1000万円の借金からモンクレールで日本一になるまで
NOT A HOTELは、ホテルでもあり、家でもあり、別荘でもある新しいサービスです。ソフトウェアだけでなく、大きな建築物を実際に建ててライフスタイルを提案しています。高木新平さんは、そのNOT A HOTELを「日本で一番楽しそうにやってるスタートアップ」と見ていました。
日本で一番楽しそうにやってるスタートアップなんじゃないかなって思ってて。
高木さんが知りたかったのは、遊びと仕事が融合したような空気がどこから来るのかという点です。濱渦伸次さんはこの問いに答えるため、自身の起業の原点までさかのぼって話し始めます。
濱渦さんが最初に起業したのは2007年、23歳のときです。実はその前、21歳で飲食店を開いており、その店は半年で潰れて約1000万円の借金が残りました。
それ(借金を返すため)で初めて仕事をして、初めて学んだのがWEBで。で、借金を1年で1000万返して。
借金を返すためにWEBやデザインを学んでいた濱渦さんは、当時アルバイトを掛け持ちしており、そのうちの1つがアパレルショップでした。裏原ブームのなかで服が好きだった濱渦さんは、WEBに詳しかったことからネットショップの店長を任されます。
そのショップで濱渦さんは、当時10万円ほどしたモンクレール ── フランス発祥の高級ダウンウェアブランド。2000年代後半に日本でも人気が高まり、入手困難な時期がありましたのダウンジャケットを、ネットで日本一売っていたといいます。「洋服なんてネットで売れない」と言われていた時代の話です。
めちゃくちゃ売れて、売りすぎてモンクレールから取引停止になったんですけど。
当時は店舗に行っても並ばないと買えない状況でした。そのため、宮崎のショップがネットでモンクレールを大量に売っていることが目立ったようです。濱渦さんは、宮崎の店がネットでこれだけ売れることを面白いと感じ、アパレルショップ向けのEコマースシステムを作る会社を2007年に立ち上げました。
なぜ「好きなことをやっている人」には敵わないのか
濱渦さんは今でも、一番好きな仕事はアパレルショップの店員だったと話します。手取りは9万〜10万円ほどでしたが、それでも5万円ほどの服を買い、全力で服にお金を使っていたそうです。
その時から好きなことをやるっていうのがやっぱり人生のテーマで。
その後、濱渦さんはファッションとテクノロジーの領域で事業を続け、ウェブマガジンハニカムを買収して経営していた時期もありました。そうした活動のなかで前澤さんと出会い、意気投合します。
濱渦さんの会社はEXITを経てZOZOグループの子会社となり、濱渦さんはその社長を務めました。前澤さんが会社を離れることになったとき、濱渦さんも自分の好きなことをやろうと決めたといいます。
やっぱ前澤さんからの刺激って強すぎて普通のことできなくなっちゃうんですよね。
ずっと起業してきた濱渦さんにとって、前澤さんは初めてできた「ボス」でした。ZOZOで濱渦さんが感じたのは、社員がみんな洋服を好きだという組織の強さです。
濱渦さんは起業家から相談を受けると、「なんでそれをやりたいの?」と5回ほど聞き返すそうです。すると、大体の人は何も出てこなくなるといいます。一方で、好きなことをやっている人は、その熱が自然と伝わってくると濱渦さんは話します。
ZOZOの強さってそこにあって、みんな好きなんですよね、洋服が。
NOT A HOTELという社名は、なぜ「やけくそ」で生まれたのか
濱渦さんには、WEBやデザインといった平面のものを作ってきたからこそ、建物を作れる人への強い憧れがありました。ファッションの事業がロックアップ ── 株式の売却や競業などを一定期間制限する契約上の取り決め。M&A後に元経営者に課されることがありますでできなくなったとき、次に選んだのが建築やホテルの領域です。
ZOZOグループを3月31日に辞めた濱渦さんは、その翌日に起業しました。社名が決まったのは、その10日ほど前だったといいます。
濱渦さんは、当時は不動産について何も知らなかったと振り返ります。抵当権 ── 住宅ローンなどの借入で、返済できない場合に貸し手が不動産を処分して回収できる権利という言葉も、物件の買い方も知らなかったそうです。そこで、自分の経験の原点を振り返りました。
