なぜ観光ではなく「遊び」だったのか
高木さんはまず、人材コンサルティングをしながらアソビューというサービスを始めた決め手を山野さんに尋ねます。
山野さんによると、起業した2011年はクールジャパン ── 日本の文化や産業の魅力を海外に発信し、外貨獲得や経済成長につなげようとする政府主導の取り組み。2010年前後から盛んに使われた言葉ですが叫ばれていた時代でした。観光、ポップカルチャー、建築、伝統工芸、食といった分野が成長産業として挙げられていたといいます。
山野さんは、日本の内需が縮小するなら外貨を稼ぐビジネスが伸びると考え、その中で自分が一番興味を持てる分野を探しました。ポップカルチャーや伝統工芸はよくわからなかった一方、バックパッカーの経験もあった観光は好きだったそうです。
観光という切り口で調べるうちに、山野さんの関心は、車やテレビのスペックではなく感情やつながりを生む「余暇」へと広がっていきます。休日に寝てしまうと罪悪感があるけれど、面白いことができればもっと充実するはずだという実感から、「遊び」に行き着きました。
(遊びの)領域さえ決まればビジネスモデルは結構すぐに決まって。これって結局、今ある既存のビジネスの掛け合わせじゃないですか。
山野さんがヒントにしたのは、リクルート時代に携わった、情報の非対称性を解消するマッチングの仕組み(リボンモデル)でした。面白い遊びはたくさんあるのにネット化されていない一方、遊びを知りたい人はネットで情報を得られないという非対称性があり、マッチングが成立すると考えたといいます。
成長産業を探す
内需縮小の中で外貨を稼げる分野として、クールジャパンの観光に注目
余暇への広がり
スペックではなく、感情やつながりを生む時間に関心が向く
遊びに決める
休日を充実させたいという自身の実感から領域を決定
モデルの掛け合わせ
リクルート時代のマッチングの仕組みを遊びの領域に置き換える
掲載先を営業で集める必要があったため、山野さんは攻める領域を慎重に選びました。予約のハードルも単価も高そうなアウトドアアクティビティ、つまりラフティングやパラグライダー、キャニオニング、スキューバダイビングなどから始めたそうです。
最初の営業はすべて山野さん自身が足を運びました。人材コンサル時代の「バッキバキのスーツ」で事業者を訪ね、27歳で起業したリクルート出身だと名乗っても、「帰れよ」と言われるところからのスタートだったといいます。
10年近く芽が出ず、2019年に確信した理由
高木さんは、すぐには儲からなさそうな領域に張れたことを「純粋にすごい」と評します。山野さん自身も、ここまで儲からないとは思っていなかったと振り返ります。
10年ぐらい、(事業の)芽が出るのか出ないのかよくわかんなくて、一生懸命やってたって感覚なんですよ。
収録時点でアソビューは創業12年、もうすぐ13期目です。最近は銀行のイノベーションアワードで表彰されるなど注目されていますが、山野さんは、長いあいだ見向きもされていなかったと語ります。
少しずつ伸びてはいたものの、山野さんが「これはいける」と確信したのは創業9年目にあたる2019年ごろでした。マーケットプレイスやプラットフォームの事業は、アセットを育てると雪だるま式に大きくなる性質があるといいます。
掲載していただいているパートナーの方って単年でやめるわけじゃなくて、ずっと続くんですよ。このアセットが雪だるま式に伸びていくっていうことが、こんなにもすごいことなんだって理解できたのが9年目ぐらいです。
アソビューでは利用者を「ゲスト」と呼んでいます。ゲストのリピートが積み重なり、パートナーの掲載も続くため、同じ「2倍成長」でも元になる金額が大きくなるほどインパクトが変わってくる、というのが山野さんの実感です。
短期で結果が出ない事業を続けられたのはなぜか
高木さんは、連続起業家なら長い時間軸も受け止められるかもしれないが、最初の起業でそれを我慢し続けられたのはなぜかと問いかけます。
