若い人に席を譲る側になったお便り
今夜のお便りは、ペンネーム小箱ニコさんから届いたものです。眼精疲労がひどく、昨年から会社のランチタイムに紙の本を読むようになり、いい本を探してこのポッドキャストにたどり着いたといいます。
相談の中心は、もうすぐ50歳になるという年齢にまつわる悩みでした。会社でもプライベートでも、最近は若い人に自分の席を譲らなければならないことが増えているといいます。
若い人に機会を与える必要性はわかるのだけれども、私たち世代だってまだまだ成長したい。そんなやるせなさを感じた時、読むのにおすすめの本はないでしょうか。
バタやんは「わかるわかる」と共感します。席を譲ることが増えるだけでなく、そもそもそういう機会に選ばれなくなってくることもある、と受け止めていました。
チェンマイで「どいてください」と言われた話
バタやん自身も最近落ち込んだことがあったといい、旅行先での体験を語ります。夏休みにチェンマイへ行き、信号待ちをしていたときのことでした。
隣に立っていた若い女性に、英語で「写真を撮りたいのでそこをどいてくれないか」と声をかけられたのです。信号の向こう側では同世代の女性がスマホを構え、後ろは流行りのインスタ映えスポットでした。
腹が立ったのではなく、傷ついたのだと話します。バタやんは若い頃から旅行先で道を聞かれたり、写真撮影を頼まれたりすることが多かったからです。
その話しかけて大丈夫そうっていう風に人から見えてるってこと自体は、悪いことじゃないなと思っていたんですよ。
だからこそ、写真の画角に入ってほしくないものだと思われたことに落ち込んだといいます。さらに、そうしたインスタ映えスポットに疎くなっている自分にもショックを受けました。
数年前までファッション誌や旅の号を作っていた身として、フォトジェニックなトレンドの最先端にいたはずだった、という自負もあったのです。
でも今はその前にいることさえ気づかず、ボーっと疲れて立ってて、どいてくださいって言われる人になってるということに落ち込んだって感じでしょうか。
一瞬で言葉数多く自分を卑下してしまうところにも年齢を感じ、思春期に一周回って帰ってきたような感覚だったと振り返ります。文字通り「道を譲らなければならなかった」自身の体験でした。
クライシスではなく「ビギンズ」という視点
そのうえで紹介されるのが、東畑開人さんの対談集『ミドル・エイジ・ビギンズ』です。青年ではなくなり、突然始まる人生の午後をどう生きるかを描いた一冊だといいます。
臨床心理士の東畑さんが、年齢やキャリアの異なる4名にインタビューした構成です。登場するのはミュージシャンの尾崎世界観さん、作家の角田光代さん、哲学者の鷲田清一さん、元官僚の千葉さんです。
4名は生まれた年もミドルエイジの位置も異なります。それぞれ全盛期や大きな役職、賞、ヒットといった経験からの距離も違うため、共感する部分と別世界に感じる部分の両方があるかもしれない、とバタやんは言います。
バタやんが注目したのはタイトルそのものでした。よく言われる「ミドルエイジ・クライシス」ではなく「ビギンズ」である点がいいと感じたのです。
クライシスが訪れるんじゃなくて、新たにビギナークラスが始まると思うと、ちょっと前向きになれる気もしました。
誰にとっても中年は初めての経験であり、40代には40代の、50代には50代のビギナーがある。譲らなければならないものが増える一方で、譲られる席もあるかもしれない、と受け止めます。
尾崎世界観の「カードは出揃っている」
この本の執筆のきっかけになったのは、尾崎世界観さんの「カードは出揃っている。そのカードで続けていく」という言葉だったと綴られています。
自分の手札はすべてひっくり返されて見えていて、できることも周りにわかっている。その中でいかにゲームを続けていくか、という話なのだとバタやんは解釈します。
印象的だった言葉として、「閉店セール状態」という表現が挙げられます。売れ筋は出尽くし、新製品はない状態で、ミュージシャンは売るものがなくなってからが勝負だという趣旨でした。
今ある自分の手札の中でどうゲームを続けていくか、閉店セールを続けていくかっていう、その自分の物語の停滞感を受け入れているっていうところが達観していて面白いなと思いました。
鷲田清一の「あみだくじ理論」と「ボールパス理論」
4名の中から、バタやんが特に印象的だったという哲学者・鷲田清一さんの2つの考え方が紹介されます。「あみだくじ理論」と「ボールパス理論」です。
