なぜTwitter名は「シルスタ」なのか
FinatextHDのCEO林良太さんは、SNS上では「シルスタ」という名前で知られています。この由来は、映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の1シーンにあると林さんは話します。
映画で(レオナルド・)ディカプリオが起業した時に、伝統的な名前にしたらすごい客が来るんじゃねえかみたいなシーンがあって、それがすごい好きなんですよ。
林さんは、金融という分かりづらい領域でエンジニアを採用しづらかった時期、大手金融機関を思わせる名前を思いついたと振り返ります。
ゴールドマンサックスとかモルガンスタンレーとかJPモルガン全部合わせたような名前にしたらいいんじゃないかなと思って。それがめっちゃバズったんですよ。
その結果、Twitter名は「シルスタ(シルバーマスター)」に定着しました。林さん自身、会社より有名かもしれませんと語るほど、この名前は浸透しています。
金融機関ってやっぱ古いんで、あんまりSNS運用やってる人いなくて。エンジニアってみんなTwitterとか見るじゃないですか。それでこうやりましたね。
「ジャパニーズ・パランティア」とは何をする会社なのか
番組では、そもそもFinatextがどういう事業をしているのかが問われます。林さんは、金融機関の裏側のシステムを提供する会社だと説明します。
(Finatextは)金融機関の裏側のオペレーティングシステムを、クラウドネイティブで提供してるっていう会社です。もうわけわかんないですよね。
林さんは、金融サービスが使いづらく、いまだに紙の手続きが多い現状を挙げ、それをオペレーターが使いやすい形に変えていく事業だと語ります。理解のとっかかりとして「ジャパニーズ・パランティア」という表現も使いました。
Finatextの事業は3つに分かれていると林さんは説明します。フィンテックシフト、データ解析、そして金融インフラです。上場後は毎期連続で成長しているといいます。
(会社全体で)毎年40パー成長してて、今期で前期着地が(利益)20何億ぐらいで着地したんですけど。
今まで一番伸びていたのは、基幹システムなどを提供する金融インフラ事業でした。一方で最近は、AI活用のためのデータ基盤整備の需要が増え、データ解析事業(ナウキャスト)が前年同期比で6割ほど伸びていると語ります。
なぜ金融の基幹システムは「高い・遅い・まずい」なのか
番組では、金融の基幹システムがどういうものか、なぜ費用がかかるのかが掘り下げられます。林さんは、メインフレームと呼ばれる古いシステムを「魔宮」に例えて説明します。
その魔宮御殿に何かうまく接続して、金融機関の人がオンラインで保険申し込んで契約管理するとか、なんかできそうじゃないですか。これ一声10億20億かかるんですよ。
技術的には簡単に見えることでも、金融機関では2年・10億20億、場合によっては500億規模になると林さんは言います。理由は、これまで引き継いできた歴史があるからです。
Finatextはその「魔宮」を変えずにネットワークを接続し、金融機関が早く安く柔軟に新しいサービスを作れるようにしているといいます。林さんはこれを金融機関って高い遅いまずいなんですよと表現しました。
費用がかかる理由として、林さんは2つを挙げます。1つは仕様が明文化されていないこと、もう1つは金融機関がミスを許されないことです。
(仕様が)50年積み重なってるんですよ。そうすると勝手知ったるところに発注したいよねっていうのと、あと金融機関ってしくじれないんで。
新しいベンダーに任せるのが難しい世界で、Finatextは一度実績を作ることで次の案件につながってきたと林さんは振り返ります。この積み重ねが、営業チームがほとんどなくても業績が伸びる理由だといいます。
茅ヶ崎育ちで小5まで海に行かなかった少年時代
ここから話題は林さんの生い立ちへ移ります。育ちは湘南の茅ヶ崎ですが、海には小5になるまで行ったことがなかったといいます。
近すぎて東京タワー行かなくないですか?だから海近いからいつでも行けるやんと思って小5まで行かなかった。
一人っ子として育った林さんですが、父も起業家でした。父が経営するオプトランという会社は上場しており、林さんは「日本初の親子上場(資本関係のない親子上場)」だと語ります。
