画一的な結婚式への違和感から始まった起業とは?
高木晋平さんがホストを務める「インサイドビジョン」は、新しいカルチャーを作る起業家のビジョンを探る番組です。第5回のゲストは、クレイジーウェディング創業者の山川咲さんです。
山川さんは27歳で起業し、クレイジーウェディングというブランドを立ち上げて約8年間運営してきました。きっかけは、一人ひとり違う人なのに、日本の結婚式がほとんど画一的なことへの不思議さだったといいます。
みんな違う人なのに、なんでみんなこんな(似たような)結婚式やってるんだろうってすごい不思議で。
山川さん自身が「死ぬほど気合を入れて」自分の結婚式をつくった経験もあり、その数年後に事業を始めました。社員は100人ほどの規模になったそうです。
山川さんはクレイジーウェディングを「アナログなビジネス」と表現します。やる気や想いがなければやる意味がないほど、ビジネスとしては成り立ちにくいサービスを、多くの人に求められる規模まで広げてきたと振り返ります。
現在の山川さんはクレイジーウェディングから独立し、神山まるごと高専 ── 徳島県神山町に設立された私立の高等専門学校。テクノロジーやデザインを学びながら起業家精神を育てることを掲げていますの学校づくりと、自然の中にセカンドホームを持つサービスを展開するスタートアップ・SANUの取締役を、二足のわらじで務めています。
2トントラックで毎日現場へ。事業というより「文化祭」
高木さんと山川さんの出会いは、クレイジーウェディング創業より前のことです。共通の友人のシェアハウスで出会い、当時の山川さんは最初に入った会社を辞め、バックパッカーのような生活をしていた頃だったといいます。
創業当初の山川さんの事業は、別の名前で始まりました。高木さんは、相手の人生をヒアリングしてオーダーメイドで結婚式をつくる様子を「手弁当」と表現し、山川さんは「肉弾戦」と言い添えます。
もう本当になんだろう、事業というよりはもう文化祭やってるぐらいの勢いでやってたよね。
ほんと毎日2トントラックで荷積みして現場に行ってみたいな。この人たち夜逃げするんじゃないかなって近所の人に多分思われながら、日々毎日文化祭活動してました。
高木さんによれば、クレイジーウェディングが業界で新しかったのは、式場などのフォーマットありきではなく、その人の人生ありきで結婚式をつくる点でした。
式場などのフォーマットが先にあり、円卓で落ち着いて過ごす画一的な形
その人の人生をヒアリングし、一組ずつ種類の違うオーダーメイドで、フェスのようにみんなで盛り上がる形
出会った頃の山川さんについて、高木さんは「何かやりたいけどエネルギーを持て余しているお姉ちゃん」のような印象だったと笑いながら語ります。そのうえで、山川さんが貪欲に人に会いに行き、話を吸収していく姿が印象に残っているといいます。
なんかその人の言ってることをどんどん吸収してって、気がつけばある意味でそういう話を聞いてきた人よりも、なんかどんどん追い抜いていくというか、注目されていって。
高木さんは、山川さんが開くイベントになぜこんな大物が集まるのかと思うほどで、その求心力に驚いた記憶があると話します。
「世界を変えたい」という異常な熱はどこから来たのか
高木さんは、クレイジーウェディングを動かしていた一番のエネルギーは何だったのかと尋ねます。山川さんは「恥ずかしげもなく言うと」と前置きして答えます。
山川さんは、この事業が人の人生を変えると確信していました。自分の人生を表現する結婚式にはすごいドラマが起こるので、一人でも多くの人に伝えないと「申し訳ないレベル」だと感じていたといいます。
なんかそれ本当に多分私だけじゃなくて、みんなが結構それを心から信じてたみたいなところがあるんじゃないかな。
山川さんは、当時の熱量について、在籍中も辞めた直後もわかっていなかったと振り返ります。高木さんも「異常だったよね」と応じます。
高木さんは、世の中にはメンバーの能力を超えた「上昇気流」が生まれるホットスポットがあると考えています。当時のクレイジーウェディングにはまさにそのエネルギーがあり、なぜあの上昇気流が起きたのかを聞きたいと話します。山川さんも「私も知りたい」と応えます。
広告なしで月100件の問い合わせ。業界の「パンドラの箱」が開いた
高木さんは、画一的な結婚式への問題意識が出発点だったのかと尋ねます。山川さんの答えは、問題意識よりも「超面白い結婚式がある」という実感でした。
私たちがやってる結婚式ってめちゃくちゃ面白いって本気で思ってたから、なんかこの面白い結婚式を自分自身がもう次のやつ作りたいみたいな。
山川さんは、お客様に「憑依」してしまうタイプだといいます。お客様のためというより、二人のためが「私たちのため」になる感覚で結婚式をつくり、目の前の二人が感動してくれることが喜びだったそうです。
