見えない原子を証明したのは誰?ブラウン運動とジャン・ペランの功績
サイエントークのレンさんとエマさんが、「原子の存在をどうやって証明したのか」というテーマで語りました。目に見えない原子を、顕微鏡とひたすらの観察で証明したフランスの物理学者ジャン・ペランの功績と、その土台となったアインシュタインの理論についてまとめます。
原子は「見えない」のにどう証明する?
私たちの身の回りの物質は原子でできている──現代の教科書ではごく当たり前のことですが、その原子は肉眼はもちろん、当時の顕微鏡でも見えないほど小さい存在でした。原子の大きさの比喩として、番組では「地球に対するテニスボールの比率を、さらにテニスボールから小さくしたのが原子ぐらい」という例えが紹介されています。
細菌や細胞は顕微鏡を覗いて「あった!」と確認できます。しかし原子にはそうした直接的な発見の瞬間がありません。19世紀後半、エルンスト・マッハオーストリアの物理学者・哲学者。音速の単位「マッハ」の由来となった人物。実証主義を重視し、直接観察できない原子の実在には懐疑的だった。やヴィルヘルム・オストヴァルトドイツの化学者。1909年ノーベル化学賞受賞。触媒研究や硝酸の工業的製法「オストヴァルト法」で知られる。エネルギー論の立場から原子の実在に反対していた。といった影響力ある科学者たちも、「原子は便利な仮説にすぎない」と考えていました。
原子見つけた人誰ですか?って言われたら多分知らないじゃないですか
原子の存在が実験的に証明されたのは1908年ごろのこと。わずか100年余り前の話です。しかもその証明は「粒が見えた!」という派手な瞬間ではなく、極めて地道な観察の積み重ねによるものでした。
ブラウン運動の発見 ── 花粉が水面で動く謎
原子の証明には、一見まったく関係なさそうな現象が鍵になりました。1820年代、スコットランド出身の植物学者ロバート・ブラウンイギリスの植物学者(1773–1858)。花粉の微粒子が液中で不規則に動く現象を詳細に報告した。この運動は後にブラウン運動と名付けられた。が報告した「ブラウン運動」です。
ブラウンは水面に浮かべた花粉が破裂して、中から出てきた小さな粒々が不規則に動き回るのを観察しました。当初、ブラウンはこれを「花粉の中にある生命の源が動かしている」と説明していました。つまり、生き物だから動くのだと考えたのです。
しかし後に、花粉でなくても細かい粉末なら同じように不規則に動くことがわかりました。生命とは無関係の現象だったのです。この謎の動きの正体が解き明かされるのは、それから約80年後のことです。
アインシュタインの理論 ── 水分子の衝突で動きを予測する
1905年「アインシュタインの奇跡の年」と呼ばれる。特殊相対性理論、光量子仮説、ブラウン運動の理論など、物理学を根底から変える複数の論文を発表した年。、アインシュタインはブラウン運動に関する論文を発表します。その主張は画期的なものでした。目に見えない水の分子が、常に動き回りながら花粉にぶつかることで、あの不規則な動きが生まれているというのです。
水分子(目に見えない)
液体中で常にランダムに動き回っている
微粒子(花粉や樹脂など)にぶつかる
四方八方から無数の水分子が衝突する
微粒子が不規則に動く(ブラウン運動)
衝突の偏りによってジグザグの動きが生まれる
さらにアインシュタインは、微粒子の大きさ、液体の粘度、温度、そして水分子の数というパラメータを使えば、この動きを数式で予測できることを示しました。つまり、花粉の動きを丁寧に観察すれば、逆算して水分子の大きさや数がわかるはずだと主張したのです。
ここで重要なのがアボガドロ定数イタリアの化学者アメデオ・アボガドロ(1776–1856)が提唱した「同温同圧の気体は同体積中に同数の分子を含む」という仮説に基づく定数。との結びつきです。ブラウン運動の観察から求めた水分子の数が、理論的に予測されていたアボガドロ定数と一致すれば、原子・分子が本当に存在する証拠になります。アインシュタインは理論でそこまでの道筋を示しました。あとは、誰かが実際にやるだけです。
ジャン・ペランの実験 ── 顕微鏡で理論を証明する
アインシュタインの理論を実験で検証しに行ったのが、フランスの物理学者ジャン・ペランフランスの物理学者(1870–1942)。ブラウン運動の精密な観察によって原子・分子の実在を証明し、1926年にノーベル物理学賞を受賞した。です。ペランはJ.J.トムソンイギリスの物理学者(1856–1940)。1897年に電子を発見し、1906年ノーベル物理学賞を受賞。ペランの陰極線に関する研究が着想の一助になったとも言われる。の電子発見にも間接的に貢献した人物ですが、原子の証明における貢献はさらに大きなものでした。