親父も実は起業家でして。なんなら上場してるんですけど。なんなら日本初の親子上場なんですよ。違う形の親子上場。
ただし、幼少期の家庭は「中流」だったといいます。林さんは回転寿司での家庭の空気感を具体例に挙げました。
回転寿司行くと400円以上は取んなよっていう圧があるみたいな。皿の色違うやつは一皿ぐらいにしとけよ的な。
母は専業主婦でしたが、行動力のある人だったと林さんは振り返ります。街で知り合った人とエジプト旅行に行くような人で、その行動力は自分にも受け継がれていると語ります。
中学時代の「痩せるから付き合ってください」告白
中高一貫校に進んだ林さんは、テニス部に所属していました。当時は太っていて、いわゆる「太っているキャラ」だったといいます。そんな中で経験した初恋の告白が、林さんにとって忘れられない思い出です。
テニス部のメンバーに押し出されて、「おいお前、亮太お前告ってこい」みたいなのってあるじゃないですか。
緊張のあまり頭が真っ白になった林さんが放った言葉が、周囲を沸かせました。
その時言ったのが、「痩せるから付き合ってください」って言ったんですよね。
告白自体はうまくいかなかったものの、この一件で林さんの認知度は一気に上がったといいます。中2の出来事ですが、今でも鮮明に覚えているエピソードです。
模試6割から東大一発合格、人生の「確変」
学業成績は中学・高校を通じて「真ん中ぐらい」で、目立たなかったと林さんは語ります。ところが大学受験で人生が動きます。センター試験の模試では最高6割ほどだったにもかかわらず、本番で9割3分を取ったといいます。
本番強くて、本番で9割3分取って、世界史で迷ったやつとか全部当たってて。それで調子乗って東大に行けた。
東大を受けた理由も、たまたま東大模試でB判定が出て、先生に乗せられたからだと林さんは振り返ります。自分を「乗せられやすい」タイプだと分析します。
当時の林さんは、銀行員の家が広く、月収40万円だったことに衝撃を受け、東大に行けば銀行に入れると考えていたといいます。小学校の40万って体感5億ぐらいという感覚で、将来の目標にしていました。
東大合格後の「クソみたいな2年間」と負債
東大に合格した林さんですが、その後の大学生活は「クソみたいな2年間」だったと振り返ります。目標もなく、燃え尽きたような状態だったといいます。
明らかに実力以上に結果出てる人って、大体ツケが来るんで。東大受かって鼻高々で、本当に僕人生の後悔そこですね。
サークルや家庭教師をしながら過ごしていましたが、周囲との劣等感もあり、パッとしない日々だったといいます。林さんは、ぬるい状態から抜け出せない感覚を語ります。
ヌルッとしてるとなんか抜け出せないんですよ。ズルズルいっちゃうっていうか、それが長くなればなるほど引力がかかるから。
家庭教師先でもらった藤田晋氏の一冊
その突破口となったのが、家庭教師先での出来事でした。林さんは、時給1万円の中国人経営者の家庭で子供と遊ぶ仕事に就いていました。
将来は銀行に行きたいと答えた林さんに、その経営者の母親は厳しい言葉を投げ、一冊の本を課題として渡します。それがサイバーエージェント藤田晋氏の『渋谷ではたらく社長の告白』でした。
今まで死んでた2年間に雷バーンって打たれて、あれで蘇りましたね。だからもう本当僕、藤田さんに感謝してるんですけど。
林さんは、当時のサイバーエージェントがFinatextと似ていると指摘します。上場後に公募価格を回復するまで時間がかかり、時価総額が100億円を切っていた時期もあったという点です。この一冊が、林さんの人生を大きく変えました。
学生団体「SGT」とDHCコンペ、行動しまくった大学時代
藤田氏の本に感化された林さんは、とにかく行動することを始めます。自分をベースはバカだったからこそ「とりあえずやってみる」ことができたと分析します。
林さんはさまざまな社長に会いに行き、学生投資団体「SGT(スーパーグレートトレーダーズ)」を作りました。今のレイヤーX福島良典さんも参加していたといいます。
レイヤーXの福島さん入ってますからね、僕が作った団体です。福島君入ってますからね、2、3個下ぐらいでしたね。
