青森の田んぼ、3.11、Google。矢本さんをつくった3つの体験
株式会社10Xは、小売業向けのネットスーパー事業「Stailer」を手がけるスタートアップです。聞き手の高木晋平さん(ニューピッチCEO)は、創業者の矢本真丈さんがどんな思考や価値観でこの事業と会社のカルチャーをつくってきたのかに迫ります。
高木さんに人生のストーリーを問われた矢本さんは、10Xに至るまでの経緯として3つの要素を挙げます。1つ目は、青森県の田舎で高校卒業まで育ったことです。山ではなく田んぼが広がる平地で、本当に何もない場所だったといいます。
矢本さんは、その田舎を自分のアイデンティティや出自の根本に置いています。家族や地域の密な付き合いと、それがしがらみになって東京に出たくなる感覚まで、田舎出身者によくある要素は一通りそろっていたと振り返ります。
2つ目は、仙台の大学院に通っていたときに経験した東日本大震災です。地震が来た瞬間に「これは死ぬ」と感じる走馬灯のような体験をし、身の回りでも亡くなった方や環境が激変した友人がいたと語ります。
その体験から、矢本さんは死ぬことを自分ではコントロールできないと痛烈に思い知らされたといいます。明日に対する危機感が強く刻み込まれ、意思決定の一番根底にある価値観になっているそうです。
3つ目はテクノロジーとの出会いです。矢本さんは大学卒業後に大企業へ就職したものの、のらりくらりとした空気が合わず1年で退職し、東北の復興支援NPOであるRCFに移りました。そこで企業から資金を集めて仕事をするなかで、クライアントの1社がGoogleだったといいます。
震災当時の矢本さんは学生で、瓦礫除去のボランティアに行っても自分にできることはとても小さいと感じていました。一方でGoogleが旗を振ると多くの人が集まり、立ち入りできない福島県のエリアを車で撮影してストリートビューで世界中に発信できたことに、矢本さんは衝撃を受けます。
矢本さんたちは市区町村や復興庁との調整を担っていました。この経験から、明日死んでも後悔しない人のためになることを、テクノロジーを使ってやりたいと考え、そこから本当の意味でのキャリアが始まったと語っています。
矢本さんが挙げた体験を時系列に並べると、次のようになります。
避難所でつながったTwitter。テクノロジーは「居場所」か「方法論」か
高木さんも震災当時は東京にいて無力感を覚え、GoogleやTwitterの活用を見てテクノロジーのすごさを痛感したと話します。それを受けて矢本さんは、自身の避難所での体験を語ります。
震災で家に住めなくなった矢本さんは、近くの小学校の避難所に1週間ほど身を寄せました。電話もメールもつながらないなか、なぜかTwitterだけはつながったといいます。
矢本さんは、もう一度大きな地震が来たら死ぬかもしれないと考え、家族向けに「死ぬとしたらここにいる」とTwitterに書き込んだそうです。そうした場所があったことに救われ、テクノロジーのすごさを感じた原体験の一つになったと振り返っています。
高木さんはここで、上の世代のIT起業家との違いを指摘します。インターネットが好きで、リアル世界では表現できないものを表現できる居場所をつくりたいという発想の起業家は多いものの、矢本さんはテクノロジーを社会を動かす方法論として捉えているように見えるというのです。
矢本さん自身も、過去の回に出演した起業家の話を聞いて出自の違いを感じたといいます。親は公務員で、見渡しても職種は数えるほどしかない田舎では、社会との接点を感じにくく、どう社会に関わるかという大きな問いを持つこともなかったそうです。
ところが震災で、矢本さんは急に自分が社会に接続された感覚を持ちました。役に立ちたいのに方法論がまったくないと気づき、その後Googleとの仕事や避難所での体験を通じて、テクノロジーが社会にとって有用なものだと初めて気づいたといいます。
矢本さんにとって一番上にあるのは、誰かの問題、自分の問題、社会の問題を解決することです。テクノロジーは、それを今のやり方で実現するために順序立てて考えた結果として選ぶ手段だと語っています。
DXの「D」より「X」。表に出た事象ではなく構造を解く
高木さんは、今一番課題意識や使命感を持っている部分を矢本さんに尋ねます。矢本さんは、DXという言葉はあまり好きではなく使わないと前置きしたうえで、DX ── デジタルトランスフォーメーションの略。デジタル技術を活用して、業務や事業、組織のあり方そのものを変革する取り組みを指しますのDとXなら大事なのはXのほうだと答えます。
