クレイジーを辞めた後、奄美大島で何が起きた?
高木さんはまず、教育の神山まるごと高専や、自然との共生を掲げるSanuといった大きなテーマに、山川さんがなぜ関わっているのかを尋ねます。
山川さんがクレイジーウェディングを辞めたのは、2年前の3月です。自分の成長に限界を感じたことや、夫婦経営と子育ての両立の難しさが重なり、辞めた方がいいと判断したといいます。
辞めた後、山川さんはコロナ禍の真っただ中に奄美大島で2ヶ月暮らしました。3.11以降で初めて「時代の切れ目」にいるような感覚があったと振り返ります。
(奄美では)3歳の娘とずっと一緒にいるとか、3ヶ月ぐらい一緒にいたんだけど、本当に生まれてからずっと忙しく仕事してたから初めてで。
奄美での山川さんは「何者でもない自分」として暮らし、究極的には「もう働かなくてもいいかな」とまで考えたといいます。すぐ焦る自分だからこそ、それくらいの気持ちでいようとしたそうです。
それでも山川さんの中には、やがて「ムクムク」と働きたい気持ちが湧いてきました。そのタイミングでSanuと神山まるごと高専の両方から声がかかります。
なんかすごく深く考えてというよりかは、ああ、多分なんか今までの人生が指し示してるから正しいんだろうなみたいな気持ちで。
山川さんの説明では、先に決めたのはSanuへのジョインで、その翌月に神山まるごと高専にも加わる流れでした。
人生に影響しないことには懸けたくない、という原点
山川さんがSanuと神山まるごと高専を選んだ理由は、テーマや領域ではなく、就職活動のころから続く一つの思いにあります。それは「人の人生に影響を与えることがしたい」という思いです。
人が死ぬ時に、ああ、この人生で良かったなって思えるコアの部分を、自分の人生かけるんだったら使いたいなっていうふうに思ってて。
奄美での暮らしを通じて、山川さんは「自然がないまま、人生これで良かったと思うのはかなり不可能だ」と痛感したといいます。
山川さん自身のルーツも自然にあります。父親とともに千葉の山の中で、薪でお風呂を焚く生活を中学3年まで送っていました。
山川さんはその暮らしが嫌で都会に出て、ビジネスで事を成すのだと考えてきました。しかし今は、自然がルーツであり大事なのだと素直に受け入れられたと話します。教育も、自然の中で暮らすことも、人生に不可欠なことだという整理です。
「世界を変える」と「自分の幸せ」は両立するのか
山川さんがいま抱えている悩みは、世界を変えたいという気持ちを持ち続けるかどうかです。世界を変えることと、自分が幸せに生きることは本当に両立するのか、というテーマです。
世界を変えてる人たちは、自分の人生を捧げてでももっと大きいものに寄与してる感じ。
高木さんが坂本龍馬を例に挙げると、山川さんはエヴァンゲリオンの登場人物にも触れながら、両者は二者択一なのではないかという感覚を語ります。自分の幸せを見つけた人と、世界を変えるために自己犠牲をした人、どちらかに分かれている人が多く見えるというのです。
自分の人生の幸せを見つけていった人
自分よりも大事なもののために、人生を捧げてでも寄与する人
山川さんはこれまで、世界を変えることを自分の絶対的なテーマだと思ってきました。迷いが生まれたきっかけは出産ではなく、最近のことだといいます。
この38歳になっても、やっぱり幸せとはちょっと遠いところにいるなっていう感覚がすごいあって。
山川さんは、辛い思いをしてでもやる、強引にでも物事を成すという自分の頑張り方を振り返ります。周囲の目を気にしすぎる性格のまま挑戦を続けることは、ずっと苦しかったと話します。
少なくともこの苦しいスタイルじゃない世界の変え方があるなら、それを見つけたいし。
山川さんは「自分の人生が幸せであること、自分のことが好きであることより素晴らしいことなんて世の中にない」とも思うといい、自身の状態を「迷走してます」と表現しました。
ないものに魂を宿す、山川流ビジョニング
