読んで頑張って金持って仕事できるようになって有名になったんだから、みんなもやればいいじゃんって思ってた。
ところが箕輪さんの考えは、マイケル・サンデルの『実力も運のうち ── ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデルの著書。成功を本人の努力と才能だけの成果とみなす能力主義を批判し、その歪みを論じています』のような主張に触れて揺らぎます。環境や頑張れる性格そのものも運だ、という見方に、箕輪さん自身も「若干そんな気がしてた」といいます。
その実感の根拠として箕輪さんが挙げるのが、自身のオンラインサロンです。延べ5000〜6000人が参加したうち、人生が大きく変わった人は50〜100人ほどで、多くの人はそこまで劇的には変わらなかったと振り返っています。
もう1つの転機が、週刊文春の報道でした。箕輪さんは報道を受けて2〜3ヶ月ほど仕事から距離を取った時期に、「完全に何かが冷めた」と語ります。もともと飽きていたものの、半年ほどは惰性で続けていたそうです。
もともとの飽き
ベストセラーを繰り返すことに飽き、半年ほど惰性で続けていた
価値観の変化
「全員が頑張ればできるわけではない」と感じ始めた
強制的な距離
文春報道で2〜3ヶ月仕事から離れ、何かが冷めた
踊り場
ベストセラー戦争には戻らず、次にどの山を登るかを探している
箕輪さんは、価値観の変化と時代の変化が入り混じった結果、「もうあの山は登ることないけど、どの山登ろう」という状態にあるとまとめています。
花火を打ち上げた後、豊かさが残ってしまう難しさ
高木さんは、箕輪さんの活動を「時代とともに綺麗に花火を咲かせた」ようなものだと表現します。箕輪さんもかつて、100年読まれる本ではなく「あれは何だったんだ」と後で言われるような花火のような現象を作りたいと言い続けていたといいます。
高木さんが当時の箕輪さんの言葉として「時代のあだ名になりたい」を挙げると、箕輪さんは「ずっと言ってたから結局そうなる」と応じました。深層心理にあることは行動にも表れ、本当にその通りになったと振り返っています。
これで俺がお金とかも失ったり、家族とか友人とかも失ってたら、またストーリーは作れると思うんだけど、別にお金とかは失ってないし、人間関係も変わってないから。
箕輪さんの難しさは、ドラマや漫画と違って「むしろ豊かさは担保されている」点にあります。このままでも生きていけそうなので、無理に何かを追い求める必要性も特にない、と箕輪さんは語ります。
高木さんは、何もなかった頃は「やるしかない」状態だったが、手に入ると守るべきものもできて重たくなる、と共感します。箕輪さんも、何もなかった頃は本当に切実だったと振り返りました。
切実に毎日楽天カードから電話かかってきてたし、家賃の督促状みたいなの送られてきてたし、2時間満員電車で通って幻冬舎行ってたし。
こんな生活あと1年続いたら俺はもう生きていけないって思ってたからね。
箕輪さんは、ヒットを出さなければ生きていけないと思っていた当時の自分のようなハングリーな人には、いまの自分は勝てないだろうと語ります。当時は「目の色が違かった」と思うそうです。
次へ進むには、一度空っぽになる必要があるのか?
高木さんは、オーダーメイド結婚式の『CRAZY WEDDING』を立ち上げた山川咲さんの例を紹介します。手作りゆえに業界からは採算が合わないと見られたサービスで話題となり、何もない時期から目標にしていた『情熱大陸』にも出演したといいます。
高木さんによると、山川さんはその後目標を見失い、CRAZY WEDDINGを離れて迷う時期を過ごしました。その後は神山まるごと高専の立ち上げに関わり、環境に関わる領域や地方の仕事にも入っていったといいます。父親がもともと環境活動家のような人だったことも、高木さんは触れています。
高木さんは、一緒にCRAZY WEDDINGを経営していた夫と山川さんが最近離婚したことにも触れ、それも「おそらく必然だった」と見ています。勢いよく何かを作り上げてきた人は、そのとき作ったものを清算しないと次へ綺麗に進めないのではないか、というのが高木さんの考えです。
