ヘラルボニーの唯一無二性はどこにあるのか
ヘラルボニーは、福祉施設に所属する作家と共に活動するアートライフブランドです。収録を終えた高木新平さんは、松田兄弟の唯一無二性は、作家と一緒にブランドをつくっている点にあると振り返ります。
高木さんによれば、ヘラルボニーの作家たちもまたアーティストです。人生の中で育まれた怒りや、社会をこう変えたいという希望を作品として表に出しているといいます。
高木さんは、ヘラルボニーがこれからラグジュアリーブランドと肩を並べていくだろうと見ています。ルイ・ヴィトンやディオール、シャネルのように、ラグジュアリーブランドは人の名前を冠し、その人生そのものがブランドのストーリーになって人々の共感と憧れを集めてきました。
その視点で見ると、ヘラルボニーは松田兄弟と、その兄を含めた3人がいたからこそ始まったブランドです。高木さんは、この成り立ちが何よりも強いのではないかと語っています。
兄は弟たちの事業をどう受け止めているのか
本編の後、高木さんは松田崇弥さんに「お兄さんはヘラルボニーをどう思っているのか」と尋ねます。松田さんの兄は、ヘラルボニーの原点となった存在です。
松田崇弥さんは、兄とヘラルボニーの話を真剣にするわけではないとしつつも、「なんかやってるな」とは思っているはずだと答えます。イベントで双子が話している姿を見たり、自分の書いた言葉がプロダクトに使われているのを見たりしているからです。
松田崇弥さんが感じている一番の変化は、ヘラルボニーが兄にとって外に出るきっかけになったことです。家族として応援してくれるなかで人とのつながりが増え、最近は地元のコンビニで話しかけられることもあったといいます。
松田崇弥さんは、兄の理解者が街に増えていくことを前向きに捉えています。それは親亡き後問題 ── 障害のある子を支えてきた親が亡くなったり高齢になったりした後、誰がどう子の生活を支えるのかという課題も含めて、地域に関係性が紡がれていくことだと考えているからです。
「息子の落書き」は家族にとってどう変わったのか
高木さんは、企業がD&I ── ダイバーシティ&インクルージョンの略。多様な人材を受け入れ、それぞれが力を発揮できる組織や社会を目指す考え方に賛同することで、ヘラルボニーの事業が加速している面はあると認めます。そのうえで、障害のある本人や付き添う家族にはどんな変化が起きているのかを尋ねました。
松田崇弥さんが挙げたのは、契約当初の親御さんの反応です。作品は金沢21世紀美術館のキュレーターによってキュレーションされているにもかかわらず、親御さんからは「息子の落書きをありがとうございます」と言われることがあったといいます。
作家の作品が尊敬される場に出て、街を彩り、金銭的な対価も得るようになると、親御さんの見方が変わっていきます。落書きと言っていた親御さんが、家中に息子の作品を飾るようになったといいます。
親御さんは作品を「息子の落書き」だと思っていた
家中に作品を飾り、息子を誇れるようになった
一方で松田崇弥さんは、作家本人が50万円を受け取ったり確定申告をしたりしたことで、大きな喜びを感じるとは限らないと率直に話します。そう感じない人も、比率としては多いそうです。
それでも周囲は確かに変わります。福祉施設の職員がアーティストとして扱い、画材が与えられ、親戚中に連れて行かれるようになります。こうして作家が社会に連れ出され、認められている状態は本人にも伝わり、回り回って喜びや幸せにつながっていると松田崇弥さんは考えています。
なぜ「高嶺の花でいてほしい」と言われたのか
松田崇弥さんは、東京から盛岡に帰った際に一人の女性から話しかけられた出来事を紹介します。その女性の息子は特別支援学校に通っていて、盛岡で絵の授業があるたびに「ヘラルボニーに採択されたらどうする?」という話題が出るそうです。
松田崇弥さんがさらに印象に残ったのは、その女性から「もっともっと高嶺の花になってほしい」と言われたことでした。近い存在でいてほしいのではなく、憧れの対象でいてほしいという声です。
