「自分」は固定的に存在しないのか?
後編の冒頭で、井上慎平さんは「アイデンティティというか、自分というもの自体はない」というのが今のところの仮の結論だと語ります。井上さんは西洋哲学に馴染めず、関係性に焦点を当てる東洋思想などの考え方にも当たってきたといいます。
高木慎平さんが「分人的なことですか」と尋ねると、井上さんは平野啓一郎 ── 日本の小説家。著書『私とは何か』などで、人は対人関係ごとに異なる複数の「分人」を持つという「分人主義」を提唱していますさんの分人主義を「すごく実用的」と評価します。そのうえで、井上さん自身はもう少し考えきりたいのだと話しています。
(『分人』の本は)自分個人っていうものに苦しんでる人はぜひ読んでほしいし、使ってほしいんだけど、僕はやっぱもうちょっと考えきりたくて。
井上さんが今たどり着いている感覚は、「自分は器である」というものです。器の中にはいろいろな成分が入っていて、高木さんと話しているときには、高木さんの成分が井上さんの中に入ってきているといいます。
僕は器なんですよ。で、いろんな成分っていうものが入ってできてて、高木さん成分が僕と話してる時、僕の中にもうちょっと入ってきてるんですよね。
井上さんがこの感覚を得たきっかけは、トラブルが起きたときに、以前より不安定になる自分を見たことでした。その器はガチガチではなく、透過膜のように人が自由に出入りする緩いものだといいます。
この人が入ってきて欲しくないのに、自分という器の中に少し入ってきてしまう。
で、それをコントロールできない双極性障害の自分がしんどいみたいなことをすごく感じたんですよね。
井上さんによれば、固定された自分は存在せず、唯一あるのは「出来事」です。たとえば2010年代に高木さんと井上さんが出会い、ある会話を交わしたという過去の事実はたしかにあります。
その出来事の連続をどう紐付け、どういう物語として認知して生きていくか。それが、高木さんが前編で投げかけた「何者か」の正体だろう、というのが井上さんの見立てです。
出来事
固定した自分はなく、誰かと会い会話した過去の事実だけがある
紐付け
出来事の連続をどうつなぐかを選ぶ
物語
紐付けた結果として、自分の人生を物語として認知する
何者か
その物語が「何者か」という自己像になる
「努力イコール成功」の物語はなぜ人を折るのか
高木さんは、井上さんの経験は身近だからこそリアリティを持って聞けるものの、バリバリ働いている人にとっては「自分には関係ない話」と感じられるのではないかと問いかけます。井上さんは即座に「俺が一番そう思ってたからね」と応じました。
高木さんは続けて、自分にも起こりうるそうした出来事と、どう付き合えばいいのかを尋ねます。介護や死にも近いものがあるかもしれない、という問題意識です。
井上さんはまず、起業家の話を聞いて「自分ももっとこんなことができたら」と思うこと自体は否定したくないと前置きします。そのうえで注意点として挙げたのが、物語の危険性でした。
僕は過去、本作りだけできる職人から編集長になって、数字も見れて、事業も作れてみたいな、強い優秀なリーダーみたいなものを目指して、
それができなくなったっていう時に、僕の物語と現実の整合性が取れなくなって折れたんですよね。
本作りの職人から、数字も事業も見られる強いリーダーへという物語を目指していた
それができなくなり、物語と現実の整合性が取れなくなって折れた
井上さんが特に危ないと考えるのは、「めちゃくちゃ努力したから成功した」というシンプルな物語です。努力イコール成功の物語でしか世界を見られなくなると、周りの人も「怠けているから成功しないのだ」としか見えなくなるといいます。
成功はどこまで偶然でできているのか?
