「やりたいことがない」人が、なぜ寄付の会社を作ったのか
後編の冒頭で、ボーダレス・ジャパンの田口一成さんは自分のことを「つまんない人間」だと話します。多趣味でもなく、釣りは好きでも船酔いするので防波堤で竿を出すだけだそうです。
田口さんは、昼も夜も忘れて一つのことを考え続けるような体験は昔からなかったといいます。そのぶん、目の前のことに「これだ」と思って打ち込んでしまうのだと振り返ります。
ホストの高木新平さんは、田口さんの話を受けて、今の時代にフォーカスを定められていることは強いと返しました。田口さん自身も、シンプルに生きられているという実感はあるようです。
話は田口さんが会社を辞めて起業した時点に戻ります。創業当初の田口さんの会社は、NGOなどの社会活動に資金を送るための会社として構想されていました。
創業時に田口さんが掲げた目標は、利益が出ても出なくても、売上の一定割合を必ず社会活動をしている団体に寄付することでした。会社を大きくすれば、毎年まとまった額をそうした団体に送れるという考えを、田口さんは「青臭く」ずっと言っていたと話します。
部屋探しの現場で見えた「放っておけない人たち」
起業後の田口さんは、朝から終電まで土日もなく働き続けました。それでも1年目の売上は年間数千万円ほどで、利益はほとんど出ず、自分の給料もわずかだったといいます。
そのなかでようやく寄付できた額は、数十万円でした。田口さんは、毎日の仕事と年に1回の寄付とのギャップに強い虚無感を覚えたと語ります。
田口さんは、それならビジネスを介さず、NGOのファンドレイジング ── NPOやNGOが活動資金を集めるための活動のこと。寄付の呼びかけや助成金の申請、支援者との関係づくりなどを含みます担当として直接お金を集めたほうがよほどいいのではないか、と素直に思ってしまったそうです。なぜわざわざビジネスを間に挟むのかという違和感が、最初の気づきでした。
もう一つの気づきは、事業の選び方にありました。田口さんは稼げれば内容は何でもいいと考えていたものの、実際に事業をやると、つい困っている人のための事業を手がけてしまったといいます。
縁があって最初に始めたのは、賃貸の部屋探しを手伝う仲介の仕事でした。そこで田口さんが出会ったのは、地方から上京し、1泊2日などの短い日程で部屋を探さなければならない人たちです。
当時、不動産会社に「この部屋があります」と言われて来店すると、「さっき埋まりました」と別の物件を案内されることが少なくなかったといいます。今で言うおとり物件です。
田口さんはこうした状況を知り、上京する人向けの「お部屋探しコンシェルジュ」を始めました。企業と提携して新卒社員などの部屋探しを引き受け、入居タイミングで本当に入れる物件だけを確認してリスト化し、その中から選んでもらう仕組みです。
提携先には外国人社員がいる会社も多く、外国人の部屋探しをすると、入居をことごとく断られたそうです。日本が好きで来てくれた人に部屋を貸さないのは何事か、と感じた田口さんは、自然とそちらの支援へシフトしていきます。
外国人と日本人が一緒に暮らすシェアハウスを運営するうちに、田口さんは、異文化の人たちが同じ釜の飯を食う場から世界の平和が生まれるのではないかと強く思い始めました。
田口さんは、ビジネスは金稼ぎの手段だけだと思っていたが、もっと可能性があるのではないかと感じたと振り返ります。そこから、事業を通して直接社会を良くできるものしかやらないと決め、「ソーシャルビジネス ── 社会課題の解決を目的とし、その活動自体を事業として収益化する取り組み。利益の一部を寄付する形とは異なり、事業そのものが社会を良くする手段になりますしかやらない会社」と言い始めました。
部屋探しの仕事からソーシャルビジネスへの転換までの流れを整理すると、次のようになります。
寄付の会社として創業
売上の一定割合を社会活動に寄付することを目標にする
寄付額とのギャップ
1年働いても寄付は数十万円で、虚無感と違和感が生まれる
部屋探しの仲介
おとり物件に困る上京者のために、誠実な部屋探しを始める
外国人との出会い
入居を断られる外国人のため、シェアハウスへ軸足を移す
ソーシャルビジネス宣言
事業そのもので直接社会を良くするものしかやらないと決める
1年目の決断と、シェアハウスという新しい概念