高木さんは、CAMPFIREの家入一真さんにも、関係性やお金も含めて一度空っぽになってから次に進んだような感じがあると話します。これに対し箕輪さんは、自分はすべて残っているから次に行けないのだと応じました。
箕輪さんは、幻冬舎も辞めておらず、家族もお金も影響力も失っていないと整理します。高木さんの指摘について、箕輪さんは「さすが」と受け止め、自分の本質を次のように語りました。
俺ってリスクを冒せとか、死ぬこと以外かすり傷とかって言ってるけど、多分誰よりもバランスがいいんだよ。ちゃんと転ばぬ先の杖は死ぬほど用意してんだよね。
箕輪さんは、むちゃくちゃなことをやる代わりに、全部失敗しても死なないようにしておく。そうした「箕輪理論」を続けた結果、残るものは残り、ゼロにはならなかったのだと語ります。
高木さんはさらに、山川さんが寺田さんらの情熱に触発されて学校づくりに関わった経緯を紹介します。結婚式の演出家として培ったイベントやドキュメンタリーの力、人事出身の採用力が学校づくりと相性がよく、カリスマウェディングプランナーとは別の顔が引き出されたと高木さんは見ています。
高木さんは、うまくいった人には誰もダメ出しをしてくれず、一人では身動きが取れなくなりがちだと話します。そのうえで、次の道は誰かに連れていってもらうものなのか、自分で見つけるものなのかを箕輪さんに尋ねました。
箕輪さんは、これだけ情報があり、自分があらゆるところにアプローチできる状況でも見つかっていないのだから、一人で考えて「これだ」と見つかることはないと考えています。
悩むことは「人生の前向きな保留」になりうる
高木さんは、CAMPFIREも、共同創業者の石田さんが「アメリカにクラウドファンディングというものがあって、家入さんがやるべきサービスだと思う」と持ちかけたところから始まった、と紹介します。外からの一言が次の道につながった例です。
箕輪さんはこの話を受けて、だからこそ悩むことが大事だと語ります。悩んでいると、自分の中に何かを受け止める受け皿ができている状態になるからです。
悩んでない時に聞いても、これだ!って思わないのが、ただただ悩んでいる、どうしようって思ってる時に聞いたら、本当に自分にハマるもんだったら、あ、これだ!って思う気がするの。
高木さんがそれを「泳がしてるみたい」と表現すると、箕輪さんも同意し、「一生見つからないかもしれないけど」と付け加えました。
高木さんは、シェアハウスを運営していた頃に糸井重里さんと対談した経験を語ります。何周も先の人生を生きている糸井さんにすべてを見透かされているようで、人生で一番つらい対談だったといいます。
その対談で糸井さんは、高木さんのシェアハウスを「大学院生の研究活動のようなもの」「実験しているんだね」と表現しました。周囲から「それは仕事なのか」と言われると話した高木さんに、糸井さんは「それでいいんだ」と返したそうです。
高木さんによれば、糸井さんはコピーライターとして一時代を築いた後、ほぼ日 ── 糸井重里さんが1998年に始めたウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を起点とする事業。現在は手帳などの商品も手がける株式会社ほぼ日として上場していますを作るまでの3〜4年ほど、ずっと釣りをしていた時期があったといいます。糸井さんはその期間を、人生の前向きな保留だと語ったそうです。
高木さんが伝え聞いた糸井さんのたとえは、バッターボックスには立たないが、いつでも立てる気持ちでバットは振っている、というものです。「自分と社会の交差がまだ見つかっていない、人生保留中だと言えばいい」と高木さんは励まされたといいます。
糸井さん自身も釣りをしていた頃は「糸井は終わった」「時代遅れだ」と相当言われたそうです。そこへインターネットが現れ、任天堂の岩田聡さんとの出会いなどを経て可能性を感じ、ほぼ日の立ち上げにつながった、と高木さんは紹介しています。
箕輪さんはこの話に対し、人生で2つ目の人生を歩めるのが理想だと応じました。
ホリエモンや熊谷正寿さんとは違う、自分の「成長」とは?
