目が見えなくなっても論文を書き続けた数学者とは?
この回の主役は、18世紀の数学者レオンハルト・オイラーです。レンさんは冒頭で、オイラーが8桁×8桁ほどの掛け算を数秒で暗算できたという逸話を紹介し、エマさんは「コンピューターじゃん」と驚きます。
8桁掛ける8桁ぐらいの計算は数秒で暗算できたらしい。
コンピューターじゃん。
続いてレンさんは「もし目が見えなくなったらどうしますか」とエマさんに問いかけます。普通は落ち込むところですが、目が見えなくなったおかげで気が散らなくなり、前より研究に集中できると語った研究者がいたといいます。
目見えなくなって、そのおかげで気が散らなくなって、前より研究に集中できるって言った研究者がいて。
その研究者がオイラーです。レンさんによると、オイラーとガウスは数学の「二大巨頭」と呼ばれる存在で、今回はそのうちオイラーの話になります。オイラーが視力を失ったのは病気のほか、研究のしすぎもあったと話されています。
オイラーは目が見えなくなってからも、頭の中で演算した内容を口で伝え、それを子どもに書き取ってもらって論文を出し続けました。頭の中の計算だけで月の軌道を求めていたともいいます。
点字とか使って計算するのかと思ってたら、もう全部頭の中でやっちゃうんだ。
オイラーは人類史上もっとも多くの論文を出したとも言われる人物です。片手で子どもをあやしながら、もう片方の手で論文を書いていたという話もあり、エマさんは「それはドタバタだわ」と笑います。
目が見えなかったのは生涯の最後の17年ほどでしたが、生きている間に800本以上の論文を出し、印刷が間に合わないほどだったといいます。
1+1/2+1/3…を無限に足すとどうなる?
オイラーの人生に入る前に、レンさんは有名な業績にまつわる問題をエマさんに出します。1+1/2+1/3+1/4+…と、分数を無限に足し続けたら答えはどうなるか、という問いです。
え?なんか1つの値に収束する感じ?
エマさんは「収束しそう」と答えますが、レンさんによると、この足し算は無限に足すと無限に大きくなっていきます。何かの値に収束しないことは証明されているそうです。
次にレンさんは、分母だけを2乗した1+1/2²+1/3²+1/4²+…はどうなるかを尋ねます。こちらは収束し、その値はπ²/6になるといいます。
πって円周率ですけど、どっから円周率出てきたみたいな。
レンさんとエマさんが驚いたのは、ただの分数の足し算に、なぜか円周率が現れる点です。2つの式の違いは次のように整理できます。
無限に足すと無限に大きくなる(発散する)ことが証明されている
分母を2乗すると収束し、その値はπ²/6になる
後者の問題はバーゼル問題 ── 1+1/2²+1/3²+…の無限和の値を求める問題。17世紀に提起され、長く未解決でした。名前はベルヌーイ家ゆかりのスイスの都市バーゼルに由来しますと呼ばれる当時の未解決問題でした。オイラーは20代でこれを証明し、一躍有名になったと話されています。
足し算と円周率をつなぐ人。ネイピア数、シグマ、ベン図まで
エマさんは「オイラーと聞いてもパッと思い浮かばない」として、今オイラーの最大の功績とされるのは何かを尋ねます。レンさんは、後で紹介するオイラーの等式のように、分野をまたぐ公式を数多く作った点を挙げます。
レンさんによると、数学の三大分野は幾何学・代数学・解析学です。バーゼル問題のように、足し算のような代数学的な式に円周率という幾何学の数が出てくる公式を、オイラーは多く残しました。
解析学の分野で重要なのが、高校数学で習うネイピア数 ── 自然対数の底となる定数eのこと。約2.718で、指数関数や対数、微分積分で中心的な役割を果たしますeです。エマさんはlogで出てきたことを思い出し、Wikipediaには「オイラー数」とも呼ばれると書かれていると読み上げます。
音とか光とかって波の性質があると思うんだけど、その波の性質を計算しようとした時に、絶対これ(e)がないと計算できないみたいな。
レンさんは、このeをオイラーが定義したほか、サイン・コサイン・タンジェントの書き方や、総和を表す記号シグマもオイラーによるものだと紹介します。
さらにベン図も、オイラーの名がつく「オイラー図」に含まれるといいます。オイラー図は集合の相互関係を表す図の総称で、そのうち重なりのある特殊なパターンをベン図と呼んでいる、とレンさんは説明します。
完全に独立した2つの丸とかもオイラー図といえばいうけど、そのうちのなんか重なったやつがベン図っていうことか。
エマさんは、ベン図・シグマ・eが少しずつ違う分野に見えることに驚きます。レンさんは、ベースは数学でも、物理学をやる人は「オイラーさんから逃れられない」と表現しています。
牧師になるはずだった少年は、なぜ数学者になったのか
ここからレンさんはオイラーの人生をたどります。オイラーはスイスの人で、家は牧師の家系でした。本人も将来は牧師になるはずだったといいます。
