茶道家が率いる日本茶の会社とは?
ホストの高木晋平さんは、友人の飲み会で岩本涼さんと出会いました。お茶業界を知らなかった高木さんが質問を重ねると、岩本さんは歴史・文化の目線と経済の目線の両方から、高い解像度で業界の課題を語ったといいます。
高木さんが面白いと感じたのは、岩本さんが「文化人」と「起業家」という2つの立場を使い分けてアプローチしている点です。お茶は日常的に飲むものでありながら、茶会や茶室のように日本を代表する文化でもあり、その両極性にビジネスの可能性を見ているところに惹かれたと話しています。
岩本さんは普段、裏千家 ── 千利休の流れをくむ茶道の流派の一つ。国内外に支部を持ち、茶道人口の多い代表的な流派として知られていますの准教授として茶道家の活動をしながら、株式会社TeaRoomの代表を務めています。
TeaRoomの主な事業は、日本茶の製造・流通・輸出です。衰退して潰れていく茶工場を集約し、まとめて規模を出して輸出する事業と、コモディティ化して単価が下がり続ける日本茶を、文化の力で単価上昇させていく事業を同時に行っています。
具体的な取引先について、岩本さんはほとんど実績を外に出していないと話します。取引先を名乗ると、他のメーカーが価格を下げて営業に来てしまうためです。そのうえで、最大手のタピオカ店や大手のケーキ店などにお茶を供給しているのがメインの事業だと説明しています。
岩本さんによれば、日本茶業界では誰もが同じ抹茶ラテ用の茶を供給できる状態です。1981年に伊藤園が缶入りのウーロン茶を出してから約40年で、市場の7〜8割が清涼飲料の市場に置き換わったといいます。
茶葉(リーフ)を家庭で淹れ、家族の団らんで飲む。単価は今の4〜5倍
市場の7〜8割が清涼飲料に。水と同じような財になり、単価が下落
その結果、業界は「全員が同じものを大量に作る」構造に変わりました。岩本さんは、茶農家の平均年収が90万円と言われる状況で、工場も農家もどんどん潰れているのが現状だと語っています。
急須とお茶の間が消えて、お茶はどうなった?
高木さんが「それまではどういう業界だったのか」と尋ねると、岩本さんはかつての流通を説明します。茶葉を生産し、一定の単価でJAが買い取り、個人に新茶を届けたり、スーパーの棚に新茶が並んだりする市場だったといいます。
冠婚葬祭や引き出物で茶葉をもらうのも、もともとの日本茶の市場でした。当時の単価は今の4〜5倍で、高木さんの「今のコーヒーぐらいか」という問いに、岩本さんはスペシャルティコーヒーに近い単価だったと答えています。
単価が下がった背景として、岩本さんは都市化と食の多様化・西洋化を挙げます。どんな食事にも合う飲料が求められたうえ、常滑焼などの急須は、そもそも5人分くらいを淹れるための機能的な道具だったと指摘しています。
大家族で食卓を囲むなら急須は便利ですが、1人分を淹れると茶葉がお湯に浸かりすぎて苦くなってしまいます。高木さんが「お茶の間用だったんだね」と返すと、岩本さんは、団らんの暮らしが消えるとお茶の需要が下がるのだと応じました。
都市化・食の西洋化
どんな食事にも合う飲料が求められるようになる
大家族の団らんが減る
5人分を淹れる急須が機能しにくくなる
お茶の需要が低下
茶葉は水と同じような財に落ちていく
一方で、岩本さんはお茶の市場が最近は伸びてきているとも話します。ただしその多くは、シーシャ、サウナ、キャンプのような「休息」の市場に引っ張られた伸びだといいます。
岩本さんの見立てでは、日本ではもともと「サボり」と「休息」の区別がありませんでした。朝早く出社して夜遅くまで働き、加速し続けることを求めた日本経済では、機能的な飲み物としてコーヒーが普及し、お茶はミネラルウォーターと同じ市場に落ちたと語っています。
現在のTeaRoomの規模について、岩本さんは社員数30人弱と説明します。農業法人は4人ほどで、工場に紐づく形で約50名弱の生産者が組合を組成し、生産は組合が担い、製造機能だけを自社で持つ形です。
岩本さんは、日本の農業を「規制産業の最たるもの」と表現します。東京の若者が地方に移住してすぐに農業を始めることは原則できず、組合長らに説得してもらいながら農業委員会に認めてもらい、ようやく農業法人の資格を取得したといいます。
9歳で裏千家へ、スーパーで正拳突きをする少年
岩本さんとお茶との接点は、9歳で裏千家に入門したことです。きっかけは、テレビに映っていた着物姿の人を「かっこいい」と思ったことで、岩本さん自身は「本当に雑な理由」だったと振り返っています。
出身は千葉県の浦安です。裏千家には国際組織もあり、岩本さんが大学時代に留学したアメリカ・コロラド州のボルダーという小さな街にも支部があったそうです。