高木さんは、自分の人生を起点にイベントを作り、一人ひとりにメッセージを送り、スピーチをする山川さんの「体を張る」巻き込み方が特殊だと感じていました。その方法論を尋ねます。
山川さんの答えは、物事が動くときには「こうしたらこんな面白いことが起こり、人がこう感じる」というイメージが自分の中で湧き出してくる、というものです。やる意味がいろんな角度からストーリーとして出てくるので、それをみんなに伝えているといいます。
「これをやります」っていう、このAという事柄には何も宿ってないじゃん。この宿ってないけど、Aをやるっていうことに自分が妄想して喋ったりし出すと、なんか魂が宿ってきて。
みんな世の中、世界の人たちは不可能なことには挑んでみたい気持ちは持ってるって思ってるから、私は。
山川さんは、自分が一番最初に「やろう」と決めた人として、メンバーや周囲に語っていくのだと説明します。
山川さんによれば、自分がやることの多くは「やらなくても死なないこと」です。イベントも結婚式も、必ずしも必要ではないけれど、やればその人の人生や経験がすごく良くなる物事をイメージの中で創出するのが、山川さんの仕事のスタイルだといいます。
高木さんが疲れる理由を尋ねると、山川さんは進め方の稚拙さが大きいかもしれないと答えます。加えて、人前に立って話すので賛否両論を受けるエネルギーもかかると話します。
走馬灯の1コマを作っているのか?
高木さんは、クレイジーウェディングのように結婚する人の人生が主役の結婚式は、熱量がある分とても疲れると指摘します。事業として割り切らないからこそ、異常な熱量が生まれているのではないかという見立てです。
山川さんはこの話を聞き、それは続けていきたいことだと答えます。久しぶりにSanuでイベントを作ったことで、自分の本質を改めて確認したといいます。
なんかやっぱり人の人生に対する異常な興味とがある、自分がね。
山川さんにとって大事なのは「イベントをやってよかった」だけではありません。来てくれるお客さんやSanuのメンバー一人ひとりにとって、それがどんな人生の節目になり、どんな記憶が残るのかを設計しているといいます。そのために、パーティー前にみんなで話す時間を取るといった工夫をしています。
あれなのかな、死ぬ時にこう走馬灯みたいなになった時の一コマを。
なんかそれは本当にあるんじゃないかなって思う。
高木さんは、人が集まるのは生まれた時と結婚式と死ぬ時だけ、とよく言われることを挙げます。最後に残るのはシーンや人の顔であり、山川さんはパーティーではなく「メモリー」を作っているのではないかと話します。
山川さんも、結婚式というフォーマットでは作れないレベルまでそれを作りたい情熱があるのだろうと応じます。高木さんは、山川さんが以前「葬式をやりたい」と話していたことにも納得がいくと語り、山川さんは「それはなくなんない」と答えました。
父の講演を見て育った「世界を変えなきゃ」という呪い
話は再び「世界を変えること」に戻ります。山川さんは、世界を変えるレベルでやるなら個人のイベントを超えた何かが必要だとしたうえで、自分の中にある思いを問い直します。
なんか世界を変えたいのか、世界を変えるというなんかカルマが私にあるのか、どっちなんだろうみたいな。
高木さんが「世界を変えた歴史上の人物は誰か」と尋ねると、山川さんは「そんなに考えていないのかもしれない」と答えます。そこから話は山川さんの父親へと移ります。
山川さんの父親はフジテレビのアナウンサーで、その後、戦争をなくしたい、環境問題の悪化をなくしたいという強い思いで講演をしていた人でした。
(父の講演を見て)それじゃ世界変わんないよねっていう気持ちがちっちゃい時めちゃくちゃあったのがあって。
ただし山川さんは、父親を否定していたわけではないと話します。「お父さんの代わりに私が世界を変えなきゃ」という気持ちで、社会というより地球を救いたいという思いが漠然とあるのだといいます。当時の父親は常に怒っているようで怖く、話せる関係ではなかったそうです。
