箕輪さんの「面白さ」はディズニーと何が違う?
この回の対話は、高木新平さんの問いから始まります。社会を幸福にしたい、より良くしたいという思いは誰にでもあり、個性が出るのは「どう良くするか」の部分ではないか、という問いです。
これに対して箕輪厚介さんは「ちょっと俺は違くて」と返します。箕輪さんが挙げたのは、ガーシーさんの暴露や週刊文春のような、人が傷つく出来事も含めた世の中の面白さでした。
語弊を恐れず言うと、人が傷ついていることもコンテンツの一個だと思うんだよね。そういうものもあってこその世の中の面白さ。
だから面白さっていうとハッピーな方を思うけど、僕はそのハッピーとか人がみんな笑顔になるみたいなディズニーの面白さではないんだよ。
箕輪さんは、個別に見れば可哀想なこともあるとしたうえで、週刊文春を嫌いだと言いつつも存在意義はあると話しています。悩んでしまうこと自体も面白さの1つだ、というのが箕輪さんの考えです。
高木さんとの対話で語られた面白さの捉え方を整理すると、次のようになります。
ハッピーで、人がみんな笑顔になる面白さ
暴露や悩みなど、人が傷つくことも含めた世の中全体の面白さ
では箕輪さんは、その面白さを使って何をしたいのか。高木さんに問われた箕輪さんは、高校・大学時代の体験を挙げました。
誰が読んでんのみたいな本とかラジオとか聞いた時に、あ、俺のこの感覚わかる人いるんだみたいなのが嬉しかったから。
箕輪さんは、これまで売れるものに寄せた「大味な商売」をしてきたと振り返りつつ、自分しか感じていないようなねじれた感情を受け止めるコンテンツを作りたいと話します。ただし、それも「枝葉の一個」だと付け加えました。
高木さんはここで、ほぼ日 ── 糸井重里さんが1998年に始めたウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の通称。現在は手帳などの商品も手がける会社として知られていますの最初のタグラインが「Only is not lonely」、つまり一人は孤独じゃないという意味だったことを紹介します。そのうえで、ミッションを不変のものとして探すと何も言えなくなるので、「この数年はこういうスタイルでいく」くらいの捉え方がいいのではないかと提案しました。
「一周回ったインフルエンサー」とは何者か
高木さんの「この数年のスタイル」という提案を受けて、箕輪さんが持ち出したのが「一周回ったインフルエンサー」という言葉です。
インフルエンサーってさ、ブロガーとかYouTuberとかTwitterとかっていう、超揶揄で使われるじゃん。そういうのとは違って、本当にインフルエンサーがいいなと思ってて。
箕輪さんの言うインフルエンサーは、文字通り「影響を与える人」です。生き方でもSNSでもコンテンツでもコミュニティでも、世の中を動かす力がある人はみなインフルエンサーで、森元総理もその意味ではインフルエンサーだと話しています。
箕輪さんによれば、この考えは道を歩いているときにふと浮かんだものです。はあちゅうさんなどが使う意味とは真逆の、国を動かし得る存在としてのインフルエンサーであり、本もインフルエンスの手段の1つだと気づいたといいます。
高木さんは、映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート ── 2013年公開のマーティン・スコセッシ監督作品。証券詐欺で巨万の富を築いたジョーダン・ベルフォートの回顧録をもとにした映画です』のモデルになったジョーダン・ベルフォートが、いまはモチベーショナルスピーカーとして講演をしている話を紹介します。箕輪さんは「あ、俺じゃん」と笑いながらも「でも今は無理だな」と返しました。
一方で高木さんは、インフルエンサーという言葉は何でも回収してしまうと指摘します。ミッションやバリューは指針になることが大事なので、もう少し限定しないと独自の物差しにならない、という指摘です。
箕輪さんもインフルエンサーの定義が「全部吸収しちゃうから、ほぼ意味がない」と認めたうえで、言葉を絞り込みました。
箕輪さんは、ただ無法地帯を作りたいわけでも、人を傷つけていいと言いたいわけでもないと強調します。社会の目や同調圧力のせいで、やりたいことを我慢し、自分で自分を規定している人に向けた言葉だといいます。
自分で自分を規定してる人に対して、そんなんじゃないんじゃない?って思わせられたら一定嬉しいか。
脱ヒエラルキーという変わらない軸
高木さんは、箕輪さんの話を聞いて映画『最強のふたり ── 2011年公開のフランス映画。体が不自由な大富豪と、介護人として雇われた貧しい青年の交流を描いた実話ベースの作品です』を思い出したと話します。周りが恐れ多くて近づけない大富豪と、遠慮なく接した青年が仲良くなる物語です。
社会の上に行きすぎてヒエラルキーが外れた人と社会の下すぎてヒエラルキーから外れてる人だからこそ、ヒエラルキーを気にする人はもうどっちも会話できない。
高木さんは、箕輪さんが変わった経営者として語られるのも、ヒエラルキーの外にいるアウトサイダー的な存在だからではないかと指摘します。箕輪さんはこれを「脱ヒエラルキー」と言い換え、編集者のかっこよさについて語りました。
高木さんによれば、ヒエラルキーの外に出ることで、いろんな人と関われるうえに、場の空気に対して「それつまんないっすよ、ダサいっすよ」と水を差すこともできます。人生では変わるものの面積が大きいからこそ、変わらないポイントをはっきりさせることがミッションの本質だといいます。
高木さんは、会社は人数が多いので行動がブレると全体がブレてしまうが、一人ならやることが変わってもいいと話します。そのうえで変わらないものは何かと問われ、箕輪さんが挙げたのが脱ヒエラルキーでした。
