ライドシェアから自動運転へ──GREE・メルカリを経てnewmoを創業した青柳直樹の全キャリア
伝説ラジオに、GREE・メルカリで経営の中枢を担い、現在はnewmo2023年創業のモビリティスタートアップ。タクシー会社のM&Aによるロールアップと、将来的な自動運転タクシーの実現を目指す。の創業者としてタクシー業界に挑む青柳直樹さんが登場。ドイツ証券から給料5分の1でGREEに飛び込んだ決断、シリコンバレーでDiscord創業者と働いた日々、メルカリ経営陣が涙した退職秘話、そして9年越しのモビリティへの挑戦まで──約20年にわたるスタートアップキャリアの全貌が語られました。その内容をまとめます。
newmoが挑むタクシー業界の構造課題
newmoは2023年に創業されたモビリティ企業で、「移動で地域をカラフルに」をミッションに掲げています。青柳さんが北海道を旅行中にタクシーを呼べなかった原体験が出発点。電話をかけても断られ続けるという状況に「これは解決できるはず」と確信したそうです。
現在、大阪でタクシー会社4社をM&AMergers and Acquisitions(合併と買収)の略。企業の株式や事業を取得して傘下に収めること。し、1,000台以上のタクシーを運行。大阪で第3位のタクシー会社に成長しました。さらに直近では京急電鉄京浜急行電鉄。東京・神奈川を中心に鉄道事業を展開する大手私鉄。タクシー事業も傘下に持っていた。グループのタクシー事業(東京・神奈川で約400台、乗務員600名以上)の承継も決定しています。
タクシー業界は全国に数千社あるものの、最大手でも全体シェアは4〜5%程度。家族経営の会社が多く、50〜100台規模で地域のライセンスと土地を持って営業している構造です。デジタル投資やAI活用をしたくても資本力も人材も不足しているのが実情で、青柳さんは「僕らみたいな存在はこの業界では本当に異端」と語っています。
乗務員の高齢化・減少
ピーク時40万人超→現在25〜26万人。コロナ禍でさらに加速
供給不足の深刻化
経済は回復しているのにタクシーが足りない
newmoのアプローチ
タクシー会社のロールアップ → デジタル化 → 自動運転へ
青柳さん自身がCEOでありながらタクシー乗務員として実際に営業している点も特徴的です。大阪では二種免許旅客を乗せて運転するために必要な免許。タクシー・バス・ハイヤーなどの運転に必須。を取得し、お客を乗せて走っています。道がわからず舌打ちされることもあれば、親切に教えてくれるお客もいたとのこと。出資を検討していたベンチャーキャピタリストを配車アプリで偶然マッチングし、新大阪から目的地まで乗せたエピソードも語られました。その方はその後、実際にnewmoへ出資したそうです。
タクシーをやって、タクシーをより良くしていく中で、新しいモビリティの形を提示できるんじゃないか
中期的にはタクシー事業の黒字化と拡大を図りつつ、最終的には自動運転タクシーの実現を目指しています。「人手不足や地方の交通空白は構造課題。自動運転で解決していくしかない」というのが青柳さんの確信です。
慶應SFCからドイツ証券へ──キャリアの原点
青柳さんは1979年福岡市薬院生まれ。父親はゼネコンでゴルフ場建設を手がけるサラリーマンで、転勤に伴い小学校入学前に千葉県市川市へ引っ越しました。算数が好きで、地元の荒れた中学を避けたいという自発的な動機から中学受験を決意。灘中学兵庫県神戸市にある日本屈指の進学校。東大・京大への合格者数で常にトップクラス。にも合格したものの、小学6年生で親元を離れる決断はできず、慶應中等部に進学しました。
高校は慶應志木高校埼玉県志木市にある慶應義塾の男子高校。自由な校風で知られ、スタートアップ界隈の出身者も多い。へ。恩師である国語教師の河野先生(現・同校校長)は、黒澤明や小津安二郎の映画を見せてくれるようなユニークな教育者で、「ちょっと変わっている興味も肯定してくれる」存在だったといいます。
転機は高校2〜3年生の頃。Windows 95の登場とともにインターネットに触れ、FMタウンズ富士通が1989年に発売したパソコン。マルチメディア機能を重視した設計で、CD-ROM標準搭載は当時としては先進的だった。を父に買ってもらい、HTMLでWebページを作り始めました。1997年頃のことです。