山野さんが挙げた理由の一つは、サービスができる前後に関わってくれたパートナーとゲストの実体験です。サイトもない段階で「結果は3年ぐらいで少し出るかどうか」と伝えたうえで中長期の付き合いを頼むと、「山野信じるよ」「結果とかいいからやるよ」と応じてくれた事業者がいたといいます。
山野さんによれば、そうした事業者は共感性が高く素敵な人たちである一方、ビジネスのリテラシーは高くありませんでした。PLを見せてほしいと頼むと「PLって何?」と返されることもあったそうです。
こういう素敵な人たちのビジネスを支えたいっていうのを結構本気で思ったんですよ。
ゲスト側にも印象的な出来事がありました。サポートデスクも自ら担当していた山野さんのもとに、伊豆のスキューバダイビングを2人で予約したいという問い合わせが届きます。
用途を聞くと、彼女と付き合った記念日に面白いことをしたいという相談でした。埼玉在住と聞いた山野さんは、長瀞のラフティングを提案します。その男性は予約し、後日「めちゃめちゃ楽しかった」とわざわざメールをくれたといいます。
こういう原体験が、これはやり遂げてやろうって思えたっていう原動力になった。
高木さんはこの話を、「隣の芝生よりも、ちゃんと見る相手がいた」ということだと受け止めています。
缶コーヒーと一升瓶、「義理人情」の営業術
山野さんは、人とのつながりを大切にする自分を「令和っぽくない言葉ですけど、義理人情」と表現します。その価値観の源として挙げたのが、学生時代に関わったフリーペーパーでの経験でした。
フリーペーパーの営業で山野さんが一番学んだのは、お客さんのいない営業中の店に、こちらの都合で営業へ行くときに何が必要かという問いでした。その答えは、挨拶ではなく「缶コーヒー」だったといいます。
(営業中のお店で)話聞いてほしいんだったら、休憩を彩れと。
いや今忙しいと思うんすけど、ちょっと一服しませんかって言って、缶コーヒー持って。そしたら、しょうがねえなってなるじゃん。これよって言われて。
気合いを入れて商売をしている地域の人たちから、山野さんは「筋」の通し方を教わったと振り返ります。公立校の部活で、先輩の水筒を作ったり靴を磨いたりした上下関係の厳しさも、その感覚を鍛えたのかもしれないと話しています。
アソビューの立ち上げで活きたのは、フリーペーパー時代に学んだ地域の人との信頼関係の築き方でした。初めて口頭でOKをもらったラフティング会社に持って行ったのは、一升瓶だったそうです。
(帰れと言われて)このままじゃ帰れないと思って酒屋で一升瓶買って。これ一緒に飲んでへべれけになった時に信用できたら、僕と一緒にやってくれますか?って言ったら、めっちゃ面白いなって言われて。
コロナ禍で売上ゼロ、10億円の調達が白紙に
2019年に手応えをつかんだアソビューを、翌2020年にコロナ禍が襲います。3月の全国一斉休校で売上が半減し、4月の緊急事態宣言からは売上がほぼ0になりました。
山野さんが一番きつかったと話すのは、先がまったく見えなかったことです。今振り返れば緊急事態宣言の本丸は4月と5月で終わりましたが、当時はマーケットが壊滅し、それがどこまで続くのか誰にもわからなかったといいます。
2019年の実績からベンチャーキャピタルの出資の話は多く、評価も高かったため、アソビューは資金調達を前提に動いていました。ところが4月中にまとまるはずだった調達は、同時並行で進めていたすべての会社で白紙撤回になります。
で、その額10億。で、これが着金しないと、我々の余命6ヶ月みたいな状況だった。
当時の社員は150人でした。山野さんは、この状態で顔面蒼白になったのが2020年4月だったと振り返ります。
論理で決められないとき、感情に従った2つの決断
高木さんに、そのときどう考えたのかと問われた山野さんは、いくつかのシナリオがあったと語ります。最悪のシナリオは、会社を諦めて倒産を待つことでした。
もう一つは縮小して余命を延ばす道です。山野さんによると、IT企業の最大のコストは人件費なので、人をすべて解雇すれば数年単位で生き延びられる計算も成り立ちます。
