3.11の経験はなぜ「事業」へ向かわせたのか
春山慶彦さんは、3.11と原発事故に出会ったことで、写真表現では甘いと考えるようになりました。事業で社会にインパクトを出さなければダメだ、と思うようになったといいます。
高木新平さんは、社会を変えて同じ過ちを繰り返さないようにしたかったのかと尋ねます。春山さんの答えは、誰かを変えたいというほどの思いではなく、原発事故の経験を「なかったことにはできない」という感覚でした。
まさか僕が自分が生きている時間にああいう経験するとは思ってなかったんですよ。だから今もむちゃくちゃショックなんですね。
春山さんがショックを受けているのは、1945年に2度原爆を落とされた日本で、66年後に今度は自分たちが作った仕組みで被爆し、故郷を離れざるを得なかった人がいるという事実です。春山さんは、多くの人が平気で暮らしているけれど、いまも現在進行形ですごい経験をしているのだと語ります。
次の世代に言えないんであれば、むちゃくちゃ恥ずかしいな自分の人生って思って。
つらい経験をしたうえで、こういう仕事をしたと子どもや次の世代に言えるかどうか。春山さんにとって、その問いが事業へ向かう動機になりました。
人間の力は「反転する力」
春山さんは、人間の力をマイナスをポジティブに変える「反転する力」だと考えています。その例として挙げるのが笑いです。
悲しいとかつらい経験を笑いに変えれるのって、僕、人間だけだと思ってるんですよ。
春山さんによれば、人間はそうやって乗り越え、進化し、生き延びて繁栄してきました。人間の力を信じるなら、原発事故というマイナスの経験を自分なりにプラスに変えて社会に届けたい。それが事業でインパクトを出すという決意の出発点だったと話されています。
経験
3.11と原発事故に生きている時間の中で出会う
問い
次の世代に「こういう仕事をした」と言えるか
信念
人間の力はマイナスをポジティブに変える反転の力
決意
写真表現ではなく事業で社会にインパクトを出す
高木さんは、3.11をきっかけに会社を1年で辞め、シェアハウスで出会ったヒッピーの友人と全国を巡ったニート時代を振り返ります。そこで出会った人たちは、紙の本へのこだわりのように、フォーマットやコミュニティにこだわる人も多かったといいます。
逆に10年蓄積していくと、その蓄積とやってきたHowとかガッチャンコしちゃって、なんか剥がせて考えづらい人って多いんじゃないかなと思うんですけど。
写真家の仕事とは「見る力を広げる」こと
春山さんがHowにこだわらずにいられた理由は、写真家を目指していた頃の経験にあります。当時、最高のグラフィック雑誌だと考えていたのが『風の旅人』で、この雑誌の編集長に受け止めてもらえる写真を撮れないと写真家として生きていけないと思っていたそうです。
春山さんは、アラスカで撮りためたクジラ漁やアザラシ漁の写真を編集長に送りました。掲載はされなかったものの縁ができ、帰国後に『風の旅人』で働いてもよいと声をかけられます。
『風の旅人』で働く前の春山さんは、写真家の仕事をカメラを持ってシャッターを押すことだと捉えていました。編集長と働くなかで、その定義が大きく変わります。
写真家の仕事っていうのは、人間の視覚芸術に携わる仕事、要は人間の見る力を広げるのが写真家の仕事なんで。
1枚の写真の横にどの写真を置けば世界観が立ち上がるかを考える編集も、写真の横に文章を書くことも写真家の仕事になります。その媒体は紙の雑誌でなくウェブでもよい、という考え方です。
カメラを持ってシャッターを押すこと
人間の見る力を広げること。編集や文章、ウェブも含まれる
春山さんは、見る力を広げると定義した瞬間にHowへのこだわりがなくなったと話します。高木さんはこれを「アンラーニング」と表現しました。
起業に一番大切なのは社会観と「人の心がわかる」こと
春山さんは、ビジネスも表現も、社会や世界がどう成り立っているかに根ざすものだと考えています。だからこそ、起業にとって一番重要なのは社会観や世界観だといいます。
さらに春山さんは、養老孟司 ── 解剖学者。『バカの壁』などの著書で知られ、自然や身体性を重視した発言を多く行っていますさんの「教養とは人の心がわかるということ」という定義を引きます。人の心がわかるとは思わないけれど、わかろうと努力することが大切だという立場です。
