YAMAPという名前は山からの帰り道で決まった
今回のゲストは、登山アプリ「YAMAP」を運営する株式会社ヤマップの代表取締役CEO、春山慶彦さんです。高木新平さんはYAMAPを「登山人口の半分が使っている日本最大級のアプリ」と紹介しています。
高木さんがこの対談を望んだ理由は、春山さんの思想にあります。インタビュー記事などから、自然への考え方、人間とは何か、哲学や文化人類学への深い眼差しが伝わってきたといいます。
ビジネスっていうことを考えてのベンチャー起業をされているんじゃなくて、ほんとその思想の体現として、社会観の体現として、このYAMAPっていう会社をされている。
富山県出身で、親が立山で働いていた高木さんは、YAMAPの存在を以前から知っていたそうです。まず感じたのは、YAMAPという名前が「天才的」でわかりやすいということでした。
春山さんによると、YAMAPの名付け親は春山さん自身ではありません。アイデアを思いついたのは、アメリカから久しぶりに帰国した中学の同級生ともう一人の同級生と3人で、大分県の九重連山 ── 大分県西部に連なる火山群。九州本土の最高峰・中岳を含み、登山者に人気の山域ですに登ったときでした。
二人は多分こいつなんでこんなに興奮してるんだろうって多分わからなかったと思うんですけど、いや俺もうこれやるって言い、山の中で言い始めて。
帰りの車の中で、春山さんは名前を決めようと持ちかけます。「ヤマックス」や「山と地図」といった案が出る中、アメリカ帰りの同級生が「山のマップだからYAMAPがいいんじゃない?」と提案しました。商標が登録されていなかったことを確かめ、YAMAPに決まったといいます。
スマホがまだGPSとして使えなかった時代に何を見ていたのか
YAMAPが生まれた当時は、まだ今ほどスマホが浸透していませんでした。高木さんは、スマホをGPSの装置として捉えたサービスはほとんどなかったと振り返ります。
春山さんによると、当時iPhoneのGPSは精度がまあまあ高かった一方、Androidは「全然使い物にならなかった」そうです。位置がずれたり、位置情報をつかむまでに5分や10分かかったりすることもありました。
パソコンとかの進化を見る限り、もう年々良くなるっていうのは実感として分かってたんで、今は使い物にならなかったとしても、多分3年後は全然別の景色が広がってるんじゃないかなっていうのもなんとなくイメージできたんで。
登山用のGPSにはもう一つ壁がありました。専用のGPS機器は10万円ほどして、冒険家や探検家、ヒマラヤの奥地や頂上を目指すような一部の人しか持てないデバイスだったといいます。
春山さんは、スマートフォンを登山GPSとして使えれば、もっと普及するのではないかとはっきりイメージできたと話しています。
専用GPS機器は10万円ほどで、冒険家や探検家など一部の人しか持てなかった
スマホのGPSが年々良くなれば、登山GPSがもっと多くの人に普及すると考えた
衝動と欲はどう違うのか、20代の経験が一本の線になった瞬間
高木さんは、YAMAPを「これだ」と思ったきっかけが命を救うことだったのか、気軽に登山できるようにすることだったのかを尋ねます。春山さんの答えは、まず感覚の話から始まりました。
春山さんは、YAMAPを思いついたときの「雷に打たれたような感覚」を今も覚えているといいます。そのうえで、衝動と欲はまったく違うと語ります。
(YAMAPは)電撃が走った感覚が忘れられなくて、お前これやれって言われてるものが今も続いてるっていう。
春山さんがそれほどの衝撃を受けた理由は、20代で経験したことがその瞬間に全部つながった感覚になったからだそうです。写真家を目指していた春山さんは、アラスカでイヌイット ── 北極圏のカナダ、アラスカ、グリーンランドなどに暮らす先住民族。狩猟や漁労を中心とした伝統的な暮らしと知恵で知られますの人たちとアザラシ漁やクジラ漁を体験しました。そこで彼らが、GPS機器と伝統の知恵を使いこなして漁をしていたといいます。
その後、春山さんはカミーノ・デ・サンティアゴ ── スペイン北西部の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かうキリスト教の巡礼路。世界遺産にも登録されていますを1200キロ、60日かけて歩きます。その旅で、歩く旅がこれほど地域を豊かにするのかと実感したそうです。
そして30歳のときに3.11を経験します。春山さんはボランティアに行くかどうかも考えましたが、30過ぎの大人としては、あの経験を踏まえた仕事を作らなければ生き様として悔いが残ると考えました。
