ビッグマッチのような読了感と読む前のアドバイス
今夜はお便りの紹介をお休みし、辻村深月さんの『ファイア・ドーム』上下巻を読了しての感想が語られます。
読み終えた今の気持ちは、大きな試合や大会の後のような達成感と心地よい疲労感に包まれているといいます。
今はなんというか、ビッグマッチ、大きな試合の後の達成感と心地よい疲労感みたいなものに包まれています。
これから読む人への配慮として、まっさらな状態で読みたい人はここで止めて、読んでから戻ってきてほしいと呼びかけられます。
ミステリーのため謎解きの真相にはふれず、どんな事件と関係者がいて、どこが印象に残ったかという範囲で話が進みます。
上下巻で約900ページというボリュームに躊躇している人にも、内容を理解した上で読んでほしいと伝えられます。
バタやん自身も、予約はしたものの読み切れるか自信がなく、夏の遠出のお供に取っておこうと思っていたそうです。
ところが冒頭を読み始めたら面白く、放っておくとどんどん読んでしまうため、むしろ意図的にスピードを落としたほどだったと話されています。
そのうえで、買うときや借りるときのおすすめが2つ挙げられます。
25年をまたぐ3つの事件と「スノードーム」の舞台
物語では大きく3つの事件が描かれます。
これら3つの事件に関連があるのかどうかが、物語のポイントになっています。
さらに大事なのは、舞台が山に囲まれた地方都市であるという点です。
25年前の誘拐殺人事件は全国レベルの大事件として町中が大騒ぎになる一方、ひき逃げ事件はニュースバリューの点でかすんでしまったといいます。
現在の小学生の行方不明事件も、関係者や憶測が混じり、現代ならではのSNSの格好の餌食になっていきます。
閉鎖的な地方都市では、噂が一度回ると一気に広がり、逃げ場がありません。その様子がスノードームに例えられます。
スノードームってちょっと揺らすと、一回粉がバーって舞い散るわけですよね。そうすると逃げ場がない感じというのがあって。
噂の火の粉がぱっと舞い上がると逃げ場がない状態を、タイトルは「ファイア・ドーム」と称しているのだと解釈されています。
ただしスノードームは置いておくと沈静化するように、噂も時間が経つと嘘のように鎮火し、新しい刺激が起こるとまた火の手が上がる。そんな話ではないかと語られます。
物語を前に進める2人の視点
主軸となる登場人物は2人です。1人は、姿を消した小学生の担任である美冬という女性の先生です。
彼女は、児童がいなくなる直前に彼を見かけていたことで責任を問われ、別の事情も重なってネットの餌食になってしまいます。
もう1人は、美冬の恋人で地方紙の記者をしている透真という男性です。彼が事件の真相を解明していく探偵役を担います。
記者である透真は、取材という形で読者の目となり足となって、過去と現在の事件の真相へ近づいていきます。
事件が複数あり、時間軸も視点も行き来し、関係者も少なくないものの、話はごちゃごちゃにならないといいます。
美冬に共感する視点と、透真の視点でミステリーが解明されていく流れが、物語をとても前に進みやすい構成にしているからだと気づかされたそうです。
担任の後悔と、事実がねじ曲げられていく過程
上巻で特に印象に残ったのは、担任の美冬が学校からの帰り道、遅い時間に、行方不明になる直前の男の子を見かける場面です。
声はかけるものの、いなくなってから振り返れば「あの時ああしていれば」という後悔が次々に浮かび、世間もなぜそうしなかったのかと責め立てます。
さらに美冬には、その後に鍼灸院へ行く予約がありました。腰などのために通っていた鍼の予約でした。
ところが報道の過程で、それが美容針だった、エステの予定があって急いでいたのだと、あらぬ噂としてまことしやかに広まってしまいます。
あっという間に、自分の容姿にかまけて子供を置いていっちゃった無責任な女教師みたいな物語に仕立て上げられてしまう。
25年前の百貨店の事件でも、誘拐された受付嬢の素行についてあることないことが言われました。
当時は口コミという噂話だったものが、現代ではSNSを通じて、地方の一小学校の話であっても全国に広まってしまう。そのコントラストも面白いと語られます。
現実の火災ニュースと重なった「三転する」論調
この作品を読んでいたとき、ある小学校の火災のニュースと重なったといいます。
音楽準備室で火災があり、先生のとっさの判断で児童を窓の外のひさしに避難させ、怪我人は出たものの命は皆助かったというニュースでした。
当初は、骨折しながらも生徒を救った英雄のように音楽の先生が取り上げられたと記憶されています。