人の心をわかろうとしない人に、どれだけ表現が上手で、どれだけ技術があったとしても、いい表現やいい事業って作れないって思ったんですね。
春山さんは、仕事は小手先でやるものではなく、全身でぶつかればよく、知らないことは学べばいいだけだと気づいて、すごく軽くなったと振り返ります。
高木さんは、3.11後の5月にGPSとマップを重ねる発想が生まれたのも、Photoshopで写真とテキストのレイヤーを重ねるような「見る力の拡張」だったのではと問いかけます。春山さんはそれを「編集知」だったと答えます。
オフラインっていうデータを保存するってことができれば組み合わせができるって発想できたのは、多分編集経験があったからだと。
スマートフォンは電波を前提にしていたため、自然とITは組み合わせられないと多くの人が思っていました。オフラインでデータを保存するという発想が、その前提を超える鍵になったといいます。
冒険できる人と冒険できない人の違いは何か
春山さんは高木さんに、冒険できる人とできない人の違いは何かと問いかけます。高木さんは、わからない状況を楽しめるか、ワクワクできるか不安に思うかではないかと答えました。
春山さんはその精神も大事だとしつつ、自分なりに分かったことを語ります。
春山さんは、自分が優秀だから挑戦できたとは全く思っていないといいます。YAMAPの時は、父親が事業を理解してくれていたことが大きな支えになりました。
別にお前が失敗しようが成功しようが、いつでも帰ってこいって言ってくれる人がいれば、人間って挑戦できるんですよ。
両親でなくても、誰か1人が自分のやろうとしていることを理解してくれればよい、というのが春山さんの考えです。高木さんの「才能ではないということですね」という確認に、春山さんは「そこじゃないんですよ」と答えます。
日本でベンチャーが少ないのはなぜか
帰る場所があれば挑戦できるという視点から、春山さんは社会全体に目を向けます。社会として冒険できる環境を作っているのか、という問いです。
日本でなぜベンチャーが盛り上がってないか、遅れてるかっていうのをそこに尽きると思うんですよ。
春山さんは、日本では社会として失敗を許容しない状態になっていると指摘します。
高木さんも自身の起業を振り返ります。社会に疑問を感じながら迷っていた高木さんの背中を最後に押したのは妻でした。死にはしないのだから借金を抱えてもやってみなよ、その時は私が働く、と言ってくれたからこそ起業できたといいます。
春山さんは、チャレンジできている人の環境を見ると、やはり理解してくれる人がいると応じ、そこはかなり重要だと話しています。
これからのコミュニティは「選んで卒業できる」もの
高木さんは、3.11では宗教や地縁などのコミュニティが残っている地域ほど復興が早かったと言われていたことに触れます。血縁・地縁と会社という支えがともに弱まり、孤独になる人が増えているとして、趣味のコミュニティがインフラになるイメージについて春山さんに尋ねました。
春山さんはまず、昔の村が良かったとは思わないと前置きします。生きづらさがあったから、地方の人たちは東京に出てきたという歴史があるからです。
そのうえで春山さんは、今の時代のコミュニティの特徴を「複数に属せること」だと考えています。参照するのは、作家の平野啓一郎 ── 小説家。『マチネの終わりに』などで知られ、人は対人関係ごとに異なる複数の自分を持つという「分人主義」を提唱していますさんの分人主義です。
会社の時の自分と、家にいる時の自分と、自分が一人で山歩いてる時の自分っていうのは同じ自分だけど全然違うよねっていう、あれとセットで僕はコミュニティって選べるんじゃないかと思ってて。
春山さんによれば、子育てのコミュニティや、会社だけでは小さいので自分のキャリアに合うコミュニティなど、2つか3つに属するほうが生きやすいといいます。合わなくなったら辞める、卒業するということも、もっと自由にやればよいと話されています。
コミュニティを強くする「価値の見える化」
春山さんがコミュニティで大事だと考えるもう1つの点は、価値が見える化され、流通していることです。そうでないコミュニティは損得に、もっと言えばお金に負けてしまうといいます。
恩を感じて貢献する、恩送りとして困っている人を助ける、という動きも当然あります。ただ春山さんは、それだけではすごく脆弱だと考えています。