| 選択肢 | 中身 | 山野さんの判断 |
|---|---|---|
| 諦める | 倒産を待つ | 最悪のシナリオとして存在 |
| 縮小する | 人件費を削って余命を延ばす | 人件費をコストとしてカットしないと決める |
| 続ける | 事業と雇用をともに維持する | こちらを選択 |
最初はパニック状態だったという山野さんが決めたのは、サービスを続けることと、人件費をコストとみなして人を切らないことの2つでした。この判断について山野さんは、論理では正解がわからなかったと説明します。
中長期の動向がわからない時点でマーケットの回復とかが見えないので、論理は立てられないって思ったんですよ。
決めなければアクションが生まれない。そこで山野さんは、論理で決められないなら感情に従うと腹を決めます。
自分の感情に向き合った山野さんの頭に浮かんだのは、パートナーの熱い思いや、喜んでくれたゲストの顔でした。Twitterでエゴサーチをすると、緊急事態宣言中もアソビューで楽しい行き先を見つけて過ごしたという投稿が何件もあったといいます。
人を切らない判断についても、山野さんは理屈より感情を優先しました。コスト構造で見れば人件費でも、一緒に飯を食い、笑い合ってきた仲間だという思いがあったそうです。
やり方は後から考える、真っ暗闇で光を照らす
山野さんは2つの方針を、まず役員陣に伝えました。反対意見は出なかったそうです。役員陣は山野さんを「ビッグベイビー」だと思っており、山野さんが言い出したなら仕方ないという諦め半分で、方針の実現に力を注いでくれるチームだといいます。
社内に向けて山野さんは、キャッシュがいつなくなるかは伝えず、「サービスは続ける、雇用も維持するから安心してください」と明確に伝えました。そのうえで、方法については正直に未定だったと笑います。
括弧、やり方はこれから考えます。
2月からリモートワークに移行していた社員たちは、売上が半減し、0になったことをなんとなく把握していました。それでも4月の早い段階で方針が示されたことで、「うちの会社は大丈夫なんだ」と受け止めたようで、その時期に辞めた人は1人もいなかったそうです。
やっぱり真っ暗闇で光を照らすっていうのがリーダーの仕事だと思うので、それは一つ意識したし、できたかなと思いますね。
人件費をかけずに雇用を守る「とんち」とは?
事業も雇用も続けると決めても、仕事のない状態で人件費を払い続けることはできません。山野さんは、そうした制約のある目標を設定すると「一休さんみたいに頓知が生まれる」と話します。
ガードレールがあると、この枠の中でのいいアイデアが生まれるんだなって自分で痛感したんですけど。
山野さんが編み出したのが在籍出向 ── 元の会社に籍を置いたまま、別の会社で働く仕組み。コロナ禍では、需要が落ち込んだ業界から人手が必要な業界へ人材を送る雇用維持策として広がりましたでした。コロナ禍で追い風を受けている会社に社員を出向させることで、アソビューは人件費を負担せずに雇用を維持できます。
制約を置く
事業を続け、雇用も維持するという2つの条件を同時に満たす
追い風の会社を探す
コロナ禍でも需要が伸びている会社に目を向ける
社員を出向させる
社員は籍を残したまま出向先で働き、成長できる
人件費を抑える
アソビューは人件費を払わずに雇用を維持できる
出向したのは結果的に20人ちょっとでした。山野さんは、半数以上が出向する可能性もあったものの、想定より早く6月に緊急事態宣言が明けたため、その人数で収まったと説明しています。
「この人の人生、きっとよくできてる」と語れるデータ
高木さんは、山野さんの話から事業者への目線の強さを感じたと伝えます。山野さんの答えは、パートナーとゲストのどちらも大切だというものでした。
山野さんによると、今のフェーズでは、レジャー施設というパートナーからの「商品の仕入れ」が事業のレバレッジポイントになっているのは事実です。一方で山野さんは、月に1回ゲストインタビューも行い、ゲストの暮らしをどう充実させるかを見ているといいます。