井上さんは、未来は漠然と輝いて見えるものの、実際には偶然に引き起こされている部分が大きいと語ります。初期値がわずかにずれるだけで結果が大きく変わる複雑系 ── 多数の要素が相互に影響し合い、全体の振る舞いを単純な因果関係で予測しにくいシステムのこと。気象や生態系、経済などが代表例ですのように、世の中は成り立っているという見方です。
井上さん自身の実績も偶然の連なりだといいます。高木さんとたまたま出会い、北野唯我北野裕雅さんという著者を紹介され、ベストセラーを出せたこと。佐々木紀彦さんに声をかけてもらったことも含め、あらゆることが偶然だったと話します。
出会い
高木さんとたまたま会う
紹介
高木さんから著者の北野さんを紹介してもらう
結果
ベストセラーを出すという結果につながる
井上さんによれば、成功している起業家も実は偶然性を生きています。それでも一本の物語として語るときには、必然だったかのように語ってしまうといいます。
人間って物語でしか世の中を理解できないぐらい脳みその力が大したことない人間なんですよ。
AIのように無限の処理能力があれば複雑なことを複雑なまま理解できますが、人間は「母親にこう育てられたからこうだ」といった単純化した因果でしか物語を作れません。一度作った物語のまなざしを自分に向け、現実と整合性が取れなくなったときに人は折れてしまう、と井上さんは説明します。
ただし井上さんは、物語を一概に否定はしません。物語は時に起業家の常識外れのエネルギーを生み、井上さん自身もNewsPicksPublishing創刊のときにそうだったからです。そのうえで「危ないもんではある」と付け加えています。
具体的な人間関係が「自分」を形づくる
高木さんは、物語が共有されるために分かりやすさを増していくと、具体が削られ、固有のものより普遍的で大きなものになっていくと指摘します。そこで高木さんがすすめたのが、具体的な関係を大事にすることでした。
高木さんが例に挙げたのは、ある本屋を作っている人のインタビューです。その人は、デザインも選書も全部自分の友達だけでやっていて、それがキャリアであり、だからこそここにしかない本屋になると語っていたそうです。
高木さん自身も、毎年誕生日会を開いてきた中で感覚が変わったといいます。最初は自分が場を作って盛り上げる感覚だったのが、途中から「この人たちのおかげで今の人生がある」と気づき、その人たちにどう返せるかを考えるようになったと話しています。
自分が場を作って盛り上げる感覚だった
この人たちに今の人生を作られていると気づき、どう返すかを考えるようになった
高木さんは、自分の本の1冊目は井上さんと出したいと今も考えています。何者でもないころに出会い、北野さんの本が出るプロセスや、井上さんが編集長になる過程、そして今回の出来事まで知っているからこそ出せるものがあると考えているからです。
別に何か他の初めましてであった人ともできるとは思うけど、それだと逆に言うとどこでもできちゃうっていう。
高木さんにとっては、富山での仕事、共同経営者の村上さん、年単位で付き合うスタートアップの人たち、ワンキャリア、そして妻や子どもとの関係も、代えがたいよりどころだといいます。
自分っていうものが、この人間関係、誰々との関係によって作られていって生きてるんだなみたいな。ここに、これは自分だけやなっていう、なんか自信になるというか。
「生成する時間」とは何か?
井上さんは高木さんの話を「まさに具体的現実」と受け止めます。働いていても数字一辺倒の悲壮な労働観ばかりではなく、「あいつの椅子のほうが柔らかくてずるい」といった、しょうもないけれど固有のやり取りが普通にあるといいます。
井上さんは、そうした一つひとつを替えのきかないものとして大事にしていくことにしか、答えはないのではないかと話します。
ここで井上さんは、哲学者の内山節 ── 日本の哲学者。群馬県上野村と東京を往復しながら、自然や労働、時間、共同体をテーマに思索を続けてきました内山さんさんの「生成する時間と分配する時間」という考え方を紹介します。
誰もが24時間を分配されていると考え、いかに効率的に使うかの競争に追い立てられる
時間は誰も持っておらず、固定されない個人同士が出会い関係を持つことで初めて生まれる
ただ単純に、さっきの自我が固定されてない個人としての誰かと誰かが会って、何か関係を持つ。ここに初めて時間が生成するんであるっていう。
井上さんは、高木さんと自分の間には長く生成してきた時間が蓄積しているからこそ、高木さんがさきほどのような話をしてくれたのだろうと語っています。
すぐに役に立たない学びは何を残すのか?