そのビジネスで何かしなきゃ、ある種一旗揚げなきゃみたいな気持ちとか、世界変えなきゃっていう気持ちが結構呪いなのかもしれないなっていうのも最近ちょっと思ってて。
山川さんは、その呪いから解き放たれ、自分が幸せになりながら世界を少し良くすることを思えたら、そのほうが全体として善なのかもしれないと語ります。
神山まるごと高専について、山川さんは教育に取り組むのは予定より早すぎると迷ったといいます。それでも「この人たちとなら世界を変えられる学校が本当に生まれる」と思えたから懸けたと話します。自然の中で遊ぶ団体やフリースクールだったら、やっていないだろうとも付け加えました。
トップでなくなって気づいた「許されてきたこと」
高木さんは、クレイジーウェディング時代と今とで立場が変わったことに触れます。当時は夫が社長でも山川さんはそれに近い存在でしたが、今はそれぞれに代表がいて、山川さんはクリエイティブディレクターや社外取締役という役割です。
なんかやっぱりトップだから許されてきたことがこんなにあるんだっていうことを痛感する日々ですよ。
山川さんは、トップであれば「なんでわからないの?」と言っても、周りが「なぜ理解できないのか」を考えてくれたと振り返ります。そのやり方が良くないと指摘してくれる人はいなかったといいます。
役員ミーティングで周りが男性ばかりだと話しづらい、と周囲に配慮を求めてきたことについても、山川さんは「話しづらいと感じていたのは自分だけで、自分が変われば話せる」と気づいたそうです。
学校づくりは待ったなしの状況で、「とりあえず進め、改善したい時に改善できるよう自分で改善して」という進み方をします。クリエイター気質から「納得しないと進められない」こともあった山川さんですが、物事が動いているほうが改善も早いと実感しているといいます。
トップとして自分のやり方を無意識に押し付け、納得しないと進めない
まず進め、具体的に変えたい点だけを伝えて素早く改善する
ジョインして丸1年ほどになる今の立場について、山川さんは向いている部分もあると話します。クレイジーウェディングでも夫が前に立ち、その中で自由にやらせてもらうほうがやりやすかったからです。
一方で、起業家を育てる仕事に関わるなかで、改めて自分がトップで起業してみたい気持ちや、個人として純粋に作品を作るように物事を生み出したい気持ちも出てきているといいます。山川さんは「そこの方が喜びは大きい」と語りました。
「でかいことをしなきゃ意味がない」という先入観
高木さんは、クリエイター気質の人の中には、組織ではなく個人のプロジェクトチームで動く人も増えていると話します。それを受けて山川さんは、そうした人たちを否定していた過去を打ち明けます。
なんかそんな小さいことやって意味あんのかなみたいな。こじんまりやることに意味あるのかなみたいな。
山川さんは、量やお金を追っていたわけではないものの、「クレイジーウェディングよりすごいことをやらなければ」「ビジネスとして成り立っていないと」という先入観があったと振り返ります。その先入観は今、だんだん和らいでいるといいます。
今の山川さんは、人が楽しく働くことや、自分が気持ちよく仕事すること、自分を好きでいること以上のことが本当にあるのだろうかと、今までとは違うレベルで考えているそうです。
そう考えるようになった背景として、山川さんは「辛くても頑張る」が昔からの基本姿勢だったことを挙げます。学生時代が辛かったからこそ、少しでも良くなるなら努力は惜しまないという姿勢でした。
なんか世界から弾き出されてるじゃないけど、白い目で見られたりとか、あなたは違う人だよねって思われて扱われることがめっちゃつらくて。
その姿勢で10代・20代を頑張ってきた山川さんですが、自分に鞭を打ち続けるやり方の行き着く先は違うのではないか、と感じ始めています。子どもが生まれたことなどの価値観の変化もあり、どう生きるかがこの2〜3ヶ月の大きなテーマだといいます。
