医師が株式会社でつくる「駆け込み寺」とは?
ファストドクター株式会社代表取締役の菊池亮さんは、医療を「壊す」のではなく「中に入って機能させる」という姿勢を大切にしていると話します。
今あるその機能っていうのは、どうしても生かした方がいいと思うんですよね。生かし方っていうのをすごく意識はしてます。
番組ホストでニューピースCEOの高木真平さんは、医者でありながらスタートアップの経営者として、あえて株式会社という選択をした菊池さんの背景と思いに迫りたいと、今回のゲストに招いた理由を語ります。
菊池さんによると、ファストドクターは全国でオンライン診療 ── スマートフォンやパソコンのビデオ通話などを通じて、医師が離れた場所から患者を診察する仕組みですと往診 ── 医師が患者の自宅などに出向いて診察することです。定期的に訪問する訪問診療とは区別して使われますをオンデマンドで受けられる環境をつくっている会社です。特に、医療機関が開いておらずアクセスもしにくい夜間・休日の受診を支えています。
ファストドクターのアプリから連絡するとコールセンターにつながり、まずトリアージ ── 患者の症状から緊急度を判定し、対応の優先順位や行き先を振り分けることです。救急医療で使われる専門用語ですを受けられます。緊急度に応じて、119番が必要か、近くの病院の受診が必要か、医療は不要かを判断してもらう流れです。
アプリで連絡
夜間・休日でもアプリからコールセンターにつながる
トリアージ
緊急度を判定し、119番・近くの病院・医療不要などを案内
登録医とマッチング
受診が必要でもアクセスできない人は、オンライン上で登録医とつながる
往診
最も近くにいる医師が患者の自宅に駆けつける
受診が必要なのに医療機関へ行けない人には、全国で約2000人いる登録医の中から最も近くにいる医師が駆けつけます。子どもがいる高木さんが「どうしようもない時の駆け込み寺のようなイメージか」と尋ねると、菊池さんはそれで大丈夫だと答えました。
ただし高木さんは、駆け込み寺としての便利さは表に出ている価値にすぎず、菊池さんが株式会社でファストドクターをつくった理由には、もっと根深い課題があるはずだと話を進めます。
両親とも医師の堅い家庭と、A判定からの不合格
菊池さんの出身は静岡県浜松市です。両親はともに医師で、父親は産婦人科医、母親は整形外科医でした。
父親も全く無趣味で、外食もしないし、旅行もしないみたいな(タイプの人間なんですよ)。いわゆる堅物ってやつですね。
菊池さんの母親は、自分の医院を経営しながら、同じ浜松市内に住む祖父母の介護もこなしていました。朝5時半に起きて弁当を作り、帰宅すれば食事を作るという「スーパーマン」のような存在だったといいます。
菊池さんは両親から贅沢を学んだ記憶はなく、通った公立の小中一貫校も質素倹約を重んじる校風でした。倫理観と文化をひたすら叩き込まれ続けた幼少期だったと振り返ります。
菊池さんの通った中学は1学年120人ほどで、そのうち40〜50人が浜松で一番頭のいい高校に進む学校でした。菊池さんもその枠内に入っていましたが、高校受験に失敗し、私立高校へ進むことになります。
模擬試験とか受けてもずっとA判定とかだったんで、(高校受験は)落ちるはずがないって思ってたんですよ。
不合格を知ったときの菊池さんは実感がまったくなく、強いショックを受けたことを今でも覚えているといいます。両親も絶対に受かると思っていたはずで、お互いにショックを受けていたのではないかと菊池さんは話しています。
挫折の先で出会った芸術系の高校とブレイクダンス
高校受験の失敗をきっかけに、菊池さんの反抗期が始まります。菊池さんは、その理由を「コミュニティが全然変わった」ことだと説明しました。
菊池さんが進んだ私立高校には、特進クラスや普通科に加え、音楽や書道などの芸術系の科もありました。勉強していると吹奏楽の音が聞こえ、デザイン作品が貼り出される環境で、文化的な視点を育むうえではとても良かったと振り返ります。
ずっと同じような環境のコミュニティにいた菊池さんにとって、私立高校はさまざまな人と出会える場でもありました。総合的には、私立高校へ行ったことはすごく良かったと話しています。