宮崎のショップでモンクレールなんて売れるわけないよ、できるわけないよっていうのに一番燃えるじゃないですか。
建築やホテルが好きだった濱渦さんは、それをネットで売れたら面白いと考えました。同時に、最初は普通のホテルも計画していました。しかし、一部屋700平米という計画を銀行に持ち込んだところ、事例がないという理由で融資を断られたといいます。
成功事例見たことないから貸せないって言われたんですよ。いや、事例がないから良くないですかみたいな。
銀行からは、一部屋を10部屋に分けてほしいと求められました。濱渦さんはそれならやらないと決め、そのときに「やけくそでつけた」名前がNOT A HOTELだったと明かします。
計画
一部屋700平米のホテルを構想する
銀行の反応
事例がないため融資できず、10部屋に分けるよう求められる
決断
それならやらないと判断し、やけくそで社名を付ける
結果
ネガティブな要素とポジティブな気持ちが合わさってNOT A HOTELが誕生
濱渦さんは、もし融資が通っていたら社名は「ザ・ホテル」になっていたと笑います。融資が下りなかった悔しさと、建築をネットで売るという挑戦への期待が重なって、NOT A HOTELは生まれました。
3年でお金を使い切って気づいた、追い込まれる面白さ
高木さんは、最初の起業は堅実だった印象がある一方、今の濱渦さんには「やんちゃ」さを感じると問いかけます。濱渦さんは、宮崎で起業してもうまくいかないと言われたことも含め、昔から無理と言われるのが好きだったと答えました。
最初の会社の売却では、濱渦さんは創業メンバーや当時の株主とともに30億円を手にしました。しかし、濱渦さんは車など好きなものを買って、3年ほどでそのお金を使い切ってしまったそうです。
やっぱり気づいたのは男の子って借金してないと頑張れないなと思って。
お金を使っていた3年間は、超楽しかったと濱渦さんは振り返ります。それでも、このままでは格好悪いと感じたといいます。
やっぱお金ない方が工夫が生まれるし、お金(があった)だったらザ・ホテルになってたわけですよ。
カフェを潰して1000万円の借金を抱えた当時は、その1000万円が100億円に見えたそうです。濱渦さんは、そこまで追い込まれているほうが人間は面白いと考えています。
高木さんは、一度EXITした人が泥水をすするような経験に戻るのは難しいと指摘します。これに対して濱渦さんは、CAMPFIRE ── 家入一真さんが創業したクラウドファンディングサービスを立ち上げた家入さんの「パイの実」の話に強く共感したと語りました。
まだあるまだあると思ったらいつの間にかなくなってるみたいな。
パイの実の箱に手を入れると、まだあると思っていたのにいつの間にかなくなっている。家入さんはお金が減っていく感覚をそう表現していたそうです。濱渦さんは、この話を「その通りだな」と受け止めていました。
そのうえで濱渦さんが大事にしているのは、朝起きて楽しいと思えることです。
濱渦さんは、お金持ちの経営者が趣味で飲食店を開く例を挙げます。それが趣味ではなく、人生をかけて全力で1軒のレストランに取り組むのであれば、好きを仕事にしていると言えるといいます。高木さんは、その違いをリスクを取れるかどうかだと言い換えました。
「全ての人にNOT A HOTELを」はなぜNFTにつながったのか
高木さんは、自分の気持ちいいことをやっているだけでは収束してしまうと最近反省していると明かします。世の中にインパクトを与えるには、マーケットを見る視点との往復が必要になります。高木さんは、NOT A HOTELが「好き」と時流との接続をどう両立させているのかを尋ねました。
濱渦さんの答えの出発点は、NOT A HOTELのミッションである「全ての人にNOT A HOTELを」です。NOT A HOTELの物件は高額で、誰もが買えるものではありません。濱渦さんは、その状態を面白くないと感じていました。