何者かになろうとしてつまずいた人に伝えるとすれば、と井上さんは語り始めます。ポジショントークも入ると断ったうえで、固有の世界で消えていかないものの1つが具体的な現実で、もう1つが「すぐに役に立たないことを学ぶ」ことだといいます。
井上さんがこの日問いかけてきた考えも、オリジナルというより、内山さんのような哲学者や、西洋哲学と東洋思想の比較など、悩みに対して誰かが考えてきたことのベースから来ていると説明します。
(著者との対話から)僕の中にずしっと心に残ってるものから、今こうやって一部を出して高木さんと対話してるっていう感じがあるんですよね。
それはね、あんまり年を取っても減っていかない。むしろ年を経て、複雑な問題にぶち当たった時に、ここはもう俺の価値観次第やぞっていう時に、答えのベースになる。
井上さんはさらに、何に自分が縛られているかを自覚することが大事な時代になると話します。悲観ではなく、村社会や農業の時代にも縛られるものはあり、現代の人もまた別の何かに縛られているという見方です。
何に縛られているかっていうことが結構異質なので、そこをちゃんと言葉にして理解しないと、物語の危うい側面みたいな形で囚われてしまって、僕みたいになっちゃうのは気をつけてねっていう。
人は「自由に縛られる」のか?
高木さんは、村社会と都市は真逆で、都市ではむしろ「自由に縛られている」のではないかと応じます。井上さんは「まさにまさに」と強く同意しました。
高木さんは、固有なものや制約は船の錨のようなもので、それがないと風船のように飛んでいってしまうと表現します。外から見れば空を飛んでいるようでも、本人は全くコントロールできていない「糸の切れた凧」になってしまうという比喩です。
高木さんはここで『選択の科学 ── コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の著書。選択肢の多さが必ずしも満足につながらないことなどを、研究をもとに論じています』という本を思い出します。高木さんの記憶では、許嫁がいた著者が、自由恋愛だとさらなる可能性を探し続けてしまうため、許嫁と結婚するほうが幸せや納得感につながるという話をしていたそうです。
井上さんは、それはまさにマッチングアプリで起きていることだと指摘します。相手も自分も、常に交換可能性という自由を見ている状態です。
「親父が医者になれと言うから」のような無理やり感があり、自分ではあまり考えなくてよかった
あらゆる職業を選べる中で「どれになりたいの?」と問われ、複雑すぎて選べなくなる
井上さんによれば、人の脳は複雑な選択肢を想像できるほど丈夫にできていないため、エーリッヒ・フロム ── ドイツ出身の社会心理学者。著書『自由からの逃走』で、自由を得た近代人が孤独や不安から権威に従属しようとする心理を分析しましたの言う「自由からの逃走」のようなことが起きてしまいます。それが次の10年の課題であり、AIが選択を解決してくれるサービスも必ず出てくるだろうと話しています。
なぜ「続けること」は価値が上がり、難しくなるのか?
高木さんは、どんどん次に行ける時代だからこそ、変わらないものや続けるものの価値が上がる一方で、それをやるハードルはめちゃくちゃ高くなると語ります。井上さんが「続けることの価値をもう少し聞きたい」と促し、高木さんが説明を続けました。
高木さんは、マーク・ザッカーバーグ ── Facebook(現Meta)の創業者・CEO。「完璧よりも、まず終わらせろ(Done is better than perfect)」は同社の標語としても知られていますの「完璧よりまず終わらせろ」を引きつつ、70〜80点までは早く到達できると話します。しかしそこから先は、1点上げるごとに同じだけ時間がかかるようになるといいます。
多くの人は、馬鹿らしくなって新しい場所で70点を取るほうが楽しいと感じるかもしれません。けれど高木さんは、それでは差がつかず、時間をかけて100点を目指した人が結局強いと考えています。
井上さんは、自由な選択肢が押し寄せるたびに、それを「選ばない」という意思決定の重みも引き受けなければならないと補足します。今いる場所に居続けることは、他を選ばない選択をし続けることであり、それが結構きつくなってくるという指摘です。
高木さんはなぜ「30年」という制約を決めたのか?