3か月に1回のキックオフには、ゲストを招くこともあります。京都の作刀体験を受けた中学生の息子さんの人生が変わったと喜ぶお母さんを招き、社員が涙したこともあったそうです。
山野さんは、利用データからゲストの暮らしを思い描く例も紹介します。東京在住の65歳の女性は、3年間で約60万円をアソビューで使っており、ひとりのときは温浴施設、2人のときはお孫さんと、少し遠出のときは65歳以上のアクティブシニアの友人5人組で出かけていたといいます。
(データを)みんなでニヤニヤしながら、「この人の人生、俺たちきっとよくできてるよね」みたいな。
マーケティングチームとは、手法論ではなく、血の通ったお客様を思い描きながら、その人の暮らしをもう一段充実させる方法を話し合っているそうです。山野さんは、フリーペーパーの頃から顧客起点を大事にしてきたと語ります。
想像力の文化はどう根づかせるのか
高木さんは、缶コーヒーの話のような想像力は、言われてすぐ身につくものではないと指摘します。そのうえで、組織としてどう身につけているのかを尋ねました。
山野さんの答えは、共通体験を通じて褒め合うことでした。お客さんが残ってくれた、喜んでくれたという成功体験を積み上げ、語れるストーリーを作り続けることが企業文化になると話します。
何がよいかという主観をどう共有するのかと問われると、山野さんは、一長一短あると認めつつ「現場にめっちゃ入る」と答えます。手法は専門性の高い仲間に任せ、「これがいい」という基準だけは現場で高らかに言い続けているそうです。
山野さんが基準を示す場面は、ゲストへのヒアリング、マーケティングチームとのデータの確認、レジャー施設への訪問、人事戦略まで多岐にわたります。たとえば社員のモチベーションスコアでは、成長実感と貢献実感のスコアだけは譲れないと伝えているといいます。
今できないのはちょっと目瞑ろっかみたいなことの基準は自分で決めている。で、手法論はごめんけどまとめといてっていう。
ただし、山野さんの基準が絶対というわけではありません。経営チームが「いつもの思考からすると、もうちょっと上の観点ありません?」と問い返し、山野さんが「ごめん、今の取り消す」と応じる場面もよくあるそうです。
ミッキー兼ウォルト、主観をチームで磨くには?
高木さんは、何がよいかという判断はセンスに近く、客観的には決められないと考えています。そのうえで、トップが基準を決めるとボトムアップの主体性が下がるのではないか、専門家が加わったときにも自分を信じられるのか、という2つの懸念を示しました。
専門家についての問いに対して山野さんは、自分より顧客への価値基準が高い人がいれば、その領域を譲ると答えます。たとえばギフト事業は、新卒入社の事業責任者が山野さん以上にお客様の利用シーンに寄り添っているため、ほぼ口を出していないといいます。
主体性については、山野さんは自分も完璧ではないからこそ、意見を言える空気を大切にしていると話します。役員が突っ込むように、メンバーから「違うんじゃない」と言われたときにもきちんと聞く姿勢を意識しているそうです。
ツッコミが僕の主観性を向上させてくれるっていう状態をチームが理解してくれてるっていうのはあると思いますね。
入社したばかりのメンバーには、社長としての山野さんしか見えていないかもしれません。それでも、会議で経営チームが明るく「それってどうなんすか?」と言い、山野さんが「確かにそうだね」と応じる姿を見せることで、基準はその場で更新できるものだと組織に伝わっていると山野さんは考えています。
山野さんはこの関係をディズニーにたとえます。表に立つミッキーの裏には、必ずウォルトがいるはずだという考え方です。
メンバーの価値基準に押し上げられ、トップとして表で発信しパフォーマンスする
裏側で経営の意思決定を担う
だから僕はウォルトもやるし、ミッキーもやるんですよ。
自信が揺らぐとき、何を譲り何を譲らない?