これまで価値やポイントシステムを作れたのは、国や行政、権威を担保にできるごく一部でした。春山さんは、テクノロジーやブロックチェーン ── 取引記録を分散して共有・管理する技術。暗号資産の基盤として知られ、独自のトークンやポイントの発行にも使われますによって、コミュニティごとに価値を作り、流通させ、交換できるようになったことを「すごいこと」だと語ります。
貢献したい気持ちに頼るため、損得やお金に負けやすく脆弱
コミュニティ独自のポイントを流通させ、共助の仕組みが回るとインフラになりうる
高木さんは、複数のコミュニティに属する感覚は若い世代には当然のものだと応じます。SNSごとに顔を変え、鍵アカウントやDiscordも使い分け、10ぐらいの分身を作っているはずだという見立てです。
そういう現代的なパラダイムをこうめちゃくちゃなんか登山とかそういう自然体験とかっていう、ある種変わらないものにこうインストールされてるのが、なんか稀有なバランス感覚なのかな。
自然の「住み分け」が教える豊かさとは
春山さんは、複数のコミュニティという考え方を自然の成り立ちにも重ねます。例に挙げるのは住み分け理論 ── 生物学者の今西錦司が唱えた考え方。似た生物は競争で排除し合うのではなく、生活の場を分けて共存しているとする説ですです。
ジャングル行ったら典型なんですけど、低いところで暮らしてるところ、高いところで暮らしてる生物、あれ競争してなくて住み分けをしてるんですよね。
1つのジャングルの中に複層の生物圏があることを、春山さんは自然のすごさであり器の大きさだと表現します。一方で都市化が進んだ人間社会では、学校に行けなくなると「不登校」というレッテルを貼られ、落伍者のように扱われることがあります。
春山さんは、生命観からいえばむしろそちらのほうが異常で、自分に合わない場所があればどんどん住みやすい場所へ移動すればよいと語ります。高木さんは「自然には必ずどこかに自分の居場所がある」と受け止めました。
春山さんにとっての豊かさは、ジャングルや日本の鎮守の森のように、多種多様な生物がいて石や土もある状態です。その対比として、Facebookを例に挙げます。
Facebookって豊かかっていうと全く豊かじゃないじゃないですか。もうあの日本でいう杉林のもう細い杉が立ってるみたいな感じで、一応森だけど、なんか豊かじゃないかもなみたいな。
パーパスを「地球とつながる喜び」に変えたきっかけは?
高木さんは、ヤマップが最近パーパスを変えた理由を尋ねます。春山さんによれば、きっかけはコロナでした。目指すことの中心は創業期から変わっていませんが、社会がこの10年、12年で変わったため、届けるための言葉は都度変えてきたといいます。
コロナ以前のパーパスとビジョンは「人と山をつなぐ」「山の遊びを未来につなぐ」でした。コロナを経て、春山さんは主語を人類にすべきだと考えるようになります。
同じ感染症が一気に広がったのは、人類が1つの地球に暮らしているからだと春山さんは捉えています。その後のウクライナの戦争や深刻化する気候危機も踏まえ、人間が勝手に引いた国境線ではなく、地球という単位で事業を考えたほうがよいと考えたそうです。
人と山をつなぐ、山の遊びを未来につなぐ
人類を主語に、地球を舞台にした「地球とつながる喜び」
ビジョンやパーパスってやっぱり一種の旗だと思うから、まだ高いかもしれないけど、見えるよねと。
春山さんは、「地球とつながる喜び」は現状から見ると山のだいぶ上のほうにあるものの、その旗に向かって歩いていこうという意味でパーパスを置き直したと説明しています。
顧客体験の核を「喜び」に置く理由
新しいパーパスを置いてから、ヤマップは事業がこの「喜び」につながっているかで見直すようになりました。プロダクトやサービスがユーザーの喜びにつながるか、登山をしていない人にも感動やワクワクを届けるコンテンツとして登山を伝えられているか、という問いです。
高木さんはこれを、顧客体験の一番のコアを喜びと定義することだとまとめます。春山さんは、環境の議論が理論先行で頭でっかちになりやすいことを不毛だと感じていると話します。
一つの風景、一つの地球、同じ場所に暮らしてるんだから、みんな仲良くする方がいいし、風景を少しでも良くして次の世代につなげていこうっていう、これ当たり前の話だと思っていて。