その後、出火原因が洗濯物を乾燥させていたことだとわかると、今度は先生の不注意ではないかという声が出ます。
さらに、部活のユニフォームを朝早くから洗って乾かしていたのなら子供たちのために大変だ、責めないであげてほしいという論調にも傾いたといいます。
ところが数日後、燃えていたのはユニフォームではなく先生の私服で、私物の電気ストーブを持ち込んでいたという話も出て、公私混同を疑われる存在へと一変しました。
実際にどうであったかはさておき、SNSやネットニュースの論調が英雄から容疑者へと二転三転していく様子が、物語と重なって胸が苦しかったと話されています。
他人の人生を「都合のいい物語」として消費するエゴ
蚊帳の外にいる野次馬は、「すごく良い話だ」なのか「ひどい先生だった」なのか、わかりやすい話に仕立て上げて消費したいという欲求をどこかに持っている、と指摘されます。
作中にも「昔から知っている」「美容室が一緒だった」と言いたがる人が出てきます。今をときめく人と自分が近しかったことに、ちょっとワクワクしているのだといいます。
自分の知っていることを悪気なく記者や人に喋ってしまうのは、誰にでもあるエゴと高揚感だと語られます。
本の中では、それが「軽薄」という言葉で表現されていたそうです。
貶めようとか深い意味や意図があったわけじゃなくて、ただ自分の願望の乗っかった物語として消費したいみたいな気持ちですよね。
上下巻を通して、そんな自分の中の卑しさや軽薄さをずっと突きつけられているような息苦しさがあったといいます。
辻村作品の「ベストアルバム」のような満足感
一方で、辛いだけの話ではなく爽快感もあり、エンタメとしての完成度が高いと評価されています。
その理由を考えたバタやんは、辻村さんがメフィスト賞出身のミステリー作家であることに改めて気づいたと話します。
地方都市の息苦しさや閉塞感、それでもそこで生きていくことは、辻村さんのテーマなのかもしれないと語られます。
『傲慢と善良』にも通じる、恋人の人間性を疑ってしまう要素や、辻村さんが得意な子供たちの生き生きとしたやりとりも堪能できるといいます。
辻村さんがお好きな方には、ベスト盤、ベストアルバムみたいな、セルフトリビュート感がありました。
書き出しに集約された「うっすらワクワク」と誤読の功罪
最後に、作品の書き出しから印象的なフレーズが紹介されます。
ある人は楽しそうだったと言い、ある人は不安そうだったと言う。期待に満ちた目でウキウキしていたという人もいれば、心細そうだったと言う人もいる。
これは誘拐されてしまう受付嬢の新沼冴が職場を後にした場面の証言で、本の書き出しにあたります。
ウキウキしていたという人も心配していたという人もいる。そのどちらにもうっすらとワクワク感がにじんでいる、とバタやんは読み取ります。
世紀の大ニュースになった人物を自分は知っている、直前を見ていた。そのことにワクワクしてしまう心情が、この数行に表れているのだといいます。
全部読み終わってから冒頭に戻ると、この本はここに集約されていたのだと強く感じたそうです。
さらに、前回の配信で語った「文脈を分かっていれば理解が助けられる」という話の、功罪が突きつけられたとも振り返ります。
文脈を知っていると、書かれていないことや喋っていないことを頭の中で勝手に補い、誤読や曲解をしてしまうリスクがあるという指摘です。
著者や話し手の背景を知っていれば、難しい本や英会話でも理解しやすくなる
書かれていないことを勝手に補い、自分の想定した都合のいい物語として誤読・曲解してしまう
文脈を都合よく使えば人や集団を動かせる一方で、赤の他人による都合のいい物語化は、いかに人を破滅に追い込むか。『ファイア・ドーム』はその皮肉を描いた物語でもあった、と締めくくられます。
まとめ
辻村深月さんの『ファイア・ドーム』は、地方都市で25年をまたぐ3つの事件を追う社会派ミステリーでありながら、他人の人生をわかりやすい物語として消費してしまう自分の軽薄さを静かに突きつける一冊として紹介されました。
- 舞台は山に囲まれた地方都市。噂の火の粉が逃げ場なく広がる様子がタイトルに込められている
- 担任の美冬と記者の透真、2人の視点が物語を前に進める構成になっている
- 鍼の予約が美容針と噂される展開は、現実の火災ニュースで論調が二転三転する様子と重なった
- 他人を「都合のいい物語」として消費するエゴと軽薄さが、上下巻を通して突きつけられる
- 文脈を知ることには理解を助ける功と、誤読・曲解を招く罪の両面があると語られた
