なぜルワンダだったのか?恩師の一言と余ったトウモロコシ
牧浦土雅さんがアフリカに向かうきっかけは、恩師の藤原先生 ── 元リクルート社員の藤原和博氏。民間出身として初めて公立中学校の校長に就任したことで知られる教育改革実践家ですへの相談でした。藤原先生の答えは、逆に目立つところへ行け、というものだったといいます。
その行き先がルワンダです。牧浦さんによれば、当時のルワンダは日本人が少なく、国土は四国の1.5倍ほど、人口も1000万人弱という小さな国でした。
(藤原先生に)相談しに行ったら、逆に目立つところに行けみたいな。それがルワンダ。
英語が話せたこともあり、藤原先生の友人が運営するNPOを紹介してもらいます。そのNPO(ドラゴン)の活動は、いい先生の授業を動画に撮ってDVDに焼き、農村部の子どもたちに見せるというものでした。
牧浦さんはこの仕組みを「東進ハイスクールみたいな感じ」と表現します。ただルワンダにはPCもネット環境も整っていなかったため、DVDという形式が受け入れられたそうです。
DVDを届けるために地方を回るうち、牧浦さんは都市部とはまったく違う景色に出会います。一面が農家で、大量に余ったトウモロコシの袋が置かれていました。
売れないんだ。
売れないです。
牧浦さんは、作物が売れない理由を「情報の非対称性」だと説明します。都市部ではコンゴから難民が流れ込み、UNHCR ── 国連難民高等弁務官事務所。難民の保護や支援を担う国連機関で、各地で難民キャンプの運営にも関わっていますの難民キャンプでは食料が足りていない一方、地方ではトウモロコシが余っていたのです。
国連の職員はデスクワークが多く、牧浦さんほど地方を回った人はいなかったといいます。そこで現状を伝えると「トラックは手配するから輸送してほしい」と頼まれ、ルワンダ滞在の最後の半年ほどは農作物の輸送を担っていました。
教育NPO
授業DVDを持って農村部を回る
地方の発見
売れないトウモロコシが大量に余っている
ずれの把握
都市部の難民キャンプでは食料が不足
国連へ共有
トラックを手配してもらい、地方から輸送する
アフリカの農家支援を決めた瞬間と、大学中退・一時撤退
高木さんが「アフリカで農家支援をやっていこうと決めたのはいつか」と尋ねると、牧浦さんは「その時(ルワンダにいた時)決めた」と即答します。
ルワンダだけでなくタンザニアなども自分の目で見て、ニーズはたくさんあると感じたそうです。ただ、当時の牧浦さんには何もなく、大学進学も決まっていました。
今それ(農家支援)思ったのはいいけど、何ができるんだみたいな。
牧浦さんは一度大学に戻りますが、経済学を学んでもそれほど実践的ではないと考え、目の前の事業を優先して大学を中退します。そして再びルワンダに戻りました。
しかしルワンダで事業を本格化させようとすると、お金がかかるうえ、どうスケールさせればいいかもわからない状態に陥ります。牧浦さんはここで一度日本に帰り、ビジネスやマネタイズの核を学ぼうと決めました。
高木さんに「凹んだりするのか」と聞かれた牧浦さんは、「あんまへこまないですね」と答えています。力不足は自分でも痛感していたものの、大学や国連、インターンで学ぶという発想は持たなかったといいます。
自分で開拓した方が早いだろうみたいな感じだと。今でもそう思ってますけど。
回り道のタイで何を学んだのか
日本に戻った牧浦さんが次に選んだのは東南アジアでした。成長のスピードがアフリカより圧倒的に速く、途上国がどう新興国になっていくのかを自分の目で見たかったからです。
タイでは、ひょんなことから東大の空間情報科学研究センターと関わります。衛星画像などで人の流れを研究する機関で、タイのタクシーなどのビーコンデータを持っていました。
牧浦さんたちはAirbnbを借りてエンジニアを集め、アプリを開発します。バンコクの人々の健康情報を集め、それをもとに薬局にクーポンを出してもらうというスタートアップでした。
まあそれ(タイでのスタートアップ)もなんかもう自己満でしたね、全部。
牧浦さんにとってタイでの事業は、あくまで学びの場でした。必ずアフリカに戻るつもりで、アフリカでどうモデルチェンジしていくかという目線で取り組んでいたといいます。
