120万人が使うプログラミング教育はどう生まれた?
「インサイドビジョン」は、価値観を仕事にする人をゲストに迎え、何者でもなかった頃から今に至る人生をひもとく番組です。今回のゲストは、2010年創業のライフイズテックで代表取締役CEOを務める水野雄介さんです。
高木さんは、教育は日本が一番アップデートしなければいけない分野なのに、なかなか変わらないと話します。そこをビジョンを持って変えようとしている水野さんの根っこにあるパッションは何か、というのがこの回の問いです。
水野さんによると、ライフイズテックは創業13年目の会社です。最初は中高生が夏休みなどに集まり、大学と連携してiPhoneアプリなどを作るキャンプやスクールから始まり、大学生が教える形をとっていました。
リアルのキャンプやスクールには累計で5〜6万人ほどが参加し、水野さんは世界で2番目ぐらいの規模だと説明しています。その後、経済格差で参加できない子も地元で学べるよう、資金調達をしてオンライン教材を作りました。
学校でプログラミングが必修化されたものの、教えられる先生がいないという問題があります。ライフイズテックはそのためのソフトウェアを提供し、現在は約120万人に使われているといいます。
水野さん自身ももともと教師をしていて、「本当に教育を変えたい」という思いから始めた会社だと語っています。
開成高校で見た「自立する生徒たち」
水野さんが教育に関わろうとちゃんと考えたのは大学院の頃です。ただ、高校時代から自分の学校を見て、自分ならもっといい先生になれると感じていたといいます。
水野さんが求めていたのは、数学しか教えられない先生ではなく、科目を通じて人生の話をしてくれる先生でした。高木さんも、生き様や経験を教えてくれる魅力的な先生はいると同意します。
水野さんは大学で教員免許を取り、理系の大学院に進みました。そのとき開成高校で物理の非常勤講師の募集があり、週2〜3回、午前中だけ働ける条件に応募して採用されます。
水野さんの出身は神奈川の浅野高校で、開成の卒業生ではありません。だからこそ、開成の生徒たちが驚くほど自立していることが強く印象に残ったようです。
たとえば開成には朝礼がほとんどなく、学校からの連絡はすべて掲示板に貼られます。生徒が自分で情報を集め、周りに共有する仕組みになっていたと水野さんは紹介しています。
有名な運動会では、高校3年生が中学1年生から高校2年生までのチームをまとめます。中1担当の高3生は、自分たちが負けるより中1が負けたときに悔しがって泣くこともあるそうです。
連絡は掲示板で生徒が自ら収集し、運動会では高3生が下級生をまとめて規律を学ぶ文化がある
朝礼などで学校から伝える形が中心で、学年をまたいだ関わりは少ない
高校1年生を教えるなかで、水野さんは「中高生のために人生を使うことには素晴らしい価値がある」と実感しました。そして自分の人生は中学生、高校生に使おうとその時に決めたといいます。
水野さんが作りたいと思ったのは、みんなが受験するから受験するのではなく、自分で考えて人生を決められる子が育つ学校です。前ならえではなく、はみ出してもいいから自分の人生を生きる子を育てたいと話しています。
なぜ先生になる前に3年だけ会社員に?