建物のグレードを落とした5000万円の物件を12人で買えば、1人あたり約1000万円になります。それでもキャッシュで払うのは難しく、サブスクにすることもやりたくなかったといいます。
そこで濱渦さんがたどり着いたのが、1日単位での提供でした。1日単位なら建物のグレードを落とさず、資産性も保てます。そこにNFT ── ブロックチェーン上で発行される、唯一性を証明できるデジタルデータ。所有権や利用権を表す仕組みとしても使われますの未来やワクワク感が重なり、NFTを使う構想が生まれました。
グレードを落とした物件の共同購入は、キャッシュの負担が大きい。サブスクはやりたくない
1日単位のNFTなら、建物のグレードを保ちながら資産性とワクワク感を両立できる
このプロジェクトは4月末ごろに立ち上げ、1か月半ほどで準備を進めたそうです。濱渦さんは、会社のビジョンである「世界をもっと楽しくする」もミッションも、格好よすぎると息切れしてしまうと考えています。だからこそ、みんなに届けるにはどうすればいいかという、ごくシンプルな問いを大事にしているといいます。
知らない業界に飛び込むほうが面白い理由
濱渦さんは、今も不動産の業界ルールがよくわからないと話します。NOT A HOTELの拠点である宮崎、那須、沖縄は、濱渦さん自身が「絶妙に微妙な場所」と表現する土地です。那須は軽井沢に負けるうえに坪1000万円の価格もあり、売れるわけがないと言われていたそうです。
なんか知らない方がいいんじゃないかなと思って。
高木さんは、業界を知ってしまうと「こういうものでしょ」と思い込み、型どおりのやり方になってしまうと応じます。濱渦さんはNFTについても、もともとあまり知らなかったと明かします。今ではハマって、いろいろなNFTを買いまくっているそうです。
不動産、ホテル、NFT・クリプトと、濱渦さんにとってはどれも知らない業界でした。それでも今回のNFTの使い方は、クリプト界隈の人からも新しいと言われたといいます。濱渦さんは、どの業界にもないものはまだたくさんあると感じています。
高木さんは、建築は総合芸術と呼ばれ、ホテルもあらゆる要素が詰まった産業だと指摘します。すべてが統合された業界だからこそ、どの業界ともつながれるという見方です。
テックの会議の直後に「馬の柵が壊れました」
濱渦さんは、NOT A HOTELの仕事の振れ幅を示す例を挙げます。アプリのAPIについて話す普通のテックの打ち合わせをしていたとき、その直後に「緊急事態です」と呼ばれたそうです。
馬の柵が壊れてますと。マジですかと。それ(柵の件)でまたミーティングするわけですよ。
濱渦さんが話す相手は、建築やデザインの関係者だけではありません。柵の業者とも話す必要があり、その幅の広さを濱渦さんは「超楽しい」と表現しています。
森の木の影で野菜が作れないと、隣の農家からクレームが来たこともありました。濱渦さんは農家に謝りに行き、自社の土地の一部を使ってほしいと提案したそうです。
僕らの今回NFTですごくスマートなことやってるなと思われると思うんですけど、超泥臭いですよ、本当に。
NFTのような先端的な取り組みの裏側では、近隣との関係づくりや設備の修理といった、地に足のついた仕事が続いています。スマートに見える事業の裏側は泥臭いという言葉で、前編は締めくくられます。
まとめ
濱渦伸次さんの経営の根っこには、「好きなことをやる」という一貫したテーマと、無理と言われるほど燃える気質があります。銀行の融資を断られた悔しさから生まれたNOT A HOTELは、NFTという新しい手段も取り入れながら、多くの人に届ける方法を探り続けています。
- 借金1000万円からWEBを学び、モンクレールをネットで売った経験がNOT A HOTELの原点になっている
- 好きなことにリスクを取って全力で取り組み、自分の好きを拡張することが「好きを仕事にする」ことだと語られた
- 社名は、700平米の計画への融資を断られたことをきっかけに、やけくそで付けられた
- 「全ての人にNOT A HOTELを」を実現する手段として、1日単位のNFTにたどり着いた
- 知らない業界に飛び込むことを楽しみながら、現場では柵の修理や近隣対応といった泥臭い仕事にも向き合っている