矢本さんの考えでは、いま起きている問題は現象にすぎません。何らかの構造があり、その中で回って表に出てきた事象だというのです。
そのため矢本さんは、表に出てきた事象を解くよりも、その構造を解いて、同じことが二度と起きないようにする、あるいはより良い状態にすることを一番の課題意識に置いています。
構造
問題を生み出す仕組みが背景にある
事象
構造の中で回って表に出てきた現象が「問題」に見える
構造を解く
事象ではなく構造を変え、同じことが起きないようにする
今の事業でいえば、10Xが接しているスーパーやドラッグストアは生活に欠かせないエッセンシャルな存在です。生鮮食品を買って料理することは健康やメンタル、家族を養うことにつながり、ドラッグストアは痛み止めやPCR検査キット、処方箋の調剤など市民の生活を支える窓口になっていると矢本さんは説明します。
コロナ禍では、オンラインで注文して受け取る環境がないために、店に行くのも怖く適切な買い物ができない状況が露わになりました。矢本さんは、なぜそれが起きるのかという構造を解きに行くことが事業の根本だと語ります。
食の領域を選んだ理由も、やはり3.11にさかのぼります。震災後の1週間、どこの店も開いておらずご飯が買えなかったといいます。東北のクライアント企業とも、次に同じことが起きても困らない環境をつくっておきたいとよく話すそうです。
矢本さんは、自分ごとと構造のゆがみが一致したときに関心が一気に向かい、止まらずに深掘りしてしまうと語ります。一番パワーを出せるのは自分ごとになったものだというのが、矢本さんの実感です。
「会社と家族以外に時間を使わない」CEOの役割はどう変わったか
高木さんは、矢本さんがかつて「会社と家族以外には時間を使わない」と話していたことを覚えていました。それも3.11で痛感したからだったといいます。矢本さんは、その方針は今も全然変わっていないと答えます。
高木さんによれば、以前の矢本さんはプロダクトマネージャーとしてプロダクトづくりにすべての時間を捧げていました。組織の人数が増えた今、役割の認識が変わったのかを尋ねます。
矢本さんは、Stailerにどんな機能をつくるべきかはもう自分が判断すべきことではないとして、権限委譲していると話します。一方で、プロダクトやプラットフォームがどの方向に進むべきかは自分が示さないと、機能の方向がばらばらになってしまうといいます。
組織についても、70人に同じミッションを一斉に渡すと頭がぶつかってしまうと矢本さんは考えています。適切な箱として組織を区切り、組織同士のやりとりの仕方を決めることで、メンバーが自律的に、理想から逆算して動けるようになるというのです。
そのため矢本さんの仕事は、組織を描く、制度をつくる、必要な風土をどう醸成するかを考えて発信する、といったものに変わってきているそうです。
こうした変化について、矢本さんは新しいことをやるのが好きで、ずっと同じことをしているとつまらなく感じるタイプだと話します。最初に入った商社が合わなかったのも、まず3年という新卒フェーズがあり飛び級もできない時間軸の長さが、震災直後の自分のマインドセットと合わなかったからだと振り返っています。
ビジョンを持たない会社、10Xのミッションとは
高木さんは、10XとStailerがそれぞれどんなミッションやビジョンを掲げているのかを尋ねます。矢本さんは、会社が10X、そこで手がけるプロダクトと事業がStailerだと整理します。
矢本さんによると、10Xという会社にはビジョンがなく、ミッションだけを掲げています。そのミッションは「10Xをつくる」こと、つまり非連続に10倍になり、長く使われるものをつくることです。
このミッションを噛み砕くと、3つの要素の交点として定義されています。矢本さんは、これをやり続ける器が10Xだと説明します。
一方でプロダクトであるStailerには、「お客様の買い物体験を10Xする」というビジョンがあります。矢本さんは、10Xという器の下に複数の事業をぶら下げていきたいと考えつつ、Stailerは閉じたビジョンをひたすら追求するほうがよいとして、このように仕分けているといいます。
なぜ会社名とプロダクト名を分けたのか