春山さんは、その当たり前ができない理由を、地球とつながる喜びを実感していないことに見ています。
高木さんが、春山さんの思想を丸ごと出すとヘビーになるのではと指摘すると、春山さんも小難しく聞こえると登山人口は広がらないと認めます。ポップにする必要について葛藤はないかと問われ、春山さんは「全くない」と答えました。
わかる人にだけわかるコンテンツを届けてたりすると、それはマニア向けになって、マニア化すると、その市場、あるいはそのアクティビティも閉じてシュリンクする。
いい研究者や事業家、小説家と同じく、誰にでも伝わる言葉で社会に届けることは避けて通れない。春山さんはそれを正々堂々やりたいと語ります。今までは登山者に向けてサービスを届けてきましたが、これからは登山者以外の社会や自然に興味のある人へ届ける「第2フェーズ」に来たといいます。
「登山」という言葉を作り直す試み
高木さんが登山者600万人の外側に向けた具体策を尋ねると、春山さんは「登山」という言葉自体がハードルになっていると答えます。新しい言葉を自分たちで作るべきではないかと、社内で2か月ほど前から議論を始めているそうです。
春山さんは、楽しみ方の幅が広いことこそ山の楽しさだと考えています。山で食べるカップラーメンは味がまったく違い、この対談も自然の中で火を見ながらなら違う会話になるはずだといいます。
教育でも友人関係でも考えごとでも、自然という場所にはむちゃくちゃ可能性がある、というのが春山さんの見方です。山で入るお風呂やサウナの気持ちよさ、ぐっすり眠れること、帰宅後に都市の見え方が変わる体験なども挙げられました。
高木さんは、子どもを連れて高尾山にはよく登るのに、「登山するか」と聞かれると、ガチではないので言えないと明かします。そこには境界線が引かれている感じがするといいます。
春山さんによれば、「登山」のイメージは世代でも違います。植村直己 ── 世界初の五大陸最高峰登頂などで知られる日本の冒険家。1984年に北米マッキンリー冬季単独登頂後に消息を絶ちましたさんの世代では冒険のイメージが強い一方、春山さんの世代ではもっと柔らかい印象のため、新しい言葉を作るほうが社会に届けやすいと考えています。
チームビルディングと自然の可能性
高木さんの会社では、合宿のたびに近くの山にみんなで登っているといいます。春山さんは、実はチームビルディングに一番よいのが登山や自然経験だと応じます。
場所としてお互いにこう助け合わないといけないっていう環境に身を置くから、おのずとなんていうか、前を向いてというか、ポジティブな関係性が作られやすいんですよね。
相手の強みや弱みがわかり、登り方にキャラクターも出ます。それでも、自然教育や自然研修を本格的に行っているところはまだ少ないと春山さんは見ています。
春山さんは、自然の可能性を「歩く」という行為とかけ算しながら社会に開いていけば、おのずと登山人口は増えるのではと語ります。高木さんが「無限ですね」と言うと、春山さんは可能性は無限だとしつつ、体力が続かないので何から順にやるかの選択が非常に重要だと付け加えました。
番組の最後に高木さんは、人間とは何かという視座、文化人類学や民俗学、アラスカやスペインでの経験がスマートフォンと重なり、3.11の年にYAMAPが生まれた流れを「コネクティング・ドッツ」だと振り返ります。登山を超えて人と自然の関係をどう取り戻していくのか、楽しみだと締めくくりました。
まとめ
後編では、3.11をなかったことにしないという思いから事業へ向かった春山さんの原点と、その延長にある冒険・コミュニティ・自然観が語られました。地球とつながる喜びというパーパスは、登山の外側へ山の可能性を開いていく次のフェーズの旗として掲げられています。
- 人間の力はマイナスをポジティブに変える「反転する力」であり、3.11の経験を事業で社会に届けることが春山さんの出発点です
- 写真家の仕事を「見る力を広げること」と定義し直したことで、Howへのこだわりから解き放たれました
- 冒険できるかどうかは才能ではなく、失敗しても帰れる場所や理解者があるかどうかで決まると春山さんは考えています
- これからのコミュニティは複数を選んで属し、合わなければ卒業できるもので、価値の見える化が強さを支えます
- ヤマップは「登山」という言葉も作り直しながら、登山者以外の社会へ山と自然の喜びを届けようとしています