一方で牧浦さん自身、「真面目にやろうって言いつつ、4年間ジャラジャラちょいちょいメディア出て」いた時期だったと振り返ります。そして2018年の夏ごろ、そろそろ本気でやらないとまずいと感じたそうです。
メディアで浮かれた時期と、自分に課した「5年」のタイムリミット
高木さんは自分の経験を重ねます。23歳ごろに会社を辞めてシェアハウスをしていた時期にメディアに出ることが増え、2年半ほど「何者でもないのに勘違いしちゃう」状態があったといいます。
面白がられるからね。で、なんかそっから結構気づくの、結構なんか難しかったなって感じがあって。
牧浦さんも浮かれた期間は長かったと認めます。ただ、2013年の時点で「5年ぐらい」と決めていて、5年後にアフリカに戻ることは親や周囲にも伝えていました。
期限を区切った理由は、アフリカでの事業が体力勝負だとわかっていたからです。10代の牧浦さんでも地方を回るのは非常に疲れたといいます。
じゃあ明日の9時ねって言って、通訳入れて明日の9時来ないですからね。
文字も英語も読めない人々と延々やりとりし、爆音で音楽をかければ人が集まってくる、という連続だったそうです。移動も多く、道はボコボコでした。だから牧浦さんは、25、6歳ぐらいでアフリカに戻りたいと考えていました。
期限を意識していた牧浦さんは、2018年の夏から準備を進め、11月にぎりぎり創業にこぎつけます。
担保も学歴もない農家に、どうやって融資するのか?
牧浦さんはガーナに渡り、農家にとって一番意義のあるものは何かを考えます。その答えが、農家に対するファイナンスの提供でした。
初期の投資家からは、以前はロジスティクスをやると言っていたのに、と言われることもあったそうです。それでも牧浦さんは、軸が農家であることはぶれていないと話します。会社のビジョンやミッションには「農業」ではなく「農家」という言葉を入れているといいます。
何を一番大事にしているかと聞かれ、牧浦さんは最初に「Change the world」と答え、高木さんに突っ込まれます。改めて出てきた言葉が、農家の生産性と所得を上げることでした。
農家へのファイナンスで最大の壁は、与信がないことです。担保も学歴も資産もない農家に融資する方法がなかったため、マイクロファイナンス ── 貧困層や低所得者向けに少額の融資などを行う金融サービス。担保を持たない人でも借りられる仕組みとして広がりましたも金融機関も、小規模農家6億人という市場を開拓できなかったと牧浦さんは説明します。
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牧浦さんたちがそれを実現できている理由は、泥臭いオペレーションに加えて、裏で動かしているテクノロジーにあります。現在は1万5000件の農家を抱え、250〜300農家に1人の割合で「フィールドエージェント」をフルタイムで配置しています。
フィールドエージェントは自社開発のアプリを使い、農家の生年月日、住んでいる場所、学歴などを記録します。この登録審査を通過した農家だけが、農業資材のファイナンスを受けられます。
登録後も、肥料をまく時や種まきの時にエージェントが現地へ行き、ちゃんと肥料をまいているか、種を5センチ間隔でまいているかを1〜5点で記録します。収穫時には、契約した分の農作物で返済してもらいます。
それ(返済)が10袋って言ったのに6袋しかなかったら60パーセントらしいっていう。で、これが与信につながっていくんで。
返済率だけでなく、農業セミナーの出席率や、セミナーで学んだことが農地で生かされているかを示す農地スコアも定量的に記録しています。牧浦さんは、データそのものが担保になっているからこそファイナンスができると話します。
成績のいい農家の場合、今は最大で3エーカー分の農業資材を融資できるそうです。それまで1エーカーしか耕していなかった人が3〜4エーカーを耕すようになり、年間100ドルだった稼ぎが300〜400ドルほどになっているといいます。
1エーカー程度を耕し、年間の稼ぎは100ドルほど
3〜4エーカーを耕し、年間300〜400ドルほど稼ぐ
融資は肥料などの現物で行い、その肥料でできた作物で返済してもらう「現物支給、現物リターン」の形です。お金を渡すと他のことに使ってしまうから、というのが牧浦さんの説明です。
目指すのはアフリカ版の農協?