3.11や原発事故を経て、春山さんが出した日本社会の課題は「体を使っていない」ということでした。自然の中で体を動かすことや、都市と自然をつなぐことをどう実現するかを悶々と考える中で、5月に山を歩き、衝撃が走ったといいます。
アラスカ
イヌイットがGPS機器と伝統の知恵で漁をする姿を見る
巡礼路
1200キロを60日かけて歩き、歩く旅が地域を豊かにすると実感する
3.11
体を使っていないことを日本社会の課題と考え、仕事に変換しようとする
5月の山
九重連山でそれらが一気につながり、YAMAPを思いつく
肩書きのない写真家が語る「意味は後からついてくる」
高木さんは、アイデアを思いついた当時の春山さんの仕事を尋ねます。春山さんは写真家を目指して写真を撮りまくっていて、日本に帰国後は風の旅人 ── 春山さんが働いていたグラフィック雑誌。写真を中心に構成された誌面が特徴の雑誌ですというグラフィック雑誌の出版社で働いていました。
福岡に戻ってからは、編集の経験を生かして、学校案内や会社案内、明太子屋さんの包装紙などの冊子作りを一人会社で手がけていたそうです。高木さんはその姿を「現代に疑問を感じてる青年」と表現し、今のIT起業家とはタッチが違うと話します。
多分その周りから見ると、こいつは一体何がしたいんだっていう映り方してたと思うんですよね。
でも僕は、僕の中では全くブレてなくて、自分が本当にやりたいって思うことをやり続けてきた結果、なんか30代で繋がったっていうのがあるので。
春山さんは20代の人から相談を受けたとき、やりたいなら三日坊主でもやればいいし、合わないと思ったらやめればいいと伝えているそうです。基準は、自分の命の経験としてときめくかどうかだといいます。
春山さんは、ときめいた経験が1年後に結びつくこともあれば、10年後に結びつくこともあると考えています。逆に、命がときめいていない経験が後々つながることはないとも話しています。
20代のうちは意味より、生きている経験、ときめく経験を積み重ねていけば、それが自ずと人生の意味になり、今ならそれが職業にもなる。肩書きも後からついてくる、というのが春山さんの考えです。
右と左がわからなかった少年は、浪人で何に気づいたのか
春山さんは18歳までスポーツばかりで、本もあまり読まず、言葉もそこまで理解していなかったと振り返ります。小中学校ではバスケ、高校ではテニスに打ち込み、とにかく体を動かすのが大好きだったそうです。
だから中学校まで右左ってのも分からなかったんですよね。右っていう音と右っていうこの概念。
春山さんにとって転機になったのは浪人でした。大学でもアメフトをやりたいと考え、アメフトの強い大学を受けたものの不合格となり、スポーツで勝負するには1年のブランクは大きいと感じたといいます。
親からは「大学は絶対行け」「あんな楽しいところ行かない手はない」と言われ、九州で有名な監獄のような予備校に入りました。寝る以外はずっと勉強する生活を、春山さんはスポーツのノリで続けていたそうです。
ところが11月ごろ、春山さんは急激に虚しくなります。命を削るほど勉強していても、予備校の先生に言われたことや教科書の内容を覚えているだけだと気づいたのです。
なんかこれで世界社会わかってるって思うのって本当恥ずかしいなっていうのは気づいたんですよ。
春山さんは大学には進むと決めつつ、机の上で学んで分かった気になるのはもう卒業したいと考えました。大学では自分の目と体で社会や世界を知り、面白い人に会いたい。それが出発点だったといいます。
春山さんにとって民族学や人類学は、学問のジャンルではありませんでした。社会や世界やシステムがどう成り立っているのか、日本以外の社会のあり方はどうなっているのかを知りたい、という興味が原点だったそうです。
ベンチャーはなぜフィールドワークに似ているのか
高木さんは、マーケットが伸びるから、売れるからという理由で事業をする起業家も多い中で、春山さんはなぜこれほど思想ドリブンなのかに興味があったと話します。
高木さんは浪人の話を聞いて腑に落ちたといいます。既存の勉強に疑問を抱いた春山さんが、座学より現場に身を乗り出して体感しながら学ぶ、フィールドワーク ── 研究者が現地に赴き、人々の生活や社会を直接観察・調査する手法。文化人類学などで重視されます的な方向へ進んだことが、身体知のように感じられたからです。
春山さんはこの言葉に反応し、ベンチャーが心から好きなシステムだと語ります。いい仕組みで、フェアであり、ベンチャーはフィールドワークとあまり変わらないと考えているそうです。
