18歳で起業した社長は、なぜ80社に投資しているのか
伝説ラジオは、スタートアップの創業者やアーティストをゲストに招き、その人の「伝説」を聞く番組です。今回のゲストは、さくらインターネット代表取締役の田中邦裕さんです。
伝説さんは19歳ごろ、高校を卒業する直前に田中さんから出資を受け、そこから約6年、先輩として付き合いが続いているといいます。一緒に番組を進める上地練さんも、田中さんの出資先の起業家です。
29年前に18歳で(さくらを)起業しまして、今も社長やってます。
田中さんは本業の傍ら、自身のエンジェル投資先を集めた「田中ブラザーズ・シスターズ」というコミュニティを運営しています。出資先は約80社に達し、上地さんは「40社、50社ぐらいかと思っていた」と驚きを見せます。
80社のうち3、4社は、20年以上前に出資した古くからの投資先です。その最初の1社が、のちにABBALabを率いる小笠原さんの会社でした。
エンジェル投資第1号は、さくらの株主でもあった
田中さんと小笠原さんの出会いは、ドメイン名の情報交換をするメーリングリストでした。田中さんが20歳で高専を卒業して大阪に事務所を構えたころ、設計事務所の社員だった小笠原さんが会いたいと連絡してきたといいます。
その時なんか社長の息子が来たと思われたんやけども、いや僕が田中邦裕ですみたいな話になって。え、20歳なの?みたいなことからスタートですね。
小笠原さんが独立したいと打ち明けたため、田中さんが出資したのが始まりです。その会社が1年ほどで利益を出すと、今度は小笠原さんがさくらに出資したいと申し出て、両者は互いに出資し合う関係になりました。
1999年にさくらを有限会社から株式会社にした際の持ち分は、田中さん50%、笹田さん35%、小笠原さん15%でした。当時、田中さんは20歳、小笠原さんは26歳だったそうです。
創業期のさくらは、小笠原さんの交際相手(のちの妻)や、のちに田中さんの妻となる女性まで手伝う、家族ぐるみの状態でした。
スタートアップってとにかく人が足らんから、もう親戚とか友達全員使うじゃないですか。
こうした「わちゃわちゃ」した時期は最初の2年ほどで、2001年から2002年ごろにVCが入ると、社員数は一気に30〜40人に増えていきました。
2000年前後のVC投資は、普通株で「ペラ1」だった
伝説さんは、当時VCから資金を受けることは珍しかったのではないかと尋ねます。田中さんによれば、さくらはちょうど日本のVCが本格的に投資を始めた時期に当たり、運がよかったといいます。
1998〜1999年ごろにマザーズ ── 1999年に東京証券取引所が開設した新興企業向けの株式市場。成長途上の企業でも上場しやすい基準が設けられましたができ、JAFCO ── 日本を代表する独立系ベンチャーキャピタル。1970年代に設立され、多くの国内スタートアップに出資してきましたやNVCC(日本ベンチャーキャピタル)が積極的に投資を始めた時期です。投資契約も緩く、とにかく出資させてくれという雰囲気だったそうです。
周りでね、本当に不動産屋とかね、人材紹介会社がホームページ持ったからIT企業ですみたいなこと言って、なんか何億も調達してたりって。
田中さんは、当時のITへの熱狂を、いまのAIやディープテックに注目が集まる状況に重ねます。契約書も普通株で1枚程度の簡素なものだったといいます。
番組中、田中さんは手元の資料を見ながら、さくらの資金調達の履歴を「本邦初公開」として読み上げました。上場までの調達は意外なほど少なく、上場後のほうが大きく調達しています。
| 時期 | 評価額 | 調達額 |
|---|---|---|
| 2000年 シリーズA | ポスト10億4800万円 | 2億円 |
| シリーズB | 14億円 | 1.3億円 |
| 2005年 上場時 | 公開価格55億円 | 2億円 |
| 2007年 債務超過時(双日) | 57億円 | 10億円 |
| 2017年 | 359億円 | 21億円 |
| 去年 | 1800億円 | 190億円 |
シリーズA当時の売上は約5億円、営業損益はマイナス7000万円でした。田中さんは「もうちょっとバリエーション高い方がいいかなと思ったけど、初めてのことなんでね」と振り返り、上場前にもう少し調達しておけばよかったとも話しています。
優先株が当たり前になったのは、トンズラ社長が多かったから?