ウェブページを制作して売る会社も立ち上げました。中でも印象的だったのが、化粧品大手DHCの新卒サイト制作コンペに勝ったことです。
向こう超大企業で、お前らもコンペ出るって言われて、それで提案して、まさか勝ったんですよ。
当時のスタートアップという言葉はまだなく、「ベンチャー」と呼ばれ、外資が全盛期でした。東大の中では起業する人は白い目で見られていたといいます。それでも林さんは、お金をもらって人に働いてもらう学生団体の経験が、リーダーシップの基礎になったと語ります。
駅前留学からドイツ銀行ロンドン日本人初内定へ
大学卒業後、林さんはまず就職の道を選びます。当時はビル・ゲイツを超えたいという高い目標を持っていました。グローバルで成功するにはアメリカだと考え、まず英語を学ぶために「駅前留学」(NOVA)に通ったといいます。
ところがアメリカの大学院はGPAが低すぎてすべて不合格でした。林さんは切り替えてイギリスのブリストルの大学院に進みます。そこで就活が始まりますが、ビザを出す企業は限られていました。
投資銀行の説明会に、破れたスーツで急いで駆けつけた林さんは、社員のフルネームを聞き出し、オンラインで申し込むという方法を取ったといいます。結果、ドイツ銀行とロイヤルバンク・オブ・スコットランドに合格しました。
算数めっちゃ簡単なんで、向こう。英語激ムズなんですよ。まず問題もわかんないみたいな。でも算数簡単なんで、算数俺小学生じゃんみたいな。
最終面接はリーマンショックの10日後でした。前に面接を受けたナイジェリア出身らしき人が、ドイツ銀行の株価を聞かれて凹んでいたのを見て備えられたと林さんは振り返ります。
採用後、人事部から「日本人でロンドンで入社したのは歴史上初めて」というメールが届いたといいます。ドイツ(銀行)でのロンドン日本人初という肩書きに、林さんはまた調子に乗ったと語ります。
ロンドンで「天狗」になった2年間の反省
ドイツ銀行ロンドンでの日々を、林さんは「調子に乗った2年間」だったと反省を込めて振り返ります。最初は英語ができず、生活するだけで成長できたといいます。
英語できないんで、もう生きていくだけで成長するんですよ。ケンタッキーの部位の指定とかできないんですよ。
しかし慣れてくると、日本人の能力の高さもあって仕事を「ハック」できるようになったといいます。林さんは投資銀行部門のマーケット部門で、欧州大陸全域を担当していました。
当時ローソン社長だった新浪剛史氏など、著名な経営者をアテンドする機会もありました。林さんは、その時にもっと食い込んで関係を作れたはずだと悔やみます。
もっとちゃんと食い込んで、新浪さんに名前を覚えてもらうようにピッチしたりとか、できたのに、なんか仕事以上のことやんなかったですね。
リーマンショックの影響でチームは50人から4人ほどに激減し、林さんは若手ながら欧州大陸全体を任されました。世界を飛び回る感覚に満足していた時期でもありました。
世界を股にかけてる、オーライ感あったんですけど、だんだんもうこれ慣れてくるんで。もうちょっと主体的にやれればよかった。
孫正義と比較され「俺、何やってんだろう」
ロンドンでの生活の中で、林さんに転機が訪れます。当時交際していた有名人の女性が、トップレベルの起業家と会う人物で、林さんは毎日のように孫正義氏と比較されていたといいます。
毎日孫正義と比較されてたんですよ。確かに「俺、何やってんだろう」ってちょっと思うようになって。
27歳ごろ、林さんはFacebookで人生の宣言をします。35歳で上場、上場時は3カ国語で記者会見する、という具体的な目標でした。林さんは中国語も話せるといいます。
この「35歳で上場」という目標は、実際に達成されました。ただし林さんは、その先の目標については達成が難しくなったと語ります。上場初日については、後に詳しく語られます。
金融版Gunosyから始まったFinatextとピボットのUX
27歳で宣言をした林さんは、東京に戻り、まずベンチャーのヘッジファンドに入ります。FXCM創業者の山内氏の下で1年ほど働き、起業しました。
当時はメルカリが大型調達をしていた時期で、林さんは起業前にメルカリの小泉文明氏に会いに行っています。プロトタイプへの真摯なフィードバックに、スタートアップの世界の良さを感じたといいます。