高木さんが、ソーシャルビジネスしかやらないと決めたのは何年目かを尋ねると、田口さんの答えは創業から間もない時期でした。高木さんは「早いですね」と驚きます。
田口さんは、1年間死ぬほどいろいろやったうえで、このままでは世界を変えられないと感じたと話します。大げさな言い方だと断りつつ、気持ちとしてはそうだったといいます。
高木さんは、毎日働いて数千万円を稼いだのに寄付が数十万円では、インパクトが小さいと感じるのも当然だと応じました。田口さんは、1億円規模になれば話は違うかもしれないが、何十年もかけてそこへ向かう道のりが本当に自分の歩みたい方向なのかと考えたそうです。
田口さんは、今からできる可能性をシェアハウスの運営で感じたといいます。当時は「ゲストハウス」「外人ハウス」と呼ばれ、連帯保証人を立てられない人や低所得の人が一軒家に大勢で住む場所というイメージでした。
田口さんは、そうではなく「コミュニティハウス」として運営するという考え方で、シェアハウスという概念を必死に広めていったと振り返ります。
お茶農家、バングラデシュの革工場へ広がる事業
外国人と日本人のシェアハウスは、田口さんにとって最初の本格的な事業であり、やり続ける事業と決めたものでした。シェアハウス事業が黒字化して軌道に乗ると、田口さんはもともとやりたかった、貧しいお茶農家を助ける事業に取りかかります。
田口さんは仲間に時間をもらい、途上国の農家を支援する事業を1人で企画し始めました。ミャンマーやスリランカなどの小規模農家から、フェアトレード ── 途上国の生産者から適正な価格で継続的に買い取り、生産者の生活向上や自立を支える取引の仕組みですプライスで買い取りを保証し、栽培指導も行う形です。
現在の事業では、農家にハーブを栽培してもらい、日本でハーブティーとして販売しています。授乳中の母乳不足や母乳の詰まりに悩むお母さんたちに向けた商品で、これが2つ目の事業になりました。
次に田口さんはバングラデシュの人と出会い、現地を訪れます。路上にホームレスが大勢いる様子を見て、この国をどうにかできないかと考えたそうです。
バングラデシュはイスラム教徒が多く、年に1回ほどイード ── イスラム教の祝祭。犠牲祭では家畜を捧げて肉を分かち合う習慣があり、この時期に大量の牛が食されますという宗教的な祭りで牛を食べる習慣があります。田口さんは大量に出る牛革に目をつけ、最終製品まで現地で作るほうが産業として良いのではないかと考えました。
田口さんは、バッグや靴、財布などの革小物を作る工場を現地に立ち上げ、日本で販売しています。工場では900名ほどを雇用しており、他の工場では雇われにくい障害のある人や、ミシンを踏んだことのない未経験者だけを採用しているといいます。
田口さんが順に立ち上げた事業を並べると、次のようになります。
| 事業 | 対象となる人 | 取り組みの中身 |
|---|---|---|
| シェアハウス | 入居を断られる外国人など | 外国人と日本人が一緒に暮らすコミュニティハウスを運営 |
| ハーブティー | ミャンマーやスリランカの小規模農家 | フェアトレードプライスで買い取り、授乳中の母親向けハーブティーとして販売 |
| 革製品 | バングラデシュで雇われにくい人 | 現地工場で革製品を作り、障害のある人や未経験者を雇用 |
1年に1事業では足りない。プラットフォームへの転換
田口さんは、1つの事業が軌道に乗るまでにおよそ1年かかるため、1年ごとに事業を作ってはリーダーに引き継ぐ形を続けていました。会社はカンパニー制で、各カンパニーの長はみな「社長」の名刺を持って事業を運営していたそうです。
7年ほど経ったころ、田口さんはこのペースでは1年に1つしか事業が立ち上がらないと気づきます。30歳を迎え、あと30年で30個の事業しか生まれないなら、世界が良くなったとは言えそうにないと考えたといいます。
そこで田口さんが目を向けたのは、自分と同じように社会のために何かをしたい人たちでした。そうした人たちの事業づくりをサポートすれば、もっと多くの事業が生まれるという発想です。
田口さんは、100億円や1000億円の事業はすごい人でないと作れない気がするが、10億円ほどの事業ならスーパーマンでなくても作れると感じたと話します。実際に10億円規模の事業を手がけた経験から、それがビジネスの適正サイズではないかと思うところもあったそうです。