大学は理工学部志望から一転、慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)1990年開設。総合政策学部と環境情報学部を擁し、情報教育とインターネット研究の先駆的拠点。「インターネットの父」村井純教授が教鞭をとったことでも知られる。の総合政策学部へ。決め手は、先輩たちが自分のWebページを持ち、キャンパスライフを発信している姿と、村井純慶應義塾大学名誉教授。日本のインターネットの基盤を築いた第一人者で「日本のインターネットの父」と呼ばれる。先生の授業を受けたいという思いでした。
SFC時代には、のちにYahoo! JAPANのCEOとなる川邊健太郎電脳隊の創業者。同社をYahoo! JAPANに売却後、Yahoo! JAPAN(現LINEヤフー)の経営に参画し、代表取締役社長CEOを歴任。さんが電脳隊をYahoo!に売却した話を直接聞く機会もありました。「すごく眩しかった」と振り返っています。同期にはPivotビジネス映像メディアを運営する企業。YouTubeチャンネルの登録者数は200万人超。の佐々木紀彦さんがおり、前後の学年にはのちにスタートアップ界隈で活躍する人材が多数在籍していました。
卒業後はインターネット企業への就職を考えつつも「どうやったらいいのかわからない」という思いから、修行の場としてドイツ証券ドイツ銀行グループの日本における証券子会社。当時はテクノロジーセクターの投資銀行業務に強みを持っていた。に入社。テクノロジーセクターが強い同社で、エルピーダメモリ日本唯一のDRAMメーカーとして2004年に東証一部上場。2012年に経営破綻し、米マイクロン・テクノロジーの傘下に入った。のIPO引受主幹事や、楽天の資金調達・球団買収の提案、リクルートの上場前資本政策のアドバイザリーなどを手がけました。
会社のPCでGoogleの求人ページを見てたことがありますね。ビジネスデベロップメント、これ俺できるかなって
ドイツ証券のUSチームにはGoogleのIPOのアンダーライターを務めたメンバーもいて、テクノロジー企業が世界を変えていく様子を間近で目撃。「アドバイスする側じゃなくて、自分がその主体になってやりたい」という思いが日に日に強くなっていきました。
給料5分の1でGREEへ──伝説の転職
ドイツ証券時代、楽天の経営陣を間近で見ていた青柳さん。CFOの田前久さんや高山さんなど、商社・銀行出身でスタートアップに飛び込み、時価総額1兆円企業の株を1%以上持つ──「自分が努力したら届くかもしれないところの身近な人の成功」が、強い刺激になったといいます。
GREEとの出会いは、GREE上で書いていたインターネット企業についての日記を田中良和さんが読んでコメントしてくれたことがきっかけ。その後、川邊健太郎さんらが参加する飲み会で初めて直接会い、2005年12月には田中さんに「3対3の飲み会」に誘われます。
飲み会の帰り際、田中さんから「今ちょっとCFO探してるんですよね」と言われ、年末の12月30日にランチへ。昼から夕方までモバイルインターネットの未来について語り合い、話は大いに盛り上がったものの──正式には誘われませんでした。
モヤモヤしたまま大晦日を迎えた青柳さんは、GREEのメッセージ機能で田中さんに「入りたいです」と送信。ストックオプションも給料も何も聞かないまま。返信が来たのは4日後の1月4日。「他のメンバーと会ってほしい」と連絡があり、山岸さん、藤本さんと4人で六本木の叙々苑で食事をして入社を決めました。
外資系投資銀行の報酬水準
手取りベースで約5分の1。貯金を切り崩しながら3年間
入社は2006年3月。GREEのユーザー数は約30万人、一方のmixi2004年にサービス開始したSNS。2006年9月に東証マザーズに上場。PC時代の日本最大のSNSとして一時代を築いた。は400万人。圧倒的な差がついていた時期でした。CFOとして入ったものの経理も人事も未経験で、「めちゃくちゃわかんないし、めちゃくちゃ間違える」日々だったそうです。