真面目な高校生だったのではと想像する高木さんに対し、菊池さんは意外な一面を明かします。中学3年の終わり頃、岡村隆史さんがブレイクダンスを流行らせた時代に、ウィンドミル ── ブレイクダンスの代表的な技の一つです。床に背中や肩をつけ、脚を大きく開いて風車のように回転し続けますに魅せられたのです。
菊池さんはチームを作り、中学3年から高校3年頃までブレイクダンスに打ち込みました。当時の浜松はダンサーが少なく、練習場所もアクトシティの一角やクリエイト浜松のダンススタジオくらいしかなかったといいます。
それこそそういう文化を僕たちが作ってるみたいな、そんな感じのイメージはあったので、本当にのめり込みましたね、当時は。
菊池さんは、ストリート系の人とつるむより、夜通し技を磨くことに挑戦し続けるタイプでした。本気でLAに行って活躍することを考えた時期もあったほどです。
当時同じクルーにいた仲間は、のちにバトルオブザイヤー ── ドイツ発祥とされる世界的なブレイクダンスの大会です。国別代表のクルーが技を競い合いますで準優勝し、現在は武道館で踊るなど活躍しています。菊池さんは、本気でやり続けると大成するということを、その仲間が示してくれたと語りました。
「もしかしてかっこ悪い?」で医学部を目指した理由
ダンスを将来の夢として考えるほどだった菊池さんが、医師の道へ戻るきっかけは、高校の授業でした。進学クラスでは、新聞に掲載されたセンター試験 ── 大学入試センター試験のことです。2020年度まで実施された全国共通の大学入試で、現在は大学入学共通テストに移行していますの問題をみんなで解く授業があったのです。
周りが受験ムードの中、授業をまともに受けていなかった菊池さんは英語で70〜80点ほどしか取れませんでした。アウトローに行き過ぎていないかと、自分を見つめ直すタイミングになったといいます。
小学校の頃とかって運動ができる人が偉いみたいな、かっこいいみたいな感じで。高校の多分あのぐらいの時期って頭いい人がかっこよくなるんですよね。
やっぱり自分がすごく、もしかしたらこれかっこ悪いんじゃないかっていう風に強烈に感じた。
同じ頃、菊池さんは自分のダンスのポテンシャルについても、イケてる側の人間ではないと薄々感じ始めていました。高校2年の終わり頃のことです。
ショックを受けた菊池さんは、ゴールを見据えて逆算し、ゼロからやり直すしかないと考えました。高校3年の終わりまでの月数と教科数から、何をいつまでにやるかスケジュールを立て、1つずつこなしていったといいます。
菊池さんが医学部を選んだのは、両親から受けてきた刺激が大きかったためです。正月はいつもお産でいない父親や、遊びに行った母親のクリニックで見た診療の姿から、患者を助けて感謝される仕事がイメージできていました。
当時の菊池さんは、精神領域や感染症領域などの医学系の本や雑誌にも関心を持って読んでいました。身近で、かつ自分の関心が高い分野で受験先を決めるなら医学部だろう、という選び方だったと話しています。
救急当直で感じた違和感と、19施設に断られた夜
研修医の2年間はさまざまな科を回り、菊池さんは研鑽に打ち込みました。医師3年目に整形外科を選び、大学病院で先端の診療に触れながら、夜間の救急当直もこなします。
菊池さんが強い違和感を覚えたのが、その救急当直の現場でした。日中に診療し、夜間の当直で眠れないまま翌日も日中の診療に入るため、36時間続けて働くような勤務が月に何度もあったといいます。
しかも夜間の救急外来には、緊急性の高い人だけが来るわけではありません。軽症なのに救急車で運ばれてくる人もいれば、歩いて来院する人も大勢並んでいました。
夜間なんで検査も限られてるし、出せる薬も限られてるみたいな中で、なんとか診断名ひねり出して。1日分しか薬出ないんですけど、すいませんって言って返すみたいな。
4時間ほど待たされた患者は怒り、医師も深夜3時にクレームを受けたり、酔って暴れる搬送患者の対応をしたりして疲弊していきます。看護師も疲弊しており、菊池さんは患者にとっても医療者にとっても価値のない時間がそこにあると感じていました。
医師4年目、菊池さんは埼玉の小さめの病院に赴任し、自分が主体となって診療と手術を行っていました。その病院での当直中に、細菌性髄膜炎 ── 細菌が脳や脊髄を覆う髄膜に感染して起こる炎症です。進行が速く、早期に治療しないと命に関わることがありますが疑われる70代ほどの男性が運ばれてきます。