茶道より前、岩本さんは5歳から極真空手 ── 実際に打撃を当てる「フルコンタクト」を特徴とする空手の流派。厳しい稽古と実戦的な組手で知られていますを続けていました。空手が好きすぎて、母親とスーパーを回るときも、ずっと正拳突きをしながら買い物について回っていたと親から聞かされたといいます。
「ちょっと意味がわかんない」と笑う高木さんに、岩本さんは日常の動作をすべて型でやっていたほど「ドハマりする少年」だったと説明しました。9歳で黒帯を取って道場のトップになり、後輩がものすごい人数いる状況だったそうです。
その時期に出会ったのが茶道でした。稽古場の先生方は、9歳の子どもが「お茶大好き」と通ってくることを喜び、和菓子を大量に持たせたり、作法はいいからお茶を飲んでいきなさいと声をかけたりしたといいます。茶室が岩本さんの居場所になり、そこにこもるようになったのが9歳からの記憶です。
稽古場はたまたま近所にあり、浦安は東京の支部に属していました。岩本さんによれば、その支部の副支部長はタリーズの創業者である松田耕太さんで、財界とも近い支部だったそうです。良い先生に恵まれ、そこからハマりにハマって稽古を続けたといいます。
「お茶が立っている」——型が面白い理由とは
高木さんが「そんなに楽しいのか」と尋ねると、岩本さんは型の面白さを「主体者が移る」ことだと説明します。弓道で、人間が矢を放つのではなく「矢が放たれる」と表現されるのと同じ感覚だといいます。
岩本さんによれば、茶道の型を身につけると、ものや動作、空間がそうさせているように身体で感じられるようになります。岩本さんは目をつぶっても点前ができ、身体の先にものがあるように型が作られているため、どこに何があるかを想像できてしまうそうです。
何も考えずに体が勝手に動き、その結果として主体がものに移り、お茶が「立っている」と感じられる。岩本さんは、この「お茶が立っている」という茶道の表現そのものの感覚が非常に面白いと語っています。
お茶は誰かが淹れないと何度も練習できないのでは、という高木さんの疑問に、岩本さんは自服 ── 茶道で、自分で点てた茶を自分でいただくこと。稽古で繰り返し点前を練習する方法の一つですがあると答えました。自分で点前をして自分でいただくことで、型を永遠に繰り返せるといいます。
小学生で型が好きなのは珍しいという高木さんに対し、岩本さんは当時は意味がよくわかっていなかったと認めます。中学から高校に入る前くらいに型の意味がわかってくると、また面白くなったそうです。
例として岩本さんが挙げたのが、お茶碗を2回回す作法です。この作法は、作法・礼法が重んじられた明治期以降にマナーとして広がり、情報だけが独り歩きしていると岩本さんは指摘します。
岩本さんによれば、茶室では客と亭主は一体で同格です。亭主は、釜から「松風」と呼ばれる音が鳴る温度に湯を整え、客が求める茶碗の一番綺麗な絵柄を正面にして差し出します。
それを客が感謝もせずにそのまま飲むのは横暴だ、と岩本さんは言います。サービスの受け手と提供者ではなく、一緒に場を作る関係として互いに尊重するなら、正面の一番綺麗なところを自然に避けよう、というのが2回回す意味だと説明しています。
亭主のもてなし
最適な湯の温度と、茶碗の一番綺麗な正面を客に向けて出す
客と亭主は同格
上下ではなく、一緒に場を作る関係として互いを尊重する
正面を避ける
感謝の表れとして、一番綺麗なところを避けて飲む
こうした意味を知ったきっかけは、小学生の頃に先生へ「これはどういう意味ですか」と尋ねたことでした。先生からは「自分で考えなさい、自分で調べなさい」と返され、調べて納得するたびに、とりあえずやれと言われていた型の意味がわかって面白くなったといいます。
「自立とは多方面に依存すること」と勉強の型
ティールームに至るまでのターニングポイントを聞かれ、岩本さんは「自立とは多方面に依存することだ」という言葉が好きだと話します。多方面に依存することで自分を保ち、自立できるのは間違いない事実だと考えているそうです。
岩本さんは、小学1、2年生や幼稚園にほとんど行っていない引きこもりの少年でした。それでも空手では、学校に行っていなくても型をやるだけで評価され、茶道では肩書を外して「人間として存在しているだけで正しい」と言われ続けたといいます。
居場所が複数あると、意思決定が全く怖くなくなると岩本さんは語ります。1つ失っても他にいっぱいあるから、人とは違うことをしながら自分の道を行くことを常にしてきた、という自己認識です。
学校の勉強についても、岩本さんの歩みは独特です。小学校時代は親から「勉強するな」と言われていて、その背景には、社会がさせてくるまで勉強はしなくていい、したければすればいい、という考えがあったそうです。
勉強せずに育った岩本さんは、中学に入ると方程式も解けず、点数で周囲と比べられることになりました。それが悔しくなり、中1で自ら親に頼んで塾に通い始めます。