高木さんが「日本の農協にも近いのか」と尋ねると、牧浦さんは「めっちゃ近いですね」と答えます。牧浦さんにとって目的は農業そのものではなく、農業を起点にした社会基盤の整備です。
牧浦さんは日本の農協の成り立ちをこう説明します。農協はもともと農業資材をまとめて買い、農家に融資し、できた作物を農協ネットワークで売ることから始まりました。
農家の所得が上がると農地を広げたくなり、銀行や与信が必要になります。そこから金融の仕組みができ、農林中央金庫 ── JAグループなどの系統金融機関の中央機関。農林水産業者の預金を背景に、巨額の資金を国内外で運用する機関投資家としても知られていますが大きくなり、さらに郵便局や病院もつくられて、農協の社会基盤ができたといいます。
資材の共同購入
農業資材をまとめて買い、農家に融資する
販売と所得向上
作物を農協ネットワークで売り、所得が上がる
金融の整備
農地拡大のために銀行・与信が必要になり、農林中央金庫が成長
社会基盤へ
郵便局や病院もつくられていく
今の農林中央金庫は何十兆円という規模で運用する巨大な機関投資家だと牧浦さんは話します。その出発点もファイナンスでした。
ただちょっとやるのに年月かかってるんで、それをテクノロジーをデイワンから駆使することによって、まあ10年ぐらいでやれたらいいよねっていう。
寄宿学校で見た「ボトムとトップ」、そして脱炭素の追い風
高木さんは、牧浦さんの人生をドライブさせているものは何かと尋ねます。牧浦さんが挙げたのは、10代で過ごしたボーディングスクール ── 寄宿制の学校。イギリスなどでは富裕層や各国の有力者の子どもが多く通うことで知られていますでの経験でした。
じゃあもう圧倒的にやっぱボーディング(スクール)がでかいですね。ボトムとトップを見てる人ってまあまあいないと思ってる。
最貧困層とスーパー富裕層は、多くの人がどちらか一方しか見られないと牧浦さんは考えています。両方を見たことが今の自分をつくっている、という認識です。
ボーディングスクール時代の友人からは、自分たちにはできないことをやっていると羨ましがられることもあるそうです。牧浦さんの側から羨ましいと思ったことはない、とも話しています。
当時のネットワークはビジネスにも直接生きています。いい人を紹介してほしい、という話は気軽にできるし、相手からもよく話が来るといいます。
特に最近は、気候変動と脱炭素の文脈での相談が増えています。牧浦さんによれば、世界の未開拓の耕作地の60パーセント以上はアフリカに残っていて、植林や農業は二酸化炭素の吸収・隔離にもつながるため、欧米の投資家がこぞってアフリカの土地を買っているそうです。
しかし土地を買っても、誰が苗を買い、誰が農家を集め、誰がオペレーションを回すのかという問題が残ります。そこで牧浦さんの会社に声がかかります。
で、その時にお前の会社できないみたいな。どんぐらいって言ったら、15万ヘクタール。でけえみたいな。
脱炭素の文脈でアフリカの土地を買うが、苗の調達や農家集め、運営の担い手がいない
現地の農家と向き合うオペレーションを持ち、植林などの運営を依頼される
政治家ではなく「特使」へ。自分しかできないという使命感
高木さんは、農家の所得と生産性を上げ、さらに気候変動の潮流と重ねる取り組みは終わりのない長い闘いに見えると話し、その先にやりたいことはあるかと尋ねます。牧浦さんの答えは「いやー、ないですね。特に」でした。
高木さんが「政治家になってほしい」と言うと、牧浦さんは前日の選挙を見て、絶対になりたくないと思ったと返します。最年少市長はかっこいいと思ったものの、選挙や官僚的な仕組みはきついといいます。
その代わりに牧浦さんが描くのは、特使のような立場で世界を飛び回る姿です。高木さんが挙げたビル・ゲイツ財団のように、政治家ではなくても政治的な役割を担うやり方もあると話します。日本という意味での愛国心は強い、とも語っています。
そもそもアフリカに向き合う理由について、牧浦さんは意外にも「アフリカとか正直好きとかでもない」と言います。
(アフリカは)もうやばいんで、状況として。
もうやるしかないみたいな感じなんで。使命感しかないんで。
疲れたからやめよう、と言うことはあっても、必ず1週間後には戻ってくるそうです。牧浦さんはその感覚を、「自分にはSASUKEしかない」という言葉に近いと表現します。
日本が絡む案件ではなおさら担い手がいないと牧浦さんは話します。ボーディングスクール時代のつながりやファミリーオフィスとの関係も合わせると、今の立ち位置は希少性が高いと考えているそうです。
中学生を夏休みに途上国へ送るべき?