事業の始まりは、ウェディングありきではなく「起業してみよう」という思いでした。女性向けの事業や託児所なども検討した結果、ウェディングにたどり着きます。当時はFacebookが台頭してきた時期で、SNSで呟くと「絶対いいじゃん」という反応があり、確信を持ったといいます。
最初は誰も信じてくれず、依頼の仕方も仕事の受け方もわからない状態でした。そこで山川さんは、友達の結婚式から何件か作ってみるところから始めます。
高木さんは、今までの結婚式では見たことのない空間演出の「絵」や映像の力が大きかったと分析します。山川さんは、SNSが流行するタイミングに加えて、業界自体がこうした結婚式を求めていたと語ります。
実際これでいいの?ってみんな思いながらやってたところから、クリエイターさんも会場の人たちもみんなそれやっていいんだみたいな。
パンドラの箱が開いたらすごい楽しかったみたいな。
山川さんは「業界に後押しされた感はすごいある」と話します。事業開始から1年ほどで、結婚情報誌『ゼクシィ』の表紙を担当するまでになったといいます。
勢いを示す数字もあります。山川さんによれば、ウェディング業界では1組の成約に30万円ほどの広告費がかかるのが普通でした。
オーダーメイドで多くの人に応えるために人を増やし、3〜4年で社員100人ほどの規模になりました。山川さんは、入社してきたのはウェディングをやりたい人より、社会にイノベーションを起こしたい人が多かったと振り返ります。面白い社風もあり、創業2周年には全社員で世界旅行に行ったそうです。
苦労を感じる暇もなかった、オフィスに「死体」が転がる日々
高木さんは、ビジョンを掲げて求心力を集めることを「ビジョニング」と呼んでいます。クレイジーウェディングはまさにそれを体現していたとして、当時の気持ちを山川さんに尋ねます。
山川さんは、起業の苦労をよく聞かれるものの、苦労と感じることにも及ばないほど夢中で必死だったと答えます。イベント1つのプロデュースでも大変なのに、土日に4〜5件の結婚式を手がけていたそうです。
土曜日の深夜とかもう本当にもうオフィスに死体が転がってるみたいな感じなぐらい、もうみんな力張ってて、疲れ果てて寝てて、また明け方動き出すみたいな感じなんだけど。
なんだろう、疲弊しない、こうエネルギーがもう後から後から湧いてくるみたいな、なんかそういうモードだったね。
注目が集まる中で全能感があったのかと聞かれると、山川さんは「もっともっとだったね」と答えます。メンバーを鼓舞し続けたことで、メンバーも自分のポテンシャルの2倍、3倍を出していたと感じていたそうです。
だからなんかみんなを鼓舞することで忙しくて、自分の気持ちとかってあんまちょっと覚えてないなっていうぐらい。
高木さんは当時の山川さんを、選挙で最もクライマックスにいる政治家の状態がずっと続いているようだったと例え、「アドレナリンが出まくってる」と表現します。山川さんも「そんな感じだと思う」と認めます。
情熱大陸の後に何が起きたのか
山川さんは27歳で個人として事業を始め、28歳でクレイジーウェディングを立ち上げました。32歳で『情熱大陸』に出演し、そのタイミングでオーダーメイドの事業から離れています。その間の4年ほどが「とんでもない」時期だったといいます。
山川さんは、最初から『情熱大陸』への出演と本の出版を目標として口にしていました。高木さんは、本も出版し、まさに夢を叶えていく流れだったと振り返ります。
ところが山川さんによれば、目標が叶い、放送前後にクレイジーウェディングがピークを迎えた頃、会社ではいろいろな問題が起きていました。テレビを見て来る人たちは、もっと完成されたサービスを期待して扉を叩いたのです。
一緒に楽しもうみたいな感じで、クレームももらいながら、それでも最後本当に喜んでもらうみたいな感じで、バシャッと頑張ってきた。
それまでは「ベンチャーだよね」と理解してくれる周辺の人たちと一緒に走ってきましたが、そうではない層のお客様が訪れるようになり、会社としてもつらい時期に入ります。
山川さん自身も注目を浴びすぎてメンタルダウンし、その状態が4〜5か月ほど続きました。メンタルダウンしているのに、世間からはもてはやされる状態だったといいます。高木さんは、世の中の評判には1年ほどの時間差があるので、その時期は苦しいと応じます。
でもそれでも今私が耐えたら、クレイジーウェディングはもっと光が当たって、もっと大きなブランドになれるみたいな気持ちで、どうにか頑張ろうみたいな思ってたんだけど、ちょっともたなくて。
山川さんはその後、個人として半年ほど無期休業に入りました。
高木さんは、属人的なエネルギーで動くオーダーメイドの事業が量的に回らなくなったのか、プレッシャーなのか、何がブレーキになったのかを尋ねます。山川さんは、そもそも大きくしていけるモデルではなかったと答えます。