岩本さんにとって、中学の塾も「型」のようなものでした。方程式と問題のフォーマットさえ覚えれば応用できるため、それを繰り返して偏差値を大きく伸ばし、高校受験で早稲田の付属校である聖徳学院に入学しています。
ところが高校には全国模試のトップ層ばかりが集まり、岩本さんは「これじゃ勝てない」と怖くなったといいます。そこで違う軸を持とうと、もともと行きたかった留学を見据えて英語の勉強を始めました。父親がアメリカの大学を卒業していたことも、留学志向の前提にあったそうです。
高校は単位制で組み替えができたため、岩本さんは高校の授業を終えてから一人で大学の授業を受けに行き、週に1日は8限まで授業を取る生活を送りました。人と違うことで自分に価値をつけ、ポジションを取って生きなければ、と考えていたといいます。
パイロットにならずにジェットを買う、という起業の前提
起業を意識したのは、高校生のときに三木谷浩史さんの本を読んだことがきっかけでした。岩本さんは「ファーストペンギン」として三木谷さんの姿に憧れたと話しています。
もう一つの原点は、ずっとパイロットになりたかったことです。三木谷さんや熊谷さんのような経営者が操縦免許を持っていると知り、パイロットにならなくても操縦は実現できるのだと気づいたといいます。
財産を作って飛行機を買い、自分で操縦すればいい。岩本さんは、少なくとも「自分でジェットを買うまでは目指す」ことを、起業の一番最初の前提として決めていたと明かしています。
飛行機への興味は昔からのものでした。浦安は羽田空港に近く、湾岸線の向かい側に毎日飛行機が飛ぶのが見えていたそうです。
さらに岩本さんの心に残っているのが、島田紳助さんの飛行機のネタです。飛行機は前にしか進まず、乗客も全員前を向いており、飛ばなければ全員死ぬ状況で、全員が飛ぶと信じているから飛ぶのだ、という内容だったといいます。
そのネタを見たときの感動は忘れられず、操縦桿を握って前にだけ進むパイロットをかっこいいと思うようになったそうです。岩本さんは今でも、ときどき空港に行って仕事をすることがあると話しています。
親譲りの知性か、反復の力か
高木さんが親の職業を尋ねると、岩本さんの父親は慶應のビジネススクール(KBS)の教授だと答えました。もともとはドリームインキュベーター ── 戦略コンサルティングと事業投資を手がける日本の企業。略称はDIで役員を務め、その後KBSに移り、ビジネスプロデュース論を教えているといいます。
ただ、岩本さんと父親が正面からビジネスの話をすることはないそうです。父親の元部下だという、ファンドに携わるミヤソさんに会った際、「いろんなところで息子の話をしているよ」と聞かされるなど、人づてに様子を知ることがあると話しています。直接のやり取りは、LINEで「実家に荷物が届いたよ」と伝える程度だといいます。
高木さんが「岩本さんの知的さは親譲りでもあるのか」と水を向けると、岩本さんは姉の方が頭が良かったと答えます。偏差値などのスコアでは姉の方が圧倒的に高く、岩本さん自身は反復練習で同じことを繰り返す「型」の得意さで、なんとかのし上がったという自己評価です。
起業家で「型」が得意な人はあまり聞かない、と高木さんは新鮮さを口にします。岩本さんは、お作法も大好きで、周囲から「きついんじゃない」と言われることもあると応じました。
岩本さんによれば、文化の世界では、どういう権威で世界ができていて、どこに挨拶し、誰にファンになってもらうかで展開が大きく変わります。その前提から、岩本さんは最初から業界の覆し方は2つあると考えてきたといいます。
今の業界を過去のものと見なし、新勢力として立ち上がる
既存の権威の中で一定の地位を持ち、中から変えながら自分の市場を築く
番組冒頭では、岩本さんが後者について「既存でできた権威の中で一定の地位を持ちながら、中から変えながら自分の市場を築いていく」形もできると語る場面が紹介されていました。裏千家の准教授でありながら起業家でもある岩本さんの立ち位置は、この考え方と重なって見えます。
まとめ
前編では、日本茶が「水と同じ財」に落ちた業界構造と、岩本涼さんが9歳から積み重ねてきた「型」への愛着が語られました。空手・茶道・勉強のすべてを型として反復し、多方面に居場所を持つことで意思決定を恐れなくなった経験が、文化と経済の両面からお茶に挑む起業の原点になっていると考えられます。
- 日本茶は約40年で市場の7〜8割が清涼飲料に置き換わり、単価下落と農家の困窮が進んでいる
- お茶の市場は、サウナやキャンプのような「休息」の市場に引っ張られる形で伸びつつある
- 岩本さんにとって型の面白さは、主体がものに移り「お茶が立っている」と感じられることにある
- 「自立とは多方面に依存すること」という考えが、人と違う道を選び続ける支えになっている
- 業界の覆し方として、既存業界と敵対する道と、権威の中で地位を持ち中から変える道がある



