原子の核はどう見つかった?放射線研究の歴史とラザフォードの太陽系モデル
サイエントークのレンさんとエマさんが、原子の中心に「核」があることを突き止めた物理学者アーネスト・ラザフォードの生涯と、放射線の発見から金箔実験、そして太陽系モデルの提唱に至るまでのドラマを語りました。その内容をまとめます。
原子は「プラムプディング」だと思われていた
ラザフォードの発見を理解するには、まず当時の「原子観」を知っておく必要があります。19世紀末、原子は単なる小さな粒だと考えられていました。その後、J.J.トムソンイギリスの物理学者(1856–1940)。陰極線の研究から電子を発見し、1906年にノーベル物理学賞を受賞。キャベンディッシュ研究所の所長を務めた。が電子という「マイナスの電気を持った粒」の存在を実験で確かめます。
そこから生まれたのがプラムプディングモデルJ.J.トムソンが1904年頃に提唱した原子模型。プラス電荷が均一に広がった塊の中に、マイナスの電子が散りばめられているという描像。英国の伝統菓子プラムプディングに由来する。です。プリンのような「ふわっとしたプラス電荷の塊」の中に、レーズンのように電子がいくつも埋め込まれている──そんなイメージでした。ここには「中心」という概念がありません。原子核という発想自体が、まだ誰の頭にもなかったのです。
ニュージーランドの芋掘り青年、イギリスへ
アーネスト・ラザフォードニュージーランド出身の物理学者(1871–1937)。放射線の研究、原子核の発見、太陽系モデルの提唱など数々の業績を残した。1908年にノーベル化学賞を受賞。は1871年、当時イギリスの植民地だったニュージーランドで生まれました。麻の栽培で成功した実業家の父と教師の母のもと、12人兄弟の4番目として育った「普通の人」です。最初は高校の先生を目指していたものの採用されず、ニュージーランド大学で物理学を専攻する道に進みます。
転機はイギリスの万博記念奨学金1851年のロンドン万博の利益を基に創設された奨学金制度。植民地の優秀な学生がイギリスで研究できるよう支援した。正式名称は「1851 Exhibition Scholarship」。でした。1位の合格者が受け取りを辞退したおかげで、繰り上げ合格。合格の知らせを受けたとき、ラザフォードは実家で芋を掘っていて、「これが生涯最後の芋掘りだ」と叫んだと言われています。
奨学金1位の辞退した人、歴史変えたよ
渡英後、ケンブリッジの名門キャベンディッシュ研究所1874年に設立されたケンブリッジ大学の物理学研究所。初代所長はジェームズ・クラーク・マクスウェル。電子の発見、DNAの構造解明など多くの歴史的成果が生まれた。に入り、指導教官はなんとJ.J.トムソン本人でした。体が大きく声がバカでかい──声のせいで物理装置の計測値が狂うほどだったという逸話も。植民地出身ということで「南極から来た野ウサギ」と揶揄されつつも、猛烈に研究に打ち込みます。
放射線の発見──ウランから出る「謎の何か」
1896年、パリのアンリ・ベクレルフランスの物理学者(1852–1908)。ウランから自発的に放射線が出ることを偶然発見し、1903年にキュリー夫妻とともにノーベル物理学賞を受賞。がウランの研究中に奇妙な現象に気づきます。太陽の光が絶対に当たらないよう棚の奥にしまっておいたウランが、それでも何かを放っていて、近くの感光紙が反応していたのです。この自発的に出る「謎の何か」は当初「ウラン線」と呼ばれました。
続いてキュリー夫妻マリー・キュリー(1867–1934)とピエール・キュリー(1859–1906)。放射性元素ポロニウムとラジウムを発見。マリーはノーベル物理学賞(1903年)と化学賞(1911年)を受賞した唯一の人物。──マリー・キュリーとピエール・キュリー──が電位計を使い、ウランの量と放射の強さの関係を定量的に測定することに成功します。さらにウラン以外の物質からも同様の現象が見られることを確認し、これに「放射線」という名前を与えました。放射線を出す能力のことは「放射能」と呼ばれます。
