ネットショップの会社が、なぜ資本主義を嫌う人にも使われるのか
この番組「インサイドビジョン」は、ゲストが何者でもなかった頃から現在までの人生をたどる対談番組です。今回のゲストは、BASE株式会社代表取締役CEOの鶴岡裕太さんです。
高木さんは、12年前に六本木でシェアハウスをしていた頃に鶴岡さんと出会いました。高木さんにとって鶴岡さんは「インターネットの申し子」「スタートアップの申し子」というイメージで、ビジョンを描いた若者がそれを社会に実装した物語の持ち主だと紹介しています。
鶴岡さんは平成元年生まれの33歳です。BASEは2012年12月に創業し、丸10年を経て11年目に入ったところだといいます。
BASE株式会社は「Payment to the People, Power to the People」というミッションを掲げ、決済・金融・ECのサービスを作っています。このミッションは、高木さんを含むNEWPEACE ── 高木晋平さんがCEOを務めるクリエイティブカンパニー。企業のミッションやブランドづくりを手がけていますのメンバーと一緒に作ったものだそうです。
主力のネットショップ作成サービス「BASE」は190万店舗を超えるショップに使われ、年間のGMVは1000億円を超えます。購入者向けのPayIDも1000万人以上が利用しており、社員は300名弱だと鶴岡さんは説明しています。
高木さんは最近、地方を訪ねる中で、資本主義や都市の仕組みに疑問を持ち、自然との共生やローカルな文化を大切にする人たちに多く出会ったといいます。GAFA的なものを嫌うそうした人たちも、BASEは使っていることに驚いたそうです。
でもなんかすごいBASEは使ってて。なんかBASEの立ち位置特殊だなってのをこの週末も感じて。
鶴岡さんは、BASEがもともと資本主義のど真ん中で生まれた会社ではないと応じます。家入さんの周りの影響を受けて起業し、最初は利益も売上もなく、会社になる前は営利組織とは言えない状態から始まったからです。
(BASEは)誰かだけが特定の利益を得るとかは嫌だみたいな。
なので資本主義にもちろん乗ってるんですけど、抗いつつも頑張ってるって感じですかね。
自営業の家庭と不登校の1年、大分での少年時代
鶴岡さんは大分で生まれ、18歳まで大分で暮らしました。両親はそれぞれ自営業で小さな事業を営み、6歳上の兄も自分で会社をやっているそうです。
BASEそのものも、鶴岡さんの母親が「ネットショップを作りたいけれど作れない」と言ったことがきっかけの一つになっています。ただ、鶴岡さん本人は起業家になりたいと強く思っていたわけではまったくないといいます。
鶴岡さんの小学生時代はソフトボールに打ち込み、友達も多い「ど真ん中の小学生」でした。ところが中学1年生の頃は学校がだるくなり、1〜2か月以上学校に行けない時期があり、野球もやめてしまいます。
なんか一回学校休んだら、なんか次の日行くのなんか恥ずかしくなっちゃって。昨日の学校であった出来事を知らんねなみたいな。
鶴岡さんの両親は「学校に行け」と言うタイプではありませんでした。家にいたり親の仕事について行ったりし、当時ハマっていた劇団四季 ── 日本を代表する劇団の一つ。ミュージカルを中心に全国の専用劇場などで公演を行っていますを日本中に見に行かせてもらったそうです。
鶴岡さんは高校に入るとまた学校が楽しくなり、おそらく1日も休まなかったといいます。理由は友達と先生で、携帯で連絡が取れ「朝だるいので2限から行きます」と伝えれば許してくれる先生だったことが、かえって通いやすさにつながりました。
一方で、鶴岡さんの家には小学生の頃から当たり前にパソコンがありました。インターネット好きの兄の影響で、有線回線の時代からヤフオクやハンゲームなど、いわゆるインターネットに触れて育ったそうです。
友達ゼロの大学生が、なぜ家入一真さんに見つけられたのか
鶴岡さんは工業高校から、AO入試で東京工科大学に進学しました。就職したくなく、とにかく東京に行きたかったといいます。工業高校から一般受験で大学に入る人はほとんどいなかったため、AO入試で行ける大学を選んだそうです。
ところが東京での大学生活は、サークルにも入らず友達が一人もいない状態でした。鶴岡さんは、最初の友達作りを「初手なめてた」と振り返り、その分真面目に学校に通っていたといいます。
大学時代の鶴岡さんは、夜11時に出勤する酒屋の受注のアルバイトをしていました。そして中央線に乗っていたある日、CAMPFIREの石田さんがツイートしたインターン募集を目にします。
鶴岡さんはもともと家入さんや孫さん、堀江さんといった起業家が好きで、CAMPFIREのことも知っていました。強く行きたかったわけではないのに応募し、六本木で面接を受けたのが2011〜2012年頃で、そこから鶴岡さんの「インターネット」が始まったといいます。
募集はエンジニア向けでした。鶴岡さんは情報系の学部にいたものの、実際にはそれほどコードを書けず、使う側だったそうです。それでも「エンジニアでしょ?」と聞かれて「エンジニアです」と答え、入れてもらえたと笑いながら明かしています。
鶴岡さんの転機は、CAMPFIREの共同代表でありながら当時ほとんどオフィスに来なかった家入さんが、突然オフィスに現れた日でした。徒歩2分ほどの場所に住んでいた家入さんがそこで鶴岡さんを見つけ、「ちょっと一緒にやってよ」と声をかけたそうです。
最初の仕事は、パソコンの背面を広告枠にしてシールを貼るという家入さんのサービス用に、シールを作ることでした。同じ誕生日だったことでも距離が縮まり、鶴岡さんは家入さんのそばにいる若手になっていきます。
