課題は文化側ではなく産業側にある?
佐々木紀彦さんはまず、お茶以外の分野にも、文化と経済を統合できている事業や人がいるのかと岩本涼さんに尋ねました。
岩本さんの答えは「ほとんど見たことがない」というものでした。文化の運営側にいる人が自ら事業を始める例は、ほぼ無いといいます。岩本さん自身も運営側の人間を名乗るわけではなく、早くからそこにコネクションと経験があっただけだと話しています。
数少ない例として、岩本さんは正司の純さんの事業を挙げました。もともとは茶巾 ── 茶碗を拭くための麻の布。茶道具の中では消耗品にあたり、点前のたびに使われる道具です屋から始まった会社だといいます。
岩本さんによると、茶道具は主な道具と、裏方の水屋道具に分けられます。茶巾は水屋道具に入るうえに消耗品なので、茶道具の世界での地位はとても低いそうです。茶巾屋は、文化の本当に中心にいるとは言えない立場だったことになります。
佐々木さんはこの話を受けて、文化のど真ん中にいなかったからこそイノベーションを起こす必要があり、変われたのだろうと述べました。佐々木さんは、大仏商法 ── 大仏などの名所があるため、努力しなくても客が来ることに頼る商売のやり方を指す言葉。もとは奈良の商売を評した表現とされますの中心にいて守られすぎていれば、変わる必要はないとも話しています。岩本さんもこの見方に同意しました。
では、問題は文化側が商業に興味を持たないことなのか。佐々木さんのこの問いに、岩本さんは少し違う見方を示しました。
岩本さんによると、お家元はそもそも商業をする存在ではなく、文化を継続させる存在です。お家元が商業をしていても悪く受け取られるわけではないものの、良いこととして評価されるわけでもないといいます。
そのうえで岩本さんは、課題は産業側にあると考えています。産業側が文化を知らないことが問題だという見方です。
岩本さんが例に挙げたのは松下幸之助さんで、茶室を15個も寄贈しているといいます。かつての財界人は文化に価値を感じ、再循環を起こすことで、文化資本 ── 教養や美的感覚、芸術への理解など、お金には直接見えないが価値を生む文化的な蓄積を指す社会学の概念が最終的に経済価値として返ってくると信じて投資を続けていた、と岩本さんは説明します。今は、その経済側の仕組みや体制が良くないと岩本さんは見ています。
文化を継続させる存在で、商業はもともと役割ではない。商業をしても悪く受け取られはしないが、良い評価にもならない
文化を知らないことが課題。かつての財界人のように、文化資本を信じて投資する仕組みや体制が弱くなっている
この比較が示すように、岩本さんは文化側に商業意識を求めるのではなく、経済の側が文化への投資の仕方を変えるべきだと考えています。
茶室を「思想の稽古場」にする試み
佐々木さんは、企業が文化を支えてきた例として、サントリー美術館、ポーラ美術館、森ビルの美術館、ベネッセの福武財団による直島を挙げました。そのうえで、お茶や日本文化がこうした投資の対象になっていないのが問題なのかと尋ねます。佐々木さんは、文化の価値を理解する経済人は多いと感じつつも、確かに循環はできていないとも話しています。
岩本さんはこの問いに、TeaRoomが手がける稽古場の話で答えました。清澄白河の茶室で開く「思想の稽古場」で、起業家や実業家、アーティスト、モデルなどがよく参加しているといいます。価格は高めの稽古場だそうです。
思想の稽古場では、日本的な考え方とは何か、和の美とは何かといった概念に問いを立て、参加者と一緒に考えていきます。
岩本さんがこの稽古場で感じているのは、問題は投資対象が茶道具かどうかではないということです。明治期以降のお茶は作法やマナーとして広まり、その表層的な価値だけが社会に伝わっていると岩本さんは指摘します。社会の側が文化の見方を変えれば再循環を起こせるのではないか、というのが岩本さんの考えです。
佐々木さんはここで、かつて『WIRED』日本版の編集長だった若林さんの記事を紹介しました。マーケットを拡張するのは常に文化のほうだ、という内容です。
佐々木さんの説明では、たとえば夜に踊るといった新しい楽しみ方を文化が示すと、価値観が広がり、そこにマーケットが生まれます。ビジネスは、そのマーケットで経済の循環を起こしているにすぎないという見方で、岩本さんも強く同意していました。
文化
新しい楽しみ方を示す(例: 夜に踊る)
価値観の拡張
人々の価値観が広がる
マーケット
広がった価値観から市場が生まれる
ビジネス
市場で経済の循環を起こす
ただ佐々木さんは、文化がマーケットを作ってからビジネスになるまでには時差があるとも指摘しました。直島は30年ほどかかっているし、地域のビジネスも30年ほどかけて形になっていく印象があるといいます。今の資本主義では7年や10年で結果を求められるため難しい、という佐々木さんの言葉に、岩本さんも「サイクルには合っていない」と応じています。
日本の精神性は「向き合う」と「調和」
佐々木さんは、日本の持つ思想性を一番わかりやすく言うと何なのかと岩本さんに尋ねました。
岩本さんの答えは、日本の精神性は「構造的に向き合うことができる」点にある、というものでした。抽象的な言葉だと断りつつ、岩本さんは、道の精神性として、調和などと並んで「向き合う」が大切だと説明します。
岩本さんによると、茶道や華道などの文化には、内省、対話、見立てといった言葉がよく出てきます。岩本さんは、これらの違いは「どの対象と向き合うか」の違いだと整理しました。