松田崇弥さんはこの言葉から、ヘラルボニーの役割を捉え直しています。障害のある人への憧れや尊敬をつくり、これまでアクセスできなかった場所を「目指したい」と思える舞台を用意することだといいます。
高木さんはこの話を受けて、ヘラルボニーを晴れ舞台や輝ける場、人生の行き先のようなものだと表現しました。
松田崇弥さんによると、ヘラルボニーには作家の応募が多く寄せられますが、全員が採択されるわけではありません。それでも、選考で漏れることへの批判はまだ来たことがないそうです。
松田崇弥さんはその理由を、健常者でさえアートで食べていくのは大変な中で、これまで存在しなかったポジションをあえてつくっていることにあると見ています。そのことが、障害のある人に対する価値観を最終的に変えていくことにつながると受け止められているのではないか、というのが松田崇弥さんの考えです。
ヘラルボニーが平等主義をとらない理由
高木さんは、ヘラルボニーはダイバーシティ&インクルージョンの大きな文脈にありながら、アートでありブランドである以上、きちんと支持される存在でなければならないのではないかと問いかけます。言い換えれば、平等主義ではないということです。
松田崇弥さんはこれに同意し、自分がアーティストになろうとしても難しいのと同じだと説明します。そのうえで、ある種の特性や個性が、よりよい形で羽ばたける場所をつくっていきたいと語ります。
高木さんは、一般的な福祉施設とヘラルボニーの違いを野菜にたとえて整理します。収穫した野菜をすべて大事に扱うことと、特に糖度の高いものを選んで世に出すことの違いです。
作品を売ることが主目的ではなく、全員の作品を同じように大切に扱い、等身大のまま出す
素晴らしい作品をセレクションしキュレーションして出すことで、世の中に「特別だ」と思わせる
松田崇弥さんも、この整理に「そうかもしれない」と応じています。
最初から「福祉の外」を目指していたのか
高木さんは、選んで出すという発想は福祉の領域では批判も受けそうで、最初は気づきにくいのではないかと尋ねます。松田崇弥さんたちは、最初からそれが必要だと考えていたのでしょうか。
松田崇弥さんの答えは、創業当初から福祉に関係のない人たちに向けていくと決めていた、というものです。福祉領域の人ではなく、福祉に全く興味のなかった外に届けたいという方針を、言葉としても明確にしていたといいます。
松田崇弥さんが描いていたのは、外で評価されたものが最終的に福祉へ逆輸入される流れです。これまでとは違う価値観をつくりたいという思いがあったそうです。高木さんは、その表れとして「福祉実験ユニット」という名乗りにも触れています。
外へ届ける
福祉に興味のなかった人たちに作品を届ける
評価される
作品が実力どおりに世の中で評価される
逆輸入
その価値観が福祉の領域へ戻ってくる
松田崇弥さんの根底には、作家が実力どおりに評価されるフェアな状態にしたいという思いがあります。絵を描ける人が自分で営業やSNS発信をするのに比べ、ヘラルボニーと契約する作家にとって、自ら営業活動をするのは大きなハードルになるからです。
だからこそ松田崇弥さんは、素晴らしい作品が実力どおりに世に出るプラットフォームでありたいと語ります。それが、キュレーションの際に重視していることだといいます。
まとめ
このB面で松田崇弥さんが語ったのは、障害のある作家の作品を福祉の外に届け、憧れと尊敬を集める舞台をつくるというヘラルボニーの役割でした。作品を選んで出す姿勢は平等主義とは異なりますが、その根底には、実力どおりに評価されるフェアな状態をつくりたいという思いがあります。
- 作品が評価されることで親が子を誇れるようになり、作家本人も社会に連れ出されていく
- 「高嶺の花でいてほしい」という声が、憧れの場としてのヘラルボニーの役割を示している
- 全員を採択しないキュレーションは、これまでなかったポジションをつくる取り組みとして受け止められている
- 創業当初から、福祉の外に届けて価値観を逆輸入するという方針があった