高木さんは、自分も会社でいろいろやっているので偉そうなことは言えないとしつつ、UPCを30年やると決めていると明かします。来年で10年を迎え、結婚も30年は、という考えです。
高木さんは「千日万日」という言葉を挙げ、万日の境地のようなものがある気がすると語ります。全く成長しなければ続けるのもつらいので、化粧品に命を賭けるタイプではない自分でも楽しめる組織や事業を作る必要があると話しています。
(30年続けるという)制約をしないと、本当に糸が切れた凧みたいな感じになってどこへでも行っちゃうし。
高木さんは、会社も1年で辞めたほどで、放っておくと永遠に旅しているようになってしまうといいます。高城剛さんほど旅を続けられればいいが、それはみんなにとってつらいだろうと話し、積み上がるものを作るために30年という設定を置いたと説明します。
高木さんにとって、年を取ってもなくならないものこそが資産です。井上さんは「その自分を知っているからこそ作ったんですね」と応じました。
最適化の時代に、何を自覚すべきか?
井上さんは、自分に制約をかけることはすごく大事だと強く同意します。Spotifyが音楽を選んでくれるような小さな最適化から始まり、やがて人生の大きな選択を最適化するAIも出てくると見ています。
井上さんは、最適化から逃れなくてもいいとしたうえで、何に最適化しようとしているかに自覚的であることが、縛られていることの自覚と同じだと説明します。AIが得意な「現時点のベスト」を常に追うと、左へ右へと振り回されることになるといいます。
高木さんは直感的にそれを感じて、あえて未来を固定しているのだろう、と井上さんは見ます。他に最適解が現れても選ばないと決めることは、そこにしかたどり着けない境地があると信じる人にしかできないといいます。
井上さんはこれを、NewsPicksPublishingの課題感と重ねます。同レーベルのミッションは「大人に新しい問いを」で、直近3年ほどで「学びの欲求を耕す」ことに取り組みたいと話しています。人とは何か、社会とは何か、世界とは何かといった、すぐ役に立たない学びです。
ただ、この種の学びは学んでみないと面白さがわからないという難しさがあります。高木さんも「学びの価値は後からわかる」と応じました。
「信じて飛び込む」時間はなぜ必要なのか?
井上さんは内田樹 ── 日本の思想家・武道家で神戸女学院大学名誉教授。教育論や師弟関係についての著作が多く知られていますさんの話を紹介します。小学生に「この授業は何の意味があるのか」と聞かれても、何を学ぶか分かっているならそれは学ばなくていいことであり、わからないけれど身を投じることが学びの本質だという考えです。
師匠あなたについていきますって言ったら、3年後、5年後、何かが見えてくると、今の時点では何も見えないけども、信じて飛び込むみたいな。
井上さんは、学びにも経営の「とりあえず30年やる」にも同じ時間的な難しさがあり、そこに何かあると信じて生きることが現代では難しいと語ります。
高木さんは地方を見てきた経験から、面白い場所を作っている人たちは25〜30年かかっていると話します。高木さんは、多くの人の考えはガラッと変わらず、新しい価値観を持った人が社会の半数を超えたときに社会の認識が変わると考えています。
だからこそ時間が大事なのだ、と高木さんは締めくくります。まだ話したいことはたくさんあるとしながらも、次のミーティングの都合で対談はここで終わり、二人は「面白かった」と言い合って後編を閉じました。
まとめ
後編では、固定した「自分」は存在せず、出来事を紐付けた物語が「何者か」をつくるという井上さんの自己観から出発し、物語に囚われる危うさ、具体的な関係、そして自由の時代にあえて続けることの価値へと話が広がりました。何者かを目指すこと自体を否定せず、自分が何に縛られ、何に最適化しようとしているかを自覚することが鍵として語られています。
- 井上さんは、努力イコール成功のような単純な物語が現実とずれたときに人は折れると、自身の鬱病の経験から語った
- 成功の多くは偶然の連なりであり、人間は物語でしか世界を理解できないという限界を知ることが第一歩だとされた
- 高木さんは、替えのきかない具体的な人間関係こそが自分をつくり、よりどころになると話した
- 選択肢が増える時代は「自由に縛られる」時代であり、何に最適化しているかへの自覚が必要だと井上さんは指摘した
- 高木さんはUPCを30年続けるという制約を自らに課し、時間をかけた先にしかない境地や社会の変化を信じている