上地さんは、いまのような優先株を中心とした投資契約がいつごろ定着したのかを尋ねます。田中さんの答えは「リーマンショック後、2009年か2010年」でした。
当時普通株だから、結構バリエーション高く調達した挙句、なんかフェラーリとか買ってそのままトンズラする社長多かったんですよね。
普通株のままだと、会社を清算しても投資家は優先配当 ── 会社を清算・売却する際に、優先株の株主が普通株主より先に分配を受けられる権利。投資家が元本を回収しやすくする仕組みですを受け取れません。こうした被害がリーマンショックで表面化し、その後、種類株で投資家を守る形が広がったといいます。
ただし田中さんは、そうした社長も最初から騙すつもりだったとは見ていません。お金が入ると豪華なオフィスを作るなど、起業家自身が変わってしまうことが多いのだと話します。
2001年のネットバブル崩壊、リーマンショック、2022年ごろの調達環境悪化と、定期的に「ショック」が訪れ、そのたびにVCも仕組みをアップデートしてきた、というのが田中さんの見立てです。
いまのスタートアップが「ちゃんとしている」ことについて、田中さんは失敗しにくい点で良いことだと認めます。一方で、ハングリーさが成功確率を上げるとも考えています。
失敗しないことと成功することって別々にあって、でも失敗しなくていいんなら失敗しない方がいいから。
ただやっぱりあのわちゃわちゃしてて、ハングリーな方が成功確率上がるんで、失敗しないようにだけやって熱量低い起業家も増えたなという気はしますよね。
創業社長なのに7年間、社長ではなかった
上地さんは、田中さんがもともと上場を目指して起業したタイプには見えないと切り出します。田中さんは実際、2000年の終わりごろに一度社長を退いていました。
VCから調達して会社然とした体制を整える中で、「上場しなくていいんじゃないか」と感じていた時期もあったといいます。しかし2001年のネットバブル崩壊で給与も払えないほど追い込まれ、上場を前提に追加調達するモードへ切り替えました。
このとき田中さんは社長に復帰せず、代表権を持ったままCTO的な立場でサービス開発に集中します。ブログやSNSなど、利用者が内容を生み出す「Web2.0」の波に、さくらのサービスが対応できていなかったためです。
2005年に上場した後、わずか2年で債務超過に陥ります。田中さんは当時の社長に退任を求め、7年弱ぶりに自ら社長に復帰しました。
社長って基本取締役会決議だから、それであの社長やりますって話をして。
複数の出資候補の中から双日を選んで交渉し、「田中さんが社長をやるなら出す」という流れで増資が決まったそうです。
田中さんは27歳で上場しており、最年少上場ランキングでは4番目ほど。一方で「最速債務超過ランキングも4位ぐらい」と笑います。
上場は3回失敗、4回目は東証に書類を「置いてきた」
27歳での上場の裏には、3回の失敗がありました。田中さんは「運の要素もある」と前置きして、その経緯を語ります。
最初は2000〜2001年の上場を目指し、2期分の監査証明を早く揃えるために半期ごとに決算するほど急いでいました。主幹事の野村證券も「イケイケ」だったそうです。
2回目の失敗では、野村證券の審査を通って取引所審査に入った段階で中止になりました。3回目は、ライブドアや楽天の株が大量に買われて大阪証券取引所のシステムが止まったことが原因です。
あとまあよく言うのは、あのずっと申請し続ければいつかは通るって話で。でもほとんどの会社、みんなね、結構なんか途中で事切れちゃうんですよね。
CFOの心が折れる、管理部門が崩壊する、業績が立たなくなる。田中さんは、上場を続けて申請すること自体の難しさを指摘します。
ネットバブル崩壊の渦中で、何が起きていたのか
上地さんは、ネットバブル崩壊とは実態のない企業同士が売上を回していた状態が崩れたことなのか、と尋ねます。田中さんの説明は少し違いました。
どっちかっていうとバリエーションだけがどんどん上がってたような状況なんですよね。で、それが一気に落ちただけの話で、もともと売上なんて大してないんですよ。
期待の先行
売上が小さいまま、IT企業の評価額だけが上がる
急落
「この時価総額でいいのか」と売られ、連鎖的に株価が下がる
顧客の消失
資金で生きていたIT企業が倒産し、解約や連絡不通が相次ぐ
さくらの苦境
顧客を見込んで作ったデータセンターの支払いが重くのしかかる
当時は名刺にメールアドレスを入れるだけでIT企業と呼ばれたといいます。現場の感覚は「やばいやばい」の連続で、決まっていた顧客が次々と解約していきました。
田中さんは、2022年ごろの調整局面でSaaSの評価倍率が大きく変わったことにも触れます。結果的には時代の変化だと振り返れても、渦中にいるとそれどころではない、というのが実感です。