転機になったのが、数学者を数多く輩出したベルヌーイ家 ── 17〜18世紀のスイス・バーゼルで、多くの数学者や物理学者を出した一族。ヤコブ、ヨハン、ダニエルらが知られていますです。オイラーの父はベルヌーイ家の人から数学を学んでいて、その縁で息子にも数学を教えてもらうことになりました。
オイラーは数学をとても面白がり、才能も見出されます。ベルヌーイ家の人は、オイラーには天賦の資質があるので牧師を諦めて数学者の道を歩ませてほしいと、わざわざ父親に頼んだそうです。父親も昔の恩師の頼みとして受け入れました。
ただ、当時の数学者の道は簡単ではありませんでした。レンさんによると、今のように数学教授が給料をもらって研究するのは当たり前ではなく、学校の正式な教科に数学がないところも珍しくなかったといいます。
数学一番大事そうな気がするけどね。今の感じだと。
そこで数学者の収入源になっていたのが、未解決問題にかけられた懸賞金です。オイラーは20歳のころから懸賞問題を解いて賞金を得ており、バーゼル問題もお金になって名を上げるきっかけになったと話されています。
π²/6はどうやって見つかったのか
レンさんは、オイラーがバーゼル問題をどう解いたのかを、考え方だけに絞って説明します。まず手計算で1/2²、1/3²…を小数にして足していくと、答えは1.645ほどになるといいます。
難しいのは、その足し算が無限に大きくなるのか、ある値に収束するのかを見分けることです。エマさんが言うように、永遠に計算するわけにはいかないので、一般化して証明する必要があります。
レンさんによると、ある値に近づく式にも、5回ほど足せばほぼその値になるものと、200回ほど計算してようやく近づくものがあります。なかなか近づかないことを「収束が遅い」と言い、バーゼル問題は200番目ほどまで計算してやっと小数点以下第2位がわかるほど収束が遅い式でした。
オイラーがバーゼル問題に挑んだ過程は、レンさんの説明に沿うと次のように整理できます。
式の高速化
シグマや積分を使って式を変形し、4番目ほどまでの計算で1.64を超えるところまで求められるようにした
値の推定
1.6449…という数字を見て「π²/6っぽい」と気づいた
一致の確認
実際に計算した値と小数点以下第11位ほどまで一致した
証明
π²/6から逆に考え、サインやコサインを使って証明にたどり着いた
諦めてた人が結構多かったんだけど、オイラーさんがすごかったって言われてるのは、この数字を見て6分のπ2乗っぽくね?って気づいたらしいんだよ。
途中でエマさんが確認したように、当時は答えがπ²/6になることは知られておらず、そもそも収束するかどうかを示す必要がありました。証明の過程で、収束することもπ²/6になることも明らかになったわけです。
13人の子育てと、3日間の没頭で失った視力
バーゼル問題で有名になったオイラーには、パトロンのようにお金を出してくれる人もつき、生活が成り立つようになります。その後結婚し、子どもは13人生まれましたが、成人まで育ったのは6人だったといいます。
オイラーは子育てをしながら、子どもを膝の上であやしつつ計算して論文を書いていました。この子どもたちが数学をよく理解していたことが、後に目が見えなくなったオイラーの口述を書き取る役目につながっていきます。
30歳ごろ、天文学の難問に賞金がかけられたことがありました。他の数学者が数か月かかると言うなか、オイラーはぶっ通しの3日間で解いたとされ、その没頭もきっかけになって片方の目の視力を失ったといいます。
どんだけ没頭したらそんな視力なくなるんだろうね。
オイラーは1707年生まれで、レンさんは「ニュートンやライプニッツの次の世代」と位置づけます。扱う分野も近く、バトンを受け取ったような存在だったそうです。
片目を失ってから30年ほど後、もう片方の目も白内障になり、オイラーは両目が見えなくなります。それでも他の教授と話して最新の研究をインプットし、頭の中で計算して論文を書き続けました。冒頭の8桁×8桁の暗算の逸話は、この時期の話として紹介されています。
レンさんは、オイラーの記憶力も異常に良かったと話します。読んだ古典文学について、何ページに何が書いてあるかまで覚えていたといいます。
弟子2人に何十行もかかる計算をさせたところ、50行目ほどで2人の答えが食い違ったことがありました。そのときオイラーは頭の中で暗算し、どちらが正しいかを言い当てたそうです。
人が息を吸うように、鳥が空を飛ぶように、オイラーは計算してたっていう言葉を(他の人が)残してて。
それほどの天才でありながら、残っている情報では人柄はいたって普通だったといいます。レンさんはどこか変わったところがあるのではと思ったそうですが、エマさんは「ねじ曲がったところはない、いい人だね」と受け止めています。
世界で一番と二番目に美しい式は、どちらもオイラー?
