「何者かにはなれる」自信はどこから来た?
ラブグラフはM&Aによってグループインを果たし、一つの区切りを迎えた会社です。このB面では、Co-CEOの駒下純兵さんとCCOの村田あつみさんが、その先に描きたい未来を語っています。
駒下さんが最初に挙げたのは、笠原さんから聞いたという「制限の妙」という考え方です。制限があるからこそ、人はクリエイティブになれるという意味だといいます。
結局なんか何でもやっていいよって言われたら、結局何やればいいかわからん。
僕は今もう(ラブグラフに)フォーカスするって決めてる状態なんで、その中で何をやるかってことに時間使った方が、世の中に対して大きな価値を貢献できるんじゃないかなって。
駒下さんは、脇目を振るとどっちつかずになると考えています。だから今は「これをやる」と決めて、やり切ることを選んでいると話します。
もともとそういう少年だったのかと聞かれた駒下さんは、帰宅部で部活の実績もなかったと振り返ります。それでも「何者かにはなれる」という自信は、なぜかあったそうです。
パズルがめっちゃ得意なだけで天才って言われて育ったんで、僕は天才なんだなと思いながらやってましたね。
村田さんは、駒下さんのこうした素直さこそが組む決め手だったと語ります。ピュアでいいやつであることが、誰でも巻き込める強みに見えたといいます。
こんな感じで話してる子に対して悪い印象を抱く人いないんじゃないかなと思って。ってことはいろんな人、誰でも巻き込めるなって思ったんで。
村田さんには、ほかにも一緒に起業しないかと誘われる機会がありました。それでも駒下さんには「アップサイドしかない」と感じ、最初の段階で組もうと決めたそうです。駒下さん本人は、当時ビジネスはまったくわかっていなかったと笑います。
お題があって初めて作れる、クリエイター気質の原点
ホストは村田さんに、そのプロデューサー気質がどこから来ているのかを尋ねます。村田さんの答えは、幼い頃の意外な姿から始まりました。
村田さんは小さい頃とても寡黙で、話すのが苦手だったといいます。幼稚園や小学生の頃はお絵描きばかりして、母の日や父の誕生日にはメッセージカードを作っていたそうです。
自分が思ってることとか感じてることを言葉で発する以外で表現をするみたいなのが、やっぱ原点にあって。
村田さんにとって、その表現の手段はデザイン、会社、サイト、写真と広がってきました。今は音楽も勉強していて、表現の武器を増やしていくことを人生でやりたいことに据えています。
私はラブグラフっていうテーマ、愛って全てじゃないですか。だから愛っていうテーマで一生クリエイティブをやりたいなって思ってて。
一方で村田さんは、自分の思いからゼロで考えるのは難しいとも話します。ミッションやお題があって、やっとものが作れるタイプだといいます。
ホストは「職人的だよね」と応じ、昔のアーティストも王族の依頼を受けて作品を作っていたと重ねます。村田さんは、オーダーを受けて作るのが自分の気質だと認めています。
だからこそ村田さんは、駒下さんが出すお題でものづくりを続けたいと考えています。ラブグラフという物語は世界全体、人生全体に関わる大きなお題なので、一生やれそうだという点が気に入っているそうです。
なぜ村田さんは辞めなかったのか?「撮り始めた映画」の話
ホストが駒下さんに、村田さんをどう見ているかを尋ねます。駒下さんの答えは、弱音を吐きながらも大変なことを一緒にやり切ってくれた、という感謝でした。
駒下さんは、代表である自分は辞められない立場だと話します。一方で村田さんには辞める選択肢があり、実際に共同創業者の一人や以前のCOOなど、経営層から去った人も多くいたといいます。
特に僕よりもデザインっていう、割と誰とでも組めるスキルを持ってる中、この会社で居続けてくれたっていうのは結構感謝してるって感じですね。
村田さん自身は、この話が「二人の友情物語」にまとめられがちなことに触れます。もちろん相性もあるものの、残り続けた理由はクリエイターとしての感覚にあったといいます。
村田さんは、一度思い描いた場面は絶対に実現したくなる性格だと話します。同志社大学のキャンパスで楽しく過ごす自分を想像して浪人の末に合格し、リクルートに入る自分も実現させたといいます。
辛い時期みたいなシーン撮れるじゃないですか。いろいろあったけど、グループインできたよねの方が面白いから、物語として。
村田さんは、自分の人生を監督のように俯瞰して見ています。M&Aまでの道のりも、撮り始めた映画は最後まで撮りきるという感覚で臨んでいたそうです。
画を思い描く
実現したい場面を一度想像すると、絶対に実現したくなる