一方で、さくらは計算資源の需要が伸びる波に乗って稼いできました。2005年はWeb2.0、2016年ごろはブロックチェーン、そしていまは生成AIです。ブロックチェーンブームのときには時価総額が700億円ほどまで上がったといいます。
新規事業の乱発で債務超過、そして8年の停滞へ
伝説さんは、さくらが一時期ゲームなどに手を広げていた理由を尋ねます。上場後、データセンターの場所貸しで儲かっていたものの、真似されやすいビジネスだったため、新規事業を作らなければという空気が強まったのです。
SI、SES、ホームページ制作、ゲーム、動画配信と、次々に新規事業を立ち上げてほとんどが失敗し、債務超過に至りました。田中さんが社長に復帰して本業に集中すると宣言すると、双日の出資もあって株価は戻ります。
しかしその後、売上は70億円台から100億円前後まで、8年かけてじりじりとしか伸びませんでした。投資も採用も抑え、利益を出すことを優先するモードだったためです。
会社伸ばしたい、新しい何かやりたいみたいな人から順に辞めていったんですよね。でも逆にそういう人辞めていくとコスト浮くじゃないですか。
田中さんはこの時期を、起業家人生で一番大変だった時期だと言い切ります。債務超過からの交渉のようなトラブルはむしろテンションが上がるのに対し、この停滞期にはモチベーションがなかったといいます。
辞めようにももう時価総額10億とかだったんで。
時価総額は10億〜20億円ほどで、田中さんの持ち分は2割弱。約2億円は「ひと財産」ではあるものの、辞めるに辞められない状態が続きました。
スタートアップの聖地「AWABAR」はこうして生まれた
停滞期にはリーマンショックも重なり、友人の会社も次々に潰れました。小笠原さんたちとよく通っていた六本木のラウンジも閉店してしまいます。
仕方がないから、なんかみんなで軽く飲めるとこないかなっていうんで、そこで推しのホステスさんに起業させて。それがAWABARです。
AWABARの開店は2009〜2010年ごろで、東日本大震災の時点ではすでにあったそうです。当初はスタートアップの集まる場所ではなく、堀江さんやサイバーエージェントの藤田さんなど、田中さんの飲み仲間が来る店でした。
そこにDMMの亀山さんが常連として加わり、スタートアップの人が集まるようになります。決定的だったのは、会社を辞めて情報収集していたメルカリの山田進太郎さんが、AWABARでメルカリの構想を語り、出資者や人を集めたことでした。
伝説さんにとっても、AWABARは原点の一つです。高校生のとき、福岡のイベントで優勝してTechCrunch Tokyoに招待され、元さくら社員の油井さんに連れられて初めて東京のスタートアップ関係者と会ったのがAWABARでした。
現在、AWABARは京都、福岡、沖縄、大阪などにも広がっています。福岡では旧大名小学校を活用した施設にあり、伝説さん・上地さんと田中さんが最初に出会ったのもその場所でした。
若手と上の世代のコミュニティは、なぜ分断されているのか
福岡の旧大名小学校の施設はさくらも運営に関わっており、田中さんは「なんだかんだ盛り上がっている」と話します。そのうえで、コミュニティの重要性を強調します。
きっかけは、伝説さんの知人の20歳の誕生日会でした。田中さんが連れて行った上場企業の社長たちは、10代・20代の起業家と知り合えたことに驚き、とても喜んでいたといいます。
だからやっぱりコミュニティが分断されてる感じがしますよね。
田中さんは、福岡のイベントに東京の成功したIT経営者が来なくなったことも気にしています。かつては学生向けイベントに家入さん、小笠原さん、鶴岡さん、山田進太郎さんらが登壇していた時期がありました。
ただ、やっぱり目線が下がっちゃいますよね。なんか100億売り上げたらすごいみたいな。100億どころか10億とか1億でもすごいみたいな。
田中さんは、1兆、10兆にならないと海外と五分で戦えないと話します。田中ブラザーズ・シスターズは2021年に始まり、VCに「リバースピッチ」をさせる企画や、若手キャピタリストとの投資契約の議論など、ミニカンファレンスのような場に育っています。
その場で田中さん自身がLP出資の営業を受け、千葉道場ファンドのLPになることも決まりました。田中さんは、このコミュニティを今後どう続けるか、ファンド化すべきかも考えているといいます。
「タームシートって何ですか?」エンジェル投資家が本当にすべきこと
伝説さんは、最初の資金調達のころタームシート ── 投資契約を結ぶ前に、評価額や株式の種類、投資家の権利など主要な条件をまとめた書面。本契約の土台になりますという言葉すら知らなかったと明かします。先輩に指摘されて、初めて「まずタームシートを出させてから契約書」だと知ったそうです。