田口さんのいう適正とは、無理に伸ばさず、目の前のことを丁寧に積み上げたときに単一の事業が自然と届く規模のことです。高木さんが「キャップ」と表現すると、田口さんもそれに同意し、それ以上伸ばすには商品開発や新規事業を別に作る必要が出てくると説明しました。
田口さんは、培ってきたスキルやノウハウを生かし、会社をプラットフォームのような形にして、社会のために事業を始めたい人に使ってもらう立場に立つことを選びます。事業計画の支援から出資までを行う「社会起業家のプラットフォーム」として、今の形に変わっていきました。
田口さんが自ら1年に1事業を立ち上げ、カンパニー長に引き継ぐ
社会のために立ち上がりたい人が集まり、計画づくりから出資までを会社がサポートする
実践者であり続けることと、イントレプレナーという選択肢
田口さんは、インパクトを出していく過程で、事業づくりのポイントはどんどん変わっていくと話します。そのため、支援する側も共に実践者であり続けることが大切だと改めて感じているそうです。外からの景色だけでサポートしていると、見えないことが大きいからです。
田口さんがもう一つ大切にしているのは、立ち上がり方の選択肢を増やすことです。社会課題のために立ち上がりたくても、子どもが生まれたばかりだったり、家を買ったばかりだったりして、給料が当面ゼロに近くなる起業に踏み切れない人もいます。
田口さんは、それで起業をあきらめるのであれば、別の選択肢があっていいと考えています。ボーダレス・ジャパンの中で事業をやってもいいし、それぞれの会社の中で立ち上がってもいいといいます。
田口さんたちは、イントレプレナー ── 企業の内部で新規事業を立ち上げる人のこと。社内起業家とも呼ばれ、会社の資源を生かしながら事業をつくりますとして立ち上がった人も、アントレプレナーと区別せず扱うことを大切にしています。同じ社会起業家として、違和感なく共存できるようにしていくことを重視しているそうです。
ボーダレス・ジャパンが最後に目指す「大学」とは
高木さんがボーダレス・ジャパンは最終的にどうなっていくのかを尋ねると、田口さんは社名の由来から話し始めました。日本で作り上げた仕組みの原型が、5年かけてようやく見えてきたといいます。
田口さんが描くのは、この仕組みをボーダレスミャンマー、ボーダレスコリア、ボーダレスグアテマラのように各地にインストールし、世界中で社会起業家が立ち上がる形です。各地の問題を日本から解決しようとするのはおこがましいので、現地の人が立ち上がる仕組みを作るのだと説明します。
その準備として、採用チームとは外国人採用を大きく増やす話をしているそうです。今年と来年でさまざまな国の人に来てもらい、アジア各国への展開に備え始めるといいます。
さらに田口さんは、将来的に大学を作りたいと明かしました。高木さんは「やっぱり大学なんだ」と反応します。
田口さんは、ボーダレス・ジャパンの起業家たちを身内びいきを承知で「本当に素敵だ」と話します。そして彼らが頑張ってきた先の着地点として、培ってきたネットワークや経験を束ね、大学の先生のような立場になってもらう構想を語りました。
田口さんのいう先生は、研究者としての教授ではありません。社会のために何かをしたい若者が立ち上がれるよう、自分たちの力を集約してフルでサポートし、次の世代へ脈々とつなげていく仕組みを、大学と呼ぶかどうかは別として作りたいと話しています。
「育てる」より「立ち上がれる環境」をつくる
高木さんは、大学構想の背景には人づくりへの関心があるのかと問いかけます。田口さんは、昔はむしろ人づくりに目が向き、教育者のような観点が強かったと振り返りました。
今の田口さんの感覚は少し違い、「Be an entrepreneur」という考え方を持っているといいます。みんな自分の思いに対して立ち上がれるという強い信念が、田口さんの中にあるそうです。
そのため田口さんは、人を育てなければと考えるより、どうすればみんなが素直に立ち上がれるかを考えています。足りないのは立ち上がるための環境や、立ち上がった後に続けていくための環境であり、そこさえ整えれば人はちゃんと生きていけるという考えです。