苦しい場面も物語に
ハードシングスも、起承転結の一場面として捉える
撮りきるまで残る
喧嘩して辞めたくなっても、映画が完成しないと我に返る
喧嘩をして「もう絶対辞める」と思ったこともあったと村田さんは明かします。それでも、ここで辞めたら映画が完成しないと考え直し、図々しくでも残り続けようと決めていたそうです。
駒下さんは、村田さんがそう思ってくれていたことが助かったと話します。「辞めないで」と引き留めるマネジメントが必要になると、信頼関係として微妙になると考えているからです。
駒下さんの側にも決めていたことがありました。夫婦喧嘩で「じゃあ別れたらええやん」と言いたくなるように、激しい喧嘩でも「そんなに嫌なら辞めたらええやん」とだけは言わない、というルールです。
シーズン2は世界編。ラブグラフ・パリから始まる夢
ホストが村田さんに「撮りたい画」を聞くと、村田さんはグループインでシーズン1が終わってしまった感覚だと答えます。周りも「いい話だったね」となっていて、ここからのシーズン2は難しいといいます。
村田さんは31歳です。ホストは、7〜9年分でシーズン1なら、まだ何シーズンも撮れると励まします。
村田さんはこの1年ほど、シーズン2をどうつなげるか考えてきました。たどり着いた答えは、日本編の次に来る世界編です。
シーズン1は日本編。M&Aによるグループインで一区切り
シーズン2は世界編。コロナ後の開国とインバウンドの波から始まる
村田さんによると、コロナ後に外国人旅行客が増え、外国人からの撮影依頼もかなり増えているそうです。まるで決まっていたかのようなタイミングだと話します。
駒下さんは、社名を変えたわけではないものの、自分の中では今の会社を「ラブグラフジャパン」と呼んでモチベーションを上げているといいます。
なぜパリなのかと聞かれた駒下さんは、実はパリでラブグラフの撮影をしている人が1〜2人いると明かします。その人たちが勝手に「ラブグラフパリ」という支部を名乗っているそうです。村田さんは、自分たちも2人から始まったと応じます。
オーストラリアやエッフェル塔の前で撮った写真が納品されることもあり、村田さんはそれを見て、いつか行きたいと思い続けてきました。今年か来年には行けるのではないかと考えています。ただ、各地でカメラマンを採用する形にするのかなど、進め方はまだ決めていないそうです。
駒下さんの側には、アメリカで考えた自問自答がありました。M&Aで一区切りがつき、ひと息ついていた時期に現地の人と会う中で、もし海外で起業したら日本での実績をどう語るかを想像したといいます。
「スタートアップやって会社をM&Aしたんよ」と言って終わる
「日本人が結婚したり子どもが生まれたら全部俺の会社で写真撮ってんねん」と言える
別に言われたわけじゃないですけど、このままやと、なんかただのちょっと会社やってた人で終わるなみたいな。
駒下さんが目指したいのは後者でした。スタートアップはやれたけれど、それだけでは知れている、という感覚があったと話します。
この話を聞いた村田さんは、撮りたい画がわかったと切り出します。コーチェラ ── アメリカ・カリフォルニア州で毎年開かれる大規模な野外音楽フェスティバル。世界中から多くの観客とアーティストが集まりますやオリンピックのように、パリでラブグラフのフェスを開くという構想です。
そこに世界各国からラブグラファーが集まる。もう1000人とか5000人とか。で、全員でWe Are the World歌う。
駒下さんは「これ今聞きました」と何度も繰り返し、その場で初めて聞いた構想だったことがわかります。
愛に国境ないよねみたいな感じで、みんなラブグラファーがこうやって肩組んで歌歌って、で、各地に帰ってまた写真撮る。
最後は駒下さんも「やろうか。やろうやろう」と応じます。村田さんは、世界平和がテーマだと締めくくりました。
まとめ
ラブグラフの二人は、M&Aを「シーズン1の完結」と捉え、次の世界編を見据えています。お題を出す駒下さんと、お題を形にする村田さんという関係が、辞めずに走り続けてきた背景にあることが伝わる回です。
- 駒下さんは「制限の妙」を大事にし、ラブグラフに集中してやり切ると決めている
- 村田さんは表現の武器を増やしながら、愛というお題で一生クリエイティブを続けたいと考えている
- 村田さんが辞めなかったのは、撮り始めた映画を最後まで撮りきるという監督的な感覚があったから
- 駒下さんは喧嘩しても「辞めたらええやん」とだけは言わないと決めていた
- シーズン2は世界編として、各地のラブグラファーが集まるパリでのフェスという画も語られた