田中さんは、エンジェル投資家の本来の役割は、シードラウンドの前に少額を出し、資金調達の仕方やVCとの交渉を手伝うことだと話します。
僕は多くても3パーから5パーまでで、できれば1パーセントぐらいってこだわりがあって、あんまり出しすぎないようにしてるんですけど、最初にどういうエンジェル投資家に会うかによって、結構その後の状況決まりますよね。
いきなり30%を持っていくエンジェル投資家もいるといいます。20歳前後で起業すると誰がいい人か分からず、1000万円を出すと言われれば「いい人かも」と思ってしまう、という話に上地さんも頷きます。
伝説さんは、いいプロダクトを作れば、インターネットで良い人に見つけてもらえる確率を上げられると考えています。田中さんも、成果は自社のビジネスと行動量の掛け算だと応じました。
上地さんは、地方で実績のない人物が影響力を持つコミュニティの厄介さを指摘します。田中さんは、沖縄では支援側にも「起業家の時間を取ってはいけない」という感覚が根付いてきたと話し、自身も出資先の時間の使い方には気を配っているといいます。
経営者には「サラリーマン系・起業家系・創業家系」の3種がいる
田中さんは、若くして起業したために、場によって若手に見られたり、経歴が一番長い人に見られたりする不思議な立場にいます。伝説さんはそれを「子役からやってる」と表現し、田中さんも気に入った様子でした。
経済同友会のような場に出るようになり、田中さんは経営者には3つのタイプがあると気づいたといいます。
| タイプ | 特徴 | 社長を降りた後 |
|---|---|---|
| サラリーマン系 | 失敗しないよう丁寧に上に行く。短期視点になりがち | 会社を離れると普通の人になるため、顧問などで残りたがる |
| 起業家系 | スタートアップの時間感覚を持つ | 会社を売って資金を得て、次のことを始める |
| 創業家系 | 最初から銀行の支店長が挨拶に来るなど余裕があり、長期視点 | 社長になるべくしてなった立場 |
田中さんは、行動原理がまったく違うため、違う属性の人とどう付き合うかは年代以上に気を使うと話します。それでも、サラリーマン系の経営者の丁寧さには学ぶところがあるといいます。
「スタートアップ」という言葉と、VCが幅をきかせすぎる問題
伝説さんが「スタートアップという言葉はいつから使われ始めたのか」と尋ねると、田中さんは「10年ぐらい前」と答えます。上地さんは、ベンチャーの範囲が広がったため、エクイティで急成長を目指す企業を区別する「リブランディング」の面もあったのではと推測します。
そのうえで田中さんは、この10年でVCが幅をきかせすぎているのではないかと問題提起します。
シリーズAとかBとかってVC都合じゃないですか。
一番大切なのってやっぱり起業家だと思うんですよ。そういう意味でVCの方が出しゃばってる現状ってやっぱり違うなっていうのを感じるしね。
IVS、ICC、B Dashといった大型イベントもVC主導で、起業家が「VCから出資を受けなければいけない」と思い込んでしまうのはもったいない、と田中さんは話します。出資先の中には、VCへの牽制として田中さんの存在を使う起業家もいて、田中さんはそれを歓迎しています。
ただ、田中さんはVCを否定しているわけではありません。ネットバブル崩壊時にはJAFCOなどのVCがCFO代わりに事業計画を見てくれたり、リース会社を探してくれたりしたといいます。当時の担当者の一人は、いまNVCCの社長を務めているそうです。
それでだいぶ世話になったんで、VCなければうちもなかったんで。
停滞を抜け出す鍵は「外へ出る」ことだった
田中さんは会社を売りたくなるタイミングが「1000回ぐらい」あったと笑います。停滞期の8年も、暇だったからこそ「さくらのクラウド」を自ら作り、余裕が出てきて石狩にデータセンターを建てることができたといいます。
田中さん自身、経営者として本当に頑張れているのはこの10年ほどで、2014〜2015年ごろから成長率が明らかに上がったと話します。きっかけは複数ありましたが、キーワードは「外へ出る」ことでした。
業界団体に入り、さまざまな分野の人が1泊2日で「誰が日本を良くするのか」を議論する合宿に参加したことで、初めてマクロな視点を得たといいます。サイボウズの青野さんとの出会いから、経営者はもっと自由でいいと感じたことも大きかったそうです。
で、その時に一番大事なのは。人だなってなって人事部長をやり始めたんですよ。
上場廃止も考えていたものの、東証一部への上場を申請し、実現します。翌年にはブロックチェーンブームで株価が上がり、AI向けGPUサービスも伸びました。
債務超過後の8年間で、売上は70億円台から100億円前後へじりじりと伸びる程度
2014〜2015年ごろから3〜4年で倍増し、約200億円に