水野さんは先生になるつもりでしたが、社会のことを知らない先生にはなりたくないと考えていました。不動産や広告の仕事が何のためにあるのか、大学院生では答えられないからです。
そこで水野さんは、社会のことを教えられる先生になるために、期間を3年と決めてYキューブという会社に入ります。この目的は面接でも伝えていたそうです。
会社選びの基準は3つありました。3年しかいないので大企業ではなく成長している会社であること、いろいろな業種の人と話す仕事であること、中小企業の社長と仕事ができて成長できそうなことです。
実際に辞めたのは3年2か月後でした。理由は、欲しかった時計を分割で買ってしまい、6月のボーナス払いを終えないと払えなかったからだと、水野さんは笑いながら明かしています。
キッザニアから見えた創業の道筋
会社員生活2年半ほどで、水野さんは今後を考え始めます。当時はキッザニアが流行っていて、欲しい教育があるなら自分で作ったほうが教育を変えるには早いかもしれないと思ったのです。
ちょうどドラマ「龍馬伝」が放送されていたこともあり、ゼロから日本を変えようという気持ちで、仲間3人での創業を決めました。
最初の構想は、中高生版のキッザニアのような、コンテスト形式で職業を体験できる仕組みでした。企画書を作り、藤田さんの講演後の質疑応答の時間に見せに行ったこともあるそうですが、藤田さん本人は覚えていなかったといいます。
副代表は「宇宙兄弟」の謎解きなどを企画していて、ワークショップ作りが得意でした。新聞記者の記事広告を1時間以内に部長から取ってくるというワークショップを作り、早稲田の学生を集めて試したこともあります。
そこから水野さんは、ITに絞ってみても面白いかもしれないと思いつきます。2005〜2006年に先生をしていたころ、ITやゲームが好きな生徒が多かったことを思い出したからです。
水野さんは、人は好きなものでないと伸びないと考えています。100点ではなく1万点を取りにいくのが仕事だという感覚です。当時のITはオタクのものと見られ、誰にも褒められない状況だったため、好きなだけ伸ばせる環境を作ろうとしました。
水野さんはキッザニアの成功要因を、コンテンツの良さ以上に「メキシコで成功していたこと」だと分析します。海外での実績があったから大企業が乗ってきたのではないか、という見立てです。
ベンチャーが日本でゼロから始めてもうまくいかないと考えた水野さんは、タイムマシン経営 ── 海外で先に成功したビジネスモデルを、まだ普及していない国に持ち込んで展開する手法。ソフトバンクの孫正義さんが提唱したことで知られていますのように、海外で成功しているものを探しました。
シリコンバレーのキャンプとの出会い
水野さんが「IT教育 シリコンバレー」と検索すると、スタンフォードで開かれているキャンプが見つかりました。面白いと感じ、まず現地を見に行くことにします。
高木さんは、水野さんは頭がいいのにとてもシンプルだと評し、キッザニアの成功要因の分析はかなり怪しいと突っ込みます。水野さんも全然違うかもしれないと認めつつ、そう断定して動いたと話しています。
一方で高木さんは、日本は海外でうまくいっているものが好きだとも指摘します。水野さんも、そこから始めるほうが成功確率は高いと考えたと応じています。
キャンプとのつながりは、Facebookでの投稿がきっかけでした。現地で子どもをキャンプに通わせている母親が、日本の人にどうかと投稿していて、水野さんが連絡すると「そういう人を探していた」と言われ、渡米することになります。
当時はiPhone3が出て、Facebookが広がり始めた時期です。教育側や一般の人は「プログラミング教育は必要なのか」という反応で、IT企業はエンジニア採用に力を入れ始めた段階でした。
水野さんには、日本でも必ず来るという確信がありました。アメリカで流行ったIT関連のものは2年半後、遅くても5年後ぐらいに日本で流行ることが多く、スタンフォードのキャンプには年間1万人以上が参加していたからです。
もう一つの根拠は、ゲームを作りたいという子どもが当時から多かったことです。課題は、オタクが汚い会議室でやるものというイメージを変え、どう大衆化するかだったと水野さんは振り返ります。
水野さん自身は、大学院の理工学部で少し触れた程度で、プログラミングはほとんどできないといいます。カリキュラムは周りに聞きながら作ったそうです。
最初の夏、売上120万円からのスタート
当初はアメリカのキャンプのフランチャイズを考えていましたが、英語ができず契約がうまくいきませんでした。そこで水野さんたちは、日本で自分たちで作ることにします。
最初の夏休みは、7人ほどの回を5週間続け、40人が参加しました。参加費は1人3万円ほどで、最初の売上は約120万円でした。
粗利率は4割ほどで、利益は50〜60万円ほど。それを3人で分ける、ぎりぎり食べていける状態だったといいます。それでもワールドビジネスサテライトの取材が入り、ホームページが落ちるほどの反響がありました。
スタートアップ的な資金調達はしておらず、先輩から300万円、いろいろな人から10万円ずつほど借りて、3年で返す約束で創業資金にしました。ただ、そのうち約150万円はアメリカ視察で使ってしまったそうです。
ライフイズテックという名前はどこから来た?