ヒッピーの親子が村に来た日、「普通じゃない」が始まった
高木さんは、山川さんがなぜ「弾き出されている」と感じていたのかを尋ねます。山川さんは、神山町で学校をつくる中で、よそ者が地元の人にとって怖い存在だと実感していると話します。
よそ者に慣れている神山でさえそうなら、誰も地域の外に出ないような土地に、ワゴンで旅をしてきた「ガチヒッピー」のような親子が移り住んだのは相当だったはずだ、と山川さんは今になって振り返ります。
(同級生からは)咲ちゃんってちょっと変わってるよね。ランドセルの色も違うし、なんか変な虹色のターバンとかしてるしとか。
長女で生真面目だった山川さんは、学校が全てという中で馴染みたいと思っていました。センシティブな中学生の時期に悪口を言われたり、馴染めない焦りを感じたりした経験が、今も染みついているといいます。
高校・大学で「普通じゃなくても受け入れてもらえる」と知ったことが、起業にもつながったと山川さんは話します。ただ最近は、特別でいるために「普通じゃない自分」をどこかで守りたかったのかもしれない、と考えるようになりました。
なんかやっぱ私常にここじゃないところに行きたいみたいな気持ちがあるの。東京から移りたいとか、今すぐ旅に出たいとか、今すぐ全てを捨てたいとか。
山川さんの新しい気づきは、誰しもが特別な存在だから、安心して世界に馴染んでみようというものです。ママ友との付き合いや保育園の行事に馴染むと普通の人間になってしまう、という恐怖があったのかもしれないと語ります。
だから自分の価値に対する疑いが結構ずっとあって、こうしたら価値がなくなっちゃうみたいなことの中で、すごい狭いとこで過ごさなきゃって思ってたのかなみたいな。
高木さんは、クレイジーウェディングは「自分は普通だ」と思う人にも刺さり、その人生を掘ると必ず特別なエピソードがあった、と想像を語ります。どんな人でもスペシャルだと示すサービスをつくった山川さんが、普通になってはいけないと思っていることが興味深いと指摘しました。
山川さんは、まさにそれを証明したくて生まれたサービスでもあったと応じます。そのうえで、自分はいつもそこに迷子なのだと思うと話しました。
「シンクロ率100%」を求めると、永遠にきつい
山川さんは、今は悲観的なモードで、世界が狭いと感じていると打ち明けます。高木さんは、「もう十分落ち込んだんじゃないの」と返します。
高木さんの見立てでは、山川さんがいちばん苦しかったのは、旅の事業を言い始めたころです。当時は世の中から求められる像にならなければと空振りし続けていて、今のほうが自分と対話していると感じるといいます。
なんか早紀ちゃんの場合、エネルギー使ってないことが一番自己否定になる気がするから。
高木さんは、世界を変えることに向かっている状態そのものが、山川さんにとってのウェルビーイングなのだろうと話します。そのうえで、クレイジーウェディングのように自分と事業と世界が一致する状態を理想にすることへの懸念を示します。
(自分と事業と世界が一致する)そのすごいシンクロ率百パーみたいな状態を求めると、それはほぼ永遠に来ることないのかなっていう気はしてて。
山川さんも、あの時は奇跡的に合っていただけだと認めます。高木さんは、自分がスポットライトを浴びる瞬間と世界が変わる瞬間を一致させようとすると、ずっと苦しいのではないかと続けました。
福沢諭吉に見る、教育が世界を変える時間軸
高木さんが、山川さんが教育に取り組むことを「すごくいい」と感じた理由は、教育こそ世界を変えるものだと考えているからです。例に挙げたのは福沢諭吉です。
高木さんによれば、福沢諭吉はお札にも選ばれた人物で、慶應義塾という大きな影響力を残しました。その影響はある瞬間の大きなインパクトではなく、卒業生が出るたびに指数関数的に増えていくものだといいます。
クレイジーウェディング時代のように、今この瞬間に皆が注目し熱狂している状態
教育のように、卒業生が出るたびに長い時間をかけて影響が増えていく状態