金融業界とか、いかに情報を隠して相手をこうみたいな感じの世界観だったんで。うわ、スタートアップマジいいなみたいな。
2013年10月、林さんは共同創業者の戸田氏と徹夜でコーディングし、プロトタイプを作りました。これがFinatextというサービスの始まりです。ニュースのマーケットインパクトを計算するものでした。
林さんは元上司の山内氏から、給料なしで残りつつ会社を登記したいと申し出て、エンジェルラウンドで2000万円ほど出資を受けたといいます。
最初はパソコン向けの金融情報キュレーションサービスでしたが、ほとんど反応がありませんでした。林さんはここから、何度もピボットを繰り返します。
パソコン版キュレーション
ボラティリティ計算などを提供したが「意味わかんない」と反応が薄かった
スマホアプリ版
UIは改善したがユーザーはユーザー2人から50人程度にとどまった
アスカブ
明日の株価が上がるか投票するだけのアプリで、DAU10万まで伸びた
FXシミュレーション版
アプリ化して爆発的に伸び、アフィリエイトで月商7〜8千万に
パソコンダメ、アプリにしよう。難しいものダメ、わかりやすいやつにしようって、明日の株価が上がるかどうかってアプリにしたんですよ。
わかりやすさに振り切った「アスカブ」は爆発的にヒットしました。後にポップシュートのキング大山さん(大山咲季さん)が「ピタコイン」を作る際にも参考にしたと言われたと林さんは明かします。
ナウキャスト買収と「スタートアップは雰囲気」
FXシミュレーションアプリで月商7〜8千万円を稼ぐようになった林さんでしたが、1カ月ほどで飽きてしまったといいます。そこでナウキャストを買収します。
5人で従業員もいるかいないかぐらいの会社で、月商で7、8千万いってましたからね。アフィで。
ナウキャストは東大の渡辺努先生による、東大経済学部初のベンチャーでした。当時は珍しい株式交換での合併で、バリュエーションは「雰囲気」で決めたと林さんは語ります。
これくらいのみたいな感じでいって、大体その雰囲気でやる感じですよね。でもやっぱ雰囲気が通じてたんですよ、当時。
林さんは、スタートアップにおける「雰囲気」の重要性を、好きなドラマ『シリコンバレー』の一節を引きながら語ります。
業績があったらスタートアップじゃねえんだからみたいな。それ以上にあるみたいな感じするのがスタートアップじゃんみたいな。
買収の表向きの理由は「アプリより格の高いデータ基盤に行くため」ですが、実態は自分を追い込みたかったからだと林さんは打ち明けます。5人で月5千万円の利益が出る状態に、働く意味を見出せなくなっていたといいます。
黒田総裁の「神風」とエンベデッドファイナンス
ナウキャスト買収を機に、Finatextは金融の基幹システム領域へと本格的に進みます。この時期に入社したのが、UBS出身のCFO伊藤氏でした。ここから戦略がしっかりし始めたと林さんは語ります。
当時はベンチャーの最盛期で、2018年にはKDDIリードで60億円を調達し、時価総額360億円をつけました。売上は10億円に満たない状態でした。
売上マジ10億いってないですからね。それで360億のバリュエーションですよ。Nextユニコーンバーンみたいな書かれて。
林さんは、当初ロビンフッドをモデルに証券会社を作りましたが、CMを打ってもユーザー獲得は想定の100分の1でした。「終わった」と感じていた時に、クレジットセゾンから問い合わせが届きます。
BtoBのフロントエンドを外注しようとしたところ、リリース2カ月前にベンダーが飛んでしまいます。しかし、社内のエンジニアが「俺が全部やる」と机を叩いて対応したといいます。
さらに、2019年ごろに当時の黒田総裁が「バンキング・アザ・サービス」「エンベデッドファイナンスの時代が来る」と発言し、日経が取り上げました。日本のプレイヤーを探すとFinatextが該当し、一気に注目が集まります。
その瞬間からうちエンベデッドファイナンスです。BtoCは見せ球ですみたいなってなって、うわ、神風来たみたいになって。
林さんは、この一連を「豪運」だと振り返ります。1人目の顧客がクレジットセゾン、2人目がANAという実績で、フィナテックストはそれっぽい今風なことやるのに一番安全そうというポジションを確立していきました。