入院できる医療機関を探したものの19施設ほどに断られ、20施設目でようやく自治体系列の医療機関が受け入れてくれました。それまでに4〜5時間ほどかかったといいます。
断った医療機関の多くは「今忙しいから」という理由でした。大学病院での経験から忙しさは理解できたものの、菊池さんはその多くが軽症患者の対応に追われている現実だと考えます。
軽症の人も大病院へ
本来は小さな病院で診られる軽症の患者が、救急車や夜間外来で大病院に集まる
大病院が手一杯に
医療者が軽症患者の対応に追われ、疲弊する
重症患者の受け入れが困難に
命に関わる患者でも「忙しい」と断られ、搬送先探しに時間がかかる
軽症の患者さんがちっちゃい病院に行く、重症の患者さんが大病院に行くっていう、当たり前のこの患者さんの受診の流れっていうものができてないから、こういう混乱が起きてるんだろうなって(思って)。
この状況は患者にとっても良くないし、医療者の労働環境にとっても大事な問題だと感じた菊池さんは、何とか変えたいと考えます。これがファストドクターにつながる原体験になりました。
なぜ諦めなかった? #7119と日本の文化から生まれた創業
救急現場の混乱には多くの医師が気づいているはずだと高木さんが問うと、菊池さんも気づいていると思う、そしておそらく諦めている人が多いと答えます。では、なぜ菊池さんは諦めなかったのでしょうか。
菊池さんは、なぜ軽症の人がこれほど運ばれてくるのかを深く考察しました。世の中には、自治体によって#7119 ── 救急車を呼ぶべきか迷ったときに電話で相談できる救急安心センター事業の番号です。看護師などが緊急度を判断して助言しますや#8000といった救急相談ダイヤルがあります。
菊池さんが調べると、救急相談ダイヤルは10年以上運用され、認知率もそこそこあり、利用者数も毎年伸びていました。それでも軽症患者の救急受診が減らない理由を、菊池さんは日本の文化に見いだします。
菊池さんによれば、日本ではリスクをなくすために、緊急度を安全側、つまり過剰な方へ判定しがちです。本来は呼ばなくてよい場合でも、なるべく救急車を呼ばせ、病院に行かせるオペレーションになっているといいます。
責任を取りたくないからなのかと高木さんが尋ねると、菊池さんは「そういう文化ですね」と答えました。そこで菊池さんが考えたのが、医師がオンデマンドで患者のもとへ行くサービスです。
そういうサービスとかがあったら、こういう患者さんの受診行動っていうのを強力に変えれるんじゃないかなと思って始めたのが、当時の2016年の創業背景です。
諦めなかった理由を高木さんが改めて確認すると、菊池さんは「ソリューションが思い浮かんでしまって」と答えています。
医師の仲間や先輩への相談は、ほとんどしなかったといいます。当時は同じような業態がなく相談しても無意味だと思ったことに加え、実行していないことをひけらかすのが個人的に好きではないという性格もありました。
菊池さんは、自分でもそう思い、そうした行動が求められていると考えて、自分の中で解釈しながら実行に移していきました。創業は、共同創業者の医師である名倉さんと、マーケティング担当の鯉師さんとの3人で行っています。
まとめ
前編では、倫理観と質素さを叩き込まれた少年時代、高校受験の挫折、ブレイクダンスへの熱中、そして逆算で医学部を目指した経緯が語られました。救急当直で目にした受診の混乱と、救急相談ダイヤルが機能しにくい日本の文化への考察が、2016年のファストドクター創業につながっています。
- ファストドクターは、トリアージと約2000人の登録医による往診で、夜間・休日の受診を支えている
- 菊池さんは高校受験の挫折とダンスへの熱中を経て、「かっこ悪いかもしれない」という危機感から医学部を目指した
- 救急当直で19施設に受け入れを断られた経験から、軽症と重症の受診の流れができていないことが問題だと考えた
- 救急相談ダイヤルが過剰な方へ判定しがちな文化に着目し、医師が患者のもとへ行く仕組みで受診行動を変えようとした
- 医療を壊すのではなく、今ある機能を生かして中からアップデートする姿勢が、菊池さんの事業の根底にある