実験の工夫 ── 均一な粒を用意する
花粉をそのまま使うと大きさがバラバラで正確な測定ができません。そこでペランは、溶けない樹脂の微粒子を用意し、遠心分離で大きさを揃えるという工夫をしました。重いものは底に沈み、軽いものは上に残る性質を利用して、なるべく均一なサイズの粒を選り分けたのです。
3D空間を2Dの顕微鏡で追う困難
液体中の粒子は三次元的に動きますが、顕微鏡で見えるのは二次元の平面だけです。ペランはピントの合う高さを少しずつ変えながら、各層で通過する粒子の数を数えました。下の方ほど粒子が多く、高さが上がるにつれて指数関数的ある量が高さなどの変化に対して急激に減少(または増加)するパターン。ここでは「少し高くなるだけで粒子数がぐっと減る」という関係を表す。に減少していくことを確認しています。
また、同じ焦点面では粒子がジグザグに動く様子を追跡し、時間ごとの位置を記録して移動距離を分析しました。コンピュータのない時代に、これらのデータをすべて手作業で集めたのですから、その労力は想像を絶します。
大量の粒子を水の中で3Dで、しかもコンピューターとかなさそうな時代に一面一面撮影するっていう、気力がすごい
アボガドロ定数の一致が意味すること
ペランの膨大な観察データをアインシュタインの式に当てはめると、理論値に極めて近いアボガドロ定数が得られました。しかも、高さごとの粒子分布から求める方法と、ジグザグ運動の分析から求める方法という複数の異なるアプローチで同じ値が出たのです。
さらに番組では、電気分解を使ったまったく別の方法でもアボガドロ定数が求められることが紹介されました。ファラデー定数1モルの物質を電気分解するのに必要な電気量(約96,485 C/mol)。マイケル・ファラデーの電気分解の法則に基づく。(1モルの物質を電気分解するのに必要な電気量)を電気素量電子1個が持つ電荷の大きさ(約1.602×10⁻¹⁹ C)。ロバート・ミリカンの油滴実験で精密に測定された。(電子1個の電荷)で割れば、やはりアボガドロ定数が出てきます。顕微鏡の実験と電気の実験、まったく異なるルートから同じ数に辿り着いたのです。
粒子の動き・分布から水分子の数を逆算
ファラデー定数÷電気素量で粒子数を算出
この「複数の方法で同じ値が出る」ということこそが決定的でした。1回だけなら偶然かもしれませんが、まったく違う方法で繰り返し一致するなら、もはや偶然ではありえません。
ブラウン運動で特定の動きを花粉がしてて、この動きになるためには水分子何個なければいけないっていうのが計算でわかって、それがアボガドロ定数で計算した数と一致するってことだよね
そうそうそう、そういうイメージ
原子論の確立と科学への影響
ペランの実験結果は、原子の存在に反対していた科学者たちをも納得させました。「原子論は正しい」──それまで懐疑的だった人々がこの結論を受け入れたのです。
この証明がもたらした影響は計り知れません。原子論が確立したことで、科学者たちは原子の内部構造や原子同士の結合のしくみを自信を持って研究できるようになりました。もし原子論が崩れていたら、それらの研究はすべて土台を失っていたことになります。
番組では、実際に原子を一粒一粒「見る」ことができる電子顕微鏡が登場するのはもっと後の時代であることにも触れられました。エマさんは大学の研究室見学で電子顕微鏡越しに原子を見たことがあるそうですが、そうした装置を作るためにも、まず原子論を信じて研究を進める必要があったはずだとレンさんは指摘しています。
まとめ
原子の存在は、「見えた!」という劇的な瞬間ではなく、理論と実験の地道な積み重ねによって証明されました。古代から続いた「世界はつぶつぶでできている」という仮説が、ブラウン運動という一見無関係な現象を通じて裏付けられたのです。
レンさんは「ぼんやり真実が浮かび上がってくる感じ」と表現しました。一つの実験だけでは偶然かもしれない。しかし、複数の異なる方法で同じ結論に辿り着いたとき、それはもう覆せない事実になる。それがサイエンスのあり方なのだと、エピソードは締めくくられました。
- 原子の存在が実験的に証明されたのは1908年ごろ。光学顕微鏡では原子そのものは見えないため、間接的な方法で証明された
- 1820年代にブラウンが発見した花粉の不規則運動を、1905年にアインシュタインが「水分子の衝突」で説明する理論を発表した
- フランスの物理学者ジャン・ペランが、均一な樹脂粒を使った精密な顕微鏡実験でアインシュタインの理論を検証し、アボガドロ定数を実験的に確認した
- ブラウン運動の観察と電気分解という異なる方法で同じアボガドロ定数が得られたことが、原子・分子の実在を決定づけた
- 原子論の確立により、原子の内部構造や化学結合の研究が本格的に進められるようになった