創業時の社名はライフイズテックではなく、「ピスチャー」でした。ピースとピクチャーを合わせた言葉で、個性が伸びるピースが集まって絵になる、チームだからできることがあるという意味を込めています。
ライフイズテックは、もともとキャンプのサービス名でした。高木さんは、順当に考えるなら「テック・イズ・ライフ」になりそうだと疑問を投げかけます。
水野さんの答えは、意外な連想ゲームでした。サービス名の候補にあった「TechDays」からドラマ「ビューティフルデイズ」を思い出し、さらに好きな映画「ライフ・イズ・ビューティフル」へとつながったのです。
TechDays
サービス名の候補の一つとして挙がった
ビューティフルデイズ
「Days」から水野さんが思い出したドラマ
ライフ・イズ・ビューティフル
水野さんが好きな映画
ライフイズテック
映画名をもとにしたサービス名
高木さんは「Life is」の後には形容詞が来るはずなのに無視していると突っ込みつつ、響きはいいと認めます。水野さんも、やりたいのはテックを教えることではなくライフを作ることなので、結果的に自分たちに合った名前になったと話しています。
サイバーエージェントの出資とニッチ戦略
スタートアップとして動き出したのは、創業から3年ほど経った頃です。最初の出資者はサイバーエージェントでした。
きっかけは、雑誌「経済界」の金の卵グランプリでの優勝です。小さな会場で、1〜2メートル先に藤田さん、熊谷さん、前澤さん、夏野さんらが並ぶなか、創業2年目の水野さんはプレゼンをしました。
優勝後すぐに藤田さんからTwitterで連絡があり、ソヤマさんという人物を紹介されます。一緒に取り組むなかで出資の話をもらいましたが、水野さんは出資がよくわからず、しばらく断っていたそうです。
実際の資金調達は2014年で、シリーズA ── スタートアップが事業を本格的に伸ばす段階で行う、最初の大きな資金調達ラウンドを指す言葉ですとして約3億円を調達しました。この時点の事業は、ほぼキャンプだけだったといいます。
当時、キャンプは小学生向けにはたくさん出てきていましたが、中高生向けは意外と少なかったと水野さんは説明します。理由は、中高生向けのカリキュラムのほうが難しく、参入障壁が高いからです。
カリキュラムが簡単で参入障壁が低く、競合が多く出てきた
カリキュラムが難しく、大学と組んだライフイズテックには競合が少なかった
学校向けソフトウェアでも、多くの企業が5教科のオンライン化に取り組むなか、「情報」の分野にはあまり参入がありませんでした。水野さんは、これを絞った領域で独占的な立場を取りにいくニッチ戦略だったと表現します。
水野さんは、強みとブランドを生かしてリソースを集中し、小さくてもいいから独占的に勝つ状態を作ることがビジネスで重要だと考えています。ピーター・ティール ── PayPalの共同創業者として知られる投資家。著書『ゼロ・トゥ・ワン』で、競争を避けて独占を築く重要性を説いていますの考え方に近いと話しています。
こうしたビジネスの原則は、ほとんど本から学んだそうです。ソニーやピーター・ティールの本を読み、ポイントを自分なりに考えて実行してきたといいます。ただし、たまたまの部分も大きく、失敗もたくさんしてきたと付け加えています。
「ビジョン野郎」の役割とは?後編への問い
前編の最後に、高木さんは水野さんを「ビジョン野郎」と呼び、創業者CEOの役割について質問します。高木さん自身も起業し、今は優秀な人たちに囲まれているなかで、自分の役割を考えているところだといいます。
高木さんは、水野さんが以前「俺はもうビジョンだけだからな」と話していたことを挙げ、その考えを聞こうとします。その答えは後編に続きます。
まとめ
水野雄介さんの原点には、開成高校で自立した生徒たちに出会い、中高生のために人生を使うと決めた経験がありました。社会を知るための3年間を経て、キッザニアやシリコンバレーのキャンプを手がかりに創業し、中高生向けプログラミング教育というニッチな領域で独自の立場を築いてきました。
- 開成高校で非常勤講師をした経験から、自分で考えて人生を決められる子を育てたいと考えるようになった
- 社会を教えられる先生になるため、期間を3年と決めて会社員として働いた
- 海外で成功しているものを持ち込む発想で、スタンフォードのキャンプにたどり着いた
- 最初の夏は40人、売上約120万円から始まり、2014年に約3億円を調達した
- 参入障壁の高い中高生向けと情報分野に集中し、小さくても独占的に勝つ戦略をとった