「BtoC×BtoB」のゴールデンルートと円陣
林さんは、BtoCで調達した資金があったからこそ、キャッシュフローの厳しいBtoBを立ち上げられたと分析します。BtoCで尖ったことをやり、それがBtoBにフィードバックされる構造が理想的だったといいます。
これが全てのゴールデンルートなんじゃないかっていうぐらいちょうど良かったんですよ。BtoCで持ってると尖ったことできるじゃないですか。
一方で、高いバリュエーションで調達・上場することのつらさも林さんは語ります。プレミアム分は「税金」のようなもので、後から心ないことを言われるのが意外と効くといいます。
話は経営哲学にも及びます。林さんは、やばいことが起きると社員を集めて円陣を組むといいます。
やばいこと起きると、僕とりあえず全集合ってやるんですよ。そうするといいこと起きるんですよね。打率マジ8割ぐらい。
林さんは、キャンセルになった案件が円陣の後に復活したことが何度もあると語ります。スピリチュアルな話にしたいわけではないが、いいスタンスの人にいい運が来るのではないかという考えです。ロジカルに見られがちだが、実際は熱血漢だと自認しています。
最終列車の最終座席で滑り込んだ2021年の上場
Finatextは2021年に上場しました。林さんは、その時期を川端康成の『雪国』になぞらえます。
トンネルを抜ければそこは雪国でしたみたいな。上場してみたらそこは雪国。俺が見てきたフランス(南国)は雪国、全然南国じゃねえんだけど。
上場時のPSRは23〜24倍、時価総額700億円に対し売上は27億円ほどでした。林さんは、上場を「最終列車の最終座席の最後尾」と表現し、ジールスの清水氏とはタッチの差だったといいます。
駆け込むかどうか、価格やサイズを下げるかどうか、何度も議論したといいます。価格を下げれば悪いシグナルになるという懸念もあり、結局700億円をキープして上場しました。
上場当日の悪夢、20年ぶりのストップ安
上場初日、Finatextは楽天以来20年ぶりというストップ安を記録しました。当時はIPO価格が低すぎる問題が指摘されており、Finatextは逆のパターンとなったのです。
林さんは、値段がつかないまま主幹事のトレーディングフロアで祝われた気まずさを生々しく語ります。
みんなこうやって立って、「おめでとうございます」ってやってくれるんですよ。まだ値段ついてないですからね。もう九時過ぎてるのに。
公募価格1290円に対し、初日の終値は880円。約40パーセントの下落でした。CFOも林さんも顔面蒼白の中、3カ国語での記者会見に臨んだといいます。
千二百九十円がうちの公募価格ですけど、880(円)です。初日。きつかったですね。
株価はその後880円から350円まで下がり、時価総額は150億円に。一日の出来高が1000万円という時期もありました。林さんは、未上場の頃と比べて注目されなくなったことが一番きつかったと振り返ります。
高校野球のスーパースターとプロ野球の三軍みたいな。ハンカチ王子だったのに、あれ、俺まだ登板してねえんだ。
「なめられると燃える」上場後のチャレンジャー再起
証券会社が事業モデルを見て値付けしたにもかかわらず、なぜストップ安になったのか。林さんは「バリュエーションは水物」だと語ります。ファンダメンタルは水物ではないが、評価は状況で大きく変わるといいます。
当時35歳だった林さんは、市場になめられたことでかえってやる気が出たといいます。起業家の原動力として「なめられると燃える」性質を挙げます。
僕はどっちかっていうと、なめられるとエネルギー出るタイプなんですよ。市場にめっちゃなめられたなと思って、めっちゃやる気出たんですよね。
林さんは、上場企業になった途端にメールが返ってこなくなった相手にも、無理やり会いに行って株を見てもらったといいます。個人投資家にもピッチを重ね、業績の伸びとともに株価は少しずつ戻っていきました。
やる気さえあれば絶対なんとかなるんで、会社って。やる気なくなったらもう終わりですよね。
一方で、視座の高さゆえの葛藤も語られます。スタートラインの700億円に戻っても、一兆円は日本の時価総額ランキングで220番程度にすぎないという現実です。林さんは、こうした自分との対話を、小澤隆生さんなどに相談していると明かします。