フィールドワークみたいに観察するだけじゃなくて、自分も当事者としてコミットしながら観察して、また製品やサービスを良くしてってっていう、このぐるぐるが回ってるのが多分僕は(好きなんです)。
一方で春山さんは、学者は自分に向いていないと話します。一歩引いて批評や分析をするより、そこに足を踏み入れながら良くしていく距離感が好きだからです。
一歩引いて、対象を批評したり分析したりする
当事者としてコミットしながら観察し、製品やサービスを良くしていく
起業っていう文脈をITの人たちとかエンジニアの人たち、今の文脈だけで狭めておくって極めてもったいないと思ってて。
春山さんは、社会起業家などソーシャルインパクトの人たちが加わって起業の間口は少し広がったものの、本来はもっと広いものだと考えています。自分のような少し変わった起業家の例を発信することで、「あいつができるなら俺もできる」と思ってもらえたら面白い、と語ります。
21世紀の冒険は「横」ではなく「縦」に掘ること
高木さんは村上隆 ── 日本の現代美術家。アニメや漫画の表現を取り入れた作品で国際的に知られ、「スーパーフラット」の提唱者でもありますさんの「特異点」という言葉を引きます。例外が生まれることで既存の枠組みの境界線がなくなる感覚に重ね、福岡からこうしたタイプの起業家が出てくる意味を春山さんに尋ねました。
春山さんは、自分にはスタートアップよりベンチャーという言葉のほうが腑に落ちると答えます。そしてベンチャーを冒険と結びつけて語り始めます。
春山さんによると、Google Earthなどの衛星画像があるため、地球上で物理的に把握できていない空白はほとんどなくなっています。だから今ヒマラヤに登ることも、冒険だとは思っていないと話します。
(ヒマラヤに)早く行こうが無酸素で行こうが、僕はどうでもいいと思っていますと。
南極や北極を徒歩で行くことも同様で、本来は人類の誰か1人がやればいいはずだと春山さんは考えています。2人目、3人目による手法の違いは、本来の冒険的スピリットではないといいます。
では、今やるべき冒険とは何か。春山さんは、横への水平移動ではなく縦に掘ることだと答えます。自分が今いるこの場所を宇宙だと思える感覚で、仕事や生活ができるかどうかだそうです。
物理的な空白を目指す冒険。地球上の空白はほとんどなくなっている
今いる場所を宇宙だと思える感覚で、文化や歴史、風土に根ざして生きる
春山さんは「ネイティブ」という言葉が好きだといいます。ネイティブというとアメリカの先住民を想像するかもしれないが、彼らだけでなく自分たちもネイティブだ、という意味です。
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あえて福岡で、ニッチな登山に挑む理由
春山さんはチャレンジしないような起業のあり方はベンチャーではないと考えています。誰かがやっているならやらなくていいし、不利だと言われているものに「そうじゃない」とボールを投げ返すほうが冒険だといいます。
春山さん自身も東京で働いた経験があり、東京のほうが圧倒的に有利だとわかったうえで福岡に戻りました。登山はニッチだと言われましたが、アクティビティとしての可能性は実感していたそうです。
ニッチでもやれる登山の可能性っていうのを自分たちで証明できたら、そのニッチだって言われて辞めてった人たちとか、諦めてた人たちも、YAMAPできるんだったら自分たちもやれるはずだって思ってもらえたらむっちゃいいなと思って。
高木さんは、YAMAPというアプリの前から、春山さんの中にありたい姿や挑みたい姿があったのかを確かめます。春山さんはそうだと答えたうえで、一番の転機は3.11だったと話しました。
3.11がなかったら、僕は今ずっと話してきたことを写真や写真集、もしくは映画で表現してたんじゃないかなと思って。
3.11をどう表現するかという問いが、春山さんを写真家から起業家へ向かわせたことがうかがえます。話の続きは後編に持ち越されました。
まとめ
前編では、YAMAPが山の中の「衝動」から生まれた経緯と、その背景にある春山慶彦さんの20代の経験や学び方、そしてベンチャーを21世紀の冒険と捉える思想が語られました。
- YAMAPは九重連山での登山中に思いつき、名前は帰りの車で同級生が提案した
- 春山さんは、続くのは欲ではなく衝動であり、ときめく経験を積めば意味や肩書きは後からついてくると語る
- 浪人での虚しさから、机の上ではなく自分の目と体で世界を知りたいと考えるようになった
- ベンチャーは当事者として関わりながら良くしていくフィールドワークに近いと春山さんは捉えている
- 今の冒険は横への移動ではなく、今いる場所を縦に掘ることだという