高木さんが関わり始めた当時、会社の名前はプロダクトと同じ株式会社タベリーでした。よくあるのは社名と事業ブランド名が別だとコミュニケーションの速度を考えて統一するパターンですが、矢本さんは逆に社名とプロダクト名を分けています。
その意思決定について、矢本さんは「自分たちはタベリーをやる会社をつくりたかったのか」と自問し、答えはノーだったと語ります。理由は大きく2つあったといいます。
1つ目の理由は、スタートアップの事業の不確実性です。うまくいくかどうかがわかるのはずっと後で、うまくいかない事業を社名やミッションに引きずられて続けるのは大きな機会損失だと矢本さんは考えています。
タベリーをつくり始めた時点で、矢本さんはタベリーと一緒に死ぬとは決めきれなかったといいます。いつでも適切な可能性に身を移せることが大事だというのが、社名を分けた1つ目の考えです。
2つ目の理由は、タベリーというアプリが抱える矛盾です。タベリーはレシピを推薦し、組み合わせると献立ができ、そこから買い物リストがつくられるアプリでした。
矢本さんは最初の資金調達の際から、買い物リストからワンクリックでネットスーパーに注文でき、ネットスーパーの利用率が大きく変わると説明していました。最初のピッチ資料を見返すとそう書いてあったそうで、当時から本当はネットスーパーをやりたかったのだと振り返ります。
当時アメリカではInstacart ── アメリカの食料品の買い物代行・配達サービス。ユーザーが注文した商品を、提携スーパーからスタッフが購入して届ける仕組みで知られていますが伸びていると耳にしていたものの、日本で足りないのは小売業がオンラインでちゃんと事業をできるようにすることだと、矢本さんは自分の中でわかっていたといいます。社名変更は、タベリーの事業を止めるよりかなり前に行われました。
冷蔵庫づくりから自前配達まで、Stailerにたどり着くまでの模索
社名を10Xに変えてからStailerにたどり着くまでの間にも、いくつかの試みがありました。高木さんが冷蔵庫の話に触れると、矢本さんはAI付きの冷蔵庫をつくりたいと言っていた時期があったと認めます。
ただ冷蔵庫の構想は、DMMの秋葉原のラボを訪ねて作り方を聞いたところで終わったそうです。ほかにも牛乳屋さんの冷蔵庫と冷凍庫を借りて野菜や牛乳を保管し、注文が入ったら自分たちで運ぶという、今でいうクイックコマース ── 注文から数十分程度で日用品や食品を届ける即時配達型のECサービスの総称の走りを2018〜2019年頃に試したといいます。
そうした模索の末に見つかったのがStailerでした。ただ矢本さんは、プロダクトが受け入れられているかは出して反響を見ないとわからないため、Stailerを始めてから4か月から半年ほどはタベリーも並行して運営していたと話します。
両者のトラフィックには歴然とした差がありました。矢本さんは「今の例ですけど」と断ったうえで、その差の大きさを次のように説明しています。
100人来ても、買い物をするのは1人ほど
100人来たら75人が買い物をし、翌月も60人が残る
もう1つの決め手は、Stailerを通じた小売事業者との対話でした。最初はイトーヨーカ堂と始め、その後全国の小売事業者と密に話すなかで、ネットスーパーのオペレーションにミスが多い、時間がかかる、紙やファックスで回しているといった問題の核心が見えてきたといいます。
そこからStailerは、ネットスーパーの利用者向けアプリにとどまらず、小売事業者が何もないところからネットスーパー事業を立ち上げ、お客様に価値を届けるところまでを一気に実現できるものへと広がっていきました。
なぜ10Xにそれができたのかと問われた矢本さんは、まず「気合ですかね」と答えます。そのうえで、多くの場合、SIerやスタートアップが小売の現場の生の問題に触れようとしても、そのドアは開いていないと説明します。
矢本さん自身も、事業を始めるまで小売事業者がどんなシステムを誰に頼んでいるのか、ネットスーパーの何に困っているのかを知りませんでした。ドアを開けてもらえたのは、エンドユーザーの問題に真摯に取り組み、成果を出せたからだと矢本さんは考えています。
ネットスーパーは店を奪わない。役割は「エンゲージメント」
高木さんは、スーパーがネットスーパー事業を立ち上げると業態がどう変わるのかを尋ねます。矢本さんは、スーパーからもよく聞かれる問いだと答えます。