高木さんは、環境問題も1日で全てが変わる話ではなく、長い時間軸の話だと話します。人の認識が180度いきなり変わることはなく、起業する人が少しずつ増え、スターが生まれ、教育機関ができて広がっていくように、変化は段階的に進むという考えです。
高木さんは、死後に評価されるアートも同じだと例えます。クレイジーウェディングも単体で見れば2010年代のどこかがピークに見えますが、オーダーメイドの結婚式や結婚式での自己表現が広がれば、ピークはもっと後ろにあるのだといいます。
えーちょっといい。なんかちょっと視界が、あれクリアになっちゃったかもって。
世界変えるじゃなくても世界に向かってるっていうことが、いいんだろうね。
山川さんは、自分に焦点を当てすぎる傾向があったと振り返ります。神山まるごと高専の開校まで残り1年半という、歴史が始まる時期に関われていると思うと、「自分がどうなのか」を考えすぎていたと気づいたといいます。山川さんは、今の仕事を長く続けようと思っていると話しました。
「将来、政治家になるしかないね」
話の終盤、高木さんは唐突に「将来、政治家になるしかないね」と切り出します。山川さんは驚きつつ、「しんぺいちゃんが命をかけるなら私も命をかける」と返し、高木さんも「出るんだったら全てをかけますよ」と応じました。
高木さんの考えでは、山川さんが究極的に変えたいのは人の意識や感情です。そして、民間企業や経済がお金を調整する役割を担うのに対し、政治は感情の調整役だといいます。
高木さんは、コロナ禍のように企業が動くだけでは変わらず、状況をどう認識するかが問われる場面こそ政治の出番だと話します。「私」から始まって多くの人を巻き込み「私たち」にしていく力は、オバマ元大統領などもやっていたことで、山川さんのセンスはそこにあるという見立てです。
(自分と世界を一致させて)他の人にも共感してやるってすごいそれは才能だから。
泣いちゃう。それに苦しんでるから泣いちゃう。
高木さんは、事業は自分と切り分けたほうがうまくいく側面があるとし、生身のコミュニケーションで人を動かせる人は少ないと続けます。政治家は最後は言葉で話す仕事だからこそ、という評価です。山川さんは、普段は褒めない高木さんがそう見てくれていることを喜びました。
ウェットな今だからこそ話せたこと
収録の最後、高木さんは山川さんの根っこに触れられ、今しか聞けない話が聞けたと振り返ります。山川さんは、今は色々考えているウェットな時期で、2ヶ月後にはもっとカラッとしているはずだと話しました。
多分なんか私の勝手な予想、12月、1月は晴れていくような感じなんだけど。なんか今すごい色々考えてる、ウェッティーな時期だったから。
高木さんは、きちんとした部分や自分と切り離したアウトプットだけを見せる人が多い中で、モヤモヤを裸のまま出せる強さこそが山川さんの魅力だと語ります。山川さんは最後に「人生相談に乗っていただいて、ありがとう」と締めくくりました。
まとめ
後編では、クレイジーウェディングを離れた山川咲さんが、「世界を変えなきゃ」という思いと自分の幸せの間で揺れる現在地が率直に語られました。高木晋平さんは、瞬間の熱狂と世界の変化を切り分け、長い時間軸で世界に向かうという見方を示し、山川さんの視界が少し晴れる対話になりました。
- 山川さんはコロナ禍の奄美大島暮らしを経て、自然と教育を人生に不可欠なものとしてSanuと神山まるごと高専にジョインした
- 「世界を変えたい」という気持ちは、講演をしていた父の姿から生まれた「呪い」かもしれないと山川さんは感じている
- トップでない立場を経験し、トップだから許されてきたことや自分のやり方の押し付けに気づいた
- 幼少期の疎外感から「普通じゃない自分」を守ってきたが、誰もが特別だと安心して世界に馴染もうとしている
- 高木さんは、自分の幸せと世界の変化を切り分ければ両立できるとし、教育の長い時間軸や政治の可能性を示した