箕輪さんは具体例として、スタートアップ界隈を挙げます。誰が悪いわけでもないが、コミュニティ感が強くなりすぎると「村」のようになってしまう。もともと村を破壊するための存在だったのではないか、と感じるといいます。
村やってんじゃ、村破壊するためのあれだったんじゃないの?とか思ったり。そうだね、それは変わんないな。
「水と油」の油が見つからなくなった作り手の悩み
高木さんが、社会のコードやヒエラルキーの外側にあるものを引っ張り出したいということではないかとまとめると、箕輪さんは自身がよく使う「水と油」のたとえを持ち出します。
水と油みたいに、世間という水と、その本人という油があった時に、いくらかき混ぜても絶対に分離しちゃう人が好きみたいな。
箕輪さんは、そういう人を見ると関わりたくなり、「この人ほんとやばいよ」と紹介したくなるといいます。この点は一貫していると箕輪さん自身も認めています。
ところが箕輪さんには、作り手としての悩みもありました。自分が成長するにつれて、本を出したいという相手よりも、箕輪さん自身のほうが「油側」になってしまったというのです。
自分が著者っぽくなっちゃってあんじゃん。クリエイターでもそうだと思うんだよ。
昔はそこそこの起業家にも「こんな変な人いるんだ」と驚けたのに、いまは本当にやばいと思える人が見つからない。箕輪さんは「俺の感度が鈍ってるのかもしれない」とも話しています。
そこそこの起業家にも「こんな変な人いるんだ」と驚けた
自分のほうが破天荒になり、本当にやばいと思える油が見つかりにくい
高木さんはこれを、箕輪さんがフックアップされる側から、フックアップする側になった変化だと捉えます。スタートアップの起業家はすでに市民権を得ているので、市民権を得ていない職業や人たちのほうに、「こんな仕事あるんだ」という驚きがあるのかもしれない、という見立てです。
ここで箕輪さんは、対話の序盤に出た家入一真 ── 起業家。コワーキングスペース「リバ邸」の前身となる場づくりやクラウドファンディング事業などで知られる人物ですさんの「リバティ」の話を思い出します。オンラインサロンは一度辞めたものの、影響力と人脈を生かして、面白いものを作りたい人たちのたまり場を作ることなのかもしれない、と話しました。リバティ
厄年の正体と、中年のクライシスを越える方法
高木さんは、アイデンティティ・クライシスの話に立ち戻り、厄年を「役割の役」として読み解きます。中間の年齢になると、上にも下にも人がいて、そのあいだをつなぐ役割を担うことが難しいからだという解釈です。
間だからこそ、年上ほど別に権力もないし、仕上がってもないし、若い人ほど勢いもないしっていうので、多分なるんだと思うんだよね。
高木さんは、いまの立場にいる人は誰かに持ち上げられてそこにいるのだから、次の人に影響力を分配していけばいいと話します。孤独で知られていない「油」の人たちを、対等なゼロベースではなく、引き上げる立場で発掘するという考え方です。
高木さんの話の流れを整理すると、中年のクライシスから若手のフックアップに至る道筋は次のようになります。
中間の年齢になる
上には上が、下には若い人がいて、どちらの強みもない
役割の難しさに直面する
あいだをつなぐ役割が難しく、クライシスになる
引き上げてもらった自覚
自分も誰かに持ち上げられて今の場所にいる
若手のフックアップ
まだ知られていない「油」を発掘し、影響力を分配する
箕輪さんは「まさにまさに」と応じ、まだ気づかれていないアンダーグラウンドなものを掘り当てたいと語ります。
俺らがまだ気づいてないアンダーグラウンドな格闘技、ヒップホップ。その次みたいなものがもしあるとしたら、それを発掘できたら超興奮するかもしれない。
高木さんによれば、スタートアップの起業家も2010年前後は「何それ怪しいな」と見られる存在でした。箕輪さんも、起業家への興味を失うのは必然だとし、謎の探検家や地方で狩猟をしている人のような存在に可能性を見て、それを「ライフワーク的なもの」と表現しています。
ただし高木さんは、箕輪さんのやりたいことを手伝いたい若手を集めるのとは違うと釘を刺します。それではアシスタントとして優秀かどうかの話になってしまい、箕輪さんは本質的にそこに興味がないからです。
高木さんは、自分一人でやっていこうとすると目線が狭くなるとも話します。箕輪さんは、若手のフックアップが「一番美しいよね。やってても楽しいだろうし」と応じました。
起業家ではなく編集者というスタンス
対話の締めくくりに、高木さんは箕輪さんを、起業家というより編集者だと評しました。実現したい事業があるというより、世の中のヒエラルキーやシステムに抗い、その外側のものを面白がる人だという評価です。
そういう新しい才能を見つけ出して、世の中にこう提示というよりは問いたいっていう。それがメジャーになるともうつまらないっていう。
高木さんは、箕輪さんには事業そのものより貫きたいスタンスのほうが強くあると話し、その点が自分とも共通していると語って番組を締めくくりました。
まとめ
38歳で「やりたいこと」を見失った箕輪厚介さんは、高木新平さんとの対話を通して、事業ではなくスタンスとして変わらない軸を言葉にしていきました。その軸が脱ヒエラルキーであり、これからの具体的な形として浮かんだのが、まだ知られていない「油」のような若手をフックアップすることです。
- 箕輪さんの考える面白さは、ハッピーな面白さだけでなく、傷や悩みも含んだ世の中全体の面白さ
- 目指すのは「自分で間違っていると思っていたけど、これでいいんだ」と思わせる存在
- 変わらない軸は脱ヒエラルキー。スタートアップ界隈の「村」化にも違和感を持つ
- 自分が「油側」になったことで、本当にやばい人が見つかりにくくなる作り手の悩みがある
- 高木さんは、中年のアイデンティティ・クライシスを越える方法を若手のフックアップと結論づけた