矢本さんによれば、スーパーは地域のお客様にサービスし、「あのスーパーに行けば物がある」という安心を与える存在です。ネットスーパーはその役割をデジタル空間にも広げるもので、決して店を奪うものではないと説明しています。
その根拠はデータにもあるといいます。ネットスーパーを使うのは普段から店舗に来ていて、品ぞろえを知り、その店を信頼している人です。雨の日や子どもがいる、家から出たくない、郵便を受け取らなければならないなど理由はさまざまでも、利用者から見れば使っているのは同じ店だというのです。
そのため10Xは、デジタル化やネットスーパーの役割を「エンゲージメント」だと伝えています。矢本さんは、まずこの一歩目をやり切って土台を強くしなければ、その上に大したものは乗らないと話します。
矢本さんは、食には吉野家の創業者が考えた「早い、うまい、安い」という優れたフレームワークがあると語り、ネットスーパーに当てはめて説明します。
| 要素 | 矢本さんの解釈 | 具体例 |
|---|---|---|
| うまい | 良い商品が見つかる状態 | 新鮮な良い商品が多く並び、見つけやすい |
| 早い | 注文から受け取りまでの便利さ | 注文しやすさ、当日・翌日配達、30分単位や深夜の配達枠 |
| 安い | 低いオペレーションコスト | コストがお客様に転嫁されない |
矢本さんは、この3つを突き詰めることが10Xの買い物体験をつくるうえで大事であり、ネットスーパーが勝てる理由もそこにあると考えています。比較対象として挙げたのが、計画配達型の生協です。
矢本さんによると、生協は生協でしか買えないものをいくつか詰め、平均すると1500円ほどを週に1回買う使われ方が多いそうです。一方で10Xのクライアントのネットスーパーでは、6000〜7000円を週に2回頼むこともあるといいます。
計画配達で、平均1500円ほどを週1回。ストックする物が中心
平均6000〜7000円ほどを、多いと週2回。今晩や明日使う物も頼む
高木さんも、今晩や明日使う物は生協では頼まないと応じ、両者は実はかなり別物だという矢本さんの見方に同意しています。
タベリーで見えた「人は食の計画がストレス」という壁
生協の計画配達の話から、矢本さんはタベリーで得た気づきを語ります。それは、人は食を計画することに大きなストレスを感じるということでした。
矢本さんによると、食の計画には2つのストレスがあります。1つはそもそも計画を立てること自体の負担で、もう1つは食の意思決定を変えたくなる瞬間がとても多いことです。
たとえば明日の献立を決めていても、子どもの給食とかぶったから変える、夫が飲みに行くから作らなくてよくなる、といったことが起きます。高木さんが昼に食べ過ぎたから夜は軽めにしたいと続けると、矢本さんも昼に唐揚げを食べたからとんかつはやめてほしい、とたとえて笑います。
矢本さんは、こうした計画の変更はタベリーでは根本的に解けなかった問題だと認めます。献立をアプリで決めても、予定が変われば意味がなくなってしまうからです。
そこから買い物体験に立ち返ったとき、本当に便利なのは今すぐ欲しい物をすぐに、早く、手頃な値段で手に入れられることだと思い知らされたといいます。だからこそ、10Xがやるならネットスーパーのモデルのほうがよいと考えるに至ったと語っています。
番組は、ここで前編を締めくくり、続きは後編で語られます。
まとめ
前編では、矢本さんの価値観の根にある3.11の体験と、テクノロジーを社会課題を解く方法論として捉える姿勢、そしてタベリーでの気づきを経てStailerにたどり着くまでの道のりが語られました。表に出た事象ではなく構造を解くという考え方が、組織づくりや社名の決断、事業の選び方まで一貫しています。
- 震災で死をコントロールできないと痛感した危機感が、今も矢本さんの意思決定の根底にある
- テクノロジーは目的ではなく、問題の構造を解くための方法論として位置づけられている
- 10Xはビジョンを持たず、「本当の問題・技術・大きな市場」の交点を探すミッションの器として社名を分けた
- ネットスーパーの役割は店を奪うことではなく、既存の店とお客様のエンゲージメントを広げることだと説明されている
- 食の計画は変更が多くストレスが大きいという気づきが、タベリーからネットスーパーへの転換を後押しした