「インフォ当て」で正面突破する行動力
林さんは、会いたい人には問い合わせフォーム(インフォ当て)から直接メールを送るといいます。小澤さんにもこの方法でアプローチしたと語ります。
なんかあなたにとても会いたいですって、特に何もございませんが会いたいですって来てたら、そんなレアじゃないですか。
林さんは、大企業でもビジネスアイデアの投稿フォームに「CEO 林良太」と名前を入れて送ることもあると語ります。大将こそ戦闘力が高くあるべきだという考えです。
大将って一番戦闘力が高いべきじゃないですか。案件持ってきて、ほら、俺案件持ってきたからやるよっていう社長の方が、現場からすると嬉しいじゃないですか。
林さんは自分をロジカルな切れ者ではなく「アニマルな熱血漢」だと表現します。AIでロジックが捕捉できる時代だからこそ、心を動かせるかどうかが大事だと語ります。
番組では「スタートアップのCEOとは何か」という問いに発展します。林さんは、三十人規模で構想ばかり語ることに疑問を呈し、社長の仕事を突き詰めます。
採用するか、売ってくるか、雑務するかの三つしかないじゃないですか。みんながやりたがらない引っ越しの作業とかやってましたからね。
林さんは、案件を毎日取りに行く「ゲリラ的な戦い方」が自分のスタイルだと語ります。M&Aのような大きな手も打つが、基本はずっと戦場に出ている感覚だといいます。ただし、これはスタイルの違いだと補足しました。
産後うつ・ワンオペ育児で見つけた「ギャルみ」
林さんは、経営を突き詰めても「経営とは何か」がよくわからないと率直に語ります。生き馬の目を抜くようなアイデアはなく、結局はエグゼキューションだといいます。
子供が小さいため早く帰りたいという林さんは、自身の家庭の経験を明かします。1人目の出産時に妻が産後うつになり、2人目の時はさらに大変な状況で、林さんは1年間ワンオペで育児と経営を両立していたといいます。
遠のく意識で、土日とかもう嫌なんですよ。でも一方で健康でこうやって喋れてて、それだけでも実は99点っていう側面もあるんですよ。
林さんは、家族が健康で大きな病気になっていないことを「優勝」と感じる感覚を語ります。番組内で、これは「ギャルマインド」だと表現されました。
友達とか家族が健康に生きてポジティブに生きようみたいな。これギャルマインド。
一方で、幸せは相対的だとも林さんは指摘します。風邪が治った時の幸福感がすぐに当たり前になるように、下がることに満足する人はいない。だからこそ、上がり続けることも必要だと考えます。
幸せの基準って変わるからね。平常時はやっぱりこの上が正しいわけじゃないんだけど、より良くなっていくっていうのは必須ですよね。
金融界で「最もフラット」なFinatextの社内カルチャー
林さんは、社員と飲むのが本当に好きだと語ります。四十歳になってもピッチャー一気をするといい、その理由は「盛り上げたい」という気持ちにあるといいます。
人が例えば今日喋ってても、めっちゃ笑わせた瞬間とかめっちゃ嬉しいんですよ。エンターテイナーですね。
林さんは自分を「上にも下にもウケるが、同い年が一番苦手」なタイプだと分析します。下からも上からも行きやすいが、同い年はポジションが取りづらいといいます。一方で、金融機関の常務など年上の武勇伝を聞くのは営業ではなく純粋に好きだと語ります。
Finatextは金融界では「最もフラットな会社」だと林さんは自負します。エンジニアがほとんど辞めないのはこのカルチャーゆえだといいます。
金融界にしては最もフラットな会社だと思います。インターネットからしてみたらめっちゃ普通なんだけど、金融界からしてみたらマジありえないと思いますね。
林さんは、社内のTimes(分報チャンネル)にも積極的に絡み、400人の家族構成を頭に入れているといいます。ただし、これはマネジメントのためではなく、それ自体が好きだからだと語ります。時代がこのカルチャーを可能にさせてくれたとも述べています。
「PR芸」を過小評価するな、お祭りには乗れ
Twitterについて、林さんは「趣味」だと語ります。リツイートを惜しみなくするのが最近のハマりだといいます。影響力は、有名になりたいからではなく、人が困った時に助けられるから欲しいのだと語ります。