スタートアップを取り戻すみたいな、そういう感じですね。
年100人採用で、社内の空気はどう変わったのか
社長が何かを始めた、という空気は社内に確かに生まれたそうです。田中さんは役員とのワークショップを重ね、数百万円をかけて「すごい会議」のファシリテーターを呼び、全員で目標にコミットする場を作りました。
最大のボトルネックは採用でした。当時170〜180人の会社で、毎年100人を採るくらいでなければ再生できないと考えたのです。
で、そのペースでやると2年経つと社員の半分以上は2年以内の人になるんですよ。
人事部長として働き方改革も進め、2〜3年で社内はがらりと変わりました。既存社員との衝突や退職もありましたが、多くの人は残って頑張ってくれたといいます。
やっぱり伸びてる会社って伸ばしたい人が来るし、伸びてなかったら伸ばしたい人はもう辞めていくんですよね。
伝説さんと田中さんをつないだ油井さんが入社したのもこの時期です。田中さんは、心の底からスタートアップが好きな人がいることの重要性を語りました。
後半では、伝説さんが「田中ブラザーズ・シスターズの連絡役として、スタートアップ好きの若手を採用してほしい」と提案します。高校生や20歳前後の若手が経営者のそばで学べば、自然とスタートアップに詳しくなるという考えです。伝説さんは、TikTokでゲーミングPCを売って売上3億円規模になった20歳のARTONさんの例も紹介しました。
ガバメントクラウドは「基準を下げない」ロビイングで勝ち取った
上地さんは、さくらがガバメントクラウド ── 政府や自治体の情報システムを載せるための共通クラウド基盤。デジタル庁が要件を満たす事業者を選定していますに選ばれて株価が大きく上がった件について、ずっと準備していたのかと尋ねます。
なんかできそうな気がするようになってくると、自分の会社の格上がってくるんですよね。
2019〜2020年ごろから準備を始め、2021〜2022年ごろに本格的に取り組むと決めたそうです。開発は膨大な量でしたが、来年3月までには完成する見込みだといいます。田中さんは、できると思うことと「潮目を見る」ことの両方が大切だと話します。
潮目を読む方法として、田中さんは先を作っている人、たとえば政治家や業界人と話すことを挙げます。もう1つは、自分で潮目を作ることです。
AmazonやMicrosoftなど海外のクラウドがガバメントクラウドに認定された際、「なぜ国産を入れないのか」という反発が起きました。多くの企業が基準を下げるよう求める中、田中さんは違う姿勢を取ったといいます。
日本か海外かじゃなくて、やっぱりちゃんとしたクラウドが日本にないことが問題なんであって。
田中さんは「基準を下げるのではなく、基準を上げていく人たちを応援してほしい」と訴え、さくらは基準をクリアするので猶予を設けてほしいと発信しました。その結果、条件付きでの認定という形が生まれたといいます。
この話を受けて、上地さんは伝説さんとよく話す言葉を紹介します。
田中さんは、クラウド認証のISMAP ── 政府が利用するクラウドサービスの安全性を評価・登録する制度。取得のハードルが高いことで知られていますの緩和や、データセンターをREITに組み込む件でもロビイングを続け、政府の骨太の方針に盛り込まれたと話します。スタートアップが国に手厚く支援されている今こそが潮目であり、一気に取りに行かなければ手遅れになるとも語りました。
新規事業ではなく「新規市場」を攻める
田中さんは、サーバー会社にはどの会社が伸びているかがよく分かると話します。2005年ごろには、GREE、mixi、サイバーエージェント、はてななどが大きく伸びていたそうです。
GREEやmixiからは出資の話もありましたが、自分の持ち分が下がっていたこともあり、見送ったといいます。代わりにサーバー代と広告枠をバーターし、一時期のmixiにはさくらのレンタルサーバーの広告ばかりが出ていたそうです。
さくらは同じ「サーバーを貸す」事業でも、時代ごとに中身を大きく変えてきました。Web2.0期は高性能CPUの物理サーバー、2016年ごろのAIブームではGPU、いまはクラウドが中心で、物理サーバーはほとんど売っていないといいます。
あと新規事業やってうまくいかなかった経験ばっかりなんで、最近は新規事業より新規市場だっていう話したじゃないですか。
新しいビジネスを始めるのではなく、官公庁、防衛、宇宙といった新しい顧客を探す。そうすれば、すべてが本業になるという考え方です。
商材は変えず、それ以外は全部変えるみたいなね。そういう感じですよね。
今後は、AWSやGCPと使い分けられる存在になることを目指しています。たとえばメルカリの商品サムネイル画像は、AWSのS3に保存したものをさくら経由で配信しているそうです。RAGの構築や学習など、一時的に大量のGPUを使う用途から入り、さくらの利用範囲を広げていく戦略だといいます。