次にレンさんは、幾何学寄りの業績としてオイラーの多面体定理 ── 凸多面体の頂点の数V、辺の数E、面の数Fについて、V−E+F=2が成り立つという定理。位相幾何学の出発点の一つともされますを紹介します。頂点の数から辺の数を引き、面の数を足すと必ず2になるというものです。
この関係は、へこんだ部分のない凸多面体であれば必ず成り立つといいます。レンさんはサイコロのような正六面体を例に、実際に数えてみせます。
| 項目 | 数 | 計算 |
|---|---|---|
| 頂点 | 8 | 8 |
| 辺 | 12 | 8−12 |
| 面 | 6 | 8−12+6=2 |
これすごい綺麗だなと思って。
この多面体定理を「世界で二番目に美しい式」と言う人もいるそうです。そして一番とされるのも、オイラーの式です。それがオイラーの等式 ── e^(iπ)+1=0という等式。ネイピア数e、虚数単位i、円周率π、1、0という重要な数を一つの式で結びつけていますです。
レンさんによると、オイラーの等式のすごさは、微分積分で重要なe、代数学で登場する虚数i、幾何学の円周率πが組み合わさり、1を足すと0になる点にあります。エマさんは、解析学・代数学・幾何学という三大分野が一つの式に入っていると整理します。
個人的には、あの、さっきの2番目の式(多面体定理)の方が美しい感じがするけどね。
エマさんは、直感的にわかる多面体定理のほうが美しく感じると話します。一方レンさんは、波の性質を解析するような物理の計算では、異なる分野をつなぐ式があると変換ができ、物理現象を数学できちんと計算できるようになるため重要だと説明しています。
天王星の軌道を計算しながら迎えた最期
オイラーは年をとっても、最後まで数学や天文学を続けていました。レンさんは諸説あると断ったうえで、1783年、77歳ごろの最期のエピソードを紹介します。
ちょうど地球から遠く離れた天王星が見つかったころで、オイラーはその軌道を計算しているときに「死ぬよ」と言って息を引き取ったといいます。脳卒中で倒れたという説もありますが、とにかく生涯計算し続けていたことは確かだとレンさんは話します。
エマさんは、当時はすでに地動説だったのかを尋ねます。レンさんは、ガリレオよりかなり後の世代なので地動説になっていると答えます。エマさんがこう尋ねたのは、最近ハマっている作品の影響だったようです。
レンさんは改めて、自分が8桁×8桁を手計算でできるかを考え、「何千万掛ける何千万の掛け算」だと気づいて「意味がわからん」とこぼします。エマさんは、その計算方法を記録に残しておいてほしかったと話しています。
数学者にランキングはある?時代とともに上がるレベル
エマさんは、数学界に「この人が一番すごい」といったランク付けはあるのかを尋ねます。レンさんは文脈によるとしつつ、現代の数学界ですごい人と言えば、オイラーと、次回取り上げる予定のガウスの名前がよく挙がると答えます。
時代によっても見え方は変わり、古代ギリシャならピタゴラスやアルキメデスが有名です。17〜18世紀はニュートンの次の時代で、有名な数学者が多く出てきた時代でもあったといいます。
時代が進めば進むほど、もうすでにわかっていることが高度だから、新しい発見がさらに高度で複雑化してさ。
レンさんはこれに同意し、ニュートンが『プリンキピア』のような本を出して皆が驚いたことも、やがて普通に教えられてスタートラインになったと話します。その上に新しい数学者が生まれるため、レベルはどんどん上がっていき、1700年代も実際そうだったそうです。
最後にレンさんは、オイラーの名前は公式の名前に多く入っているので、聞いたことがある人は多いはずだと話します。この回のオイラー像を、レンさんは次のように表現しました。
まとめ
オイラーは、牧師になるはずだったところをベルヌーイ家に才能を見出され、懸賞問題やバーゼル問題で名を上げた数学者です。片目、そして両目の視力を失っても口述で論文を出し続け、e、シグマ、多面体定理、オイラーの等式など、今も使われる多くの成果を残しました。
- 1+1/2²+1/3²+…がπ²/6になるバーゼル問題を、数字の形から見抜いて20代で証明した
- ネイピア数eやシグマ、三角関数の書き方、オイラー図など、物理学にも欠かせない道具に名を残している
- 頂点−辺+面=2の多面体定理と、e^(iπ)+1=0のオイラーの等式は「美しい式」として知られる
- 晩年は両目が見えなくなっても、暗算と口述で亡くなるまで計算を続けた