高木さんは、意思決定の基準に自信がなくなることはないのかと尋ねます。山野さんは「ありますよ」と即答し、それは専門性がないときだと答えました。
山野さんが譲らないのは、対象となる顧客にどんな価値を届けるかという基準ぐらいです。手法論については、わからないのでいつも譲っているといいます。
高木さんは、手法論に口を出したくないと思いながら、理想を語るうちに手法の話をしてしまうことがよくあると打ち明けます。手法はわからないまま理想だけで会話を終えるのは、勇気がいるとも話しました。
山野さんは、実は自分も手法を口にしていると明かします。大事なのは、「こういう手法もある」と言い返してもらえる心理的安全性 ── チームの中で、反対意見や間違いを口にしても非難されないと感じられる状態のこと。組織の学習や成果を高める要素として注目されていますと関係性を作れるかどうかだそうです。
その手法をあたかも自分が開発したかのように語る僕をずっと見てきてるから、そこの信頼感はあると思います。
現場を仕切るプレイングの経営チームから教わった手法を、山野さんがすぐに取り入れて語る。そうした繰り返しが、チームの信頼につながっていると山野さんは話しています。
娘の「パパすっごい楽しいね」が使命に変わった日
高木さんは最後に、山野さんがミッションを確信したのはどこだったのかを尋ねます。山野さんは、離婚して子どもと思うように会えていないことを明かしたうえで、ある日の出来事を語りました。
離婚後も土日は山野さんが子どもを担当し、asobiで週末の遊び場所を探して出かけていたそうです。2019年の夏、都内のプールで子どもと流れるプールに流されていたとき、娘さんが「パパすっごい楽しいね」と何度も言い、山野さん自身もすごく楽しかったといいます。
これだなって思ったんですよ。
山野さんはそれまで、当時の妻との関係や仕事の役割分担の中で「土日は子どもの担当」と考えていました。けれど、その考え方自体がロジックだったと気づいたといいます。
土日の子どもとの時間を「担当」や役割分担というロジックで捉えていた
子どもと遊ぶ時間そのものが豊かな価値だと心の底から感じ、事業を本気で推進する原動力になった
面倒を見るのではなく「めっちゃくちゃ幸せやん」と思える時間を、自分が少しでも広げられるなら絶対に価値がある。山野さんは、この確信が自分を突き動かす一番の原体験だと語ります。
高木さんは、この話で「なぜ遊びでなければいけないのか」が一番腹に落ちたと応じました。山野さんは、そうした瞬間が増えれば幸福度が上がり、遊びで人は優しくなれるとも話しています。
収録の終わりに高木さんは、意味や意義は自分で育てるものだと山野さんから教わった気がすると振り返ります。人の顔が浮かぶことや、遊びの社会的意義を見いだしたことが、長い時間をかけた事業の成長やコロナ禍を乗り越える力になっていると受け止めていました。
まとめ
山野智久さんの歩みでは、市場分析から選んだ「遊び」という領域が、パートナーやゲストとの関係、そして娘さんとの時間を通じて、揺るがない使命へと育っていきました。コロナ禍の危機でも、論理で答えが出ないときは感情に従い、事業と雇用を守るという制約のなかで在籍出向という解決策を見いだしています。
- 「遊び」は、クールジャパンの観光から余暇へと関心を広げ、リクルート時代のマッチングの仕組みと掛け合わせて生まれた事業だった
- 10年近く芽が出なかった時期を支えたのは、信じてくれたパートナーと喜んでくれたゲストの原体験だった
- コロナ禍で10億円の調達が白紙になっても、感情に従って事業継続と雇用維持を決め、在籍出向という「とんち」で乗り切った
- 基準は現場で示しつつ手法は譲り、ツッコミで主観を磨けるチームがアソビューの文化を支えている
- 娘さんの「パパすっごい楽しいね」が、遊びの価値を確信する一番の原体験になった