転機はKDDI日本の大手通信キャリア。au ブランドの携帯電話事業を展開。当時の高橋誠常務(のちの社長・現会長)がGREEへの出資を決断した。からの約3.6億円の出資と、モバイルへの大転換。PCのSNSではmixiに差をつけられていたGREEは、ガラケー向けサービス「EZ GREE」のリリースで大量のトラフィックを獲得。翌年には釣り★スタなどのソーシャルゲームが大ヒットし、2008年12月に東証マザーズに上場を果たしました。
シリコンバレー移住とDiscord創業者との邂逅
上場後のGREEは、Facebook上のゲームが爆発的に伸びている北米市場に目を向けます。ZyngaFarmVilleなどFacebook向けソーシャルゲームで急成長した米国企業。2011年にNASDAQ上場。Zynga Japanを設立し、山田進太郎氏のウノウを買収した。が日本市場に参入してくる動きもあり、「逆に日本のコンテンツがグローバルで通用するのでは」という仮説のもと、2011年に青柳さんはシリコンバレーへ移住しました。
GREEが最初にM&AしたOpenFeintモバイルゲーム向けのソーシャルプラットフォームを提供していた米国企業。リーダーボードやチャット機能などをアプリ開発者に提供していた。の創業者こそ、のちにDiscordゲーマー向けに開発されたボイス・テキストチャットサービス。現在は月間アクティブユーザー2億人超のコミュニケーションプラットフォームに成長。を作るジェイソン・シトロン。青柳さんは当時20代だったジェイソンと直接働いていました。GREEのプラットフォーム事業としてはApple・Googleの台頭もあり苦戦しましたが、ジェイソンはその後OpenFeintで培ったゲーマーコミュニティへの理解をDiscordに昇華させていきます。
また、GREEでインターンをしていた人物がのちにVRChatバーチャルリアリティ上のソーシャルプラットフォーム。アバターを使ったコミュニケーションが可能で、メタバースの先駆的サービスの一つ。を作るなど、シリコンバレーでは「近くの起業家の成功を見て、またチャレンジして、次のサービスを作る」サイクルが止まらないことを実感したそうです。
GREE US事業では、ゼロからアプリを作って伸ばしたケースもあれば、うまくいかずサービス終了したケースも経験。「赤字も掘らしてもらって、どうにか黒字にするぞ」と退路を断って臨んだ約5年間のシリコンバレー生活で、この時期にメルカリの山田進太郎さんやSmartNewsの鈴木健さんとも接点が生まれました。
2016年、入社から10年半でGREEを退職。「できる貢献を尽くして、会社の未来を残っていく仲間に託す」という思いでしたが、「今までした決断の中ではかなり難しかった」と振り返っています。退職後は1年間の休養期間に入り、父親が建設したゴルフ場を一緒にまわるなど、家族との時間を取り戻す日々を送りました。
メルカリへの合流と「人生後悔最小化理論」
1年の休養中、エンジェル投資(SmartHRクラウド人事労務ソフトを提供する企業。2015年設立。急成長を遂げ、日本を代表するSaaS企業の一つに。など)や起業の模索を続けていた青柳さんですが、モビリティ事業はタクシー業界の参入障壁の高さに阻まれ、法人「ジャパンモビリティ」を設立したものの一度清算。「いいと思ったアイデアだけど、どうやって実現したらいいか見えない」という起業家なら誰もが通る壁にぶつかっていました。
そんな中、山田進太郎さんから約1年にわたってメルカリへの誘いを受けます。決定打となったのは、2017年夏の上海視察でした。モビリティサービスを見に行った青柳さんに、山田さんが「ちょうど空いてるんで行きます」と合流。WeChat Pay中国テンセントが運営するモバイル決済サービス。中国のキャッシュレス社会を支える二大決済の一つ。やAlipayの衝撃的な体験を共有した後、空港で二人きりになった時に「一緒に働きたい」と言われました。
きっと金融庁とやりとりする経験は、将来自分がモビリティをやりたくなった時に生きるはずだと。今すごい生きてるんですけど
青柳さんがメルカリ入社を決断した背景には、いくつかの要因がありました。