VRChatとUGCは、次の巨大市場になるのか
eスポーツ事業を手がける伝説さんは、最近VRChatが非常に面白いと話します。自社ゲーム「Paravox」の大会を、VRChat内で数十人が一緒に観戦していたというのです。
どういうことかっていうと、僕らが見てる数字上はTwitchの同接1なんですよ。
田中さんは、スポーツバーで試合を見ているような状態だと理解を示します。伝説さんによれば、VRChatではスキンを販売して月に数十万円を稼ぐ高校生もいて、スキンの改造にUnityを使うため、利用者の多くがコードを書けるそうです。
VRChat内の出来事はX(旧Twitter)には出てこず、クラブで伝説的なライブがあったという話が表に出ないのと同じような文化があるといいます。鏡越しに自分のアバターを見ながら会話する習慣も紹介されました。
伝説さんは、ユーザーが作るマップやスキンのような重いデータが増えるほど、アップロードや配信の基盤が必要になると考えています。「そこをさくらが取りきれば」という提案に、田中さんも「いいネタもらった気がする」と応じました。
田中さんは、ゲーム開発者がAWSに慣れていることが壁だとしつつ、ゲーム会社と組んで実績を作っていると話します。上地さんの会社はさくらのGPUを使っており、年間で田中さんからの出資額の40倍ほどをさくらに支払っているそうです。
ゲーム事業の失敗から学んだ「ラーメン論」
さくらは過去に、アメリカからライセンスを買って『ロード・オブ・ザ・リングス・オンライン』などのオンラインゲームを運営していました。月額課金モデルがアイテム課金に勝てず、これが債務超過の原因になったといいます。
社長に復帰した田中さんは、違約金の交渉のために0泊3日でアメリカへ飛びました。減損額が確定しないと出資が得られず、出資がなければ債務超過を解消できず、上場廃止直前の管理ポスト ── 上場廃止の基準に該当するおそれがある銘柄を、投資家に注意を促すために指定する区分。解消できなければ上場廃止になりますに入ってしまうためです。
ゲームを終了させるのも、ユーザーへの告知から1年ほどかかる大変な作業でした。田中さんはこの経験を、前の社長がゲームを大好きだったことと結びつけて語ります。
ラーメンを食べるのが好きなのか、ラーメン作るのが好きなのかっていうのと、ラーメン食べるのが好きな人が起業しても大体失敗するんですよね。
ラーメンを食べる、ゲームを遊ぶのが好き。それだけでは事業はうまくいきにくい
料理を作る、店を経営する、サーバーを運営するのが好き。事業そのものが仕事になる
チェーン展開になれば、料理を作るのが好きなのか、飲食店を経営するのが好きなのかも問われ、経営視点がなければ3店舗を超えたあたりで立ち行かなくなるといいます。田中さん自身もサーバー運営が好きだったものが、10年ほど前に経営のほうへ移り、いまはサーバーのメンテナンスもプログラミングもしていないそうです。
現金書留でサーバー代を受け取った18歳
最初の顧客から入金があったときの喜びについて話が及ぶと、田中さんは意外な創業期のエピソードを明かします。高専の寮に住んでいたため、銀行口座の作り方が分からなかったというのです。
現金送ってもらって。だから寮のね、あの寮の郵便受け取りの場所があるんやけども、そこに何十枚もあのお金が入った封筒がやってきて、開けたら100万円ぐらいあるっていうね。
社名の由来も、わかりやすいドメイン名を探し回って「sakura.ne.jp」が取れたことでした。のちに口座が必要になり、任意団体「さくらインターネット事務局」を作ったのが始まりだといいます。
現在はトップレベルドメインの「.sakura」も保有し、「sakura.net」は約1000万円で買ったそうです。伝説さんも、社名「81RAVENS」を「.com」が取れる文字列に合わせて決めたと話し、2人はハイフン入りのドメインは「萎える」と意気投合しました。
田中さんは、すべてのサービスを「さくらの〜」に統一し、会員IDを1つにできたことが強みだと話します。月数十円の顧客から月数億円の顧客までを同じデータベースで管理できるのは、社名と統一IDのおかげだといいます。
株券の束を抱えて4000万円を借りに回った日
伝説さんは、債務超過のような苦境を「起業家だから楽しい」と語った田中さんの言葉に勇気をもらったと話します。しかし田中さんは、本当にきつかった場面も明かしました。
上場から2年目、債務超過の直後に、どうしても4000万円を集める必要がありました。株を担保に金融機関から借りられないため、田中さんは野村證券から紙の株券を取り出し、個人から借りて回ったといいます。