| 向き合う対象 | 使われる言葉 | 岩本さんの説明 |
|---|---|---|
| 自己 | 内省 | 自分自身と向き合う |
| 他者 | 対話 | 相手とコミュニケーションをとる |
| 不特定多数 | 茶会 | 多くの人と場を共にする |
| もの | 見立て | ものと向き合い、別の意味を読み取る |
岩本さんが面白いと考えているのは、茶道や華道で自己と向き合った結果が、お茶やお花というアウトプットになり、それを通して人々がコミュニケーションをとる点です。自己と向き合うことが、そのまま他者との対話にもなっているわけです。そうした向き合いを構造的に促す習慣や型が日本全国にあることも、岩本さんは興味深いと話しています。
佐々木さんが、言葉だけでなくものを通じて自己認識したり場と向き合ったりする感性が日本の特徴なのかと問うと、岩本さんは「向き合う」と「調和」の2つで表現できるかもしれないと答えました。
岩本さんの言う調和とは、向き合った結果として本質的な価値を見極め、それを日本流に取り込むことです。岩本さんは、この流れを日本の特徴の1つに挙げています。
岩本さんはその例として、利休の師匠とされる村田珠光 ── 室町時代の茶人で、簡素な美を重んじる「わび茶」の祖とされる人物。千利休へとつながる茶の湯の流れを開いた一人ですが残した「和漢の境を紛らわす」という言葉を紹介しました。当時は中国から来た唐物が国宝になるほどの価値を持っていた時代で、村田珠光は和と漢の境をなくすように新しい道具を作ると言い、そこから日本の茶の湯の歴史が始まったといいます。
評価する
世界から来たものを適切に評価する
取り込む
そこから何を取り込めるかを考える
再解釈する
自分たちなりにもう一度解釈する
世界に出す
美意識を持った作品として世界に出していく
佐々木さんはこの説明に納得し、日本文化は富士山以外に実はオリジナルがない、という話を持ち出しました。漢字も仏教も刺身も天ぷらも、海外から入ってきたものを解釈し直してきたという見方です。岩本さんもカレーやラーメン、餃子を挙げ、佐々木さんは車も同じだと続けました。佐々木さんは、こうした力が凝縮され、もう一度経験できる場が茶室なのだろうとまとめています。
四里四方の財で、外から来た人をもてなす
岩本さんは、日本人の再解釈の力を四里四方 ── 自分の住む場所から四方に四里(約16キロ)以内の範囲を指す言葉。その範囲でとれたものを食べると体に良い、という考え方とも結びついていますという言葉で説明しました。昔の日本人は農耕民族で、生涯を半径16キロほどの範囲で終えると言われていたといいます。
一方で、島国の日本にはブラジルやポルトガルなどから宣教師や様々な人が訪れていた、と岩本さんは話します。移動手段のない人々は、16キロの範囲の中で外から来る人を迎えなければなりませんでした。
岩本さんが挙げたのが、もどき料理の例です。肉を食べる宣教師が来ると知ったとき、人々は肉をプロテインだと捉え、自分たちの四里四方にあるプロテインである大豆で肉を見立てて作った、という説明です。岩本さんは、これは今でいう代替肉だと話しています。
岩本さんによれば、今あるアセットを使って相手をどうもてなすか、相手のニーズに自分たちが提供できる財をどう届けるかを、各地域が一生懸命考えてきました。外から来た人に満足してもらう工夫から、いろいろなものが生まれたといいます。
羊羹も同じ例だと岩本さんは説明します。中国では羊の脂を煮たもので、栄養源として扱われていましたが、当時の日本の栄養源は和三盆などの砂糖でした。そのため日本では砂糖を使った栄養源として作り直され、甘くなったといいます。羊羹という名前に「羊」の字が入っているのはその名残だそうです。
中国: 羊の脂を煮たもので、栄養源として扱われていた
日本: 当時の栄養源だった和三盆などの砂糖を使い、甘い栄養源として作り直された
岩本さんは、世界のものを日本のローカルの魅力で再解釈して自分たちなりの価値にし、それが相手のニーズも満たしている点を日本の面白さだと語ります。自分たちと向き合った結果、相手ともコミュニケーションがとれるという、前のセクションの「向き合う」精神性がここでもつながっています。
佐々木さんは、この力こそ今の日本の地域に一番必要なものかもしれないと述べました。地域は外にあって自分たちには無いものばかりを求めがちですが、本来持っていた再解釈の力を取り戻すことなのではないか、と佐々木さんは話しています。岩本さんもこの見方に同意していました。
まとめ
岩本涼さんは、文化と経済が循環しない課題を産業側に見ています。そして、日本文化の根底には「向き合う」と「調和」という精神性があり、外のものを自分たちの財で再解釈する力が地方の可能性につながると語りました。
- 岩本さんは、文化と経済の再循環を妨げる課題は文化側ではなく、文化を知らない産業側にあると考えている
- 明治期以降に作法やマナーとして伝わったお茶の表層的な見方を、社会の側が変えることが再循環の鍵になる
- 内省・対話・茶会・見立ては、自己・他者・不特定多数・ものという「向き合う対象」の違いとして整理できる
- もどき料理や羊羹のように、日本は外のものを自分たちの身近な財で再解釈し、相手をもてなしてきた
- 佐々木さんは、この再解釈の力こそ今の地域に一番必要な力かもしれないと述べている