高木さんはこれを、教えるのではなく引き出し、本人が学んで育つという教育の本質に近いと受け止めました。田口さんも、課題はいつも自分の側にあると話します。
田口さんによれば、みんないいものを持っているのに、全員の事業がうまくいっているわけではありません。学びの環境や出会いの環境をきちんと作れれば、やりたい人ややれる人はもっといるので、可能性は大いにあるといいます。
田口さんは、出口が見込める起業家には優秀な人が集まり、良いエコシステム ── 起業家、投資家、支援者などが互いに関わり合い、新しい事業が生まれ育つ環境のことがあると認めます。一方で、そうでない起業家には周囲が関わる経済的な設計を作りにくく、放置されがちだと指摘しました。
高木さんも、大きな挑戦でなくても少し頑張ればできる領域が空いていて、しかもそこがマジョリティだと応じます。田口さんは、すごい起業家がすごくなっているのは手厚いサポートが入っているからでもあり、急成長を目指さない人にも同じように良い環境があるべきだと語り、そこが社会の盲点ではないかと話しています。
「ウォンテッド」と99%の人が立ち上がる世界
田口さんは、人生を有意義に使いたい、社会のために何かしたいという人はたくさんいると話します。けれど、自分の中から絶対にやりたいものは何かと問われると、なかなか出てこないのが実際の景色だといいます。
田口さんは、ボーダレスアカデミーを運営するなかで、みんなに必要なのは「ウォンテッド」情報、つまり「あなた求む」という情報だとわかったそうです。
例として田口さんが挙げたのは、地方の放置竹林の問題です。自治体も含めて、やってくれる人はいないかと言っている課題の情報を出せば、何かをしたい人とのマッチが生まれるのではないかと考えています。人は誰かに求められ、そこに貢献できることに喜びを感じるからです。
田口さんは、世界を良くする方法の一つとして、すごい人たちがイノベーションで社会をガラッと変えることの大切さも認めています。ただ、一人一人の生活が豊かになるところまで届かせるには、それだけでは足りないといいます。
田口さんが注目しているのは、残りの99%の人たちが立ち上がれるかどうかです。ごく普通だけれど大多数の一人一人が良いものを持っていて、その人たちの思いに沿った起業を社会として生かすことが大切だと語ります。
すごい人たちがイノベーションを起こし、社会をガラッと変える
身の回りで「放っておけない」と感じた人が、自分の思いに沿って立ち上がる
田口さんにとって起業は儲けるための手段ではなく、起業は生き方だといいます。こういう世界を作りたいから自分でアクションを起こすという、素直な生き方としての起業です。
田口さんは、「放っておけない」という気持ちをみんながアクションに移せたら世界は良くなると考えています。その放っておけない人たちが立ち上がれる環境を、きちんと研究して整備していきたいと話しました。
収録の締めくくりで高木さんは、田口さんの価値観はまっすぐで、社会問題を解決するためにビジネスをやるという論理が圧倒的にシンプルだと評しました。寄付では小さいなら事業そのものをソーシャルビジネスにするという発想に、その姿勢が表れているといいます。
高木さんは、時代の揺らぎのなかでもブレずに行動し続ける田口さんの強さに学んだと語り、自分もそれくらい思い込んでいかなければと話して番組を締めくくりました。
まとめ
田口一成さんの歩みは、売上の一部を寄付する会社から始まり、目の前の困っている人に向き合うなかで、事業そのもので社会を良くするソーシャルビジネスへ、さらに多くの人が立ち上がれるプラットフォームへと広がってきました。根底にあるのは、みんな立ち上がれるという信念と、そのための環境を整えるのは自分の役割だという考えです。
- 寄付額と日々の仕事とのギャップが、事業そのもので社会を良くするソーシャルビジネスへの転換につながった
- 部屋探し、シェアハウス、ハーブティー、革製品と、目の前の困っている人に向き合う形で事業が広がった
- 1年に1事業のペースでは足りないと考え、社会起業家を支えるプラットフォームへ会社を変えた
- イントレプレナーも社会起業家として区別せず扱い、立ち上がり方の選択肢を増やしている
- 「ウォンテッド」情報で課題と人をつなぎ、99%の人が生き方としての起業を選べる世界を目指している