上場した時はそれこそね、10億分ぐらいあったであろう束を持ってですね、これで掛目割でお金貸してくれへんかみたいなんで、結局4000万いろんな人から借りて。
現金を持って帰る電車の中で、向かいの女性が突然嘔吐した場面は、いまも忘れられないそうです。「なんでこんなに俺は頑張ってるのに」と無性に腹が立ったと振り返ります。
2001年のネットバブル崩壊時にも、クレジットカードのキャッシングで社員の給与を払ったことがありました。社員が振り込みを誤って保険料が引き落とされ、泣きながら帰ってきたときには、そんな会社を経営していることが申し訳なかったといいます。
2005年10月の上場直後にはライブドアショックが起き、その後の債務超過、リーマンショックを経て、時価総額は10億円ほどまで落ち込みました。
上場して良かったことは「全ての道を経験し、伝えられる」こと
伝説さんは、上場して良かったことは時期によって変わるのではないかと考え、田中さんに「最新の感想」を尋ねます。
最新の感想でいうと、やっぱり起業家が通る全ての道を経験したいなって最近思っていて。
経験したうえで現在も戦っている人の言葉には説得力があり、それを覚えていて行動に生かしてくれる人がいるのが嬉しいといいます。東証一部上場、プライム上場、経団連への加入も、経験したからこそ良い面も悪い面も語れると話します。
一部上場した経験者が一部上場なんてあんま意味ないよっていうのってかっこいいと思いますけど。
伝説さんが「人生は思い出作りということか」とまとめると、田中さんは「思い出と、それを伝える作り」だと言い直します。伝説は語り継がれてこそ伝説だ、という伝説さんの言葉とも重なる話です。
後半では、伝説さんが出資先を8億円ほど減損させてしまった経験を打ち明けます。トークン上場の予定通りに進むかが減損判断の対象だと知らず、投資家に迷惑をかけて反省しているといいます。田中さんは、事業が伸びるのが一番だと返しました。
「私心なかりしか」で決めた増資とロビイング
伝説さんがガバメントクラウドの時期に官公庁との関係で気をつけたことを尋ねると、田中さんは「さくらが認められるためのロビイングは一切しなかった」と答えます。業界団体として意見をまとめ、マクロな視点から働きかけるのだといいます。
その判断の軸になっているのが、京セラ創業者・稲盛和夫さんの「私心なかりしか」という言葉です。
去年の増資では、1000億円の投資に500億円が必要で、株価が上がらなければ双日の子会社になる道もあったといいます。個人としては持ち分を薄めたくない、子会社になりたくないという思いがありながら、会社の成長、社員、顧客のためにと考えて増資を決めました。
田中さんは、近江商人の三方よし ── 「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の商売の心得。取引の当事者だけでなく社会全体の利益を重んじる考え方ですも挙げ、「世間よし」とは公益のことだと説明します。電動キックボードやライドシェアの議論も、特定の企業のためでなく社会のためだと思える立て付けでなければ批判される、というのが田中さんの見方です。
田中さんは、日本は完成された国家であるがゆえに、権力を持つ人ほど変えないことで利益を守ろうとし、変える側を排除してしまうと指摘します。だからこそ、変える側の人を応援したいと話しました。
野心的な若手起業家は、どこへ行ったのか
伝説さんは、eスポーツで日本人だけのチームで世界一を取りたいと語ります。田中さんは、県大会優勝を目指す人より世界大会を目指す人のほうが、県大会で当たり前に勝てると応じ、「当たり前の基準」を変える大切さを強調しました。
一方で、伝説さんも上地さんも、自分より年下でめちゃくちゃ野心的な起業家にはあまり会っていないと話します。上地さんは、規模の見えたモデルでうまく売却を狙う賢い起業家が増えたと感じています。
野心的なタイプはYouTuberやインフルエンサー、ラッパーなど別の道に向かっているのではないか、という見方も出ました。田中さんは、学校で起業を教える取り組みについても、ガードレールに囲まれた「起業体験」になっていないかと懸念を示します。
田中さんは、上場後に待つ罠にも触れます。まとまったお金で遊び始める個人の罠と、予算と実績を合わせるためにJカーブを掘れなくなり、M&Aで買った会社がうまく回らず評価額が下がり続ける会社の罠です。
そうなると、その姿を見た若い人とかも上場しても仕方ねえなってなってくるじゃないですか。それは結構危機的だなと思いますよね。
伝説さんは、家入さんや山田進太郎さんに憧れて起業した一人として、いまはスタートアップ界隈のスターが少ないと感じています。田中さんは、講演では「起業して良かった」ことを一番強調していると話し、凸凹の激しい自分にとって起業は才能を生かせる選択だったと語りました。
若手起業家はまず東京に出るべきか?