人が困った時に助けれるのって結構好きなんですよ。ちゃんとした実業家で、アプローチブルな、そういうポジショニングを狙ってます。
林さんは、ビットコインやAIの第一次ブームの時に「斜に構えていた」ことを反省として挙げます。お祭りが起きている時は乗るべきだという学びです。
お祭りが起きてる時は乗らなあかんみたいな。別に分かった状態で乗っていくべきだと思うんですよね。
ただし、乗りすぎるとプレミアムと実態が乖離して危険だとも林さんは指摘します。バリュエーションの裏にはプライスタグ(業績)がついているため、PR芸人になりすぎちゃいけないけど、PRを過小評価したらあかんぞというバランスが重要だといいます。
林さんは、最近のスタートアップが業績にフォーカスしすぎている点にも触れます。もっとPR芸やモメンタムがあってもいいのではないかと語り、メルカリを「モメンタムが生み出したザ・スタートアップ」だと評します。
会社という迷宮、上場企業としての戦い方
上場企業としてどう戦うかという問いに、林さんは「ファウンダーフィット次第」だと答えます。自身は思い切ったことができず、四半期決算という「中間試験・期末試験」を積み上げていくのが性に合っているといいます。
でかい勝負をするときはそれなりのオッズがないと嫌だなっていうタイプです。
林さんは、モダンなインターネット企業の成功は「コスト戦略以外何もやっていない」と分析します。証券や携帯も、安くなった以外の本質的なイノベーションは少なかったといいます。だからこそ、金を使えばなんとかなる時代ではないと語ります。
話は「会社とは何か」という根源的な問いに及びます。林さんは『会社という迷宮』という本や、稲盛和夫氏の考えに触れながら、従業員を物心両面で幸福にすることが足元で最も大事だと語ります。
林さんは、外部指標だけで見ると、AnthropicやスペースXと比べて自分がしょぼく見えてメンタルが安定しないといいます。だからこそ、彼らにできないバリューは何かを日々考えていると語ります。視座は一度低くなったら終わりだからこそ、わかった上で高い目標を言い続けるといいます。
何にもない時ってウィンブルドン行きたいって言えるじゃん。でもインターハイにも行ってねえのに俺はウィンブルドン行きてえって言ってる奴は結構ガチもんですよね。
金融の桶狭間・関ヶ原、シルスタが目指す「金融王」
番組の締めくくりでは、Finatextの他の起業家や官僚をゲストに招いてほしいという話題で盛り上がります。林さんは、SBIの北尾吉孝さんや金融庁長官の伊藤氏の名前を挙げ、ポッドキャストが最先端の場になっていることに期待を寄せます。
最後に、番組恒例の「人生で一番残した伝説は何か」という問いに、林さんは真面目に答えます。日本が金融で負けている現状と、その一因である旧来の金融インフラへの問題意識です。
Finatextがここから桶狭間やって、関ヶ原やって、日本をぶち上げていきたいなって思ってるんで、ここから伝説にします。
林さんは、憧れの藤田晋氏が自分の人生を変えてくれたように、他人の人生に影響を及ぼせたらいいと語ります。北尾さんの「ネクスト」のキャラとして、新しい金融の時代を築いていくと宣言し、収録は締めくくられました。
まとめ
FinatextHD林良太さんの半生は、東大合格・ドイツ銀行ロンドン初の日本人内定・IPO初日ストップ安と、絶頂と挫折が交互に訪れる波乱万丈なものでした。行動力とモメンタム、そして「なめられると燃える」性質を軸に、林さんは金融インフラの変革という壮大なビジョンを語りました。
- 藤田晋氏の一冊『渋谷ではたらく社長の告白』が、燃え尽きていた大学時代の林さんの転機となった
- Finatextは何度もピボットを重ね、BtoCで調達した資金とノウハウをBtoBの金融インフラ事業に活かした
- 上場初日に20年ぶりのストップ安を記録したが、林さんはそれをバネにチャレンジャーとして再起した
- 産後うつやワンオペ育児を経て、健康や家族を大切にする「ギャルマインド」的な幸福観にたどり着いた
- 林さんは金融インフラの変革を通じて日本を「ぶち上げ」、金融王として伝説を築くことを目標に掲げている