箕輪さんは、堀江貴文さんのように目の前のことに熱狂し続けて突き進めるタイプではないと自己分析します。高木さんも、堀江さんの永遠のようなエネルギーは「異常」で、ほとんどの人には無理だろうと話します。
箕輪さんは最近、堀江さんと2泊3日の合宿に行き、前日にはGMOの熊谷正寿さんとも一緒にいたといいます。どちらも「命の1秒1秒がもったいない」と命を燃やすタイプで、刺激を受けつつも、自分はそうではないと気づいたそうです。
箕輪さんは、同じく命を燃やすタイプでも、熊谷さんと堀江さんは時間の使い方が違うと見ています。
成したいものがあり、それを逆算思考で日々の行動に落とし込んでいる
とにかく好きなことで24時間を埋め、1つ1つの瞬間ごとにPDCAを回している
箕輪さんは自分をもっとゆるく、自由が好きで、好きなことを自分なりにやりたいタイプだと語ります。そして、自分も高木さんも100%のビジネスマンではないから悩むのだと続けました。
俺の成長って別にこの時価総額とか売上利益を上げることじゃないんだけどなみたいな。
箕輪さんは起業家と飲む機会が多く、相手が成長の話をするのは当然だと理解しています。ただ「最近の発信違くないすか?もっと成長しましょうよ」と言われることもあり、自分にとっての成長は射程に入っていなかったことを射程に入れることだと考えています。
箕輪さんはその具体例として、ガーシーさんの本を出したときのことを挙げます。起業家の本を作ってきた箕輪さんが、起業家を攻撃していたガーシーさんの本を面白がって出したことで、起業家のコミュニティからは「箕輪ってそういうことやるんだ」と思われただろうと振り返ります。
短期的に見ればいろんな信用を失うけど、中長期で考えた場合、あいつってやっぱ自分のポリシーに従って生きてんなみたいな(方が)、やっぱり一流の人は付き合ってくれるなって思って。
全員と付き合える編集者が、起業家本に飽きた理由
箕輪さんは、自分の価値は人を肩書きや事実で判断しないことにあると語ります。犯罪を犯していようが、有名だろうが、上場企業だろうが関係なく、いま話題なら全員好き、という姿勢です。
冒険家だろうが、起業家だろうが、犯罪者だろうが、同じように接せられるっていう。
箕輪さんはその価値を極めたいと考えつつ、本という形でそれをやってきた中で、正直もう起業家の本を作るのは飽きたと打ち明けます。高木さんが「言っていることが全部同じだから」と言うと、箕輪さんは、自分がそう編集しているせいもあるが、実際に言っていることは同じだと認めました。
では誰の本を作りたいのか。箕輪さんは、アウトローやアングラの領域にも一度踏み込んだものの、ヤクザなどの専門ジャンルをさらに深掘りするほどの興味はないといいます。
イーロン・マスクが箕輪さんと本作りたいって言ってますって言ったら死ぬほどうれしいじゃん。でも大体どう作るかは決まってるよねっていうか。
箕輪さんは、イーロン・マスクと本を作れるという事実には喜べても、作る作業そのものには興奮しない気がすると語ります。対象の大きさではなく、作る過程の面白さが失われていることが、迷いの核にあるようです。
ミッションとビジョン、40歳までに決めたいのはどちらか?
箕輪さんは、40歳までに自分のミッション・ビジョン・バリューを緩やかに決めたいと考えています。そこで高木さんに、どれが一番大きな概念なのかを尋ねました。
高木さんは、ビジョンが最上位に来る考え方もミッションが最上位に来る考え方もあると前置きしたうえで、両者の違いを説明します。
| 概念 | 意味 | 性質 |
|---|---|---|
| ミッション | 使命、つまり命を使うもの。何をするかという行為 | 永遠にやり続ける、変わらないもの |
| ビジョン | 10年後などの社会や自分たちの未来の景色 | 時期を区切れば更新が必要な、可変のもの |
| バリュー | ミッションやビジョンのために社員一人一人が大事にすること | 組織の個々人の行動指針 |
高木さんは、サイバーエージェントのように遠い目標をビジョンとして掲げ最上位概念にする会社もあれば、「2030年ビジョン」のように時期を区切る会社もあると例を挙げます。スタートアップの初期は、ミッションとビジョンが同じことを言っているはずだとも話しています。
説明を聞いた箕輪さんは「だったら俺はミッションの方が大事かも」と反応します。高木さんも、箕輪さんはビジョンはプロジェクト単位で変わりそうなので、こういう景色を作りたいというより自分の行動原理が欲しいタイプだろうと同意しました。個人の場合はミッションとバリューが重なるため、ミッションを言語化すればよいという整理です。
ミッションを言語化すればいいの?自分が楽しくて、それによって人が楽しくなることをやり続けたら。
高木さんは、それでもよいとしつつ、ポイントは「何が楽しいか」だと返します。幸福な社会を作りたい、より良くしたいという抽象度では誰もが同じことを思っており、どう良くするかに個性が出るからです。
箕輪さんは「それでいうと俺はちょっと違くて」と切り出しますが、話の続きは後編に持ち越されました。
まとめ
前編では、極端で明快な思想で時代を駆け抜けた箕輪厚介さんが、飽きや価値観の変化、文春報道による距離を経て、次に登る山を探している現在地が語られました。すべてを失わずに残っているからこそ次へ進みにくいという難しさを抱えつつ、箕輪さんはあえて悩む時間を「受け皿」として持ち、自分のミッションを言語化しようとしています。
- 箕輪さんは、ベストセラーを繰り返す延長線上に40歳以降の面白さはないと感じ、あえて踊り場に立っている
- お金も家族も影響力も残っているため、ゼロから再起する物語にならないことが迷いを深くしている
- 次の道は一人で考えるより、他者との出会いが「惑星同士がぶつかる」ように生まれるという見方が示された
- 糸井重里さんの「人生の前向きな保留」のように、悩む期間そのものに意味があると2人は語っている
- 箕輪さんにとっての成長は売上や時価総額ではなく、射程に入っていなかったものを射程に入れることにある