田中さんが「地方出身の2人は、東京に来ないとダメだと思うか」と問いかけると、上地さんははっきり「ダメだと思う」と答えます。
僕は地方の人をいかに東京に送るかっていうゲームに切り替えた方がいいって思ってるので。
上地さんは、若いうちにメインストリームのスタートアップ関係者に会わせるほうが、長い目で見て地方のためになると考えています。地元に貢献したい気持ちは年を取れば自然に湧くものであり、地方で資本主義的な仕組みを持ち込むと、壊さなくていいものを壊しかねないとも話します。
スタートアップっていうのと地方創生っていうのをごっちゃにしちゃいけないと思うんですよね。
田中さん自身も、京都の舞鶴で起業したものの、それでは無理だと大阪に出てきた経験があります。当時の大阪にはVCの支社、証券の引受部門、監査法人がそろっていたといいます。
さくらでも社員の6〜7割は関東圏にいて、クラウドのコアエンジニアやAIエンジニアは東京で採用しているそうです。伝説さんは、渋谷の街の雑多な空気からゲームのアイデアが生まれると語り、道玄坂にスタートアップとアーティストが集まる店「bitvalley」を作る計画も紹介しました。
心から祝えて、悔しがれるコミュニティが人を伸ばす
田中さんは、田中ブラザーズ・シスターズで起業家同士が刺激し合う様子を例に挙げます。他人のトラクションを見て「めっちゃ悔しい」と叫ぶ起業家がいるような場が重要だといいます。
伝説さんは、後輩に負けるのが一番怖いと話します。田中さんも同じで、若手に「200億なんて秒で超える」と煽られたことが本当にありがたかったと振り返ります。
田中さんは、人を祝えなくなった人生はつまらないが、悔しさのない人生には伸びもないと話し、地方ではこの刺激が薄いのだと指摘します。
伝説さんは、調子の悪いときほど人に会いたくなくなるものの、悪い時期を知ってもらうことで、そこからの成長も評価してもらえると話します。上地さんは、伝説さんが調子の悪い話をいつも明るいテンションでするので「時空が歪む」と笑いました。
「田中チルドレン」ではなく「ブラザーズ・シスターズ」という名前にしたのは、対等な関係だからだと田中さんは説明します。後輩でありライバルだと思って接しているからこそ、自分も長く続けられているのだといいます。
だってよく言うのが、おみくじって、あの、ね、大吉出るまで引いてたら大吉絶対出るんで。
コミュニティがあれば、つらくても続けようと思えるし、辞めるときも周囲に大きな迷惑をかけずに辞め時を見つけられる。田中さんは、コミュニティは成長するためにも辞めるためにも重要だとまとめます。
田中邦裕さんの伝説は「借金は絶対返す」
番組の最後に「あなたの伝説は何ですか」と問われた田中さんは、借金は絶対に返すことだと答えます。
株券を担保に借りた4000万円も、破綻から立て直す過程で貸さざるを得なかった資金の穴埋めも、7年ほどかけて合計1億円ほどを個人で返したといいます。会社から出したわけでも、株を売ったわけでもありません。
だからしばらく僕手取りね、40、50万でしたよ。ずっと。
借金と家のローンを返し終え、運用していたマンションも売って余裕が出たことで、エンジェル投資を始めたといいます。田中さんは、一発でお金を手にしなかったことが重要だったと振り返ります。
もう1つのターニングポイントとして、田中さんは改めて「外へ出る」ことを挙げました。そして、成功の要素を3つに整理します。
停滞期の田中さんは熱量を失い、つながりも持っていませんでした。外へ出たことで熱量が戻り、つながりができ、運気も上がってきたことが、自身のターニングポイントだったといいます。
今後については、2032年に売上2000億円を目指し、東南アジアを中心にグローバルに展開すると話しました。伝説さんは、ストックビジネスで2000億円を目指すことのすごさに改めて感嘆し、約3時間の収録を締めくくりました。
まとめ
田中邦裕さんの29年は、ネットバブル崩壊、3回の上場失敗、上場2年での債務超過、8年の停滞という失敗と苦境の連続でした。そこから外へ出てつながりを得たことで熱量を取り戻し、ガバメントクラウドに至る急成長を実現しています。その経験を後輩に伝え、対等なライバルとして刺激し合うことが、田中さん自身が経営を続ける原動力になっています。
- 2000年前後のVC投資は普通株中心で緩く、リーマンショック後に優先株が定着したという当事者の証言
- 停滞期を抜けたきっかけは、業界団体や財界に「外へ出る」ことと、年100人規模の採用による組織の刷新
- ガバメントクラウドでは基準を下げず、基準を上げる側を応援してほしいと訴える姿勢が評価につながった
- 「新規事業より新規市場」「ラーメンを食べる好きと作る好きは違う」など、失敗から得た事業の原則
- 心から祝えて悔しがれるコミュニティと、熱量・つながり・運の3要素が、長く続けて成功するための鍵