しかし当時は「何かが出ている」ことはわかっても、それが何なのかは全くわかっていませんでした。電位計が検出しているのは、放射線そのものではなく、放射線が周りの空気にぶつかって電子を弾き飛ばし、そこから生じる微弱な電気の流れだったのです。「何か出ているけれど、正体がわからない」──この謎に挑んだ一人が、ラザフォードでした。
アルファ線・ベータ線・ガンマ線の分類
ラザフォードは実にシンプルな方法で放射線の正体に迫ります。放射線を出す物質をアルミホイルで包み、何枚重ねたら検出される電気がなくなるかを調べたのです。
結果、面白いことがわかりました。アルミホイルを1枚挟むだけで検出量が激減する放射線がある一方、何枚重ねてもなかなか遮断できない放射線もあったのです。もし一種類の放射線しかなければ、枚数に応じて一定のパターンで減衰するはず。しかし実際のデータは、「すぐ遮断されるもの」と「なかなか突き抜けてくるもの」が混在していることを示していました。
ラザフォードは透過しにくい方をアルファ線、透過しやすい方をベータ線と名づけます。さらにその後、別の研究者が分厚い鉛の板すら突き抜ける放射線を発見。これがギリシャ文字の順にガンマ線と呼ばれました。
| 種類 | 正体 | 遮断できるもの | 透過力 |
|---|---|---|---|
| アルファ線 | ヘリウムの原子核 | 紙・アルミホイル数枚 | 低い |
| ベータ線 | 電子 | アルミ板・薄い金属板 | 中程度 |
| ガンマ線 | 電磁波(光の仲間) | 分厚い鉛・コンクリート | 高い |
現代の知識で言えば、アルファ線はヘリウムの原子核、ベータ線は電子、ガンマ線は波長が極めて短い電磁波です。ガンマ線は電磁波電気と磁力が相互作用しながら空間を伝わる波。可視光、紫外線、X線、電波、Wi-Fiなどすべてが電磁波の仲間。波長の長さによって性質が異なる。の一種なので、Wi-Fiの電波が壁を通り抜けるように、物質を透過する力が非常に強いのです。ただし当時は名前こそつけたものの、その正体はまだ謎のままでした。
金箔実験──ティッシュペーパーを弾丸が跳ね返る衝撃
放射線の種類がわかってきたラザフォードは、次にアルファ線をさまざまな物質にぶつけて性質を調べ始めます。箱の中に放射線源を入れ、小さな穴からビーム状に飛び出すアルファ線を、極薄の金箔に当ててみるという実験です。金箔の向こう側にスクリーンを置き、通過したアルファ線の点を観察しました。
プラムプディングモデルが正しければ、原子は「ふわふわのプリン」のようなもの。パワーの強いアルファ線はほぼ素通りするはずでした。実際、大部分のアルファ線はそのまま金箔を通過していきます。ところが──。
ティッシュペーパーに弾丸を撃って跳ね返ってきてるぐらいの衝撃だったみたいな
約1万発に1発の割合で、アルファ線が跳ね返ってきたのです。プリンに弾丸を撃ち込んで跳ね返るなどありえない。ラザフォード自身、「ティッシュペーパーに弾丸を撃って跳ね返ってきた」ほどの衝撃だったと語っています。
この実験はガイガーハンス・ガイガー(1882–1945)。ドイツ出身の物理学者。ラザフォードのもとで金箔実験を遂行した。放射線検出器「ガイガーカウンター」の発明者として知られる。や学部生たちと共に、100万回以上繰り返されました。暗い部屋で顕微鏡を覗き込み、スクリーン上の微小な発光点を一つひとつ記録するという、途方もなく地道な作業です。ラザフォード自身は性格がワイルドで「すぐ飽きた」そうですが、ガイガーらがコツコツと続けたことで、「まぐれではない」と確信できるデータが蓄積されていきました。