入社時のポジションは執行役員。他にもっと高い報酬やストックオプションを提示してくれた会社もあったそうですが、「最初のデイワンのタイトルにこだわるものじゃない。スタートアップは入って成果を出して、そうするとどんどん仕事が来る」という考えで、条件交渉よりもテーマと仲間を重視しました。
メルカリではメルペイメルカリのフィンテック子会社。スマホ決済サービスを提供。メルカリの売上金をそのまま決済に使える仕組みで急成長した。の立ち上げを主導。SquareやAppleでApple Payの導入を手がけたマーク山本さんをCEO自らスカウトし、メルカリの石黒卓弥メルカリの採用戦略を支えた伝説的な人事担当。現在はLayerXで執行役員を務める。元NTTドコモ。さんらの「最強リクルーティングチーム」とともに、6年にわたってメルカリの成長に貢献しました。
そして2023年8月19日、菅義偉元首相が長野県でライドシェア解禁を提唱したニュースが流れます。6年間封印していたモビリティへの思いが一気に噴出しました。
涙の経営オフサイト──newmo創業の舞台裏
山田進太郎さんに退職の意思を伝え、一度は慰留された青柳さん。その後インドへの出張に同行しますが、インドにいてもモビリティの思いが離れず、帰国後の1on1で改めて決意を伝えました。
運命的だったのは、メルカリの経営オフサイトでの出来事です。青柳さんの退職を知らない事務局の担当者が、「メルカリがモビリティ・ライドシェア事業をやるか」という提案を経営会議に上げてきたのです。議論の結果、フィンテックの黒字化やUS事業への投資もあり、モビリティへの参入は見送りに。翌日、青柳さんは経営陣の前で退職を表明しました。
最後に山田進太郎さんが「この挑戦を応援したいし、メルカリとして支えられることがあったら」と言葉をかけ、青柳さんは号泣。他の役員と抱き合い、メルカリの卒業が認められました。そしてnewmoのシードラウンドスタートアップの最初期の資金調達段階。事業コンセプトの検証や初期チームの構築に使われる。のリード投資家を、メルカリが務めることになりました。
転職だったら許さないけど、起業で、しかもメルカリ入る時からずっと言ってたし、ということで応援いただいて
newmoの創業メンバーもまた、「テーマと青柳さんだけを見て決めた」人たちが集まりました。
さらにメルカリ時代にPRを担当していたリッチさんもnewmoに合流。規制産業におけるステークホルダーコミュニケーションの経験が、タクシー業界での事業展開に大きく貢献しているとのことです。
まとめ
約3時間にわたるインタビューで浮かび上がったのは、青柳直樹さんの一貫した意思決定の軸でした。「大きいテーマ」と「誰と一緒にやるか」──この2つを重視し、給料が5分の1になろうと、コンフォートゾーンを出ることになろうと、飛び込み続けてきた20年間です。
ドイツ証券で学んだファイナンスの力、GREEで培ったスタートアップ経営の実践知、シリコンバレーで目撃したエコシステムのダイナミズム、メルカリで磨いた規制産業との向き合い方。すべてが今、タクシー業界のロールアップと自動運転への挑戦に注ぎ込まれています。
- newmoはタクシー会社のM&Aによるロールアップで大阪第3位に成長。京急グループの事業承継も決定し、最終目標は自動運転タクシーの実現
- 日本のタクシー業界は600以上の交通圏に分かれ、台数総量規制もある複雑な規制産業。新規参入には既存ライセンスの取得が必須
- 青柳さんは外資系投資銀行から給料5分の1でGREEに転職。社員番号20番から10年間でIPO・グローバル展開を経験した
- シリコンバレーではDiscord創業者ジェイソン・シトロンと直接働き、Uberの衝撃的な体験がモビリティへの原体験に
- メルカリでは山田進太郎さんの「弱さを見せられる姿勢」に心を打たれて入社。メルペイ立ち上げを主導した6年間
- 菅元首相のライドシェア発言をきっかけに「人生後悔最小化理論」で退職を決断。経営オフサイトでは経営陣が涙し、メルカリがnewmoのシードラウンドをリード
- 意思決定の軸は常に「大きいテーマ」と「誰と一緒にやるか」。条件交渉よりも飛び込む勇気を優先してきた20年