鷲田さんは、中年がしんどいのは人生を一本の直線として捉え、その折り返し地点をミドルエイジと考えるからだと指摘します。始点と終点があると思うから、過去を振り返り、この先を悩んでしまうというのです。
しかし始点も終点もはっきりあるわけではない、と鷲田さんは言います。生まれるときも死ぬときも自覚ははっきりせず、その間はみんな「途中」だというのです。24時間要介護状態で生まれ、24時間要介護状態で死んでいく、という表現がされていました。
折り返し地点で過去を振り返り、この先を悩む。中年がしんどくなる捉え方。
横に逸れながら進む。偶然の出会いで横道に逸れること自体が財産になる。
あみだくじ理論とは、人生を一直線ではなく、途中で横に逸れ、逸れた先でまた進み、偶然の出来事で横にずれてまた進む、というイメージだといいます。まっすぐ進むことがベストではなく、横道に逸れること自体が財産だという考え方です。
そう考えると、道を譲るのも悪くないとバタやんは言います。この道は後輩に譲り、自分は横に行く。その先に自分の新たな道がある、という捉え方です。
もう一つのボールパス理論は、鷲田さんがラグビーに例えたものです。ある程度の年齢になったら、渡されたボールはとりあえず断らずに受け取るべきだといいます。管理職や役職、面倒な役回りやケアであってもです。
ただし、長く自分で持って走らず、なるべく早く後ろの人にパスを回す。しかも受け取る人が受けやすい形でパスをするべきだ、という点にバタやんは強く納得します。
バスケットボール部だったバタやんは、一人が長くボールをキープしてはいけないルールを引き合いに、感覚的に腑に落ちたと話します。地位や承認欲求を満たすものほど持ち続けたくなるけれど、早いパス回しを意識することが執着を解き放ってくれる、と受け止めました。
角田光代の「竜宮城」のような時間
今日の「神フレーズ」は、バタやんが一番楽しみに読んだという角田光代さんの対談から選ばれました。
若くして売れっ子になり、多くの連載を持ち、何度も賞の候補になってきた角田さんにも停滞の時期があった。そして今は文芸の中央の世界にはいないと思っている、という語りが興味深かったとバタやんは言います。
中核にいないからこそ自由にできることがあり、楽しいと思える書き方をしてもいい、と角田さんは今考えているといいます。
停滞の時期には、パソコン教室に通ってみたこともあったそうです。小説を書くことしかできないと先々まずいのではと思ったものの、Excelなどはそこそこできてしまい、でもプロとしてやるのは面倒だと感じた、という正直な話が語られています。
角田さんはかつて月に28本もの締め切りを抱えていた時期があり、それを徐々に終わらせ、源氏物語を書くことに絞っていったといいます。その時期をExcel教室に通いながら過ごしていました。
角田さんが「懲役みたい」「スランプ」と表現したその時期を、東畑さんが「竜宮城みたいですね」と言い直します。バタやんは、相手の言葉を例えたり集約して聞き返す東畑さんの姿勢に、カウンセリングを受けているような心地よさを感じたと話します。
ただし竜宮城は、いる間は自由で楽しくても、帰ってくると年を取っているというシビアさもあります。それでも人生の後半に入るにあたって、一度や二度、竜宮城の時間があってもいい、とバタやんはまとめます。
席を譲ったり、ボールを後ろにパスしたりすると、その分両手が空きますから、全然違うことも習ってみるのもいいかもしれない。
まとめ
席を譲る側になったやるせなさに対し、『ミドル・エイジ・ビギンズ』は中年をクライシスではなく新しい始まりとして描きます。手札が出揃ってからのゲーム、横に逸れるあみだくじ、後ろへのパス、そして竜宮城の時間という言葉が、譲ることを前向きに捉え直すヒントになっています。
- 小箱ニコさんの「若い人に席を譲るのがやるせない」という相談に、東畑開人『ミドル・エイジ・ビギンズ』で応える回。
- 尾崎世界観さんの「カードは出揃っている」は、手札の中でゲームを続け、物語の停滞感を受け入れる姿勢を示す。
- 鷲田清一さんの「あみだくじ理論」は人生を直線ではなく横に逸れる道と捉え、「ボールパス理論」は受け取ったら早く手放すことを説く。
- 角田光代さんの停滞期を東畑さんが「竜宮城」と言い直し、席を譲って両手が空くからこそ出会える自由が語られる。