当時のインターネットってすごくて、なんか家入さんが作ったら何でもバズってたんですよ。
当時はコアユーザーしかいなかったため、プレスリリースがなくてもツイート一つで何でも広まったと鶴岡さんは振り返ります。その感覚が「癖になっちゃって」、家入さんのプロダクトのコードを書きながら、並行してBASEを作り始めました。
鶴岡さんの歩みを時系列で整理すると、次のようになります。
何者でもない若者たちが「無敵」になった共同生活
BASEは、もともと好きだった決済やインターネットサービスへの関心と、母親の話などがきっかけで生まれたと語られています。家入さんに「これどう思いますか?」と相談し、「いいじゃん」と言われて作り始めたものでした。
高木さんは、途中から鶴岡さんが本気でBASEに取り組み始めた理由を尋ねます。鶴岡さんは、自分は家入さんや高木さんのようなアイデアマンではなく、真面目に淡々と続けるほうが向いていたと答えます。
打ち上げ花火して、まあどんどん次に行くっていう美しさもあるけど、ずっと同じサービスが使われるって美しさにはやっぱこう憧れるというか。
BASEを支えたのが、高木さんたちが運営し、家入さんが引き継いだシェアハウスリバティです。家入さんの周りに鶴岡さんを筆頭とする10人ほどの若者が集まり、3LDKで一緒に暮らしながらBASE作りを手伝ったといいます。
高木さんがとりわけ感動したのは、当時のメンバーがその後、BASEの中で活躍したり別の道で成長したりしていることです。鶴岡さん自身も、大学を卒業した人もおらず、目も見られないような「ビビるぐらいなんでもないやつら」だったと振り返ります。
高木さんは、そのシェアハウスの価値を「いいモラトリアム」と表現します。家賃は月3万円で、周りの人から白米やカレーを送ってもらい、生活コストを気にせずプロダクトに夢中になれる環境でした。
高木さんは、若く何者でもなかったからこそ短期のインセンティブで動かず、「これはやらない」と決めつけずに大きなものへがむしゃらに向かえたのではないかと分析します。鶴岡さんも、お金を稼ぎたいという気持ちもなく、起きたら楽しいという不思議な時期だったと語ります。
鶴岡さんは1〜2年ほど暮らしたシェアハウスでの生活を、自分の人生で「一番でかかった」と位置づけます。あの共同生活がなければ今はなかったという実感は、今も変わらないそうです。
その一日一日を夢中に生きてたら、なんか今、今だったみたいな。
何か追いかけてたら、それがたまたまなんか山だったみたいな。なんか山を登ろうとしてたわけじゃないみたいな。
鶴岡さんはMBAも大企業での経験もなく、多くの人に迷惑をかけてきたと自覚しています。高木さんは、賢い人が当たり前にスタートアップを始める時代だからこそ、そうでない人は「夢中力」で戦わないと勝てないと応じ、鶴岡さんも夢中になれる環境をくれた家入さんへの感謝を口にしました。
急成長を諦めた先に見えた「ロングターム」という戦い方
高木さんは、BASEにはっきりした転換点があったのかを尋ねます。鶴岡さんは、コロナ禍で業績が大きく伸びた時期はあるものの、最初の転機は意外な形で訪れたと話します。
創業1〜2年目の鶴岡さんは、資金調達のために急激な成長を作ろうと、いろいろもがきました。しかし急成長は作れず、その一方で、何もしなくてもBASEはじわじわ伸び続けていることに気づきます。
これは長くやったら伸びるんだなって思って。その時にロングタームでやろうに切り替えたんですよね。
ファイナンスの場では「倍成長」「5倍成長」と言いたくなるものだと鶴岡さんは認めつつ、そうではない戦い方に気づけたことが大きかったと振り返ります。この切り替えを整理すると次のとおりです。
資金調達のため急激な成長を作ろうともがくが、作れない
何もしなくても伸びることに気づき、長くやる前提のロングタームに切り替える
鶴岡さんは、BASEのあり方は資本主義っぽくないものの、資本主義のおかげで続けられていると語ります。未上場時代も含めて10年間赤字でも夢を追えたのは、資本市場のおかげだというのです。
本当に社会に向き合おうと思うと、資本主義とも向き合った方が、なんかどっちかが片方じゃないなみたいなのはずっとあるから、なんかそれをこうずっと何か折り合わせる人生ではありますね。
ステークホルダーへのリターンと社会への向き合い方の接合点を探すことを、鶴岡さんは自分の責任だと考えています。資本主義と社会のどちらか一方を選ばないという姿勢が、冒頭の「抗いつつも頑張ってる」という言葉にもつながっています。
高木さんは、上場時のミッションに続き、BASEの根っこにある「ファウンデーション」の言語化にも関わっていると明かします。そのうえで、時間軸や資本主義と社会の接合という壮大な目線をどう持ち続けているのかを鶴岡さんに問いかけ、対話は後編へ続きます。
まとめ
前編では、特別な経歴を持たない若者だった鶴岡さんが、家入さんとの出会いとシェアハウスでの共同生活を通じて夢中になれる環境を得て、BASEを長期戦の会社として育ててきた経緯が語られました。
- BASEは、資本主義のど真ん中ではなく、家入さんの周りの営利組織とは言えない場から生まれた
- 大学で友達がいなかった鶴岡さんは、CAMPFIREのインターン応募をきっかけに家入さんに見出された
- 月3万円で暮らせたシェアハウスが、何者でもない若者たちをプロダクトに夢中にさせた
- 急成長を作れなかった経験から、長く続ければ伸びると気づき、ロングタームの戦い方に切り替えた
- 鶴岡さんは、資本主義と社会への向き合い方を折り合わせることを自分の責任だと考えている