事業の性質
人手がかかるのに、売上はそれほど立たないモデル
過剰な働き方
若いメンバーが短い期間、オーバーワークで支えた
山川さんの疲れ
山川さん自身が疲れてしまう
組織の減速
山川さんの疲れがメンバーにも広がり、「このままでいいのか」という迷いも含めて減速した
山川さんは、私が疲れちゃったことによってみんなも疲れちゃったと語り、会社が「ちょっと減速しちゃったのかな」と振り返っています。
「あれを超える何をやるの?」人生で一番の迷走期
クレイジーウェディングを卒業した後、山川さんは新しい会場Iwaiをつくります。ただし高木さんは、Iwaiにはすぐ行かず、その前にさまざまな模索があったと指摘します。
高木さんによれば、この時期の山川さんは、山川咲という個人のブランドを生かしたLINEを作ったり、アウトレットで結婚式をするモデルを考えたりしていました。高木さんは、ちょうど結婚する時期だったため、そのモデルになってほしいと頼まれ、断ったというエピソードを明かします。
暗中模索だったのかと聞かれ、山川さんは人の目に翻弄される性質が昔から強かったと話します。人の目が気になるからこそ頑張れた面は確実にある一方で、クレイジーウェディングを辞めた後は大きなプレッシャーを感じていました。
クレイジーウェディングやめて、で、どうすんの私?みたいな。あれを超える何やるの?みたいなプレッシャーが自分自身にはかかって。自分でね、勝手にかかってて。
なんかあれよりすごいことやんなきゃみたいなので結構焦ってたと思う。
高木さんは、新しい事業プランを相談されたとき、かなり迷っていると感じたそうです。山川さんは、高木さんに出会って以降、人生のあらゆる局面で相談してきたものの、あの時が一番「大丈夫?」という反応だったと振り返ります。
さすがに迷走しすぎではみたいな。
それでも高木さんは、どんどん動いていくのが山川咲さんらしさだとしつつ、山川さんが苦しんでいることはすごく感じていたと話します。
子どもが生まれて自分も生まれ変わった。それでも晴れ切らない霧
高木さんは、迷っていた状態が今も続いているのか、どこかで霧が晴れたのかを尋ねます。山川さんは、常に霧は晴れたり曇ったりしているのが正直なところだと答えます。
山川さんにとっての大きな区切りは出産でした。体重が10〜20キロ増え、切迫早産で1か月ほど入院し、すべてのものが止まったといいます。出産前には旅にも出ていたそうです。
クレイジーウェディングを超えることをしなければと焦り、迷走していた
子どもが生まれて自分も生まれ変わったと感じ、ゼロからやっていこうという気持ちでIwaiをつくった
なんか本当に生まれ変わった、彼女が生まれて、子供が生まれて、自分自身も生まれ変わったみたいな気持ちで、またゼロからやっていこうみたいな感じで子供産んでからなってたし。
ただし山川さんは、その後も霧は晴れ切っていないと語ります。クレイジーウェディングのように、自分が100%をかけて「これだ」と思えるものは、あれ以降はないそうです。
高木さんが、クレイジーウェディングに恋をしていたというか夢中だったのでは、と言うと、山川さんは「それもあって、クレイジーやめたりとかもしたのかなと思います」と応じます。
高木さんは、当時なら話を聞けなかったと語ります。神山まるごと高専やSANUに取り組む今の山川さんは違うフェーズに来ていると客観的に感じ、今ならポジティブに話を聞けると思ったそうです。
高木さんは、「霧が晴れる」という言い方が適切ではないかもしれないとしたうえで、すべてを捧げて夢中になる状態より、母親でもある今の山川さんは、自分の立ち位置ややることを少し落ち着いて見ているのではないかと話します。対話は後編へ続きます。
まとめ
前編では、山川咲さんがクレイジーウェディングを「世界を変えたい」という強い確信と、業界やSNSの追い風の中で急成長させた熱狂の時期と、『情熱大陸』出演のピークを境にメンタルダウンし、迷走し、出産を経て再出発するまでが語られました。高木晋平さんが「上昇気流」と呼ぶ熱の正体は、後編へ引き継がれる問いになっています。
- クレイジーウェディングは、フォーマットありきではなく人生ありきのオーダーメイド結婚式で、広告なしでも月50〜100件の問い合わせを集めた
- 原動力は「世界を変えたい」という確信で、山川さんはメンバーもそれを心から信じていたと振り返る
- テレビ出演後に期待値の違う客層が増え、属人的で拡大しにくいモデルの疲れが表面化した
- 「あれを超えなければ」という焦りが迷走を生み、出産を機に「生まれ変わった」気持ちで再出発した
- 山川さんにとって、今もクレイジーウェディングほど全力を注げるものは見つかっておらず、霧は晴れたり曇ったりしている