原子核の命名と太陽系モデルの誕生
「プリンに弾丸を撃ち込んで跳ね返るなら、プリンの中にめちゃくちゃ硬いものがある」──ラザフォードはそう推論しました。原子全体に対して1万分の1以下というごく小さなサイズの「硬い中心」に、たまたまアルファ線が当たったときだけ跳ね返る。こう考えれば、大部分が素通りし、ごくまれに跳ね返るという実験結果が説明できます。
ラザフォードはこの「硬い中心」にNucleus(ヌクレウス)という名前を与えました。英語にはCore(コア)という似た単語もありますが、あえてNucleusを選んでいます。Nucleusの語源はラテン語で「木の実・種子」を意味する言葉。生物学で細胞の核がすでにNucleusと呼ばれていたことを知っていたラザフォードは、「種子のように中心に守られている」というイメージでこの言葉を採用したとされています。
そして、プラムプディングモデルに代わる新しい原子のイメージとして提案されたのが、太陽系モデル(惑星モデル)です。原子の中心にプラス電荷を持った原子核(太陽)があり、その周りをマイナス電荷の電子(惑星)がくるくる回っているという描像。教科書でよく見る、あの原子のイメージ図の原型です。
プラス電荷の塊の中に電子が散りばめられている。「中心」がない
中心に小さくて重い原子核があり、周囲を電子が回る。「核」がある
ただしレンさんは、この太陽系モデルが現代では正確ではないことにも触れています。電子が惑星のように特定の軌道を回っているわけではなく、もっと確率的にふるまうことがわかっているのです。しかし「中心に原子核があり、周囲に電子がいる」という基本構造は正しく、原子核物理学原子核の構造や性質、核反応などを研究する物理学の分野。ラザフォードの原子核発見を起点に発展し、核分裂・核融合の研究、素粒子物理学の基礎となった。はここから始まりました。
ラザフォードはさらに、元素が別の元素に変換されること(元素変換ある元素の原子核が変化して別の元素に変わる現象。放射性崩壊や核反応で起こる。かつては錬金術の夢とされていたが、ラザフォードが科学的に証明した。)の証明や、半減期放射性物質が崩壊して元の量の半分になるまでにかかる時間。ラザフォードが導入した概念で、放射性崩壊の速さを定量的に表す指標として現在も広く使われている。という概念の創出にも貢献。37歳という若さでノーベル賞を受賞しています。「全ての科学は物理学か、切手収集だ」──物理学こそ至高と言い切る、なんとも豪快な人物でした。
まとめ
ベクレルやキュリー夫妻が「ウランから何か出ている」と気づいたところから、ラザフォードがアルミホイルのフィルターで放射線を種類分けし、さらに金箔実験で原子核の存在に辿り着くまで──その道のりは、地道な実験の積み重ねでした。J.J.トムソンから学び、トムソンのプラムプディングモデルを覆し、太陽系モデルを提案する。師弟の間で科学の知がつながっていく構図も印象的です。
そしてレンさんは、ラザフォードのもとにやってきたある学生が、今度はこの太陽系モデルを否定していく──という次回への伏線も残しています。科学の歴史は、発見と否定の連鎖で進んでいくのかもしれません。
- 当時の原子は「中心のないプラムプディング」だと考えられていた
- ベクレルがウランから自発的に出る放射線を発見し、キュリー夫妻が定量化・命名した
- ラザフォードはアルミホイルの透過実験で放射線をアルファ線・ベータ線・ガンマ線に分類した
- 金箔にアルファ線を撃ち込む実験で、約1万発に1発が跳ね返ることを発見
- 「原子の中心にごく小さくて硬い核がある」と結論づけ、原子核(Nucleus)と名づけた
- プラムプディングモデルに代わる「太陽系モデル」を提唱し、原子核物理学が誕生した
- 元素変換の証明や半減期の概念もラザフォードの功績。37歳でノーベル賞を受賞