高木さんは、牧浦さんの立ち位置は後から狙ってつくれるものではなく、10代での原体験があってこそだと受け止めます。
これを受けて牧浦さんは、日本の教育について提案します。ボーディングスクールに送るのはお金がかかるので、逆転の発想で途上国の学校に行かせればいい、というものです。
そういうのになんか国家予算使ってもいいと思うんですよね。しかも高校じゃさっきの話でダメで、中一二の時夏休み2ヶ月でいいから。
牧浦さんは、そうすれば絶対に変わるし、不登校も減る気がすると話します。希望者だけにすると行きたい子しか行かないため、強制にすべきだという考えです。
学校同士のエクスチェンジとして、ベトナムと日本の中学をスカイプでつなぐような取り組みもあるものの、牧浦さんは「そんなんじゃダメ」と言います。逆にベトナムから日本へ来る形もあっていいそうです。
話は再び気候変動に戻ります。牧浦さんによれば、マスターカード財団もゲイツ財団も「小規模農家×脱炭素」を1つの軸にして予算を動かしていて、それにレバレッジをかけるのが牧浦さんの仕掛け方です。
高木さんが牧浦さんを外務大臣のような佇まいだと評すると、牧浦さんは外務大臣はやってみたいと応じます。やるなら竹中平蔵 ── 経済学者。小泉政権で民間人から閣僚に起用され、経済財政政策担当大臣などを務めましたのような民間登用で、予算2兆円をもらって自由にやりたいと笑います。
とか言ってまたメディアに出て浮かれるかもしれないです。いやもう大丈夫です。
父親として考えさせられた「思春期の両極体験」
収録後、高木さんは父親として考えさせられたと振り返ります。牧浦さんが起業家になれた理由は、14歳という思春期に世界の超トップレベルと、最貧困層の両極を実際に体験したことが大きいと考えています。
これはやっぱりもうインターネットで情報を知ったりとか、メディアを通じて見るっていうことでは得られない、もう肌で感じる衝撃っていうのがあると思っていて。
高木さんは、思春期をどう過ごし、どんな体験をしたかが起業に表れてくると話します。自分の子どもにどんな機会をつくるべきかを考えさせられた回だった、と締めくくりました。
まとめ
牧浦土雅さんは、ルワンダで見た農家の現実を出発点に、タイでの回り道を経て2018年に創業しました。与信のない小規模農家にデータで信用をつくり、農協のような社会基盤を10年で築くことを目指しています。その原動力は、10代で両極を見た経験と「自分しかできない」という使命感です。
- ルワンダで、地方の余った作物と都市の難民キャンプの食料不足という「情報の非対称性」に気づいたことが原点
- 2013年に「5年後にアフリカへ戻る」と決め、2018年11月に創業した
- 担保のない農家に、登録情報・作業スコア・返済率などのデータを与信として現物で融資している
- 目標は農協のような社会基盤を、テクノロジーで10年ほどで築くこと
- ボーディングスクールで見たトップとボトムの両極が、使命感とネットワークの源になっている



